白悪魔と魂の手記

第1話

プロローグ

 あの日見た光景を、少年は今でも鮮明に覚えていた。

 忘れたくても忘れられない記憶のほんの一部に過ぎないのだが……。

 これから先、少年が成長して大人になってもこの光景は一生彼にまとわりつくだろう……。

 少年が離れたくていくらもがいても、それと同じ様にこの光景もまた彼に離れたくなくてくっつき続ける。

 一生を共に過ごそうとする様に。

 この光景はとても寂しがり屋な存在だから――。

 もしこの光景と決別する日が来たならその時はきっと、少年自身が自らの力で決着けりをつけた時だろう……。


☆☆☆☆☆


 あの日、おれは確かに見たんだ。

 俗に言う「天使」と呼ばれていた物をはっきりとこの目で――。

 

 その日は幼い弟と一緒に外で遊んでいた。

 よく行く近くの公園へ2人で一緒に行き、近所に住む友達とかくれんぼや鬼ごっこなど子供の頃よくやるような遊びをしていた。

 帰る時間になるまでたくさん遊び、クタクタになったのを覚えている。

 だんだん日が暮れて母親の迎えが来る子や自ら帰る子が増え始めたから、おれも弟と一緒に家に帰ることにした。

 正直もっと遊んでいたい気もしたが、うちも暗くならないうちに帰って来る様に日々言われていたから、この日もきちんと言いつけを守って帰ることにした。

 ――家に着いたらお母さんが待っててくれるだろう。

 ――もしかしたら今日はお父さんも早く仕事が終わってもう家にいるかもしれない。

 そんな期待をしながら夕焼けを背に弟と手を繋いで家路に就いた。

 ――この時まではいつも通りの何気ない1日だった。

 

 異変に気づいたのは家に着いた時だった。

 いつもなら家のリビングには明かりがもうついていてもおかしくなかった。

 まだ太陽が沈んで完全な夜でなくとも、少し薄暗くなってる今の時点でいつもなら母はリビングの電気をつけていた。

 でもこの日はついておらず、奇妙に感じた。

 違和感はそれだけではなかった。

 弟と一緒に「ただいま」と言いながら玄関のドアを開け中に入るとやはりおかしかった。

 いつもなら母が出迎えて来てくれていたのだが、一向に姿は見えなかった。

 家事をしていて玄関に来られない時は、「おかえり」と声だけを届けてくれていたはずなのに……。

 だがその声も聞こえなかった。

 それだけではない。

 何の音も聞こえなかったのだ。

 全くの無音。

 まるで家の中には誰もいないかの様に、何の生活音も聞こえない静けさだけがそこにはあった。

 もしかしたら、母も父もどこかに出かけていて家に誰もいないんじゃないかと疑ったが、玄関が開いていたことと2人の靴があった事でその考えはすぐに取り消された。

 妙な違和感は徐々に不安に変わりつつあった。

 それに伴っておれの中で警戒音が鳴っていた。

 弟も幼いながらに俺と同じ異変に気づいたのだろう、繋いでいた手を強く握り返して来た。

 おれは弟を安心させるために、おれ自身の不安を与えない様に笑って弟の頭を撫でてやった。

 「とりあえず家に入ろう」

 出来るだけ弟を安心させる為にいつも通りの口調で言ったが、内心は不安でいっぱいだった。

 弟との手を離さずにゆっくりとリビングへと歩みを進めた。

 一歩、また一歩、リビングへ近づくにつれて不安は恐怖へと塗り替えられていった。

 それに伴っておれの中で鳴り響いていた警戒音が、近づいてはいけないと警告音へと変化していた。

 リビングの前まで来て、あと扉を開くだけになった時恐怖は最高潮ピークに達していた。

 この時おれはかなり震えていたかもしれない。

 弟に気づかれない様に冷静に振る舞ってたつもりだが、もしかしたら弟も一緒に震えていたのかもしれない。

 警告音は近づいてはいけないから開けてはいけないに変わっていた。

 警告音は鳴り響いていたが、おれは意を決して扉をゆっくり開けた。

 そして恐る恐る中に入った。

 そこには何の変哲もない極々普通な一般家庭のリビングの光景があった。

 ……。

 

 おれは咄嗟に弟を強く抱きしめて何も見せない様にした。

 「お兄ちゃん?」

 「目を瞑ってろ!何も見るな!」

 おれの行動に弟は不信に思っていたが、おれの言うことを聞いて強くギュッと目を瞑った。

 そしておれの背中に回した手が震えていた。


 おれが弟に見せたくなかった光景。

 いつものリビングのただ一つの不可解な光景。

 それは姿だった。

――こんなもの弟は見なくて良い。

 おれは弟を守ることだけを考えていた。

 そしておれは弟を強く抱きしめながらもう1度ゆっくりと頭だけを動かして後ろを見た。

 やはり2人の死がそこにはあった。

 夢であって欲しい、幻であって欲しい。

 そう思ってもそこにあるのは紛れもない現実だった。

 何で2人がこんな事になっているのかで、頭が混乱していた。

 そして何よりおれの頭を混乱させていたのは2人の隣にもう1人の人物がいたことだった。

 いや、今思えばあれは人ではなかった気がする。

 何に例えるのが1番正解なのかはわからない。

 だけど1番しっくりする言葉は「天使」なのだろう。

 でもおれの中での「天使」のイメージとはかなり欠け離されていた。

 何よりその「天使」にはハネがなかったのだ。

 正しくはハネがあってなかった。

 

 おれが見たその天使は「使」だったのだ。

 

 



 

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