第5話

 着替えと化粧をして出かける支度を整えてから、カナちゃんの部屋の前に立った。

「行ってくるから」

「うん」

 と、ドア越しに返事だけ返ってくる。引きこもりの娘を持った母親はこんな気持ちなのだろうか。

「お小遣い、足りないなら置いていくけど」

「まだあるからいい」

 カナちゃんは無職なので、彼女の生活費はわたしが出している。わたしの助手として働いているといえばそうなのだけど、客観的に見ればヒモも同然だ。カナちゃんは近所の店で食料や着替えを買ってくることと、ときどき釣り堀だの将棋クラブだの渋い遊びに出かけるほかは、ほとんどお金を使わない。ヒモとしては安上がりな部類に違いない。

「わかった。もし何かあったら、携帯か事務所に電話して」

「うん」

 気のない返事にももう慣れた。このくらいのほうがお互いに楽でいい。

 だいたい、他人には説明できない間柄だった。去年の夏、家に帰る途中の路上であの子を拾って、一緒に暮らし始めたときは、どこか悪趣味な冗談のつもりだった。普通、悪趣味な冗談は一年も続かない。

 わたしたちの関係は利害の一致によるものだ。つまり、わたしは本当に人が死ぬ怪談を探していて、一方のカナちゃんは、呪いかたたりで死にたがっている。

 最初に出会ったとき、カナちゃんは身元不明の自殺志願者だった。アルコールと向精神薬をまとめて胃に流し込んだというカナちゃんは、同業者との飲み会帰りに通りかかったわたしが発見するまで、自販機と電柱とゴミ箱の間にある三角形のスペースで気を失っていた。わたしはその姿をちらりと見て、無視して通り過ぎようとしたところ、起き上がった彼女に足首を摑まれた。ゾンビ映画さながらだった。

 さて困った、警察を呼ぼうか、救急車のほうがいいか、と思ってスマートフォンを取り出すと、バッテリーが切れている。仕方なく彼女を連れたまま家に帰った。正直なところ、わたしもかなり酔っていたのだ。

 リビングのソファにカナちゃんを寝かせ、そのまま酔った勢いで、わたしは彼女にいろいろと話しかけた。わたしの職業のこと。生活のこと。だいぶ前に年下の彼氏と別れたことや、わたしにはある目的があって、そのために、本当に人が死ぬ怪談を探してるっていうこと。温かいお茶を飲みながら聞いていたカナちゃんは、最後のほうでだいぶ意識を取り戻したのか、わたしに尋ねた。

「信じてるの、呪いとか、祟りとか、それで本当に人が死ぬって?」

 それで、わたしはイエスという意味のことを答えた。カナちゃんは、すぐには納得してくれなかった。何度か質問が続き、それも終わると、あとはただ真剣な目でわたしを見つめていた。もっとも、それが彼女の真剣な目だということは、最近になってから知った。

「だったら、わたしで実験してみなよ」

 最後に、カナちゃんはそう言った。それがわたしたちの出会いだった。人生は不可思議の連続だ。そんなことを思いながら地下鉄に揺られ、いいばしの事務所に着いた。

 事務所と言っても、わたしひとりが使うだけの狭い物件だった。もともと打ち合わせに便利だからと借りたのだけど、家でかさばる衣装とか小道具とかを運び込むうち、すっかり物置と化している。今日の仕事はまず片付けと掃除。それからメールで送られてきている怪談情報のチェック。午後は次回のライブについての打ち合わせ。

 と、その前に、郵便受けに入っていた雑誌の献本を回収する。最近、短いコラムを書いたものだ。がさがさと取り出して裏表紙からめくり、執筆者一覧に名前があるのを見て満足する。

 わたしの肩書は「怪談師・丹野三咲」ということになっている。師、と名乗るほどの技を磨いた覚えはないのだが、他に適当な呼び名がないのだろう。

 高校を卒業し、地元の短大に進んだ頃から、わたしの怪談集めは周囲に知られていた。わたしにとって必要なのは人が死ぬ怪談だけだったけれど、予選があるわけではないので、必然的に死なない怪談も集まってくる。知人の知人を紹介してもらい、二けたで足りない人数から情報が寄せられるようになって、ちょっとこれはまずいぞ、と気づき出した。合理化のため、怪談データベースを作成し、内容別に分類、日付順にリストアップ。「人が死ぬ」は丸、「たぶん死んでる」は三角、「生きてる」はバツの三段階評価。

 その頃には都内の怪談イベントや、ホラー関係者が集まる飲み会などにも出没するようになり、そこで何人か、怪談師と呼ばれる人たちの目に留まった。彼ら彼女らからすると、怪談集めに情熱を燃やす女子大生は、なかなか逸材に見えたのかもしれない。やがてわたしもステージに立つようになった。名刺があったほうが取材には便利だ。祟りがあると噂される危険なスポットの情報も、伏せ字やモザイクなしで手に入る。

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