4-5. あれ

「あれって何?」

 私が訊くとコンさんは深刻な面持ちのまま答えた。

「美咲の命を奪った呪物だ」

「美咲の……」

 と、言いかけて私はある単語を思い出す。

「狐眼?」

 コンさんは黙った。普段おしゃべりなコンさんが黙ったということは、そういうことだ。

「触凶らしい」

「触凶?」

「『凶に触れた』だ。誰かが呪物に……狐眼に触れた。そしてそれが動き出した。『触凶』は言うならば『時限爆弾のスイッチが入った』だ」

 そんな、と私は息を呑む。

「本当に狐眼なの? 狐眼は美咲が封じたんでしょ?」

 正直さ、と私は息を継ぐ。

「人が呪いで死ぬなんて、信じられないよ。こんな世の中だよ? 電波で人と人が繋がって、宇宙の果ても海の底も、何となく分かり始めてきた現代で、呪いとか、幽霊とか……」


 そう。この発言はとても、ついこの間まで「つけっぱなし」の幽霊に苦しめられていた人間が言うものとは思えなかった、が。

「でも実際美咲は不自然な死に方したし、私だって不思議なもの、それこそ今回の『つけっぱなし』とか、美咲関連のことも、色々あったけどさ」

 頭の中がいっぱいになる。とにかく、と深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。

「超自然的なものの中にもことわりってものがあると思うわけ。狐眼は美咲がもう封じたんでしょ? 封じたものがまた悪さをするなんてことあるの? あるにしても、何らかの前触れとか……今になって急に、起こっちゃいました、なんて連絡が来るのっておかしくない?」


「ふたつ、可能性がある」

 コンさんの表情は硬かった。

「ひとつ、見逃していた狐眼があった。不発弾が見つかったようなものだな。今回の触凶は誰かが今まで見つかってなかった狐眼に触れたことで起こった。ふたつ、誰かがまだ狐眼をやっている。誰かが爆弾を作り続け、そしてそれが作動している」

「……もうひとつ、可能性あるよね」

 私の言葉に、コンさんは焦った顔を見せた。私は静かに、でもはっきりと、続けた。

「『見逃していた呪物があった』かつ『誰かが狐眼をやっている』」

「あり得る」コンさんは唇をぎゅっと結ぶと繰り返した。「あり得る」

 コンさんはつぶやき続けた。

「触凶は『起こったこと』の感知しかできない。いつ起きたか、どこで起きたか、何件起きたか、詳しいことは受川くんに訊いてみないと分からないか……」

 複数の狐眼が見つかり、そのどれか、あるいは全てに誰かが触れ、呪いが発動し始めている。もしそうだとしたら、想定しうる範囲で最悪の事態だった。もちろん、現段階ではまだ、見つかった狐眼はひとつで、対処も比較的簡単な段階なのかもしれないが。


「ねぇ、そのさ、神様に訊いてみることはできないの? 狐眼って、やっぱり狐の神様に関連した呪いなんでしょ? 美咲のいた神社って狐の神様を祀ってたよね? 神様経由の呪いなら神様に訊けば……」

 私の提案に、コンさんは難しい顔をした。

「知っていたとしても、教えてはくれないだろうな。神様は何があっても中立だし、人間の契約でもそうだが、契約の基本的な情報は契約者同士でしか参照できない」

 心霊現象って変なところ理屈っぽいんだから。そうは思ったが私にはどうしようもできない。

「行かなきゃ」

 コンさんが立ちあがった。彼は無造作に五千円札を一枚、テーブルの上に置いた。

「いいよ。ここは私が払っておくから」

「……最期になるかもしれないから奢らせろ」

「変な冗談言わないでよ」

 私は五千円札を掴むとコンさんの手に押し付けた。

「何とか触凶を終わらせて。そして私とまた、パンケーキを食べて。美咲の話、思い出話、いっぱいしよう。約束だよ」

 眼鏡の奥で、コンさんの目が鈍く光った気がした。それが吉兆なのかどうなのか、私には判別しかねた。

「じゃあ」

 コンさんが去る。パリッとしたスーツ。肩のライン、背中のライン、美しく見える。でもその後姿が、何だか蜃気楼のように揺らいで見えた。

 神様、どうか……。そう願わずにはいられなかった。



「そうですか。問題の現象は起こらなくなった、と」

 不動産屋。三橋さんに報告すると、彼はホッとしたような、狐につままれたような、そんな顔をした。

「ひとまず今回はこれで解決したとして、今後も同じような現象は、起こらないものなんでしょうか……」

 私は素直に答える。

「分かりません。何でも生霊みたいで……生霊飛ばしている当人が変われば現象も変わるでしょうし、一応希望的観測をしていいのではないかと思いますが」

 三橋さんは渋い顔をする。が、頷くより他ないだろう。

「そうですか。あの、もしまた同じようなことがあの部屋で起きた時のために……」

「コンさんの連絡先ですか?」

「コンさん?」

「彼の名前です。本名は隠したがっていて、そう呼ばれたいらしいんです」

 私は何とか笑みを浮かべながら続けた。

「彼にコンタクトをとりたかったら、隣町にある、小学校裏手の稲荷神社に行ってください。白い鳥居のお稲荷さん。多分、地元の人に訊けば分かると思います」

 そうですか、と三橋さんは頷く。

「もしよろしければ、その、コンさんという方に、私共もお礼を申しておりましたとお伝えいただくことは……」

「ええ、もちろん」

 私はにこやかに応じた。

 でも本当は、心配だった。私が三橋さんたちのお礼を彼に伝える機会はあるのか、彼は無事に呪いを解けるのか、そして……。

 彼にまとわりつく運命に、決着がつくのか。



 家に帰った。どの部屋も暗い。電気は家を出る時に消したままだ。家中が薄暗いことに安堵しながら、私は真っ直ぐに本棚に行くと、一番下の段にしまってあるアルバムを手に取った。

 美咲とは、大学時代からの付き合いだった。

 学生時代、私たちは二人でよく旅行に行ったものだ。免許合宿も二人で行った。ゼミも一緒だし、何ならルームシェアをしようなんて話もあったくらいだ。何から何まで一緒だった。思えばあの頃から、美咲はちょっと不思議な子だった。普通だったら警戒心が強いはずの野良猫や野生の動物たちが、美咲のところにはのんびりやってくる。彼女と旅行に行く日は大抵いい天気だったし、くじ運も強くて、彼女が当てた懸賞旅行に二人で行ったこともあるくらいだ。


 アルバムを開く。二人の写真。二人の笑顔。懐かしくなってページをめくり続けていた、その時だった。

 最後のページ。

 私が美咲と、最後に撮った写真のページ。

 卒業式。袴姿の二人。私のセルフィー。だからどうしても私の顔が大きくなってしまう、のだけれど……。

 美咲の顔。その部分だけが。

 渦に飲まれたように歪んでいた。ひしゃげた笑顔が潰れたトマトを連想させて、私は思わずアルバムを落としそうになった。


「美咲……」

 声が出る。その時。

 パチリ、とどこかで、電気のスイッチが入るような音がした……気がした。


――『つけっぱなし』 了

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