5-4. 貧心紋

 そうして眼鏡が連絡をつけた人間が巫海石ウーハイシ―とかいう男だった。

私は訊いた。

「中国人かね」

「日本人だ。帰化してる」

「中国読みの名前だが」

「そっちの方が親しみがあるからそう呼んでるだけだ」

「それにしても中国人かね」

「……何か文句でもあるのか? お前のトラブルを解決してやろうとしてるんだが?」

 そうなのだが。やむを得ん。背に腹は代えられぬ。


 それから眼鏡はまた電話をかけて、何やら話し込んだ。少し時間が経ってから、眼鏡のスマホにまた着信があった。しばし画面を見てから、満足したようにポケットにしまう。


 そしてウーとかいう男がやってきた。小柄でにこやかな男性で、確かにそうと言われなければ日本人に見える風貌だったが、目元の辺りに何となく大陸を思わせる雰囲気があった。


「仕事中でしたけど無理矢理有休とって来ましたよ」

 笑いながら、ウー。

「急いで私に聞きたいことがあるとのことでしたが?」

「二人の手を見て欲しい」

 眼鏡が私と孝彦くんを示す。

「共通点を見つけて欲しい。なるべく早く頼む」

「はいはい。掌を見せてください……」

 言われるまま、私と孝彦くんは掌を見せる。ウーとかいう男が、私の手に触れまじまじと見つめる。

「何だか占いみたいですねぇ」

 春風堂のご主人。私は一度もその手のサービスを利用したことはないが、確かに言われてみれば、何となく。


 しばらく私たちの手を見てから、ウーとかいう男が告げる。

「分かりました。お二人は特徴的な手をしています」

 にこやかに、男性が続ける。

「色労紋と貧心紋という掌紋が、かなり濃く見られます。ちょっと神経質なのでは? 家族のことに悩んだり、人付き合いに悩んだり」

 どうやら私に訊いているらしい。

「何だねこれは」

 眼鏡に質問を流す。

「手相だよ」

 訳もないように、眼鏡。

「西洋式や日本式じゃない。中国古来から伝わる占いだ。そんなことはいいから訊かれたことに答えろ。神経質なところは?」

「まぁ、あるっちゃあるかもしれないがね」

 実際孝彦くんなんかは人付き合いに慎重で、関わる相手は選ぶ傾向にある。私はそういうところを気に入っているのだが……。

「変業紋も濃いですね。家業を成功させるタイプだ」

 それと……とウーは続ける。

「井字紋もハッキリしてる。人から注目を集める」


「よし、二人の手相には共通点があるんだな」

 眼鏡が続けざまにウーに訊く。

「はい。かなりはっきり見えるので強い特性だと思います」

 ウーが続ける。

「お二人の雰囲気を見るにも、この手相の特徴と本人の特性とは大きく差異がないと思います。確かに神経質そうだけど、家業を成功させてそうだし、人からの注目も集めそうだ。政治家だったり、地主、あるいは町内会のリーダーとか、何だかそういう……」

 言われてみれば一度市議会委員に立候補しないかと打診を受けたことはある。町内会のリーダー、というほどでもないが、町のことを決める時は大抵私に何かしら報告がある。何より私は、古くからの土地を持つ地主だ。


「この画像を見て欲しい。何か特徴は?」

 と、眼鏡がスマホの画面を見せた。どうやら人の掌の画像らしく、二枚あった。

 ウーが答える。

「こっちの手は今ここにいるお二人に似ています。貧心紋がハッキリ出ている」

 ウーが片方の画面を示す。それから、もう一枚の画像に向かってまた一言。

「でもこっちの掌は、美禄紋が濃いこと以外は特にこれと言って注目すべきポイントもない手相ですね」


「なるほどな。よし、次の手だ。車を出せ」

 眼鏡が私たちに指示を飛ばす。

「この辺の百均はどこだろうな」



 紙粘土。それにシリコンシーランド。何だか分からん銃型の道具。

 場所は受川さんの稲荷の本殿だった。藤は相変わらず苦しそうで汗と涙でぐちゃぐちゃの顔をしている。嘉穂は緑逸を抱いて困った顔をしている。受川さんはいくらか持ち直したのか、顔色は悪いが足元はしっかりしている。眼鏡が指示を飛ばしてくる。


「受川くん、ぬるま湯を用意してくれ。おいお前ら。粘土に手を押し当てろ」

 お前ら、と呼ばれたことは癪だが、言われたままにする。

「よし、その型にシリコンを流し込むぞ」

 眼鏡が銃型の道具にシリコンシーランドを装填して、私たちの手形にシリコンを流し込み始める。

「少し時間を置く」

 私は何をやっているのか眼鏡に訊ねることにした。

「何だねこれは」

 しかし眼鏡はつれなく返す。

「黙ってろ」

 そう言われては何も言えない。さっきからこの男の言いなりなのが堪らなく不愉快だが。


 しばらくして、シリコンが乾いてから、眼鏡はお湯に粘土の型を浸してごしごしとシリコンから粘土を剥がし始めた。こうして私と孝彦くんの手形の、立体的なシリコン像が出来上がったことになる。


