内偵

 町長こと牧田を含めた役場関係者、そして感染症医療研究センターと医療廃棄物処理施設の関連性を確かなものにするため、特捜本部は山の中と研究センターの至近に監視チームを送り込んだ。

 その数は合計10チームとなり、山を登る坂道の入口付近にまず1班が潜入。続いて2班が坂道を上から見下ろせる場所に待機し、坂を上がって来るであろうトラックをカメラで追い続ける。2班の視界外に出れば今度は3班が引き継ぐ手筈だ。そして第4班が処理施設の山側に潜み、トラックの搬入作業と施設内を監視。5班も別の方向からこれを見張る。6班は処理施設から山の反対側に通ずる道の途中に潜み、不審な動きがないかを確認。最後に7班が反対側に降りる山道の出口に隠れ、トラックが沼田市方面か渋川市方面のどちらへ向かうかを記録する事となった。更に車両班も各所に展開してトラックの追跡に備えている。残りの8~10班は研究センターを三角形に囲む形で潜入し、山の中のチームと連携して情報をやり取りする準備が整った。

 内偵開始から4日目。研究センターの正面玄関を捉えられる位置に潜んでいた8班から、1班と2班に向けた通信が飛び込んだ。

『こちら第8班、研究センターからトラックが出発した。恐らくだが処理施設へ向かうものと思われる。時刻は14:11、台数は1両のみ、色は白、車種は2トン標準トラックと推定、十分に注意願う。どうぞ』

「1班了解」

『2班、了解した』

 内偵第1班長を務める山辺やまべ警部補は、共に行動する2人の部下に映像と写真による記録準備を命じた。続いて自分たちよりも標高の高い部分に潜む第2班へ、確認次第に連絡を行うとの伝達も忘れなかった。

『こんな場所で似たような車両が通る事もないと思うが、もし2台目が何所からともなく現れたら連絡頼むぞ』

「業者が別の場所からも運んでいて数が増える事も考えられるな。ただでさえあの事件から1度も姿を現してなかったんだ。そっちも注意して見張ってくれ」

 渋川署では制圧作戦の終了直後から既に根回しを終わらせ、研究センターの近くで警戒配置に就いている管区機動隊の1個小隊に見張りと定期連絡のお願いもしていた。その小隊から定期的に送られて来る情報によれば、さっき8班から連絡のあったトラックが事件後としては初の搬出だった。

 また道路や山中を巡回する第13普通科連隊第2中隊にも極秘裏に協力を募り、怪しい人物や不審車両が居ないかの監視も頼んでいる。

 これまで研究センターや牧田に目立った動向がない事から、特捜本部では犬捨て峠に落下した3つのケースとそれに収まっていた犬は、両者ともに事件の切欠となった最初の横転事故で完全に焼失したと認識されている事はほぼ間違いないとの判断を下していた。犬捨て峠に設置した監視カメラにもそれ以後、不審人物や新たな野犬は確認出来ていない。

 第8班の報告から30分としない内に、1班が記録し続けているカメラの液晶に件のトラックが姿を現した。肉眼でも確認出来ている。

「来ました」

「写真、いいぞ」

「了解」

「こちら1班、トラックを視認した」

 映像用のカメラと別に、少し離れた所でニコンの一眼レフを構えた捜査員がシャッターを切り続けた。

 草木で巧みに擬装された森の中からトラックを見つけるのは容易だが、トラックを運転している人間は道路の先を見ながらハンドルを操作しなければならないので、何かを見つけようとする意志を持っていない限りは彼らを見つける事など到底不可能だった。

 予想通り、トラックは道なりに進むだけで、森の中に潜んでいる1班を見つける事もなく通り過ぎて行った。

「2班、直に見え始めるぞ」

『了解』

 坂道を上がっていくトラックは、2班が操るカメラの中に映り込み始めた。こうしてトラックは処理施設に辿り着くまで、その殆どを映像と写真に収められながら走り続けたのだった。


