第2話


「かもしれない」おじさんの話が本当だったとして、だ。「それか、単に毒のある魚かもね」

 わたしは立ち止まった。数歩進んだ先のところから、急に地面が低くなっている。そばに生えていた木の枝の一本をつかんで支えにしながら、そっと身を乗り出してのぞき込んだ。そこは二メートルほどの高さの、ちょっとしたがけになっていて、林の中にあるその一帯だけがすり鉢状に落ちくぼんでいるのがわかった。

 すり鉢の縁にあたる部分に沿って歩いていくと、崖の一部が崩れて、上り下りできる程度に土が盛り上がっているところがある。どうやらここへ来た人たちが同じ場所を通っているうち、こんなふうになったらしく、全体的にしっかりと足跡で踏み固められていた。

「この下?」

 カナちゃんに聞かれて、わたしはうなずいた。

「気をつけて」

 杖代わりの枝を受け取り、斜面に突き立てながらそっと下りていく。

 話に聞いたところでは、この窪地に近寄ると、突然、周囲が暗くなったり、林の中から奇妙な人影が現れたり、消えたりするという。もっとも、ここに来るまで、とくに不可思議な現象は起きていない。

 急に暗くなるのは、この場所が山の斜面に対してコの字形に引っ込んだ場所にあり、日光が遮られるせいだろう。人影というのは、ここへやってきた見物人同士で鉢合わせしただけではないか、と思う。お互いに相手を怪しいものと誤解していれば、急いで姿を隠すこともあるだろう。

 そんなことを考えながら、窪地の中心までやってくると、すぐにそれらが目についた。

「おー、あったあった」

 カナちゃんが嬉しそうに声を上げる。なるほど、これは壮観だ。わたしも疲れた足腰を伸ばしながら、それらを眺めた。

 くししになった人形の群れ。数十体。

 その中には、ぬいぐるみもあれば、市松人形というか、そういう古い人形もある。風雨にさらされて朽ち果てた人形もあれば、さっきそこに置かれたばかりのような真新しいものもある。いずれも胴体のあたりを棒状のもので刺し貫かれ、地面に立ててあった。棒の素材に指定はないらしく、たいていは木材だが、塩化ビニールのパイプとか、バーベキューの串に刺さっているのもある。

 カナちゃんは手を後ろに組んで、並んだ人形をひとつひとつ、興味深そうに観察しながら歩いていく。

「これって、何かのおまじない?」

「諸説あるの。このあたりの民間信仰だとか、もとは供養の一種だとか、カルト宗教の儀式の跡だとか、近所に住んでる変わり者のおばあさんが夜中に来て作ってるとか」

 わたしが調べられた範囲だと、たとえば、二〇〇〇年頃のとある掲示板サイトに書き込まれていた話はこうだ。

 まず、自分自身から取り除きたいものをひとつ考える。欠点とか、嫌な思い出とか。次に、人形かぬいぐるみを用意する。頭と手足があり、一定の強度があればなんでもいいという。

 その人形に自分と同じ名前をつけて、毎日話しかける。そのとき、消したいと思っているものに言及し、人形をなじる。たとえば、仮にわたしの容姿がコンプレックスだったとしたら、人形にさきと名付け、毎日のように、三咲、ブスだな、おい三咲、このブスと話しかける。

 これだけでずいぶん病みそうだ。

 最後に、その人形をここへ持ってきて、串刺しにする。そのとき、三咲は死にました、と声をかける。こうすると、自分の悩みや欠点は人形が持っていってしまい、あとは生まれ変わった自分が残る、ということらしい。

 ここに並んでいる人形たちは、たぶんそういう話の、ちょっとずつ違うバリエーションで出来ているのだろう。わたしが読んだ話と似た話や、ぜんぜん違う話があちこちに伝わり、本物だと信じた人たちがここに人形を持ち寄って突き刺す。だからこんなにも多くの人形があるのだ。ひとりの人間がたまたま作っただけでは、あっという間に風化して忘れられたに違いない。

 だいたい人形を確かめ終わったカナちゃんが、笑顔でこちらを振り向いた。

「それで、これに何かしたら、わたしも死ぬ?」

 わたしも微笑して答える。

「うん、死ぬらしいよ」

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