第25話 金庫室


「では、早速その地図がある部屋にまでご案内しましょう……テレーサはどうするかね?」


 ザドックさんはそう言うと扉を開ける。


「あ、私はここで報告書書いてるから、ヨシノだけで大丈夫です」


 彼女はどこからか取り出した紙と羽根ペンを机に置いて、左手で頬杖をついて報告書を作り始める。

 羽根ペンは私たちの世界にあるような動物の羽を材料としたそれに似てはいるが、だけが決定的に異なっていた。

 いや、正確にいうならばインクはあるのだ。書く人物の魔力をインクに変換して文字を記すことのできる魔法の道具、ただ単に筆と呼ばれるほどにこの世界においてありふれた道具の一つである。

 そうか、ゆっくりな。と彼は告げ、先へ進む。遅れて私も彼の後に続く。


「クク、変わらんな彼女は」


 扉から少し離れたところで、ザドックさんが笑い出す。

 何かおかしいところがあっただろうか? 少々図々しいのでは?とは思ったけれど。


「あの子は苦手なこととなると別の用事を持ち出しては逃げる癖があってな、その時には必ず左手で頬を触るのだ。小さい頃はよくあの部屋で同じ姿勢で木の板に炭で絵を描いていたものだ。どうやら大きくなってもそれは変わらんようだな。…………あの子は昔から地図や読み物は嫌いだったからな」

「あらあらそれは、微笑ましいお話ですね」


 ただ、これ本人にはできないな。私だったら赤面してそのままふて寝する。

 同時に、そんな苦手な勉学をその執念だけで克服して聖騎士になった事実に驚きを隠せない。

 聖騎士になったということは数多の魔導書と聖書を熟読し、そのほとんどを暗記したということになる。

 現代に例えるなら算数が苦手だった子供が一流の数学者にまで成長したようなもの。

 あちらで報道されればさぞ美談になるかもしれないが、動機が復讐とあってはその部分だけ都合よくカットされそうだ。

 まあ、どちらにしろ私には到底真似できない行為には違いない。

 少し歩いたところで、突き当たりにある一室の前で彼は立ち止まった。


「ここはアシュクラフト家が代々収集してきた武器や魔法具が保管されている場所となります。この部屋を開けることが出来るのは前領主と現領主のみ、更に古い慣わしで日が沈むまでにはここを閉めることになっていますので、そこのところだけは厳守していただきたい」

「わかりました」


 ザドックさんが懐から塗装の剥げた鈍色の古い鍵を取り出して、鍵穴へ差し込み、回す。

 扉を開くと、そこは窓ひとつない真っ暗な部屋だった。


「少々お待ちを、【灯火ともしび】」


 【灯火】とは火属性の最下級魔法である。その火はとても小さく生き物にあたったとしても軽い火傷を負わせる程度しか効果もないが、蝋燭や暖炉、厨房の種火としては非常に役に立つ魔法であり、魔法が使える人間の殆どはその利便性から得意不得意問わずにこの魔法を習得していると言われている。

 ザドックさんの放った灯火は部屋の中央にあった蝋燭の一つへあたり、淡い光が周囲を照らす。

 するとどうだろう、部屋の壁に取り付けられた蝋燭や灯火台にも同様に火が灯り、室内を淡く照らし始める。

 そうする事によって、ようやくその部屋の全貌が明らかになった。

 その部屋は先の一室と比べても異常に広く、もはや部屋というよりも倉庫といった方が近い。

 夥しい数の剣や弓、鎧に盾、さらには魔力の宿った魔剣に相当する武装や魔導書もそこら彼処に飾られていて、それらが明かりに照らされて怪しく光を放っている。

 …………いや、それだけではない。

 蝋燭の光よりも輝く靄が、そこら中に蠢いている。

 ある靄は床を這いずり回り、あるもやは武器を身が効くような動作をし、ある靄は壁の隅にある机らしきものに突っ伏して動かない。


「地下迷宮の設計図は更に奥の部屋にて厳重に保管してあります。」


 ザドックさんがそれらを無視して奥の扉を指差す。実際には見えていないのだろう。

 これらは端的に言ってしまえば霊魂だ。死者の魂が成仏できずにこの部屋に漂っているのだ。しかし、ザドックさんにはそれが見えていないので、この惨状を把握できていないのだろう。

 次に彼の指差す先を見る。そこには薄暗く照らされた最奥に重厚な鉄製の扉、まるで銀行の金庫ような扉が見える。

 


「どうして、この部屋は薄暗いのでしょう? これ程暗いと少し危ない気もしますが」


 何かに蹴つまずいて転んだりしそう。クラスメイトのとある女子とかちょくちょく何にもないところで転んだりしたし。そういう子とかは近づけたら危なそう。

 ……あぶな!? なんか手首踏みそうになった。


「元々は盗人対策で窓のない部屋にしたと聞いていますが、そのせいで明かりが全く入らなくなってしまいましてな。こうして天井間近に明かりを設置してようやく中にあるものが何かわかるといった有様ですな」


