やるせなき脱力神番外編 初雪

伊達サクット

番外編 初雪

「おい、死ぬな! しっかりしろ!」


 ギャントが左肩に背負う戦友、リューラに対して訴えかける。


 リューラは息も絶え絶えで、まぶたを震わせ微かな息を吐くことしかできない。


「もうすぐ、もうすぐで町だ……」


 同じくリューラを右肩に背負うカッカイが自分に言い聞かせるように声を振り絞る。


 リューラを肩に背負うギャントとカッカイも、また血まみれだった。鎧は砕け剣は折れている。


 今回の悪霊は強過ぎた。彼らは管轄従者・ビッスムから最低ランクの任務だと聞かされていた。ビッスムは前もって、幹部従者であり隊長のユノから下されていた指示に反し、彼ら平従者八名だけで悪霊に向かわせた。


 しかし、遭遇した悪霊は圧倒的な強さを誇っていた。


 逃げるのがやっとで、生き残ったのはこの三人だけ。他五人はその場で死んだ。


 ビッスムが待つコノロックの町を目前にして、リューラは力尽きて死んだ。


 仕方なく、ギャントとカッカイはリューラの亡骸を野ざらしにし、コノロックへと足を引きずる。


 重傷を負って命からがらコノロックへ向かう二人。すると、町へ続く街道で青い髪のヒューマンタイプの管轄従者・ビッスムが鬼の形相で待ち構えていた。


 ビッスムは開口一番、二人に対して怒りの言葉をぶつけた。


「はぁ!? 何生きて帰ってきてんの!? お前らが死んでくれないと人員不足を理由に戦力補充をウィーナ様に具申できないだろうが! だからお前らが絶対勝てない相手に行かせたのに! 空気読めよクソが!」


「い、今、何と……」


 カッカイが呆気に取られて言う。


 ギャントは放心状態で言葉も出ない。顔の中央に大きな単眼を持つギャントはその目を更に大きく見開き、青い肌を更に青ざめさせた。


「そもそもあんな強い悪霊をお前らみたいな下級戦士に任すわけねーだろ! お前らの役目は殺されることなんだよ。ホンットに頭悪ぃな! 常識で考えろクソが! オラ、何ボーッと突っ立ってんの? オラ、早くもう一回戦ってこいよオラァ! オラ、早く! 聞こえないんですかー? 人の言葉理解できないほど頭悪いんですかー?」


