第20話 吸血鬼アームレット テレーサ視点その1
ヨシノと出会ったのは人気のない夜の墓場だった。
無数の死霊憑きどもに囲まれ、今にも殺されそうになっていた彼女をみて、直ぐに助けに行かなければと思った。
だが、それは間違いだったことに気づかされた。
彼女が放った上級神聖術【聖炎】。私でもまだ使いこなすことが出来ていないそれをたやすく発動し、死霊憑きどもの殆ど瞬く間に浄化してしまった。
しかし、それでも獲り逃しはあったようで一匹の死霊憑きがこちらへと逃げてくる。
彼女ならば問題なく対処できたかもしれないけれど、万が一のことを考えて私が斬り捨てた。
そうして私は彼女へと近づく。
近くで見るとこれが本当にあの神聖術を使った子なのか信じられなかった。
修道服に覆われてはいるが、華奢で肉付きもそれほどではない身体、透き通るような白い肌、夜の闇を集めたかのような漆黒の瞳、まるで貴族かいい所のお嬢様とでもいうような可愛いらしい女の子がそこにいた。
聞けば彼女も聖騎士らしく、泊まるところがないとのことなので新しいほうの教会堂へ案内した。
次の日の朝食は彼女が作っていてくれた。基本に忠実な味付けがされていて、特段何かあると言うわけではなかったが……、まあ普通の美味しさだった。
その後ヨシノにアルフレッドを紹介して、一度自宅に帰った。
今は顔も覚えていない母と
倉庫からボロ布と水桶を取り出し、井戸から水を汲んで一室のとある箇所だけ軽く掃除する。
そこにあるのは二つの遺品。今は亡き母の飾り紐と姉さんの髪留めだ。
母の事件の時のことは覚えてはいないけど、姉さんが消えた日のことは今でもはっきりと覚えている。
あれは姉さんの十七歳の誕生日のことだった。
あの日は皆が朝から慌ただしくて落ち着きがなかったことをよく覚えている。
姉さんは「心配ない」と笑ってくれてはいたけど、それは作り笑顔なのは直ぐにわかった。だって繋いでいた姉さんの手が震えていたから。
この街の噂は幼い頃の私も知っていた。年に一人か二人、綺麗な十七歳の女の子がこの街から消えてしまう怖い噂。
妹の私から見ても、姉さんは美しかった。いなくなった母も、姉さんと同じくらいに美しかったらしい。
だからこそ姉さんがいなくなるのを皆恐れていた。
そして夜になった。この日から姉さんを街の男の人たちが交代交代で守ってくれることになっていた。
私たちは寝室へ、街の男二人が客間で寝ずの番をしていた。
本当ならば姉さんの誕生日を祝いたかったけど、とてもじゃないがそんな雰囲気ではなかった。
姉さんに抱かれて私は眠りについた。きっと大丈夫、姉さんがいなくなるわけないという根拠のない自信があったから。
…………朝起きると、姉さんはいなかった。
男の人たちは首を折られて死んでいた。
奴は正面からこの部屋に入り、眠っている私を無視して姉さんを連れ出したのだ。
私は絶望した。
何もできなかった無力な私。最愛の姉を奪われた悲しみだけが胸に満ちていた。
来る日も来る日も泣いて過ごした。
泣いて泣いて泣いて、涙も枯れ果てた時、部屋の端に何か落ちているのが見えた。
…………姉さんの髪留めだった。
いつもは寝る前に外していたそれをあの夜だけは肌身離さず握っていたのを覚えている。
あれは姉さんが亡き母からもらった形見だと言っていた。今思うと少しでも勇気が欲しかった姉さんは一晩中握りしめていたのだろう。
それがなぜここにあるのか、理由は幼い私でも直ぐにわかった。
姉さんは攫われる前にそれを投げ捨てていた。
自分はもうダメだと悟り、残された私が少しでも寂しくないようにこれを残してくれたのだとわかった。
嬉しかった。最期まで自分のことを気にかけてくれた姉さんの優しさに枯れ果てた涙が溢れるかと思った。
