第10話

釣り上げると死ぬ怪談について、その後もいくつか仮説を話し合ってみたが、結局、現時点の情報だけではなんとも話を進めようがない、ということだけは確認できた。わたしの目的は、この話が事実かどうか確認すること、そして「人が死ぬ」という要素だけをどうにか抽出することだ。釣り上げて言葉を聞くと死ぬ魚がいるとすれば、単に言葉を聞いただけで人が死んでもおかしくはない。ということは、その魚を捕獲して水槽か何かに入れることができれば、わたしの目的はほぼ達せられる。

「やっぱり、釣るしかないか」

「丹野さん、釣りなんてできないでしょう。釜津でも釣果ゼロだったのに」

「わたしはね。でも釣り堀に通うのが趣味の人をひとり知ってるから」

「そうなんですか?」

 電話を切ってから、わたしは背後のダイニングテーブルで工作に励んでいるその人に声をかけた。

「カナちゃん、頼みがあるんだけど」

 彼女ははさみを持つ手を止めてこちらを振り返った。左手に持っているのは、さっきコンビニで印刷してきた、うしつ時にひとりで組み立てれば鬼が出てくるという箱の型紙だ。本当ならデアゴスティーニのどの雑誌よりすごい。

「聞いてた。でもわたし、金魚しか釣ったことないよ」

「それで十分。わたし、金魚はすくったことすらないもの」

「おばけの魚なんでしょ。餌とかどうするの」

「普通に釣りをしてて引っかかったらしいから、ミミズでもなんでもいいんじゃない?」

「……いいよ、やるだけやってみるから」

 そう答えて、カナちゃんは作業に戻る。わたしは彼女が座る椅子の横に立って、しばらく見守った。この型紙は、先日もらったファンからのメールに添付されていたものだ。高知のいざなぎ流に伝わる式神の術を応用したとかいう触れ込みだったが、型紙には丁寧にのりしろまでついていて、いまいち雰囲気が出ない。

 釣りをするだけあって、カナちゃんは手先も器用らしく、切ったところはきれいな直線になっている。

「学校の図工とか、得意だったでしょ」

「普通だよ」

「休み時間に、ひとりで黙々と絵とか描いてるタイプだよね」

 わたしがそう言うと、カナちゃんは少しむっとしたようだ。

「そんなふうに見える?」

「違うの?」

「違わないけど」

 学校の話をすると、決まってカナちゃんは嫌がる。あまりいい思い出がないのかもしれない。だったらわたしと同じだ。カナちゃんと暮らし始めてもう一年以上になるけれど、彼女は自分のことをほとんど話したがらない。わたしも話していないから、お互いさまだ。でも本名さえ知らないのは、ときどき、寂しく感じることもある。

 わたしがそう言うと彼女は決まって答える。いつかわたしが呪いで死ぬとき、愛着があったらつらいでしょ。

 そうなのかもしれない。本当にそんな日が来るとして、だけど。

 翌朝、わたしが起きてリビングへ行くと、完成した紙の箱がテーブルの上にちょこんと置いてあった。すぐ横のソファではカナちゃんがすやすやと寝息を立てていて、鬼が出たようには見えなかった。わたしは彼女のひざにそっと毛布をかけてやった。それから、箱を捨てようと思って手に取ったけれど、やっぱり捨てずにテレビの横に飾った。


    *


 カナちゃんと一緒に釣りのことを調べてみて、厄介な問題に気づいた。川に遡上してきたサケを採る行為は、法律で禁止されている。ということは、釣り上げると死ぬ魚の正体がサケだった場合はアウトだ。リリースするしかない。

 わたしがそんなくだらないことを考えているうちにも、カナちゃんは着々と準備を進めていった。釣り堀で知り合ったマニアに、河口でメバルのような何かを釣りたいと相談したところ、お古のルアーだのロッドだの山のようにくれたらしく、それを並べた我が家のリビングはまるで釣具屋の店内のようになってしまっていた。

 そうこうしているうちに、知り合いから怪談ライブのオファーが来た。ギャラはそれほどでもなく、スケジュールも厳しめだったが、すぐに了承の返事をした。最近は物入りなこともあるし、何よりこの商売は今の季節が唯一の稼ぎ時だ。

 衣装をクリーニングに出したり、話が持ち時間におさまるよう、軽く原稿に起こして復習したり、ばたばた準備をしていると、すぐ当日になった。開演は夕方の六時。着替えて出かけようとしたとき、珍しくカナちゃんに呼び止められた。

「どこか行くの?」

「うん、お仕事」

 カナちゃんはこちらに背を向けたまま、分解した振り出し竿ざおをいかにもそれっぽい布で磨いている。昭和のお父さんかよ、と思った。

「怪談のイベントだよ。そろそろ夏も終わりだし、だれかさんのために稼がないと」

 わたしがそう言うと、カナちゃんはこちらを向いてちょっと笑った。

「なんの話やるの。新作?」

「えっとね、違う」

「右手の骨だけ二本分入ってたお墓の話、それか、紫の車掌の話?」

「どっちも違うよ。こっくりさんの話」

 それを聞いたカナちゃんは、なんだ、とつまらなそうに言って、また釣り竿磨きに戻ってしまった。お気に入りの話じゃないとわかって、興味をなくしたようだ。

「カナちゃんにしたことあったっけ、この話」

「ないよ」竿がしなり、ひゅんっ、と音がした。「でも、おもしろくなさそう」

「そりゃタイトルは地味だけど」

 わたし自身、そこまで気に入っている話というわけでもない。けれど、ここ数年、いろいろな場面で話しているうち、定番ネタのような扱いをされている。今回も先方からのリクエストだった。わたしが集めている話はもっぱら呪いとか祟りとか、ひどいものでは聞いた者に障りがあるとかいう話になるので、マニア以外には受けが悪い。そんな中でこの話は比較的そういった雰囲気が強くなく、聞きやすいということのようだ。

 とはいえ、この話でも人は死ぬ。いや、死んだ人数でいえば、知っている話の中で一番多いかも知れない。ただ、わたしの欲しがっている話とは少し毛色が違うし、わたしの目的のためには使いづらい。だからあちこちで怪談として披露しているのだが。

 熱心に釣り道具の手入れをするカナちゃんをひとり家に残して、わたしは会場へと向かった。場所は、の小さなイベントホールだ。着いてみると、楽屋に集まっていた顔ぶれは、あまり華々しくなかった。その割に、いざ開演時刻となると、客席は思ったより埋まっていた。見れば、わたしの熱心な追っかけが何人も交じっている。どうやらわたしは客寄せとして呼ばれたらしい。

 イベントが始まり、しばらくして、わたしの出番が来た。今回のライブは、語り手がひとりずつ怪談を披露しては、トークの席に加わり、そこで次の語り手の話を聞く、というスタイルになっている。なんだかしちにんミサキみたいだ。

 わたしは軽く深呼吸して調子を整え、それから話し始めた。

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