「な、何故だ!? 何故~っ」


 カッカイが奥歯を震わせ声をしぼり出す。ギャントが激しく咳き込む。口から血を出しながら。


「何だ上司に向かってその口の聞き方は!?」


 ビッスムは手に持つ杖に魔力を凝縮させ、雷撃の魔法を放った。


 青白い稲妻がギャントとカッカイに直撃する。


「グワーッ!」


「アバーッ!」


 悲鳴を上げて二人は倒れ、ぴくりとも動かなくなった。倒れた二人から血と小便が混ざった水たまりがじわじわと広がっていく。


「ああああっ!」


 怒りに任せビッスムは二人の頭を幾度か蹴り飛ばし、二人を放置してさっさとその場を去っていった。


 そして、ウィーナの屋敷に帰還した後、部下の八人は自分を裏切り、敵に恐れをなして逃亡したと報告した。


 それで構わないのだ。なぜなら八人とももうこの世に存在しないので、本当のことを言う者がいないからだ。それすなわち、唯一の生存者であるビッスムの報告が真実となる。







「テメェ! ごめんなさいはどうしたごめんなさいはああああっ!?」


 ウィーナの屋敷の中庭で白昼堂々怒鳴り声が轟く。


 ローブに身をまとい杖を携えた男、ビッスムが血走った目で平従者・イネンの胸倉をつかんでいる。その目は怒りで燃え、煮え滾っていた。


 イネンは猫型の獣人タイプの平従者だ。ちなみにビッスムもイネンもユノ隊の所属である。


「ご、ご……」


 言いかけたイネンの二つの鼻の穴に、ビッスムは自分の人差し指と中指を力いっぱい突っ込んだ。


「ギャアアア!」


 悲鳴を上げるイネン。構わずビッスムは鼻の穴に突っ込んだ指先から雷属性の攻撃魔法『サンダーボルト』を唱え、鼻の穴から激しい雷撃を放った。


「ギャアアア!」


 鼻の穴から体内に電撃が走る。体中からバチバチと火花を放ち、地面に膝を突き、上半身をうずくまらせて、小便を漏らしながら痙攣する。


 ビッスムは自分の人差し指と中指がイネンの鼻水で湿っているのを見て、更に激昂した。


「貴様あああああっ! あああああっ!」


 ビッスムは意識を失っているイネンの頭部や脇腹を何度も何度も蹴る。力加減が全く感じられない。


 イネンはゴロリと仰向けになり、ゴボゴボと喉に血が詰まったような、聞いた者を不安げにさせるような咳をする。


「ビッスム殿! おやめ下さい!」


「本当に死んでしまいます!」


 中核従者のリーガとダムダが悲鳴のような忠告を出すが、ビッスムは「こんなクズ死ぬべきだ!」と言って自らの右手に魔力で形成された炎を纏わせ、小便に濡れたイネンの股間部を炙ろうとする。


「ビッスム殿!」


「ビッスム殿! 何があったんです!?」


 リーガとダムダが二人がかりでビッスムを取り押さえる。二人は腕力逞しい屈強な戦士だ。身体能力で劣る魔術士のビッスムは抵抗できない。


「放せ! 何考えてんだお前ら!? 誰に向かって!」


 ビッスムが暴れようとするが、リーガとダムダが必死に彼を制止する。


「これまずいッスよ!」


 リーガがビッスムの腕をつかみながら言う。


「はぁ!? 誰に向かって口利いてんだ!? 人に暴力振るいやがって! 警察呼ぶぞ!」


「ちょっと落ち着きましょ! まずは!」


「一体何があったんですか!?」


「痛い痛い痛い! 警察呼ぶぞウィーナ様に言うぞ!」


 ビッスムは全身から激しい電撃を放射した。


「ギャアー!」


「グワーッ!」


 感電して倒れるダムダとリーガ。


「何が落ちつけだふざけんな! 人に暴力振るうの棚に上げて! 殺すぞボケ!」


 ビッスムはダムダの背中をガシガシと踏みつけた。


「やめなさい!」


 更に現れた一人の人物。ジョブゼ隊の管轄従者、女騎士エルザベルナ。長髪をマントのようになびかせ、ビッスムに刺すような視線を向ける。


「あ゛ぁ!? 誰だお前!? どうやってここが分かった!?」


 ビッスムもエルザベルナに対抗して血走った目を向けた。


「ジョブゼ隊のエルザベルナよ。一体この騒ぎは何?」


「関係ねぇだろ。何様のつもりだ!? ウィーナ様に言うぞ!」


 ビッスムがウィーナの威光を笠に着てエルザベルナを威圧するが、彼女は毛ほども動じない。


「ウィーナ様の従者なのはイネンだって彼らだって同じでしょ? どうしてこんなことができるの?」


 エルザベルナが倒れる三人に目を遣りながら問いかける。


「俺は何もしてない。何も知らない」


 一切悪びれもせず、当然のように言うビッスム。本気でそう思っているとしか思えない態度だ。


「彼らの手当を」


 エルザベルナが指示を出すと、同じジョブゼ隊の部下達がかけつけ、倒れる三人を運びだそうとする。


「おい勝手なことすんな! 誰の許しを得てやってんの!? こいつらよってたかって俺に暴力振るったんだ。俺が被害者なんだぞ!?」


 食ってかかるビッスム。


 どういう事情があったのかは知らないが、エルザベルナはビッスムの言うことを全く信用できなかった。


 彼の普段の言動の90%は嘘であり、残りの10%は大げさに話すか極端に矮小化して話すかだ。酷いときだと一つのセリフの中に限定しても矛盾が生じたりする。


 信用できないというよりは、ビッスムと会話することそのものが多大な徒労なので、信じる信じないの判断すらシャットアウトし、騒音として聞き流すしかないというのが実情だ。


 ワルキュリア・カンパニーは戦闘能力至上主義の職場だ。強さだけを評価の基準にすると、こういう人格の者でも管轄従者にまで昇りつめる。


 しかし。


「黙りなさい。あなたに人の上に立つ資格はないわ」


 あえてエルザベルナが厳しく言い放った。


「黙れ! みんなでよってたかって俺のことを悪者にしやがって! 俺を否定する奴は誰であろうと許さん!」


 ビッスムがわめき散らしながら杖をエルザベルナに向ける。杖の先端に青白い魔力が集中し始める。


 エルザベルナはその瞬間、ビッスムの懐に入り込み、彼を背負い投げした。


 宙に浮き上がり地面に叩きつけられるビッスム。


「うわあああん! 痛い! 痛い! 痛いよおおおっ!」


 全身に電流を纏い、赤ん坊のようにジタバタしながら泣きわめくビッスム。成人男性の肉体と、行動の幼稚さの不釣り合いたるや。その姿はみっともないを通り越して、見る者によっては恐怖すら覚えるであろう。


