3 深山アキラ
ケイがアキラと共にたどり着いた食堂は、五十人ほどが一度に座れるテーブルと椅子が置かれた広間だった。施設内には他にも同じような食堂が複数点在しており、ここはその内のひとつにしか過ぎないらしい――一体、この研究所というのはどのくらいの規模なのだろう。きっと相当大きいはずだ、とケイは思った。
(人も大勢いるし)
たくさんの人が過ごす食堂の様子に、ケイは少し気後れしていた。
孤児院からほとんど出ることもなく過ごした十数年の内では、見慣れない顔を見るという体験すら
「ケイ、どした?」
ケイはアキラの声にはっとした――完全にぼんやりしていた。
「あ、もしかして今日が初日? だよな。検査受けてたもんな」
どうやら食堂の使い方が分からず立ち止まっていたものと勘違いされたらしい。あながちそれも間違いではなかったので、ケイが素直に頷くと、アキラもうんうんと頷いた。
「そっか。初めてだもんな。えっとなー、好きなもん取って、食ったらいいよ。あっちに食器があるからさー」
食堂の使い方を説明するアキラの声を聞きながら、ケイはほんの少しほっとしていた。
(なんだかんだ、こいつが誘ってくれて良かったな。食堂の場所も分からなかっただろうし……)
各々好きな料理を取り、ケイが適当な席を選んで座ると、アキラはその向かいに座った。
(……すごい食べるな。…………これか? この差なのか!?)
アキラのトレイに乗っている料理の量は、どう見てもケイの倍以上に見えた。ケイは驚愕しつつ、アキラの盛った料理と自分のそれを見比べた。
対して、アキラはそれに気づかぬまま手を合わせていた。右手に箸を持った後で、一向に食べ始める様子のないケイを怪訝に思って見た。
アキラはそこでやっと、二人の皿を見比べながら難しい顔をしているケイに気付いた。その表情が何だか無性におかしく思えて、アキラは思わず噴き出した。
「うわ! きたなっ!」
「くっ……いや、ごめん。ふ、ふふ……」
謎の敗北感すら覚えてひたすら考え込んでいたケイは、アキラの笑い声にようやく現実に帰ってきた。しかしアキラが何をそんなに面白がっているかは分からず――変なやつ、と思った。
やっと食事を始めた二人だったが、合間にアキラはよく喋った。
「その草なに? 美味いの?」
「……レタスな。まあ、普通」
「ふーん」
アキラはすっかり大人の男みたいな外見をしているくせに、中身は子供みたいに無邪気だった。初めからほぼゼロ距離だったその独特な距離感も、彼のそういう性格からきているらしいと察せられた。
(初めて見たときは怖そうに見えたけど……なんか、想像と違ったな。今のところ全然……悪いやつでもないっぽい)
ケイは内心拍子抜けしていた。実際にアキラと話してみると、そもそも怖そうに思えた顔の印象も違って見えた。
アキラは、一体何がそんなに楽しいのかと聞きたくなるくらい、終始にこにこと微笑を浮かべて、他愛ない話をひっきりなしにした。合間にはきらきらと目を輝かせてみたり、じっとケイの瞳を覗き込むようにしてみたり、はたまた声を上げて笑ってみたり。忙しないやつだ、とケイは思った。
(初っ端から呼び捨てだしタメ口だし顔は……ちょっと怖いし。……絶対ヤバいやつだと思ったんだけどな)
「ケイさあ、俺のこと怖くなかったの?」
アキラの唐突な質問に――まるで心を読まれたような気がして――ケイは面食らった。
(……えーと……)
ケイは少し言葉に迷った末、結局は明け透けに答えることにした。
「正直、怖そうな見た目だとは思った。でも実際にどうだかは、見た目じゃ分からないし。……人を外見で差別するようなこと、俺はしたくないし」
ケイは平然とした態度でそう言った。それは自分がされて嫌だったことだから、ケイからすれば至極当然だった。
ケイの返事を聞いて、アキラは何か面白いものでも見つけたみたいな顔をしたが、ケイはそれに気付かなかった――健診を受けていたときのことを思い出していたからだ。
「アキラはずいぶん先に終わってたのに、なんで待ってたんだ?」
「ん? …………あーっ!!」
突然上がったアキラの素っ頓狂な叫び声に、ケイは肩をびくりと震わせる。
「何だよ。急にでかい声出すな!」
「そうだ。ケイ、もう怒ってねえ?」
「……え、怒った? 俺が?」
ケイは目を点にした。
「うん。だってあの時のお前さあ、すっごい顔してたぞ」
アキラは、ケイと初めて目が合ったときのことを言っているらしかった。確かにケイはそのとき、本当にものすごい顔――主に嫉妬によるそれ――でアキラを見ていたのだが、それは完全に無意識によるもので、ケイ本人の知るところではなかった。しかし、よくよく思い返せばそんな顔をしていたであろうことは、ケイにも何となく察せられた。
(……確かにあの時は色々複雑な気持ちで見てた気もするから……そんな風だったかも)
ケイは内心、恥ずかしいようなばつが悪いような思いをしながら、それとは知れぬよう、しれっと取り繕った。
「……いや、別に怒ってない。そんな風に見えたなら、悪かった」
「いいんだけどさ。それで、俺なんかしたかなー、って思ったんだよ。怒ってんなら謝んなきゃなって。……でもさ、待ってる間に忘れてたんだな」
アキラはそう言うなり、声を出しておかしそうに笑った。
(……忘れるか? 普通。……あと、そんなにおかしいか?)
