第6話 使徒 夜詩乃
揺れる、揺れる、ふわふわ揺れる。まるで水の中にいるみたい。
私の体の輪郭も曖昧になって、周囲のそれと一体になるような感じがする。
私が溶けてなくなっていくような、不可解な感覚。私という芯を残して、それ以外を混ぜてこねくり回すような奇怪な感覚。だけど不思議と恐怖は感じない。
ゆっくりと、ゆっくりと、体が造り替えられていく。まるで鍾乳石が長い年月を重ねて形成されるように、私の体もゆっくりと胸から手足の先に向けて固まっていく。
何時間過ぎただろう。何日過ぎただろう。何年、何十年、何百年過ぎたのだろう。
覚醒の時は唐突に訪れた。
「ん……」
目を覚ますと、そこはあの石の中だった。
ああそういえば、私儀式を受けたんだっけ?
「あれ……体、重い」
まるで丸一日寝っぱなしだった時のように体の自由が効かない。
手足にある軽い痺れのせいで、うまく動かせない。
「とりあえず、立たない、とぉ!?」
目の前の壁を支えに立ち上がろうとしたら、壁が崩れてそのまま外へと倒れ込んでしまう。
私と同じくらいの大きさの壁がそのまま崩れ、地面に触れる直前に細かい砂粒程度にまで崩れて消えてしまう。
「あいた!?」
てか、この壁こんな脆くなかったよね!? なんで急にこんなに脆くなってんの?
不思議に思い背後を振り返ると、そこにはまるで役目を終えたかのように柱全体が崩壊を始めていた。
音もなく崩れさるそれを呆然と見つめていると、背後から声がかかる。
「目覚めたようね。使徒夜詩乃」
その声に聞き覚えがあったが、少し違和感がある。
なぜだろう。と考えるより先に私はそちらへ体を向ける。
「おはようございます。神様……っとと」
まだ体のバランスが取りづらいが、痺れも治りなんとか立てるようになってきたようだ。
「無理はダメよ。今のあなたは生まれたて同然、初めての運動に体がついてこないわよ」
「ああ、道理で、体が重いと、思いました」
今の私は生まれたての子鹿レベルというわけですね。わかります。
いや、子鹿には可愛げがあるけど私にはないな。見ていて面白くないし。
「あれ? 蛇神様はいずこに?」
「ああ、若雷神ならあなたの使徒化を終えた後直ぐに帰ったわ。他の黄泉行き予定の子供たちを見守る仕事があるらしいわ」
神様って大変なのだね。つくづくそう思った。
「それにしても、中々様になっているじゃない。異形系にでもなられたらどうしようかと思ったけど、ほとんど生前の姿と変わってないわ」
「? はて、そんなに変わってませんか?」
手足、変わりはない。いや、生前より肌艶が良くなってる程度か。
髪の色、変化なし。こちらも髪質が良くなった程度。
瞳の色、変化なし。視力は上がってるかもしれないけど、現時点では不明。
服、変化あり。なんか白いローブみたいなのを着てる。下は素っ裸、病院で見る検査服みたい。
「そっちじゃないわ、背中よ背中。というか
「背中?」
何のことかと背後に目をやると…………何これ。
「初めて見る天翼だけど、問題なく機能しているようで何よりだわ」
私の背後、というか背中にくっつくように浮かんでいたそれは、巨大な二つの鉄の塊だった。
いや、それは表現としてはあまり正しくはないかもしれない。
ハートを縦半分に切り分けたようなその物体は、重力に逆らい宙に浮かんでいる。
女神様の言葉通りに私の意思通りに動くようで、まるで手足が増えたかのように自然と動かすことができる。
一見すれば私の身長より少し小さいくらいの大盾に見えなくもないが、細部が明らかに異なっている。
表面は綺麗に研磨された鏡のようで、顔を近づけるとそのまま映り込めるほど。
外縁には細長い刃や外面部にはナイフのように鋭い突起がいくつも取り付けられ、それは私の意思で自在に着脱可能のようで、それ単体でも宙を飛ぶことができるようだ。
また下端部も開閉可能のようで、そこを開けると一瞬暖かい風のと煌く粒子が漏れ出る。
それらを全て展開した姿はまるで天使の翼のようで、青白く輝いていてとても綺麗。
「いやだけどこれ明らかにSF方面の分野だよね。間違ってもファンタジー系異世界に持ち込まれるような産物じゃないよね??」
そう、どう見てもこれ、浮いてる感が半端ない。
これからいくのはファンタジー系異世界なのに、これつけて行ったら場違い感がすごいというか……。
むしろ近未来系の方が似合ってないこれ?