処理施設後方山中 内偵第4班

 トラックが処理施設の正面から入って来るのを4班の捜査員たちは目視で確認。トラックは施設内に入った後、作業員によって誘導され荷台部分を搬入施設に接車させた。数名の作業員が動き回っている事から、施設への搬入作業が開始されているのが予測出来る。

 しかしトラックから何が搬出されているかを映像に収められないため、班長を務める池田いけだ警部が率いる2名の捜査員は苛ついていた。

「くそ、何を運び込んでいるんだ」

「ここからじゃ見えませんね。位置を変えませんか」

「落ち着け。中身がリネン類なら映像を記録しても無意味だ。実験に使用した動物を違法な手段で処分している所を押さえなければならん。それにここからなら、あの怪しげな広場が丸見えだ。恐らくあそこで何かをしているのは間違いない」

 施設の中には、土を幾度か掘り返した形跡のある謎の広場が見て取れた。ご丁寧にショベルカーも鎮座している。ここで何をしているのか。それとなく想像は出来ても、口にする気にはなれなかった。

「来ました。ケースは2つのようです」

 白い防護スーツを着込んだ4人の作業員が姿を現した。トラックの周辺に居た作業員たちと違い、全身を包んだ完全装備である。

 2人1組でケースを運び、それをビニールで仕切られた倉庫のような場所へ持ち込んで行った。あそこは事件当日の夜、処理施設からの通報で駆け付けた第12偵察隊と銃器対策部隊の混成パトロールチームが野犬制圧のため踏み込んだ際、追従していた渋川署の捜査チームがどさくさに紛れて侵入し、虫の息になっている犬猫の写真をこっそり収めた場所だった。

 それから5分としない内に、さっきとは違うケースを4つ外へ持ち出して来た。どのケースも薄汚れており、少なくとも数週間は半ば野ざらしのあの場所に置かれていた事が伺える。

 作業員2名がケースから外へ乱暴に放り出したのは、やせ細った犬だった。また違うケースからも、今度は汚れた猫が出て来ている。嫌な予感が脳裏を過っていく中、作業員の1人が取り出した斧によって、文字通りの解体作業が始まった。

「……5班、見えてるか?」

『こちら第5班。暫くは肉類を控えたくなった』

「あぁ、俺もだ」

 犬猫は頭部、胴体、四肢に分けて解体され、手押し車に集められた。1名の作業員がショベルカーに乗り込んでエンジンを始動させた事で、灰色の煙が周囲に一瞬だけ立ち込める。次は何が起きるのか見守っていると、ショベルカーは広場の隅まで移動し、そこの土を掘り返し始めた。

 ある程度の深さまで掘り終わると、手押し車を押す作業員が穴に近付いて、死骸を穴の底へと落としていった。それが終わると埋め戻しの作業が始まり、合計として約1時間程度の最終処理が終了する。トラックは積んでいた物がなくなった段階で施設を出ているので、軽々とした様子で山を越えて向こう側に走り去って行った。

『こちら第7班、トラックは沼田市方面へ向かう模様。必要であれば追跡されたし』

『本部より車両1班、念のため追い掛けてくれ。車両2班は支援の用意』

『2班了解』

『車両1班了解、これよりトラックの追跡を開始する』

 無線のやり取りを聴きながら、4班と5班の捜査員たちは逆流しそうな胃液を何とか宥めていた。深呼吸したり木に背を持たれて休んだりと様々である。カメラに収めた映像も写真も、今はまだ見返す気にはなれなかった。

 どうやら眼下にあるこの施設では、本来であれば焼却処分されるべき死骸。いや、もしかするとまだ生きていたかも知れない実験後の動物も、ああやって処分しているようだ。確かにこれなら施設の維持費も安く済むし、焼却に使用する燃料も考えなくていい。同時にこの事から、施設内にある煙突を備えた一画は稼働していないのか、もしくは偽物でその機能を備えていない可能性が浮上して来た。

