第4話


    *


 それから一週間以上経ってもカナちゃんは死ななかったので、わたしたちは次の怪談に着手した。

「こないだ言ってたじゃない、釣り上げると死ぬ魚って」

「うん、言った」

 カナちゃんは朝食のちぎりパンをもそもそと口に運びつつ答えた。このパンはいつ見ても赤ちゃんの腕みたいでぎょっとする。わたしは食べない。

「あれってどうなった?」わたしは普通のトーストにバターをたっぷり塗る。「あのおじさん、また会えた?」

 彼女の話では、そのおじさんはもう定年退職しているらしく、混雑を嫌っていつも月曜日に釣りを楽しんでいたそうだ。カナちゃんはパンの塊をしばししやくしていたが、やがてぼそりと言った。

「死んじゃった」

「え?」

 カナちゃんは口の中に詰め込んだパンを冷たい紅茶で流し込む。

「おじさん」

 カナちゃんが言うには、今週の月曜日、カナちゃんが釣り堀へ繰り出すと、珍しくそのおじさんは来ていなかった。夕方になっても現れないので、不思議に思ったカナちゃんは、よくおじさんと話していた若い親子連れに話しかけて、おじさんの近況を聞いた。

「どうして死んだの?」

「知らない。その人たちも新聞のお悔やみ欄で見ただけだから、詳しい事情はわからないって」

 おじさんの年齢を考えると、病死でもおかしくはない。それにしても、できすぎた展開だ。怪談やホラー映画などではたいてい、こういう事件を掘り下げていくと怖いことになる。チャンスかもしれぬ。

「ちょっと調べてみる。そのおじさんの連絡先ってわかる?」

「ううん。聞かなかったから」

 聞いといてよ、と文句を言いそうになったが、我慢した。彼女にそういう仕事を期待するほうが間違いだ。カナちゃんはカナリア。掘り進めるのはわたしの役目だ。それに、二十歳そこそこの女の子と連絡先を交換するおじさんだって、それはそれでちょっと嫌だ。

 名前だけはぼんやりと覚えていたようなので、死亡記事を当たっていけば出てくるだろう。そういう作業にうってつけの男をひとり知っている。

 食事を終え、洗い物を片付けたところで、わたしは彼に電話した。

「もしもし?」

「おはよう、のぼるくん。三咲です」

「ああ、たんさん。どうしたんですか、朝から?」

 ふたりの関係が変わってから、彼はかたくなにわたしを名字で呼びたがる。

「串刺し人形はどうでした?」彼は自分が仕入れた怪談の首尾を聞いた。「人形、家に来ました?」

「だったら、もうきみに連絡してないよ」

「ひどいな」

 彼は笑った。

 西さい昇は、初めて会ったときには怪談オタクの大学生だった。その後、わたしの恋人になり、オタクの大学生に戻り、今はオタクの大学院生になった。そちらの専門はトポロジーだかなんだかで、いずれにせよ、わたしのあずかり知るところではない。

「ところで、最近は時間ある?」

「何かありましたか」

「調べてもらいたい怪談があるの。釣り上げると死ぬ魚、っていうんだけど」

「初耳ですね。どこで仕入れたんです?」

「阿佐谷の釣り好きなおじさん。でももう本人は死んじゃったらしくて」

 昇はちょっと黙って、言った。

「……釣ったんですかね?」

「あるいは」

 すごいな、と小さくつぶやいたのを受話器が拾う。

「ホラー映画だったら、そのおじさんの死の真相を調べていった結果、とんでもないことになるやつですよね」

 わたしが考えたのと同じことを言う。昇とわたしは思考回路が同じなのだ。だから付き合ってみたけれど、結局はそのせいで別れた。似た者同士はうまくいかない。

「そのおじさんがどこの何者なのかを調べてほしいの」わたしはカナちゃんから聞いた名前を、昇に伝えた。「ついでに、その怪談についてもわかることがあれば」

「わかりました、引き受けましょう。今日、事務所には行かれますよね?」

「うん、ちょっと寄るつもり」

「じゃあ、いつもの店で八時に会いましょうよ」

 約束して電話を切った。昇のことだから、二、三日もあれば話の出どころを見つけてくることだろう。彼は怪談の収集に人生のほとんどを費やしている。何が彼をあそこまで駆り立てるのか、わたしは知らない。

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