「何の騒ぎだ」


 そのとき、涼し気な声色の女性の声が聞こえた。エルザベルナが振り向くと、そこにウィーナが立っていた。


「ウィーナ様……」


 エルザベルナが思わずウィーナの名を漏らす。


「ウィーナ様! これは誤解です! 完全に誤解です! 違うんです! 落ち着いて下さい! これは完全に違うんです! こいつらの言ってることは全部嘘です!」


 ビッスムはすぐに立ち上がり、ウィーナに向かって必死に、かつ攻撃的にまくし立てた。


「話は中でゆっくり聞こう。エルザ、すまないな」


「いえ」


 ウィーナは有無を言わさずビッスムの腕をつかみ、屋敷の中へ連行していった。


「うわああああん! こんなのおかしい! これ絶対はめられてます! みんなして私をはめようとしているんです! 信じて下さい!」


 ビッスムが再び泣き叫ぶが、ウィーナは構わずビッスムを連れていってしまった。


 エルザベルナは医務室へ運ばれていくイネン、ダムダ、リーガの様子を見て溜息した。







 この日、任務はなかったが、エルザベルナは隊長である幹部従者・ジョブゼに呼ばれていた。


 ウィーナの屋敷の応接室で対面する二人。


「ビッスムを止めたそうじゃないか。ご苦労だったな」


「いえ。大したことでは」


 ジョブゼ曰く、先程の騒動のきっかけは『イネンが「同じ」を「おんなじ」と発音したのが、ビッスムの気に食わなかった』という、聞いていて眩暈めまいがするような内容だった。