「はわ? どこかおかしいかしら? あなたの世界でもこういうのが流行ってるって聞いたし、私の世界では初めてだけど、他世界では機械をモチーフとした使徒も少なくはないわよ」
「いや、確かに私も結構な頻度でSF映画とかロボットアニメとか見てましたけど。正直ファンタジー世界までそれが持ち越されるとは思ってなかったですはい」
「ならこれは当然の結果と言えるわね。使徒化はあなたが思い描いた最も強い自分を元に再構成されるから、あなたの思い描いた強い自分が、鋼の翼を持ったあなたってことだったようね」
なんてことでしょう。まさか私の個人的趣味嗜好がこんなところにまで悪影響を及ぼすとわ。
あまりの衝撃に、思わず地面に手をついて項垂れる。
いやまあ確かに強そうだけど、なんか複雑。……あ、でもこの翼で空を飛ぶのは楽しそう。でも成層圏まで行ったら寒そう……。
「急にどうしたの!? 使徒化に何か不備でもあった!?」
「いえ、ちょっと急に自分について考え直したくなりまして……。あ、もう大丈夫です落ち着きました」
いけない。女神様を心配させてしまったようだ。
……うん。確かにちょっと子供っぽいなとも思えなくなかったけど、よくよく見ればかなりかっこいいし、これでよかったのかもしれない。
「そう? それならいいのだけど……。それでね、使徒化が完了したみたいだし、さっそくだけど世界の様子を見てきて欲しいのよ」
ほう、早速任務ですかな。いいねいいね燃えてくる。
「はい! ……見てくるとは言っても、具体的にどこらへんを見てくればいいのですか?」
「あなたの好きなところでいいわ。大まかな情勢はここでも見て取れるけど、細かい情報とかは拾いきれないのよね。だからあなたが直接見聞きしたことを私に報告して欲しいの」
ふと思ったことを問いかけるが、なんともアバウトな回答が帰ってきた。
「では最初はどこにしましょう?
……。
…………。
………………んん?
今、私は何を言った? メルダ教国? ダモン帝国? ヴィ王国にファイア公国? 何それ知らない。知らないはずなのにその国の知識が詳細にスラスラと答えることができる。なにこれこわい。
「うん、その様子だと知識のほうも問題なく定着したようね。不思議に感じたと思うでしょうけど、私の使徒になるにあたってこの世界の一般常識は既に刷り込んであるわ。言語や風習、宗教知識や金銭などについてもある程度理解してるはずだから、これであちらに行っても困ることはないとおもうわ」
「おお、なんと便利な」
それは助かる。他の人たちには親とかがいるだろうからその人たちから教わることができるけど、このまま行ったら周囲に馴染めない不審者系使徒が誕生するところだった。
「あ、でもこの翼は結構目立ちますよね。どうしましょう」
これだけ大きいと布で隠すのも一苦労だろう。大きいかばんとごまかしたとしても、直ぐにボロが出そう。
「それなら偽装の魔法を使えばいいと思うわ。そうすれば天翼も隠せるし気配も人に近づけることができるわよ」
「なるほど、というか地味に私の気配って人外染みたものに変化してるのですか?」
「当然でしょ。二柱の神々の加護と私の祝福を経て使徒になったのだから、体から神性なオーラが漏れ出てるわよ」
「なにそれこわい」
偽装の魔法は姿や気配、匂いなどを別の何かに変化させる魔法。
主に獣人やエルフが身体的特徴を隠したり、犯罪者などが別人になりすますのに使われたりする魔法である。
この魔法で特に重要なのはイメージ力であり、変なイメージが混ざる込むとその影響をモロに受けてしまい、大抵が奇怪な成りそこないになってしまったり、最悪偽装の効果が切れるまで知性のない獣におちてしまったりすることもある。
……なるほど、魔法方面の知識もあるのか。便利だね。うん。
「いや、偽装はあちらに行ってからでいいや。それよりまず行き先を決めないと」
「そうね……。ここなんてどうかしら」
そう言って、彼女は錫杖を鳴らす。
現れたの世界地図で、その一点が赤く染まっていた。
「ここ数年、この地域で行方不明になる人が増えてるみたいなの。あっちでも何度か調査はされたみたいだけど、一向に手がかりがつかめないみたい。だから準備運動がてらちょっと見てきてくれないかしら」
こうして、使徒としての私の初仕事は決まった。
しかしすぐ出発できたわけではなく、しばらく寝っぱなしだった体を解さなければいけなかったので、あちらの世界に到着したのはこの会話から三日が過ぎた後であった。
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【ちょっとした解説】
八雷神の加護は八つで一つ扱い。
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