ケイは薄々感じていた思いをより一層確かなものにした――さてはこいつ、ちょっと馬鹿だな、と。
「でもさあ。じゃあ、なんであんな顔してたんだよ」
アキラが何の気なしに口にした問いに、ケイは思わず顔を引き攣らせた。
それは一番聞いて欲しくないことだった。ちらりとアキラを見ると、答えを待つ素振りでじっとこちらを見ている。ケイは言い辛そうに、極めて小声で呟いた。
「……むかついたんだよ」
「え? 何で?」
――これ以上は言えるものか。……その見た目が羨ましかったから、だなんて。
ケイは押し黙った。アキラは変わらずケイを見つめ、その内に段々と、怪訝そうに首を傾げ出した。二人はじっと見つめ合い、そのまま膠着状態に陥った。
アキラはしぶとく、我慢強く待った。幼子のような純粋さで。しかしケイにはどうあっても答える気はなく、また答えるわけにもいかなかった。
ケイは考えた末、極めて自然に目線を逸らし、何もなかったみたいな顔で食事を再開した。
「ケイ?」
ケイは内心冷や汗をかきながら、努めて無視をした。その間もアキラはちっともめげずにケイを呼ぶ。その呼び掛けが十回を超えた所で、ケイはついに思い切った。冷え冷えとした声で、低く呟く。
「……それ以上聞こうとするなら、俺はお前と絶交するからな」
「えっ」
アキラは目をまん丸くして、数回瞬いたのち、置いていた箸を右手に持った。ケイの心は少々痛んだ――しかし、譲れない場面というのはあるのだ。
アキラはもそもそと咀嚼しながら、何やらもの言いたげにちらちらと、ケイに視線を送ってきた。そして結局、恐る恐るといった様子でこう言った。
「……他の話ならしてもいいか?」
ケイはぱちくりと瞬いて思った――どんだけ話したいんだ。
「別に、いいけど」
ケイが頷くなり、アキラは破顔した。途端に元の調子を取り戻したアキラに、ケイはちょっぴり後悔した。
アキラの話を聞くケイの表情は今や自然体そのもので、食堂に来たばかりの委縮した雰囲気は微塵もなかった。それはまるで、アキラの纏う明るく穏やかな空気に、つられたかのようだった。
「ごちそうさまでした」
先に夕食を食べ終えて――料理の総量だけでなく、一口に運ばれる量も倍だった――手を合わせるアキラと、綺麗に料理の片付いた食器とを見比べて、案外行儀の良いやつだ、とケイは思った。
アキラは一見して、言葉選びやその挙措に、何となく大雑把でがさつそうな印象を受けるが、本質は決してその通りではなかった。食べ終わってすぐそわそわとし始めるあたり、落ち着きはないが。
それからケイが食事を終わらせるまで、アキラは意外と静かにしていた。延々と喋り続けるアキラに段々辟易していたケイは、これ幸いと食事に没頭した。
ケイは料理をすっかり食べ終え、手を合わせた。そしてアキラを見やり、唖然とした。
アキラは椅子に座って腕組みをする格好で、寝ていた。わずかに開いた口からは寝息が漏れ、その上体は時折、呼吸のリズムに合わせて揺れていた。
(食ったら眠くなって本当に寝るって……子供か!)
