第31話 夜の襲撃者 その2
「ぐっ……あああ!?」
人気のない路地裏に、苦しむ男が一人。彼の体の一部がまるで風船のように不規則に膨張を繰り返し、その度に激痛が彼を襲う。
通常の人間では考えられないそれは彼の種族と深く関係していることであった。
吸血鬼。
古き魔法使いたちが人体実験の果てに生み出した歪な生命体。彼らは時として“
飢血の症状が現れると、まず最初に理性が働かなくなる。良識や個人の主義主張よりも本能が勝り、自身が今欲している血液を摂取しようと暴れ回ることとなる。
これは定期的に血液を摂取さえしていれば発作が起きる確率をある程度低くすることができるのだが、血液を摂取すればするほど、また別の問題が浮上してくる。
それが“暴走”である。
吸血鬼は取り込んだ血液から持ち主の特性や魔法を取得する性質があるが、それがある一定の量を超えると本人の意思とは関係なく、まるで血液自体が意思を持ったかのように暴れ始めるのだ。
まるで血を抜き取られた者たちの怒りを代わりに表すかのように、怨嗟を振りまきながら目につくものを破壊し始めるのだ。
それは吸血鬼本人も無事では済まない。本人の体内からまるで壊れた水道のように魔力を溢れさせ、さらには限界以上の身体能力を発揮させるのだから、無事なはずがない。
今、彼の身に起きているのはこの暴走である。
彼はあの日から今日まで様々な魔物の血液を摂取して来たのだが、最後に取り込んで龍種の血液がこの暴走を引き起こしていた。
龍種とはこの世に存在する生命の中でも頂点に君臨する生命の総称。
生まれたその瞬間から最強の存在である彼らの血液は、その他大勢の生命の物とは比べ物にならないほどに異質である。
龍の血を浴びれば鋼の肉体を手に入れる。龍の血を使えば最高の薬が出来上がるなど、過去にそんな噂が度々持ち上がったほどだ。
彼、アームレットは過去邪龍と戦い、退けることに成功している。その際に摂取した血液から彼は龍鱗を手に入れていた。
しかし、同時にその血に宿る邪龍の悪意すらも彼は受け継いでしまったのだ。
血液に宿った邪龍の禍々しい魔力は彼の吸血鬼としての邪悪な本能を呼び起こすのに十分だった。
邪龍の血液を摂取してからと言うものの、彼は毎夜毎夜まるでもう一人の自分が語りかけてくるような幻聴に悩まされるようになった。血が欲しい。女が欲しい。力が欲しい。そういった邪悪な欲望が自分の中で膨れ上がるのを日々感じていた。
逆に日中は吸血鬼としての力が弱まるためか幻聴が聞こえることはなかった。故に彼の主な行動時間は日中になり、夜間は幻聴に耳を傾けないように眠りにつくという吸血鬼としてはあるまじき昼夜逆転状態となっていた。
だが、この街に帰って来たことで事態は一変した。
彼がこの街について最初に行った行為が、彼女の墓へ参ることだった。
はるか昔に亡くなった彼女。きっかけはやや人に言えない激しいものだったが、かつて……いや今も愛している女性の墓へ参ることで、彼は覚悟を決めようと思っていた。
そこで、聖女の面影を持つ少女と出会ってしまった。
…………内面はともかく嘗ての聖女のように気高く、凛々しい彼女。彼女と一戦交えたことで、彼の中に宿る思いが再燃し始めたのだ。
今も消化できずに抱えている彼女への思い。それと同時に彼女を失ったことへの悲しみと…………彼女の命を奪った男に対する憎悪。それらが邪龍の魔力と合わさることによって彼の手を離れ、もはや制御不能なほどに膨れ上がっていたのだ。
強い感情は吸血鬼としての本能と連鎖し、血の暴走を引き起こす。例え許されざることと分かっていても、もう止めることはできない。
皮膚を突き破り、体内から血が溢れ出す。彼が今持つ血液の中で、最も強い存在を軸に新たな形を創り出す。
服を突き破り吸血鬼としての翼が露わになる。腕や脚は血液でできた筋肉が形成され、その上を龍鱗が覆う。頭部は嘗ての邪龍を思わせるような異形の怪物へと変化し、そこにあるはずのない眼球や牙、舌すらも本物のように創り出され始める。
それは夜詩乃の世界でいうところのリザードマンやドラゴニュート、龍人に酷似した姿となった。
余談ではあるが、こちらの世界においても龍人と呼ばれる種族は存在するが、通常彼らは半人半龍の姿をとることが多く。顔の部分はほとんど人間種と変わりがないので見間違うことはないだろう。
アームレットは……いやその怪物は変異を終えると突如翼を広げ、飛翔した。
この街の全てを見渡せる高さまで飛翔すると、一度止まり周囲を見渡す。
見渡して、目的の建物を発見した。
アソコだ。あの場所にヤツはいる。
そう何者かが囁く声に従い、怪物は一直線にその場所へ飛ぶ。