 捜査員たちの目にも明らかなように、これは動物愛護管理法の違反である。また廃棄物の処理及び清掃に関する法律にも抵触しているだろう。そして猟友会の小松氏が言うように、実験に使用する野犬を保健所からではなく犬捨て峠から捕獲し、アバスが仲介となって減った分を安価にこっそり補充し続け、またこれ等の処理に使う費用も長年に渡って浮かせ続ければ、それなりの額となっているに違いない。微々たるものかも知れないが、そうやって来た結果が先日の事件を引き起こしたのは事実だ。犠牲者と遺族のためにも、一連の犯罪を見逃す訳にはいかない。


 それから約1か月後、特捜本部は強制捜査に向けた準備を進めていた。具体的には役場・研究センター・処理施設の3つを同時に押さえ、互いに連絡を取り合う隙と、証拠を処分される時間を奪って確実に逮捕するのが目的だった。

 加え、アバスに罪状の軽減を約束した上で捜査協力を持ち掛け、牧田を引き摺り出すための作戦に出た。

 会議室に残っている捜査員たちがアバスに電話の手順を説明している。戸場管理官率いる首脳陣はそれを遠くから見守っていた。

 準備が終わった事を県警本部の刑事が伝える。現在、牧田が役場の町長室で勤務中なのは、警備本部からの報告で掴んでいた。こちらでも向こうでも、会話の録音をする用意は整っている。

 猪又警視もまた、志願してその場に臨んでいた。アバスに自らの携帯で電話を掛けるよう指示を出す。

 アバスが番号を押し終わり、電話の呼び出し音が鳴り続ける。10秒ほど経った直後、その音が止んだ。

「牧田さん、僕です」

『何だ無事だったのか。今まで何所に居た』

 ここに居る県警本部の捜査員たちは、牧田の肉声を知らない。だから、電話の向こうから発せられた牧田の声を何の違和感もなく受け入れる事が出来た。

 しかし猪又を始めとした、当日にあの場に居て牧田の声を知っている者たちの顔付は非常に険しかった。これが同じ人間の出せる声なのかと思うほど、ぶっきらぼうで威圧感に満ちた声だったのだ。

「ずっと隠れてました。それと、1頭だけですが捕まえた犬が居るんです。引き渡してもいいですか」

『ダメだ、警察がまだ動き回ってる。今は危険だ』

「置いておく場所がもうないんです。お願いします。それに、このままだと一緒に居た皆にお金が払えません。もうあれから1か月くらい経ってますから、大丈夫だと思うんですが」

 アバスがそこまで言うと、牧田は押し黙った。2分ばかり沈黙が続き、ようやく次の言葉が発せられる。

『…………何人だ』

 その返答があった瞬間、多くの捜査員たちは静かに歓喜した。これで牧田を釣り出す事が出来る。

「3人です。明後日ぐらいに、いつもの場所でいいですか」

『ああ。時間もいつも通りだぞ。遅れるなよ』

 牧田が先に通話を終了させ、この場は収まった。地図を広げて「いつもの場所」をアバスに確認させる。

「ここです。前にもお話した場所です」

 場所は渋川IC付近の利根川高架橋下だ。直ちに私服刑事たちが急行し、当日の潜入工程を詰め始めた。


 翌日、特捜本部に13連隊第2中隊長こと澤邉の姿があった。流石に警察署へ制服のままで入る事は怪しまれる可能性が考慮されたのか、普通のスーツ姿での登場だった。

「戸場管理官です。階級は警視正ですが、あまり気にされなくて結構です」

「澤邉一尉です。ではこちらの階級も気にしないで下さい。それでお話しとは」

 戸場は強制捜査当日の流れを説明した。澤邉はこの期に及んで何を頼みたいのだろうかと懐疑的だったが、話しを聞いている内にそれを理解し始めた。

「要は、我々に処理施設の注意を引いて欲しいと」

「そうです。既にあなた方はこの近辺でも馴染みのある光景となりました。私どもですと、どうしても相手に疑われる可能性が出て来ますが、皆さんであれば違和感なく行えるのではと思いまして」