「よし、おばさん」

 どうやら藤を呼んでいるようである。痛みに喘ぐ藤が顔を上げた。眼鏡が真っ直ぐに私たちの手形を示す。

「その手形に触れてみろ」



 かくして藤は激痛から解放され、私たちにかかった呪いは部分的にだが解消された。私は眼鏡に言われた通り、天邪写を処分することにした。嘉穂に手伝わせ、庭で一斗缶の中に火をおこし、そこに天邪写を投げ込む。

 すべて燃やしきるのに十五分ほど。しかし天邪写は完全に灰になった。その頃になって、緑逸が。


「お腹空いた」

 緑逸の口から「天邪写」以外の言葉が出た。

「ああ、緑逸、緑逸」

 私は孫を抱く。

「お腹が空いたね。何を、何を食べようか」

 そうして私たちの家族から天邪写の呪いは綺麗になくなった。私は受川さんに感謝の電話をした。


 と、一通り落ち着いてから、私は眼鏡のことを思い出す。藤に向かって「手形に触れてみろ」と指示した後、藤が手形に触れた瞬間、ケロッとした顔を見せたのだ。

「痛くありません」

 藤が驚いていた。

「痛くありません」

 二度続いた彼女の言葉に、眼鏡が息をつく。

「やったか」

 続けざまにもう一言。

「絵を騙せた」


「絵を騙す?」

 私は受川さんに訊いた。

「どういうことかね」

「狐井のことですから、何かアイディアがあったのでしょう」

 受川さんが眼鏡に訊く。

「どういう理屈だい?」


「天邪写は、すごく分かりやすく言うなら『大雑把な指紋認証』だ」

 と、私と孝彦くんの手形を示す。

「手相だ。『天邪写』か、『天邪写に呪われた人間』のどちらかに触れた相手の手相が特定の紋だった場合、その手の持ち主に呪いを移す」

 言いたいことが何となく分かってきた気がした。

「手相で呪う相手を特定している呪物なのかね?」

「そうだ。無機物有機物問わずにな」

 それから眼鏡は私たちの手形を示す。

「婿さんとじいさん、どっちかが上手くいかなかった場合を想定して二人分手形をとったが、片方でよかったな。お前らその手形には触れるなよ。嘉穂さんだっけか。彼女に処分させろ」


「待て待て、何で嘉穂は平気だったんだね」

 すると眼鏡はスマホを取り出し画像を見せた。

「これは嘉穂さんの掌だ。受川くんに頼んで掌の画像を送ってもらった。それでさっき、ウーに見せたな。この掌に対する評価は、『美禄紋が濃いこと以外は特にこれと言って注目すべきポイントもない手相』だ」

 続いてこれは……と別の画像を見せてきた。

「そこのおばさんの掌だ。『貧心紋がハッキリ出ている』という評価だったな。この貧心紋、って言葉に覚えはないか?」

 ある。そう言えばあのウーとかいう男が私と孝彦くんの手相を見た時、「貧心紋が出ている」と言ったような気がする。


「多分、だが」

 眼鏡が顔を曇らせてから続ける。

「この貧心紋ってのが濃い相手に呪いを移しているんだな。だから血縁関係にないじいさんと婿さんの間で呪いが移ったし、同じく貧心紋が濃いおばさんにも呪いが移った。嘉穂さんは貧心紋が濃くないから呪いが移らずに済んだ。手相は生活や習慣が出る。遺伝しない。だから嘉穂さんは平気だった」

 そういうわけで……と眼鏡は手形を示した。

「お前らの手形をとって、それをシリコンの像にした。この像に呪われた人間が触れれば、像に呪いが移る。像に痛覚はないから、どれだけ痛めつけても問題ない。今、呪いはこの像に閉じ込められている」


 なるほど言いたいことが分かってきた気がした。

「絵を騙す、とはそういうことか。絵に『呪うべき対象を誤認させている』」

 何だかスパイ映画を思い出した。掌で認証するような機械に、特殊な手袋を当てて通り抜けるような。


「ガキンチョの呪いは天邪写を焼くなり破くなりして処分すれば何とかなるだろう」

 これで解決だ、と眼鏡は息をついた。

 受川さんが嬉しそうな顔をして眼鏡に近づく。

「さすがだね。また命を賭けることになるかもしれないと、ずっとひやひやしていたよ」

 眼鏡が、何だか暗い表情でつぶやいた。

「あんなことはもうさせない。誰にも。絶対に。負の連鎖を断ち切るんだ」

 受川さんが眼鏡の背中に触れた。

「よく頑張ったね、狐井」


 かくして私たちは天邪写の呪いから解放された。孫の緑逸も助かり、私たちの日常にはまた平穏が訪れた。


 それにしても、と私は思う。

 天邪写。あの呪い。激痛には覚えがあった。かつて私が蔵の中にあった秘蔵の酒を飲み、祟られた呪いと同じ痛みだ。

 同じ呪いが二度も私の家に。


 何かあるのだろうか。私の家の、繋がりに。

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