それはほんの少し、一分にも満たない時間で目的地へと辿り着いた怪物は、そのまま屋敷の周りに張り巡らされた結界へ衝突した。
街中に凄まじい轟音が響く。衝突した怪物にもまるで鋼鉄の塊にでもぶつかったかのような衝撃を受けたはずなのだけれども、意にも介さず前へ前へと無理やり突破を試みる。
数秒の拮抗状態の後、これでは突破は不可能と判断した怪物の両腕から禍々しい魔力が溢れ出す。怪物が魔力によって腕力をさらに強化したのだ。
それは魔法でも技でもなんでもない、ただの右ストレート。しかし血液のよって強化された腕力と龍鱗に宿る魔法をかき乱す力、そして両腕から溢れ出した膨大な魔力、この三つが揃ってしまえば、いくら強力な結界とは言え突破されるのは当然の結果と言えた。
怪物は爪を強引に結界に捩じ込むと、そのまま左右に引き裂いた。
そうして出来た僅かな隙間へ怪物は飛び込む。しかし無理な突破のためか、方向がややずれて今は誰も使っていない客間へと激突した。
その際何か固いものへぶつかったような気がしたが、そこまで考えられるほどの頭脳は怪物にはなかった。
「AAAAAAAAAAaaaaaaaaaaa!!」
怪物はゆっくりと立ち上がると、そこがやけに眩しいことに気がつく。
そちらを見るとそこには二つの光があった。。
一つは弱々しいものの真っ赤に輝く光、もう一つはこちらの目を眩ませるほどの眩い太陽のような光だ。
不快だった。
それは邪龍としての意識か吸血鬼としての本能か、どちらによるものかはわからないが、その光が彼にとって不愉快極まりないものだったのは間違いなかった。
消してしまおうと、彼は右腕に魔力を込める。
それは吸血鬼全員が得意とする技であった。
自身の血を媒介として強力な魔法を発動する能力、彼らは
紅魔法を発動するのに詠唱も魔法名を唱える必要はない。ただ血に魔力を込め、自身が欲する効果を思い浮かべればいいのだ。
今回で言うならばその光を掻き消すのに必要な大きな刃を思い浮かべたように、彼らの血液は何にでも姿を変えることができる。
本来ならばそれで目的は達せられ、本来の標的へと向かうはずだった。
「【聖剣】!」
光り輝く何かが紅魔法を切り裂く。
切断されたそれらは光を避けるように左右へと分かれ、壁を破壊しつつ元の血液へと戻る。
「あっぶな、聖天だったら抜かれてたかもしれない。反則でしょその魔法」
眩い光が何かを呟きながらそれを構える。怪物の魔法を断ち切った十字の杖だ。
眩い光……怪物からはそう見えている夜詩乃は聖天では守りきれないと判断し、咄嗟に聖杖に聖剣を施し、迎撃することにしたのだ。
夜詩乃の腕に残るその感触、鋼鉄の扉を切った時よりも固い感触に自身の直感が正しかったと確信した。
あれは吸血鬼というよりも小さな龍だ。いくら使徒と言って今の状態の聖天であれを防げるほどの力はない。彼女にはそう思えた。
「AAAAAAAAAAAAAAAA!!」
怪物が吠える。
光が消えないことへの怒りか、それとも自身の魔法が通じなかったことに対する苛立ちか、負の感情を撒き散らしながら、怪物は夜詩乃へと突撃する。
「纏え、【
聖剣を解き、代わりに聖杖に白い電気が溢れ出す。
【聖雷】とは通常の雷魔法に似た効果を持つ上位の光魔法、雷の力と光の力を併せ持つ大魔法だ。
それは本来聖炎のように中から遠距離にいる対象に向けて放つ魔法なのだが、彼女は周囲の被害も考慮して聖杖に魔法を宿らせるように組み替えた。
「取り敢えず……乙女の部屋から出てけ!!」
夜詩乃は迫り来る剛腕を避け、聖杖を怪物の腹部へと叩き込む。
聖杖が接触した瞬間、雷が落ちたかのような爆音と閃光が室内を満たす。
「AAAAAAAAAAaaaaaaa!?」
まともに攻撃を受けた怪物はそのまま部屋の外へと打ち出される。
怪物は室外の、地下への入り口がある生垣の迷路にへと落下し、一部に浅いクレーターのような凹地を作り出した。
「やったの!?」
「……いえ、まだですね」
それを目で追った夜詩乃には、あの怪物にそれほどのダメージを与えられていないのがわかっていた。
二人が窓辺に駆け寄り、怪物が飛ばされた方を見ると、案の定怪物はまるで何事もなかったかのように立ち上がるところであった。
「私はこのままあそこで迎撃します。テレーサは屋敷の住人の避難を」
「あ、ちょっと夜詩乃!」
静止を促すテレーサを振り切り、夜詩乃は窓辺から跳躍する。
「さあ、とりあえず正気に戻るまで
彼女は杖を構え、怪物にそう告げた。
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