第9話

 いきなり駆け寄ってきたわたしたちを、初めは不審そうな目で見つめていた彼らだったが、わたしが名刺を取り出して手渡すと、興味深そうにそれを眺めた。

「怪談師?」

「そうなんです」

「テレビとか出るの?」

「ええ、たまに」

 地上波に出演したのは二度だけなので、たまにというのは噓だった。とはいえ、彼らの態度を柔らかくさせるためには仕方がない。実際、効果はあったようだ。相手は、へえ、という感嘆めいた声を漏らす。間髪いれず、先ほど聞こえてきた話のことを質問した。

「すみません、お話が聞こえてしまったのですが、釣り上げると死ぬ魚の怪談をご存じなんですか?」

「怪談といえば怪談なのかなあ。なんていうか、そういうジンクスみたいなものっていうか」

「でもさっきの話だと、ぬらぬら光ってて、人の言葉を話すっていうんだろ?」横で聞いていた別の男性が割って入った。「そりゃ普通の魚じゃないよ。化け物だ」

「そうですね。わたしたちも似たような内容で聞いています」

「ああ、なんだ。話はもう知ってるんですか」

「いえ、今日は一日、釜津のあちこちで話を聞いているんですが、あまり知っている方がいらっしゃらなくて……海のほうへも行ってみたんですけど」

「釜津の海で?」

 話をしていた男性はちょっと苦笑いのような表情になった。けれど、わたしは何を笑われたのかよくわからなかった。

「それはそうですよ。その魚は、川にいる魚なんですから」

「川?」

 昇が力の抜けた声で言った。

「場所も釜津じゃないですね。隣のいた町です。りゆう川の河口あたりで釣れることがあるって聞きました」


    *


 八板町は南北に細長い小さな町で、隣の釜津市ほど名所や観光地があるわけではない。その町のちょうど中央を流れる狗竜川は、県をまたいだ長野県から下ってくる一級河川で、かつてはとうかいどうの難所のひとつとして知られた。

「いやいや、本当に、あの人には感謝ですね。探す場所を変えたとたん、ドドドッと見つかりました」

 昇は電話口で興奮気味に話した。釜津の調査旅行から帰ってすぐ、わたしたちは八板町に伝わる怪談や都市伝説を調べ始めた。結果、釣り上げると死ぬ魚という噂話が狗竜川の釣り人の間で広まりつつあることは、すぐに判明した。それらはいくつかのバージョンに分かれているものの、だいたい次のような話だ。

 釣り人が、狗竜川の河口付近で釣りをする。時間は早朝のこともあれば、日没後の場合もある。少人数で釣りに出かけ、しばらく経ち、ちょうど、あたりが無人となっているようなときに釣ってしまうらしい。

 その魚の引き味はメバルに似ているそうだが、釣りをしないわたしには、あまりイメージできなかった。弱くはないようだ。

 さらに姿かたちの描写となると、かなりバリエーションがあって、どれがオリジナルに近いのかまったく判断できない。もっともよく語られるのは全体の印象で、ぬらぬら、ぬめぬめ、という言葉が頻出することから、粘膜のようなものをまとっているらしい。頭やエラの周囲にとげがあり、また尾びれはないとされることが多い。それ以外だと、赤い目がぎょろりと動いたとか、いや眼球は退化してこんせきだけになっていたとか、持った感じが生々しくて人間の腕みたいだったとか、いやむしろプラスチックに近かったとか、大きいとか小さいとか、重いとか軽いとか言われている。

 そんな中、唯一と言っていいほど共通した特徴は、その魚が言葉を発するという点だ。そして、不吉な魚を釣ったためというよりは、その言葉を聞いたことによって死んでしまうらしい。ただ、言葉の内容がわからない。

「ブログで読んだお坊さんの話もそうでしたね。具体的な中身は語られないが、断片的な情報だけがわかっている、という」

 その話ではたしか「魚が前世の名前を知っていた」ということだけ書かれていた。前世の名前を知られるとどうなるのか、とか、そもそもそれが自分の前世の名前だとどうやってわかるのか、とか、いろいろ謎ではあるものの、そこも含めて不気味な感じがする。

 釣り上げると死ぬ魚について言えば、前世のことを語るという要素はない。とにかく何か不吉なことをしゃべるらしいとか、逆に、その魚が今にも口を利きそうで怖い、という直感に従ってすぐ逃したから死ななかったとか、そのような話で終わっている。

「何を話すんだろうね、この魚は」

「ベタなところで考えると、おまえは何月何日に死ぬ、とか、そういう予言を聞かされるんじゃないでしょうか」

「なるほど、それで同じ日に死んでしまう、と」

 もっともらしい感じではあるが、だとすればこんなにあやふやな状態で広まっているのが解せない。「釣り上げた人に死の予言をささやき、実際そのとおりになる魚」という怪談になりそうな気がする。

「あるいは、とても言い表せないほど恐ろしいことを言われ、体験者は命を落としてしまう」

「『牛の首』みたいに?」

 牛の首とは、まつさきようの小説の題材にもなった有名な怪談で、その話を聞いたものは恐怖のあまり死んでしまうからだれも内容を知らない、という。言ってみればナンセンスジョークの一種なのだが、怪談の存在自体が怪談になったおもしろい話だ。

「内容なのか、声なのか、とにかく恐ろしさのあまり、聞いた人は死ぬ……でも、即死するわけじゃないんだよね、金魚釣りのおじさんの例からすると」

「あの人が本当に釣ったのかどうかわかりませんよ。怪談の存在を知っていただけで、事故は偶然なのかも」

「怪談で『偶然の死』が出たらもう伏線だから」

 わたしがメタなくつめいたことを言い出したので、昇はあきれたようだった。

「ずいぶんこの怪談に入れ込んでますね。幽霊を信じてない丹野さんらしくもない」

「霊感とか死後の世界とか、そういうものが嫌いなだけ。怪談を否定してるわけじゃないよ」

「同じに聞こえますけど」

「それは違うよ。人間の想像が及ばないことなんて世の中にはたくさんあるじゃない。きみも学校では、四次元のつぼをねじったら筒になるとかいう話をしてるんでしょ?」

「まあそれはそうですが」

「でも、死んだおばあちゃんが幽霊になって帰ってくるとか、それで孫と遊んで消えるとか、そんな話はさすがに信じられないってだけ。そんなの人間にとって都合よすぎる」

 もし人間が死んだあと消えるのではなく、どこか別の場所に行くのだとしたら、そこは人間の理屈なんて少しも通用しない世界に違いない。進むことも戻ることもできず、というより、前とか後ろとか、過去とか未来とかもなくなる世界なのだろう。そうでなければ納得できない。わたしには。

「だから、死んだ家族が幽霊になって会いに来るなんてこと、この世には絶対にない」

「……そうですね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る