5-3. 掌
「どうするのがいいだろう、狐井」
息も絶え絶えの受川さんが眼鏡の男に問うた。
「どうもこうもこのままだとこのおばさんは痛みで死ぬしこのガキンチョは永遠にその天邪写とやらを探し続ける。多分、だが……」
眼鏡の男が自らの顎に手を当てた。
「子供を媒介にする呪いなんじゃないか? 絵に触れた瞬間激痛が走ったって言ったな。そして天邪写を求めるようになったこのガキンチョ……。多分、本来は子供が最初の犠牲者になるはずだったんだ。で、子供を助けようとした親に呪いが伝播、以降触れたものを順々に……」
「嘉穂はどう解釈されますか。この子は私に触れても、孝彦くんに触れても呪いの影響を受けなかった」
私が一応丁寧に訊くと、眼鏡は笑った。
「そんなの知るか。呪いには条件があって、その娘さんとやらは条件に合わなかったんだ。例えば、あんたの子供じゃない……間男の子とか?」
「そんな……」
嘉穂が狼狽える。
「私はお父さんの子です」
すると眼鏡が意地悪に笑った。
「……気づかないようだから教えてやるが、血筋が呪いの条件じゃないことは孝彦とかいうそこの男性が証明している。婿さんだよな? じいさんを助け起こそうとして呪いが移ったのは」
確かに、血筋が呪いの条件だったとした場合、私から孝彦くんに呪いが伝播したのはちょっと理屈が通らないことになる。
「婿さんから家政婦さんに呪いが移ったことから、血筋じゃなくて家族に呪いが移る説も否定できるしな」
「何が条件なのだろう。早めに突き止めることはできるかい」
受川さんの喘ぎ喘ぎの声に眼鏡が答えた。
「善処する。受川くんは呪われてるおばさんと、ガキンチョの面倒を頼む。おばさんからガキンチョに呪いが移ると困るから、念のため嘉穂さんとやらも置いていくか。残るは野郎共だな。おい、車を出せ」
眼鏡の横柄な態度に孝彦くんはまたも閉口した。しかし私が指示を出す。
「どこへでも行こう。この呪いがおさまるなら……」
「あのなぁ、言っておくが……」
眼鏡が私の顔の前に人差し指を突きつけた。
「おたくの間抜けっぷりにはもううんざりしてるんだ。以前も呪いを解いてやったのにどうしてまた……」
「狐井」
受川さんが静かに諭した。
「『末代まで……』という言い方があるね」
眼鏡が黙る。
「きっと、そういうことなんだよ」
「おたくらの先祖、何かやらかしてないか?」
眼鏡の質問に私は答えた。
「私たちの先祖は古くから私たちの暮らしている港町を治めていた地主だ。余所者から町を守り、常に町の発展と繁栄に貢献してきた……」
「似たような呪いが先祖に出た話はあるか?」
私は記憶をたどる。
「いや。私の書斎には代々の家長が残した目録があって、それに目を通したこともあるが、こんな呪いの話はどこにも……」
「この代にだけ突発的に現れた、根が深く、そしてコミュニティをまとめて陥れられる呪い」
眼鏡が端的にまとめた。まぁおおよそ、そういう風に言うことはできた。
「呪物を手に入れたところまで遡るか。おい、車出せ」
眼鏡に言われるがままに、移動をすることになる。
嘉穂に緑逸を任せ、藤の面倒は受川さんに見てもらい、ひとまず私と孝彦くんは、眼鏡の指示に従う。
奴に顎で使われるのが癪だったのだろう。
本殿を出る時、孝彦くんが大きなため息をひとつ、ついた。
*
まず真っ先に春風堂に向かった。あの天邪写を購入した場所だ。
「おやおや、これはこれは」
春風堂のご主人は店先に私の姿を見るや、にこやかな顔をしてやってきた。
「お連れさんとは珍しいですねぇ、息子さんですか?」
孝彦くんと眼鏡を示して。私は難しい顔をする。
「こっちは義理の息子だがそっちは何でもない」
すると眼鏡が噛みつく。
「何でもないならご協力もここまでだな」
「分かった。分かった」
私は何とか眼鏡の機嫌を取る。
「頼む。もうおたくしかいないんだ」
「あまり穏やかじゃありませんねぇ」
春風堂のご主人が顔に影を作る。
「何か悪だくみでもなさってるんですか」
「率直に訊こう。こちらの事情を説明するのも手間だ」
眼鏡が一歩出た。
「天邪写って絵をこいつに売ったのはあんただな?」
ご主人の顔の影が濃くなる。
「ええ、お売りしましたが」
「あれがいわくつきなのは知ってたか?」
「いわくですかね」
ご主人が少し目を泳がせる。
「存じませんねぇ。確かに不気味な絵でしたが」
「こんなこと、言いたくはないんだが……」
私は春風堂のご主人の耳元に口を寄せる。
「呪われたんだ」
ご主人はぽかんとする。
「はぁ、呪い」
「何でもいいんです、お願いします」
孝彦くんが頭を下げる。
「あの絵について知ってること、何でも話してください」
するとご主人は困惑の色を浮かべた。
「あの絵に関して知ってることを何でも、と申しましても。何でもは話せませんよ。取引の内容は私とお客さんの間でしか共有できませんし、誰から売られたものか、なんてことはねぇ。まぁ、強いて言うならいつ頃うちに来たか、くらいは話せますが」
「いつ来たんだ」
私の問いにご主人が答える。
「二週間ほど前です」
確かに前回春風堂に来たのは一か月前。あの時はなかった。
「どんな些細なことでもいいんです」
孝彦くんが懇願すると、眼鏡がまた一歩出て質問をぶつけた。
「あの絵を売る時、売り手がどんな様子だったか、とか、何かしゃべっていたこと、とか」
するとご主人が考え込むような顔になった。
しばし全員黙る。
「ああ、そういえば」
ご主人が手を打つ。
「手を見られましたね」
「手?」
「ええ。掌を」
ご主人がすっと手を出す。
「じっと、ね」
「掌……」
眼鏡がぽつりとつぶやいた。腕を組み、顎に手を当て考え込む。それから不意に、何か分かったような顔になった。
「ちょっと待ってろ」
懐からスマホを取り出す。それから眼鏡は、どこかへと電話をかけた。私たちから少し離れて、それもかなり小声でのやりとりだったが、開口一番の言葉だけは何故か私の耳に飛び込んできた。
眼鏡はこう言っていた。
「ウー、今平気か?」
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