 冷静に考えるとむしろ眩暈が強くなり、謎の徒労感が押し寄せるので、エルザベルナは考えることをやめた。


「ビッスムは今さっきウィーナ様が警察隊に引き渡してきた」


「そうですか」


 エルザベルナは何も意外に感じず答えた。ビッスムは今までも似たようなトラブルを繰り返しており、遅かれ早かれこのようなことになるだろうと思っていた。


「多分、ウィーナ様も厳しい処分を出す。ユノも何らかの責任は取らされるだろう。だがお前は気にしないでいい」


「ご心配なく。全く気にしていません」


 エルザベルナは眉一つ動かさず答えた。


 ビッスムなどいない方がこの組織のためになる。彼女はそう思っていた。


「そうか。じゃあ本題に入る」


「はい」


「……実はな、お前を幹部に推薦しようと思うんだが」


 前置きもほどほどに、ジョブゼが改まった口調で言った。


 彼が着る真っ白なランニングシャツは、その内側の筋骨隆々の胸板がありありと浮き出ていて、その前ではたくましい灰色の腕が組まれている。


「私が……ですか?」


 エルザベルナが一呼吸おいて言う。


「どう思う?」


 ジョブゼがニッと悪人面を綻ばせた。


「どうと……言われましても……。私でよろしいのでしょうか?」


 彼女としては、今、目の前にいるジョブゼや、その他の幹部従者に自分が連なるというイメージが沸かなかった。


 管轄従者に昇格してまだ日も浅く、エルザベルナはまだそこまで自己評価を上げてはいなかった。


「マネジメントライデンの連中の分析だと、今、組織が儲からなくなってきているって話だ」


「だと思います」


 エルザベルナがうなずく。ジョブゼの隊はロシーボ隊と並んで特に採算性が悪い。それだけ割に合わぬ仕事を引き受けているということなのだが。


「だから隊を増やして、その分依頼を多く受けるようにする。それでウィーナ様は新しい幹部従者は女がいいと仰ってる」


「はい」


「そこで、誰を昇格させるかって話になったとき、俺がお前のことを言った」


 ジョブゼが組んだ腕を解き、片腕をテーブルの上に預け、やや前のめりになった。


 エルザベルナは真っ直ぐに背筋を伸ばし、凜乎りんこたる態度を崩さない。


「なぜウィーナ様は女がいいと?」


 エルザベルナが問う。


「男共が不甲斐ないからだそうだ」


「ジョブゼ殿は、私が女だから、私を推薦したのですか?」


 悪気なく問うエルザベルナ。


「いや、違う。ウィーナ様は以前からお前の指揮や隊を運営する能力を評価してた」


 ジョブゼが再び先程のような笑顔を見せた。


 エルザベルナが配属されてきた頃のジョブゼ隊は、強い者が弱い者を従える戦闘能力至上主義を地で行く気風だった。


 もちろん、ワルキュリア・カンパニーがそういう組織である以上、ロシーボ隊を除いたどの隊も多かれ少なかれそうなのだ。


 だがジョブゼ隊は特にその傾向が強かった。隊と言うよりは野獣の群れと言ってよい。


 個々のフィジカルな強さ、あるいは魔力的な強さに依拠しきった、戦略も後方支援もない、野放図な運営であった。


 それを変える取り組みをしていたのが、すでに死んでいる管轄従者のエンダカであったり、その役割を引き継いだエルザベルナであった。


 実際、エルザベルナのマネージメントにより、ジョブゼ隊は大きく変わった。


 予算の取りつけ、隊の編成の見直し、報・連・相の不備が発生しやすかった指揮系統の再構築、戦闘員の戦闘スキルの調査、個々の能力を補完できる効果的なパーティー(小隊)編成、個人個人に見合ったスキルの伸ばし方、任務失敗時の徹底した原因調査・反省、回復魔法の教育、無謀な任務の拒否による人命損失の低減、偏ったスケジュールの見直し、ウィーナから問題児ばかり押し付けられるのを何とかするよう隊長のジョブゼに要請、果ては隊員の男女関係のもつれの仲裁。


 エルザベルナがこの組織に来る前にいた、冥王軍のエリート部隊である近衛騎兵隊では当たり前に行われていたあらゆる事が、ジョブゼ隊はできていなかった。あるいはやっていても、やり方が間違っていたり効果がさほど上がっていなかったり、やった後の点検を怠ったりしていた。


 ただ、エルザベルナがその手腕を存分に振るい、隊を改革できたのも、隊長であるジョブゼの後ろ盾があったからだ。


 もしジョブゼがエルザベルナを後押ししなかったら、エルザベルナの取り組みに隊員達は従わなかったであろう。それは彼女も重々承知していた。


「そう言って頂けるのは嬉しいですが。正直、私には力不足だと……」


 エルザベルナは少しばかり視線を落とした。


 この組織は戦闘能力至上主義。


 戦いの強い者が上に昇る。


 そうでなければ一癖も二癖もある猛者達をまとめ上げることなどできない。


 今、彼女の目の前に座る上司など、正に戦闘能力至上主義を体現するような人物だ。


 そんなワルキュリア・カンパニーで、指揮官としての能力で幹部従者に推されるというのはあまり聞かない。


「心配するな。俺達でフォローする」


「……ただ、幹部従者になってしまうと、権限は大きくなりますが、ウィーナ様のお側で働くことができません」


 エルザベルナは、幹部従者になって隊を任されるよりは、ウィーナ直属の部隊へ配属されることを望んでいた。


 例えば、ファウファーレは管轄従者だが、この前ウィーナの秘書官に任命された。幹部になって隊長になってしまえば、地位相応の役割、貢献を求められ、このようなチャンスはなくなる。


 このジョブゼ隊で実績を作り、今の管轄従者のまま、ウィーナの隊に行くのが彼女の希望するルートだった。


「お前はウィーナ様の隊に行きたいのか?」


「はい。私を推薦されるのでしたら、幹部よりはウィーナ様の隊を希望します。可能であれば、小隊の部下達と共に」


 エルザベルナは、ためらうことなくハッキリと自分の意思を表明した。


 彼女の直属の部下であるライラ、エイリア、エレーナとの連係・信頼関係はこれ以上ないレベルに高めてある。


 できればこれからも彼女達と共に戦っていきたい。


「いや、今回は新しく隊を編成するって方針だからなぁ……」


 ジョブゼは再び腕を組んで、考えるようなそぶりを見せた。


「ジョブゼ殿は私をどう見ているのですか? 幹部になれるだけの戦闘力があるとお思いですか?」


「ああ、思ってる」


 即答するジョブゼ。


「でもまだ、ジョブゼ殿には遠く及びません」


「闘う力に限って言えばそうだが、他のあらゆる能力を合わせるとお前の方が優秀だ。俺なんかより。俺は闘うことしかできん。これからの組織にはお前のような人材が必要なんだ」