同時に強い怒りが湧いてきた。
あの姉さんを奪った奴が憎かった。どうして姉さんがこんな目に遭わなくてはならない。どうして母が消えなくてはならない。どうして街のみんなが悲しまなくてはならない。
憎くて憎くて憎くて、ついに私はこの手で仇を討つことに決めた。
かつて神父様から聞いた聖騎士の話。邪悪なる者を祓い、撃ち倒せる彼らの力を得れば私でも奴を殺せると思った。
私は神父様に頼み込んで、聖騎士になるための修行を受けさえてもらった。
元々孤児だった頃にある程度の修行は受けてはいた。ただ、聖騎士は過酷のな職業であるため、神父様は私たちにそのような道に進んでほしくはないから、と最低限の修行で済ませていたのだ。
元々各地の教会には聖騎士になるための教育本のようなものが配布されていた。神父様はそれを元に私に修行をつけてくれた。
あれは本当に厳しいものだった。今まで受けていた修行が生ぬるく感じるほどの地獄だった。
だけど、私は耐え抜いた。
適正年齢から少し遅れて、私は聖騎士見習いになることができた。
そして私は正式な聖騎士になるため、聖都で修行を受けることができるようになった。
……今思えば、これは私を守るための神父様の作戦でもあったと思う。
正式な聖騎士になるためには最低三年以上の時間がかかる。この時の私は凡そ十五歳、聖騎士になった頃には誘拐される年齢を過ぎていると言うことになる。
そうとも気づかずに私は聖都へと旅立った。
その際に母と姉さんの形見の品は置いていくことにした。
この先からは甘えは許されない。立派な聖騎士になって帰って来て、奴を殺して初めて私はこの二つを身につける事が許されるのだろう。自然と私はそう思っていた。
軽い清掃が終わり、女神様と姉さんたちに祈りを捧げてから家を出ると、そこにはヨシノがいた。
偶然だと言っていたけど、多分嘘。私を探していたのだろう。
ここは墓場からは離れた場所にあるし、大方神父様かアルフレッドあたりに私の事情を聞いてしまったのだと思った。
正直に言うと嬉しかった。
仇をとることしか考えなくなって、女を捨てた私でも心配されるなんて思っても見なかったから。
その後ヨシノと手がかりを探しに旧教会堂へと向かった。
しかし中は荒れ果てていて手がかりらしきものは何もなかった。
私たちは二手に分かれることにした。ヨシノは教会内部、私は墓場を探すことにした。
墓石を一つ一つ調べていると、気になる墓を見つけた。
それは聖女オフィーリアの墓だった。
できた当時は立派なものだったのだろうけれど、誰も来なくなったことですっかり荒れ果てていて、墓石にはヒビが入り文字も霞んでいる。
嘗ては聖女として崇め奉られていた彼女にこの仕打ちはあんまりだろう、と軽く墓掃除を始める。
中を探しているヨシノには少し悪いと思ったけど、こちらにも手がかりはなさそうだし、少しくらいはいいかもしれない。
「……少し、良いだろうか」
墓掃除に夢中になっていると、後ろから声をかけられた。
振り向くと、そこには無精髭を蓄えた壮年の男性がそこに立っていた。
全く気が付かなかった。聖騎士になって少しは実力がついているものと思っていたけれど、私もまだ黙のようだ。
「彼女の、聖女の墓はどこにあるのか知っているか? 長いことこの街に来ていなかった故、場所を忘れてしまったのだが」
「ああ、それならここですよ。ちょうど掃除も終わったところです」
横にずれて、彼に前を譲る。
彼は手に持っていた小さな金属の飾りを墓石に備える。
「……………すまない。今まで時間がかかった」
帽子を取って祈りを捧げる男。
彼が何を思っているのかはわからないが、とても真剣に祈っているのは感じとれた。
「聖女様のお知り合いですか?」
祈り終わった辺りを見計らい、尋ねる。
