4-4. 呪い
お礼も兼ねて、コンさんを近場のカフェに誘った。ああ見えて甘いものに目がない彼は、評判のスフレパンケーキを美味しそうに食べていた。
「で? どうしてつけっぱなしの幽霊にストーカー対策が効くと分かったの?」
本題。私はそれが知りたかった。
するとコンさんはパンケーキを一口頬張って話し始めた。
「まず今回の件は生霊だ。具体的な根拠はないが、ひとまず自殺や殺人などの曰くがあった物件じゃなく、しかし部屋という空間に縛り付けられた地縛霊というところから『死んでないのに部屋に縛り付けられている幽霊』=生霊と安直に考えてみた。そこからスタートだ」
コンさんはスフレパンケーキをフォークの先で突いた。
「隣の住人いたな。矢川とか言ったっけか」
坊主頭のタンクトップ。あの人、仕事は何をしているのだろう。
「あいつは不動産屋、それもアパートの建設時から関与しているようなところが把握していない心霊騒動について知っている風な口を利いたな? 『今度は何日も持つかな』。まるでお隣の二〇二号室が曰く付きの部屋であることを知ってるかのような物言いだ」
ここで現象面を整理するぞ、とコンさんはフォークを一旦置いた。
「前の住人が立て続けに二回、短期間で引っ越しをしている。ただそれだけなんだ。別に不自然なことじゃない。そういうことなら普通に起こり得る。なのにそれが『何日持つかの耐久戦の結果』、『仕方なく住人が出ていった』ことを知っている。こんなことを把握できるのは原因を作った当人に他ならない」
「な、なるほど」
私が驚きながら頷いているとコンさんはさらに続けた。
「ここからは完全に推測になる。特に根拠はない。だが結果として効果があったのだから、かなり的を射ているのだと思う」
そう断ってから、続ける。
「あの矢川って男、過去に二〇二号室に住んでいた女性に恋をしていたんだと思う。実際不動産屋が言うには矢川ってのは『二〇二号室の前回の入居者と前々回の入居者の入居期間を足したのよりも長く住んでいる』そうだな。多分三人前の入居者も女性だったんじゃないかな。その人に恋をしていた、と仮定する」
ゴミ捨てのタイミングとか、廊下で出くわしたタイミングとかで挨拶している内に惹かれていったんだろ。コンさんはそうつぶやいてから話を続ける。
「お隣であること以外に接点がない男性が、意中の隣人女性を感じることができるポイントは生活を感じる要素だけだ。生活音、そして、『部屋に明かりがついてるかどうか』」
おそらく、と断ってからコンさんは続ける。
「仕事帰り。隣の二〇二号室に明かりが灯っているのを見て、二〇一号室の矢川は『ああ、今日も隣に彼女がいる』と恋心を燃やしていたんだろうな。明かりがついている。今日もいる。明かりがついている。今日もいる。そうやって恋心を積もらせていった。その気持ちがやがて『二〇二号室に明かりを灯している女性』への執着に変わっていった」
「え、キモ……」
正直な感想を口にするとコンさんは笑った。
「矢川にとって二〇二号室が思い出の場所になってしまったんだ。三人前の入居者、要するに矢川が惚れていた当人だな。彼女がいなくなった後も、二〇二号室の窓に明かりが灯っているのを見てはかつての恋を思い出して感傷に浸っていたんだろう。その念がやがて生霊になった。『俺が見に行った時はいつでも明かりが灯っている二〇二号室であってほしい』から『いつでも明かりが灯っている二〇二号室であってほしい』に変わっていった。『隣室の女性へのストーカー』から『隣室へのストーカー』へと変貌していったんだな」
だからつけっぱなしにしておきたかった。コンさんはそう続けた。
「この生霊を退散させる方法はいくつか考えられる。隣人が女性であることに反応しているのなら、男性の影をちらつかせればいい。だから僕が夫のフリをして引っ越しの挨拶に行った。だがこれだけじゃ不十分な場合がある。人妻だと却って燃え上ってしまう可能性もあるしな。そこで、隣人の女性そのものに対して嫌な気持ちを抱かせることにした。具体的には怒鳴り声や煙草の臭い。誰だって隣から品のない怒鳴り声が聞こえてきたら迷惑だし、煙草の臭いが洗濯物に移ったら嫌な気分になるものだ。そうやって『隣室の女性へのネガティブな印象』を植え付けることで恋慕という感情を打ち消していった。矢川にとって『つけっぱなしである必要性』がなくなっていった。だから生霊も姿を現さなくなった」
いつの間にか、コンさんのスフレパンケーキは最後の一口になっていた。それを口に運んだコンさんが笑う。
「その内矢川の方が引っ越したりしてな。そうなったら見ものだが……」
「それ私がやばい奴みたいになってない?」
「そう思い込ませることで悪霊を退散させた」
「ちょっとひどくない?」
でもまぁ、解決したからいいか。そうつぶやいて、私はコンさんの顔を見る。
「どう? 美咲のことは。もう立ち直れたの?」