「ジョブゼ殿は戦闘能力至上主義をどう見ます?」


 エルザベルナの問いに、ジョブゼは若干の間を作り、口を開いた。


「俺は今の方が居心地がいい。だが、最近はそれじゃ厳しくなってきた。昔はそれでもよかったんだが」


「組織が大きくなって、それだと問題が出てきていると?」


「そうだ」


 エルザベルナはユノ隊やロシーボ隊、そしてレンチョーの隊のことを想起した。


 ロシーボは戦闘能力が低いが、『科学』という他の者にはない技量を保有しているため、幹部の地位にいる。しかし、隊を運営する資質に欠ける彼をサポートするために、シュドーケンを始めとした優秀な管轄従者・中核従者を回している。


 ユノに関しても、彼個人の戦闘力は抜群だが、コミュニケーション能力はロシーボ以下だし、意味不明な言動や行動も多い。そのうえ、ビッスムのような人物が野放しになっている。ユノはそれに対して何ら対策を取っていない。


 レンチョー隊に関しては、成果と利益を上げることは目覚ましいが、その分隊員を酷使し過ぎている。レンチョーのやり方に疑問を持つ声も多く出ている。


 それぞれの隊長の人格で、隊の性格もかなり色濃く分かれることになっている現状は、戦闘能力至上主義の生んだひずみだろう。


 そんな中で、エルザベルナがジョブゼ隊に留まっていたのは、この愚連隊のような隊の中で、『強き者が弱き者を守る』という精神だけは徹底されていたからだ。中核従者が平従者を、管轄従者が中核従者を盾にすることなど許されない。


 エルザベルナはこのジョブゼ隊に、腐敗した近衛騎兵隊が失っていた騎士道精神を見出していたのだった。だから彼女はこの隊の持つ良い部分を残しながら、問題点を改善しようと動き出したのだ。


「……せっかくですが、やはり私は幹部になるよりは、ウィーナ様の下に就くか、ここで留まりたいです」


「ただ、来期のところでお前の異動自体は決まりそうなんだ。どこへ移るかは別として」


 ジョブゼが渋い顔で言う。


「そうですか。それでは、そのつもりでいます」


 エルザベルナは答え、「ただ……」と続けた。


「ん?」


「レンチョー殿が私を引き抜こうとしているって噂を聞いたんですが」


 それを聞いたジョブゼが目を少し見開き、凄まじく筋肉の分厚い胸板を震わせた。


「何でそれ知ってんだよ。まだ俺達幹部しか知らんはずなのに」


 エルザベルナは顎に手を当て、微笑してみせた。女の友情ということで、普段から仲の良いファウファーレから聞いたのだ。当然、彼女はウィーナの秘書だけあって内情を色々と知っている。


 彼女はレンチョー隊への異動は嫌だった。当然、あの男の下に就くのが嫌だからである。何とか回避したいと思っていた。


 それに、レンチョー隊の中で強い発言力を持つサクラーシャともあまり反りが合わなかった。


「まぁいい。その件はな、どうせお前は嫌がるだろうからと思って断っといた」


「え?」


「俺がレンチョーと一対一サシで話してそうなった。仮に他へ異動するにしても、レンチョー隊に行くルートはない。他の幹部連中もウィーナ様もその認識だ」


「あ、ありがとうございます」


 エルザベルナは安堵に胸を撫で下ろした。どうやってレンチョーからの引き抜きを回避しようか、水面下での立ち回りを思案していたところだったのだ。


 ジョブゼの表情は少し笑いで綻んでいた。『しょうがねえな』とでも言いたげな笑顔。


 こういうとき、このジョブゼという男は異様なまでに頼りになる。エルザベルナが行おうとした改革に関しても、当初は環境の変化を嫌って反発していた同僚も、ジョブゼの一言で彼女に協力するようになった。


「お前の隊の改革、上の方でも話題になってる。一定の信頼を得てるから、お前の希望通りにしてもいいんじゃないかって話になってる。例えば、あのビッスムが同じ希望を出したとして、俺達が叶える気になると思うか?」