「……遠い昔に少し世話になった間だ」
「そうなのでしょうか?」
とてもそうには見えなかった。あれはそんな知り合い程度じゃなくてもっと深い間柄の──。
そこまで考えたところで、突如轟音が響く。
「!?」「何事!?」
剣に手をかけ、戦闘態勢でそちらを見る。
旧教会堂の壁を粉砕し、墓場へと侵入してきたのは……ヨシノだった。
私たちの姿を確認すると、彼女は気まずそうにこう言った。
「ええっと……ちょっと壁に虫がいたものでして」
大袈裟すぎる、と思った。虫如きに壁を粉砕するなんて。
聖騎士でありながら虫が怖いとは、本当にお嬢様みたい。なんで聖騎士になったのだろう。
「すいませんがそちらの方は?」
ヨシノは彼を見て尋ねる。
「ああ彼? 昔聖女様にお世話になった人らしくてね。久々に帰ってきたみたいで、ここにあるっていう彼女のお墓に挨拶に来たそうなの」
そこまで言って、彼の名前を聞いていなかったのを思い出した。ついでに自己紹介すらもしていない。
「そう言えば、名前を聞いてなかったわね。私はテレーサ、あっちの子はヨシノって言うの。あなたは?」
「……名はとうに捨てた。今はただの名もなき浮浪者だ」
怪しい。
今時浮浪者は珍しくもないけど、こんなことを言ったのはこの人が初めてだった。
「そうですか。では私も祈りを捧げても?」
「ああ、構わない」
ヨシノは気にならないのか、彼女も聖女の墓に祈りを捧げ始める。
……しかし、食前の祈りの時も思ったけど、彼女が祈ると何というか、雰囲気が変わる。
普段は普通の女の子みたいに振る舞っておきながら、祈る時だけはまるで話に聞いた聖女や神の使徒に見紛うほどの神聖な気配を纏っているのだ。
きっと嘗ての聖女もこんな風に真摯に祈りを捧げていたに違いない。
「オフィーリア?」
「ん?」
彼もそれを感じ取ったのか、聖女の名を呟く。
「……すまない。祈る姿が一瞬彼女に見えてしまった。どうやら疲れているらしい」
「まあ、誰にもあることですよ。噂に聞いた聖女と間違えられるのなら私も光栄です」
そう笑顔で話すヨシノ。
確かに聖女と比較されたのならば彼女としても嬉しいことなのだろう。
「……ああ、そうだな。そうしておこう」
しかし反面その男の表情に翳りが見える。
何か思うところがあったのだろうか。
「ああそう言えば、彼女の部屋からこんな物が見つかりまして、おそらく彼女の日記だと思うのですが」
唐突に、ヨシノはどこからか古ぼけた一冊の本を取り出す。
それはあの事件の最初の被害者、聖女の日記だと言う。
「本当に!? お手柄じゃない! これに事件の手がかりがあれば──」
こんな事件なんてすぐに終わって、私も仇が討てる。
そう喜んでいた時だった。
「それを渡してもらおうか」
「──え?」
周囲の空気が一変する。
急にこの人がヨシノに向かって強い殺気を放ったからだ。
「どうしてですか? 今私たちにはこれが必要なのですが?」
「いや、それには重要なことなど書かれてはいない。オフィーリアやあなた達のためにももう一度言う。それをこちらに渡せ」
しかし、それをまるで感じていないかのように冷静に装うヨシノ。
対して、執拗に日記を渡せと迫る男。……どう言うことだ?
「……ああ、やはりあなたがそうなんですね」
このやり取りで何かを確信したのか、彼に向かって聖杖を向けるヨシノ。
次に彼女が発した名は、驚くべきものだった。
「ちょっとお話を聞かせてもらってよろしいですか? アームレットさん」
それは私が長年恨み続けていた男の名だった。
この街の皆が知っていて、尚且つ恐怖のあまり口に出すのも躊躇っている忌まわしい名であった。
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