第16話


二、怪談だらけの川の話



 包丁を逆手に構えたカナちゃんがスマートフォンの画面に現れる。押し入れからうように出てきたカナちゃんが、もう一方の手に持ったカメラを部屋の姿見に向けたからだ。カナちゃんは顔に巨大なマスクをつけている。そのせいで表情はまったくわからない。

 カナちゃんは部屋のドアを開け、暗い廊下をゆっくりと移動していく。そこはわたしの家の廊下だとすぐにわかる。すぐ横の寝室ではわたしが寝息を立てているはずだ。しかし、カナちゃんはそちらへ向かわず、反対方向へ歩いていく。トイレと浴室がある方向だ。

 浴室から聞こえるかすかな水の音を、カメラのマイクが拾う。深い水の中で、たくさんのものがたゆたうような音。

 カナちゃんの手が伸びて浴室の照明をつける。画面が一瞬、白く飛ぶ。少しずつ画面の明るさが調整され、浴室内の異様な光景が映し出される。

 水の張られた浴槽に無数のぬいぐるみが浮かんでいる。

 カナちゃんは、浴室内にあらかじめ置かれていた三脚台にカメラを固定する。それからぬいぐるみの中の一体を拾い上げ、包丁を振り上げて。

「何を見てるの?」

 隣の座席からカナちゃんが首を伸ばしてきて、わたしのスマートフォンをのぞき込む。が、すぐに顔をしかめた。

「もう、そんなの何度も見ないでって言ってるのに」

「よく撮れてるじゃない。編集もうまいし。視聴回数もこんなにある。大人気みたい」

「人気じゃないの。炎上してるだけ」

 カナちゃんはよく、自分で試した呪いの儀式や、心霊スポットへ出かけたときの様子を動画に撮ってウェブサイトに投稿している。もともとは、カナちゃんからわたし宛に送られた動画をわたしが勝手にアップロードしたのだが、それが妙な人気になった。せっかくだから続けたほうがいい、というわたしの強引な頼みを聞き入れたカナちゃんは、その後も定期的に作品を仕上げて世に出している。

 が、私有地にもかかわらずはいきよへ忍び込んだり、はいが残されたままの仏壇をバットで破壊したりといった過激な行為が目に余るため、基本的には炎上傾向にある。有名どころの動画サイトはすべてアカウント停止処分になってしまい、今では海外のポルノ動画サイトでひっそり活動中だった。

「『ひとりかくれんぼ同時に九十九体でやってみた』でしょ?」増やすといいとは聞いたが、四体だったり十三体だったり判然とせず、せっかくなので一番多いやつにしたのだ。「燃えるようなネタかな?」

 ひとりかくれんぼ、というのは、ある時期からインターネットでよく語られるようになった降霊術のことだ。人形を用意して、その中に霊を降ろす。それから自分ひとりだけ隠れて、様子を見る。するとおかしなことが起きるという遊び。動画のネタとしてはメジャーなものだ。

 わたしの疑問に、カナちゃんは力なく首を振った。

「甘いね。ここまでになるともうあいさつするだけでたたかれるから」

 わたしとカナちゃんは、いよいよ例の魚を釣り上げるため、八板町に向かう列車の中にいた。大きな荷物は宅配便であらかじめ宿に送ってある。釣りがうまく行って魚を手に入れられれば言うことなしだが、わたしにはそれ以外のお目当てもあった。だから、八板町には五日ほど滞在するつもりで予定を組んでいる。カナちゃんが釣りに挑戦している間、わたしは他の場所を調べて回るつもりだった。

 新幹線からさらに在来線を乗り継いで、八板町の駅に着いたのはもう昼過ぎだった。ホームに降りると、すぐに晩夏の熱気が押し寄せてくる。わたしはブラウスの襟をぱたぱたさせながら、カナちゃんに尋ねた。

「駅前にタクシーがいると思うから、先に宿まで行っててくれる?」

 荷物もあるし。わたしがそう言うと、しかし、カナちゃんは不思議そうに首をかしげた。

「え、三咲は?」

「歩いていくよ」

 わたしが車に乗れないことを、引きこもりのカナちゃんは知らない。

 一時期はまったくだめだった。シートベルトを締めると、体に食い込んでくるような感じがして、息ができなくなる。汗がだらだらと噴き出す。さんや松浦さんに手伝ってもらいながら少しずつ克服して、最近は短い距離なら大丈夫になった。それでも、まだ好んで乗ろうとは思えない。

 改札を出てみると、ロータリーの片隅にささやかながらタクシー乗り場があって、暇そうなクラウンが一台停まっていた。あれでいいだろう。財布を手に持ち、タクシーのほうへ歩きかけたところで、カナちゃんに腕をつかまれた。

「いいよ、わたしも一緒に歩くから」

 彼女がどうしてそんなことを言うのかわからず、わたしは返事に困った。

「でも……」

「いいから」

 そう言ってカナちゃんはショルダーバッグを背負い直し、ロータリーの端にある横断歩道のところまですたすたと行ってしまう。釈然としないまま、わたしはあとを追いかけた。カナちゃんはああ見えて勘がいいから、わたしの様子を見て何か察したのかもしれない。だから、これは彼女なりの、同居人への気遣いなのだろう。そう思うとうれしかった。

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