第7話

「配達。52番通り3の5の2」

 やはり雨が降っていた。店に着いて席を探していただけなのに、女主人にそう言われた。うのは配達に出ているという意味だろう。ご丁寧に住所付きである。この店のプライバシー管理はどうなっているのか。

「最近しつこく絡んでくる男がいるみたいでね、見て来てくれるかい」

 女主人は手を止めずに言う。猫の手も借りたいというところだろうか。返事も注文もしていないのに、「ほら」と紙袋を渡された。中には蔬菜蛋餅と豆漿が入っていた。







 デジャヴュのようにバイクは停まっていた。そしてそのとなりにうの、スーツの男。前方に高級車。

 近づいていくとスーツの男が俺を鬱陶しそうに一瞥し、二度見し、驚いた様子で言った。

「ええ?!もしかして、緋?!」

 覚えのある顔だった。テレビ出演時代のプロデューサーである。

「はあー、なるほど。いや、たまたま地方のロケの下見をしておりましたら、偶然この子を見つけちゃいましてね。緋氏の再来ではないか!と、ビビッときたわけです。椿の角枝をもつ男性はいるが女性は見たことありませんからね。こちらのお嬢さんの愛らしさと雄々しい角のギャップ!こいつぁアバンギャルドだと思ってスカウトしていたわけですが、ははあなるほど。これは本当に緋氏の角枝でありましたか。なんで角枝を切り落としちゃったのか、不思議でしょうがなかったですが、この子のためだったんですか」

 違う、と首を振って否定したものの、彼の視界には入っていない様子である。興奮した様子でまくしたてる。

「いや、でも、うん、大丈夫。この子なら緋氏に負けず劣らずの大スターになりますよ!それで、交渉していたわけです。でもなかなか首を縦に振ってくれなくてねえ。社長からもGOサインは出てるので、あといくら積めばいいやら……こんな立派な花、多くの人に見てもらわなきゃ勿体ないのにねえ!そんでお金貰えるんだから楽なもんでしょ?」

 胸倉を掴みあげる。彼は一瞬怯んだ様子だったが、すぐに冷めた目で俺を見た。

「今のあなたに、横やりを入れる権利があるとでも?契約の途中で勝手に角切られて、こっちがどれだけ莫大な損害を被ったと思ってるんです?それに、今はこの子と話してるんだ。昔はあんたの角枝だったかもしれないが、今はその子のもんです。あんたに口出しされる謂れはないね!」

 襟を掴んだ手に更に力が入った。その時、


 きこきこきこ……


 聞き覚えのある音が、後ろから聞こえた。咄嗟に振り向く。


 そこには椿が咲いていた。真っ赤な椿が。


「あの、すみません。折角ですけど、やっぱり私、芸能界は無理です」

 うのは呑気に言う。

「それに、このお花は売り物にしないと決めてるんです。だから、」

 手には業務用カッターと大きな枝が握られている。白いエプロンが、だくだくと流れる血で染まっていく。

「差し上げます。私にはもう、必要ありませんから」

 うのはにこりと笑った。そしてゆっくり、右側に傾いた。


「うの!」


 俺は初めて、彼女の名前を呼んだ。

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