 処理施設後方の山中で監視を続けている内偵第4班の捜査員たちが、事件当日に野犬集団が敷地内に入り込んだと思われる出入口を見つけていた。敷地を囲んでいる塀の1部が破損し、そこから中に入ったと思われている。

 特捜本部はこれを逆手に取り、予め泥か何かで体を汚した警察犬を中に入れ、施設の職員たちを浮足立たせて混乱させる作戦を立ち上げていた。もし感染が疑わしい野犬、もしくは野生動物が現れた場合は、警備本部へ通報が飛び込んで陸自部隊が駆け付ける事になっている協定を利用するのだ。これで陸自が施設内の職員を避難させると共に、役場と研究センターに県警がタイミングを合わせて強制捜査を慣行する。そうすれば、どっちの連絡が先に処理施設へ届こうが誰も連絡に出る事は出来ないし、残っている証拠が処分される事も不可能だ。施設には別部隊が山の向こうから近付き、頃合いを見て踏み込む手順になっていた。

「上手く考えましたね。確かに、我々の方が怪しまれる可能性は低そうです」

「まぁ、あなた方にも実は逮捕権があると知っている一般人はそう居ないでしょう。万一の場合、公務執行妨害で取り押さえるぐらいはお願い出来ますか」

「出来ればやりたくないですね。取りあえず、全員を施設の外に出した上で時間稼ぎはして見ます。我々が出来るのはそれぐらいかと」

「はい、それで構いません。では日程については後ほどご連絡差し上げます」

「分かりました。よろしくお願いします」

 2人は敬礼し合い、その場を解散させた。これで強制捜査当日に、証拠を消されてしまう可能性は減っただろう。


 2日後の深夜。渋川IC近くの利根川高架橋下に、1台の車があった。乗り込んでいるのはアバス1人だ。後部座席を倒した空間には中型犬が収まるサイズのケージが積まれており、中には薬で眠らされた雑種の犬が収まっていた。今はまだ静かに寝息を立てている。

 アバスの車に後方から近付いてくる別の車が現れた事で、付近に潜んでいる多くの捜査員たちに緊張が走った。複数台のカメラが暗視モードで記録を続けている。更にアバスの車にもカメラが仕掛けられており、どの方向からでも牧田を捉えられるよう細工が施されていた。他にも集音マイクや何らがここで起きる事の全てを押さえようと、その瞬間を待っている。

 後方から現れた車が停車し、牧田が降りて来ると同時にアバスも車から降りた。勝手知ったる仲と言う会話が始まる。

「お仕事は大丈夫ですか」

「残務処理で寝不足だ。これで小遣い稼ぎも出来なくなったな。お前はどうする」

「ちょっと怖い思いもしましたんで、これで終わりにしたいです」

「そうか。まぁ、どっかしらから上手く動物を入手出来るんならと思ったが、流石に厳しいか。それより、ケージを積み替えてくれ」

 アバスは言われるがまま、自身の車から牧田の車へケージを移し替えた。実はこのケージにも発信機と集音マイクが取り付けられており、牧田が運転中に何所へ向かうのかと、何か決定的な1人言でも口走らないかとの期待が込められていた。

「最後の報酬だ。慎重に使え」

 懐から出された封筒がアバスに手渡された。森の中や対岸に潜む捜査員たちにはよく見えないが、それなりに分厚いように思えた。

「はい。ありがとうございます」

 渡し終わると牧田は踵を返し、車に乗り込んで走り出した。この場から十分に離れたのを見計らった所でアバスも捜査員の指示を受けて、車を発進させた。河川敷から道路に上がって早々、捜査車両に前後を挟まれて渋川署へと向かった。

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