 なにその欠陥構造。少し考えればわかることなのにどうしてそうなった。


「しかし、その分盗人対策は万全を期しています。周囲の壁や天井などには魔法を施してあり、余程のことがない限り傷一つつきません。更にはここと奥の扉には守護の魔法が掛けてあり、この魔法の鍵でしか開くことはありません…………のですが」

「ですが?」


 そう言って、古い鍵を二本見せてくる。

 ていうかそこで言い淀むのはやめてほしい。すごく不安になるから。


「…………ただ一つ問題があるとするならば、長時間この部屋にいると何故か死者が出ることがありましてな。部屋にこもって調べ物をしていた学者や夜中に上手く忍び込んだコソ泥などが朝方に発見されることが多いのです」


 早速侵入されてるやないかい。……まあ、鍵があれば入れるのだから鍵を盗めばいいだけの話だしね。

 この家を囲む結界も、使用人か何かに変装して侵入してしまえばいいだろうし、不可能ではないか。


「えっと、なぜ、そのようなことが?」

「お恥ずかしながら、全く検討がつきません。一度調べてもらったこともあったのですが、闇魔法の形跡も見当たらず、原因が全くもってわからないのです」


 そう言って肩を落とす。

 ていうかやたら死者の霊がいると思ったらなにこの部屋怖すぎ、なんでそうなった?? 呪い? ……いや呪われた感じの武装はないし。一体なにが…………あ。


「ところで、長時間この部屋にいるという用事とは、具体的にはどのようなものでしたか?」

「えっとそうですな……。ここに収められた武装の整備や、持ち出し禁止の魔導書を読む時くらいでしょうか」

「もしかしてその時、近くに灯りなど増やしてませんか?」

「よくお分かりですな。この明るさではまともに本は読めませんし、手持ち提灯ていとうの一つ。武装の整備の時などは足のついた灯りを二つほど増やしておりますな」

「…………最後にひとつ、死人が出た時間は、夜か日の出あたりではありませんでしたか?」

「その通りです。日の出ているうちに作業を終わらせて仕舞えば死人が出ないと分かったので代々日の沈むより前にここを閉めるようにしているのですが……もしや、何かご存知なのですか?」


 状況から考えて、どうみても一酸化炭素中毒ですねこれ。

 ざっくり説明すると一酸化炭素中毒とは、通常物がが燃える際に酸素を消費して二酸化炭素を作り出すのだけど、十分に酸素が供給されない状況だと不完全な一酸化炭素を作り出すことがある。この一酸化炭素が体内に吸収されると既に体内にあった酸素と強引に結びつくことによって、体内の酸素が足りない状態になることを言う。

 この状態は非常によろしくなく。個人差もあるが空気中の一酸化炭素濃度が0.3%を超えると五分から十分で目眩や頭痛が起こり、三十分で死亡。1%を超えると一〜三分で死亡してしまう恐ろしい病気だ。

 更に厄介なことに、この一酸化炭素は無色無臭で、人間の感覚では発生していることを感知することは困難なのだ。

 日本でも昔からたびたび起きていたもので、特に室町時代に作られた掘り炬燵は一酸化炭素が発生しやすかったとされている。

 今回のことに当て嵌めるならば、この密室が問題だったのだろう。

 ただでさせ換気が不十分なこの空間、その上これでもかと設置された蝋燭の数々、室内の酸素なんてすぐになくなってしまうだろう。

 犠牲者が夜から明朝に限られているのは、日が出ているうちは少しでもあかりを取り入れるためだろう。

 扉さえ開けておけば換気は十分できていたと思われる。しかし夜はどうだ。

 夜となれば星の光よりも蝋燭の火の方が強い光を放つ。そうなってしまえば開けている意味などない。行く人かの利用者は中の様子を見られたくなかったのか、その扉を閉めてしまったのだろう。

 そうなってしまえば、あとはもう中の空気を消費し切るまで火はつき続ける。無色無臭の猛毒に、気づくことはできない。

 気がついた時にはもう手遅れ、朝になって死体となって発見されるという有様だ。

 …………まあ、今でこそ常識になったけど、それ相応の科学知識がなければ防げない事例だし、そんな知識が蔓延しているあっちの世界でも未だに起き続けている事故なのだから、こちらの人間にどうこう言っても仕方がないだろう。

 できることと言えば、再発防止の為に少し助言するくらいかな。


「そうですね。できればこの部屋に換気用の小窓でも設置できれば早いのですが……この強固な壁ではそれも厳しそうですね」


 軽くみてみるが、確かに言うだけのことはあってとても強固な魔法が施されている。並の魔法使いでは解除も難しいだろう。


「ならばできる限りこの扉を開けたまま作業するか、中の空気と外の空気を入れ替えるような魔道具があれば死者はなくなるでしょうね」

「なんと、そのようなことでいいのですか!」

「ええ、何事もちょっとした事がきっかけで解決してしまうのですよ」


 逆に、ちょっとしたミスがきっかけで大惨事になることもあるけどね。

 そんなこんなで、今後の犠牲者を減らすように助言しつつ、ザドックさんに鍵を開けてもらい、私は最奥の部屋へと足を踏み入れたのだった。

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