「それは分かります」


「だろ?」


「ええ」


 わずかに間を置いて、ジョブゼは咳払いをした。


「まあ、お前の希望は分かった。ウィーナ様には伝えとく」


「ありがとうございます」


 滑らかな所作で一礼するエルザベルナ。


「だが、希望通りになるとは限らんぞ。レンチョー隊に行くことはないが」


「承知してます」


「じゃあ、そういうことだ。悪かったな非番のとき呼び出して」


 ジョブゼがいそいそと席を立とうとする。


「ジョブゼ殿、一ついいですか?」


「ああ?」


 呼び止めに反応し、一旦腰を下ろすジョブゼ。


「来期に私が動くとして、その後、私の役目を引き継ぐ者はいますか?」


 エルザベルナは言った。自分が隊を離れると、この隊は自分が来る前の状態に戻ってしまうのではないかという懸念があった。


「ああー……」


 ジョブゼが渋い顔をして頭を掻く。


 彼の頭の中には、死んだエンダカがエルザベルナと同じ取り組みに当たっていた際、上手くサポートしてやれなかった負い目があるだろうとエルザベルナは分析していた。


「正直、私がここでしてきたことを無にしたくはありません」


 そこは自信を持って、毅然と言った。


「分かった。考えとく」


 ジョブゼが言った。


「来期のところだとしたら、あまり時間がありません」


「そうだな……」


 ジョブゼがぽつりと言って、席を立った。エルザベルナもそれに続く。


 ジョブゼは『考えとく』と言ったが、実はエルザベルナは自分が隊を離れた場合、自分の後を継ぐ者の候補までとっくに考えていた。




 ジョブゼとの面談の数日後、ビッスムがワルキュリア・カンパニーを追放されたことを聞かされた。


 未だ官憲に拘留されている最中での処分だった。隊長であるユノは監督責任を問われたが、減給処分を下されただけに過ぎなかった。


 平従者のイネンはこれをきっかけにワルキュリア・カンパニーを退職した。




 数か月の後、エルザベルナは直属の部下であるライラ、エイリア、エレーナと共に、ウィーナ隊に異動となった。


 ジョブゼはエルザベルナの敷いた体制を継続させるべく、隊全体にその意識を持たせようと尽力している。


「あなたが来てからジョブゼ殿も少し変わったみたいだって、ウィーナ様が言ってたわ」とは、ファウファーレの言である。







 王都の大通りを、ピンク色の艶やかな長髪をなびかせ歩く女騎士・エルザベルナ――。


 それを路地の影から付け狙う、一人の青い髪の男。


 ボロボロのローブを身に纏い、頬はこけ落ち、落ちくぼんだ目ばかりがギラギラと、猜疑と怒りによって病的に光っている。


「お前さえいなければ……、お前さえいなければ……」


 組織を追放処分となったビッスムは、拘留期限を終えて釈放されて以降、ずっとエルザベルナをつけ狙っていた。


 そしてビッスムは、この瞬間を好機とし、エルザベルナの背後から雷撃魔法を放とうと密かに杖を構えた。先端に魔力が集中する。


「おい! ビッスム!」


 背後から名前を呼ばれた。


 詠唱を中断して振り向くと、フードに身を包んだ人物が三人。


 すると大通り側からも、同じくフードを深く被った人物が二人。


「あ゛ぁ!?」


 ビッスムが自分を囲む連中を見回す。


 彼らは鞘から剣を抜いて、ビッスムを取り囲んだ。


「ヒッ……、な、何だ!? 人違いじゃないか?」


 怯えるビッスム。


 他人から恨みを買うような覚えは全くない。心当たりがない。


 すぐさま走り出し、大通りへ逃げようとしたが二人に遮られる。


「がぁっ!?」


 すぐさま激痛が走る。背後の一人に背中を斬られたのだ。地面に倒れ込むビッスム。


「な、何を……」


 囲む五人の内、フードからわずかに覗かせた顔。一人は青い肌に大きな一つ目を持った男、もう一人は猫型の獣人。


 どこかで見たような気がするが、全く記憶にない。


「や、やめろ……」


 自分が狙われる理由も理解できないまま、命乞いの言葉をしぼり出すビッスム。


 五人は当然の如く耳を貸さない。ふと、裏路地に白く冷たい粉がちらほらと降り注ぎ始めた。五人のフードや流れ出るビッスムの血に白い点を作っていく。血に被さった白い点はたちまちの内に血だまりに溶融して、ただの赤に戻る。


「初雪だな……」


 猫の獣人が言いながら剣を構え、一切の情け容赦なく、ビッスムの喉を突き刺した。


「がはっ!」


 自分の喉から伸びる雪の乗った刀身が、ビッスムが人生で見た最後の景色となった。







「初雪……」


 大勢の人が行き交う大通りに雪が降り注ぎ、エルザベルナはふと足を止めた。


 先程から自分をつけ狙っていた殺気は、雪が覆い被さったかのように消えていた――。




<終>

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