ケイが戦慄していると、その耳に館内放送が届いた。
「木崎ケイ君、室長室まで来て下さい。繰り返します、木崎ケイ君、室長室まで――」
(……どこだよ)
室長室ということは――
ケイは半眼でアキラを見た。ケイにはとても考えられないことに、アキラは館内放送の音にも起きずにすうすうと寝息を立てている。
(どんな神経してるんだ)
ケイは面倒くさそうに溜息をつくと、アキラを起こすべく呼び掛けた。
「……おい。おいアキラ、起きろ。……おいったら!」
「え、あ? ん。おはよ」
ケイがテーブルに乗り出してアキラの肩を掴んで揺らすと、アキラはぼんやりとした声を出して目を開けた。それを確かめて、ケイはトレイを持って立ち上がった。
「室長室まで案内してくれ。場所を知らない」
「うん……わかった、室長室な」
アキラはぐいと背すじを伸ばし、大きな
「そう言えば、他の子供はどこにいるんだ?」
ケイはアキラと連れ立って、室長室を目指し歩きながら、ふと浮かんだ疑問を口にした。食堂にそれらしき姿はなく、こうして歩いていても、通り過ぎるのは大人ばかりだ。
「ん。多分、いない」
アキラの答えに、ケイは怪訝な顔をする。
「いない? どうして。孤児院で育った子供は、皆ここに連れてこられたんじゃないのか」
「ああ、うん。でも今はいない。ここに来ても、皆一年も経たない内にどっか行っちまうんだ。聞いたことあるけど、国の補助付きで、街で暮らしてるって話だぜ」
「……そうなのか」
ケイは頷きながら、少し釈然としない気持ちでいた――それならそうと教えてくれればよかったのに。そうすれば、余計な不安を抱かずに済んだ。
ケイは深山透を思い出しながら――いやに深刻に言う、と思った。
「お前の父さん、俺にはそんなこと教えてくれなかったぞ」
「ん? ああ、親父な。俺にも全然、何にも教えてくんねえよ。それだって、姉さんから聞いたんだ。姉さんって言っても、そう呼んでるだけで、別に本当の姉弟じゃねえけどさ。……街かー。どんな感じなんだろ」
他にも色々気になることはあったが、アキラの最後の言葉に、ケイは反応した。
「アキラは、ずっとここに?」
「んー。体鍛えるために、外に出たことはある。でも、麓の街に下りたこととかはねえな。せいぜい、このあたりの山ん中を走ったことがあるくらいだ」
ケイはふうんと相槌を打ちながら、心の中で――まあ俺も似たようなもんだけど、と呟いた。けれど孤児院にいた頃は、月に一度だけ院長と他の子供と一緒に街に下りて映画を見たり、買い物をしたりする日があったから、自分はアキラよりずっとましだな、とも思った。
ケイがそのときの話をしてやると、アキラはひどく面白がった。次いで、何やらいいことを思い付いたとでも言うように、その目を輝かせた。
「へええ、いいなあー。なんか面白そ。……あ。なあなあ、ケイがここ出るってなったらさ、俺が街まで見送りに行ってやるからな! 親父に止められても行く。な、いいだろ?」
アキラはその巨躯でケイに詰め寄った。あまりの圧にケイは思わず
「分かった、分かった。それでいいよ」
「やった! 約束な」
アキラはわざとらしいくらいに喜んで、今にスキップでも始めそうな足取りで先を歩き出した。
(……ほんと、子供みたいなやつ)
ケイは半ば呆れながら、苦笑いを浮かべた。
二人が室長室に到着すると、深山透はアキラを見て、少し驚いた様子を見せた。そして、後から入って来たケイに気付くなり、合点がいったような顔をした。
「案内してくれたのか」
「おう。ケイが分かんねって言うからよ」
「なるほど、ありがとう。……さて、ケイ君、検査結果を見たよ。結果は良好だ。これなら十分に期待できる。ぜひ明日から、本格的な研究協力に臨んで欲しい」
「……はい。これから、よろしくお願いします」
「感謝する」
深山透は奇妙に口角を上げる仕草をしてみせた。
「では、明日からの予定について説明する。さっそく明日は……」
(……もう、後戻りは出来ないんだ)
深山透の話し声を聞きながら、ケイは隣に佇むアキラを見上げた。するとケイの視線に気付いたアキラは、小首を傾げつつ人懐っこい笑顔を見せた。
(でも、大丈夫だ、多分。一人じゃないし)
ケイはわずかに目元を和ませて、小さく息をついた。
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