途端に、彼の表情が強張る。でもこれは、避けて通れない話題だから。
「あなたが美咲を心から愛していたのは知ってるけど、あんまり気に病み過ぎるとそれこそ美咲の魂を……」
「この世に縛ることになる」
最後の方はコンさん自身が告げた。それは何だか恐ろしいことを口にしているようで、私は彼の深刻な表情に少しゾッとしてしまった。
多分、だけど。
今のこの表情を見て分かった。コンさんは何かした。何かした結果、美咲にも、コンさんにとっても悪い何かが起こっている。
「……何かしたの?」
おそるおそる、訊いてみる。秘密主義のコンさん。でも彼も、もしかしたら私になら、何か話してくれるかもしれない。
「話せるなら話して。すっきりするかもしれないし」
「すっきりはしない」
コンさんはきっぱり告げた。
「すっきりはしない。何があっても。僕はそういうことをした」
「そういうことって?」
黙る。だがやがて、意を決したように。
「反魂香って知ってるか」
「はんこんこう?」
「反対の『反』に『魂』、お香の『香』」
「知らない」
「読んで字の如くだ」
想像はついた。もしかして、その反魂香というのは……。
「死んだ人を呼び寄せる?」
私が訊くとコンさんは沈黙した。多分、肯定の意味だ。それから彼は、ため息と一緒に告げた。
「煙の中に亡者の姿を見ることができる」
「使ったの?」
すると彼は頷いた。
「使った」
「美咲に会ったの?」
少し渋ってから彼は頷いた。
「会った」
「美咲が死んだ理由、知ってるよね?」
私が強く言うとコンさんはまた沈痛な面持ちで頷いた。
「知ってる」
「もし、美咲の魂に何かあったら……」
「知ってる」
でも、とコンさんは告げた。
「美咲は自分の魂の力であれを封じ込めた。だからこの世に美咲の魂の力を引っ張ってくれば、あれを永久に封じ込めることも可能かもしれない……そう思って、僕は反魂香を使った」
「結果はどうなのよ」
「悪い影響が出た」
私は失望の意味を込めて深いため息をついた。
「何とかならないの」
「何とかしてもらった」
「誰に」
「あの神社の神様に」
「あの神社って」
「美咲がいた神社だ」
美咲のいた神社。受川さんの神社。あの神社は唐人の作った社だ。そう思って気づいた。美咲が死んだ理由。それから、あの神社が祀ってる神様。
「関係があるの? 美咲が死んだ理由と、受川さんの神社の神様」
「同じ動物だからな」コンさんは静かだった。
「関係あるだろうな」
「じゃあ、美咲が祓った呪いって神様が呪ってるってこと? それじゃあなたが助けを求めても悪い方向にしか……」
「神様は中立だ。何があってもな。対価を払えばそれに見合ったものをくれる。それだけだ。呪いの術者は対価を払って人を呪った。呪いたい人に不幸が訪れるように願った。僕は迷える魂を導くという対価を払って美咲の魂をあの世に送ってもらった。美咲の魂の安寧を願った」
けど、と彼は続けた。
「反魂香の影響らしい。美咲はあの世とこの世を行き来しているみたいなんだ。僕が余計なことをしたから。僕が反魂香なんて……」
でも、気持ちは分かる気がした。だから私は黙っていた。
「去年、ウーという男にあった。
神様との直接取引。何だか失敗するとまずそうな雰囲気を、話の端から感じ取った。
「『迷える魂の導き』を対価に『美咲の魂の安寧』について提案してくれたのはウーなんだ。『神様は中立です』『対価を払えば願いを叶えてくれます』ってな」
受川くんは、とコンさんは続けた。
「あの神社という場所を提供してくれた。ウーが言うには狐仙を祀る神社だからうってつけだとのことだ。何よりもあの一件で美咲と一緒に呪いに立ち向かったのは彼だ。負い目があったのかもな。彼は僕の狐仙に願いを届けたいという申し出に応じて場所を提供してくれた」
「それで?」私はようやく口が利けた気がした。
「狐仙は喜んで僕の条件を聞き入れてくれた。等価交換。魂には魂。迷える魂をひとつ供えれば、妻の魂をあの世に導こう、と。僕は昔の仕事を活かして除霊をした経験があった。だからその時もうまいことやって一人の霊をあの方に供えた。すると反魂香で呼び寄せた美咲の姿が消えた。僕は安心した。でも……」
「でも?」
「反魂香は呼び出された魂だけじゃない。術者にも影響を及ぼす」
コンさんはまた、深いため息をついた。
「術者に対して死者への執着心をより強くする作用があるんだ。僕は前にも増して美咲に会いたいと願うようになってしまった。そしてその念が、美咲をまたこっちに呼び寄せた」
「じゃ、じゃあ、コンさんが今も除霊をしているのって……」
「常に対価を払うことで常に願いを叶えてもらっている」
ケーキのなくなった皿が冷えた気がした。お冷のグラスでさえ、余所余所しい。
「僕は美咲にひどいことをしているんだ……」
そんな、と言おうとして、手を差し出しかけた時だった。
テーブルの上に置かれたコンさんのスマホが震えた。その表示を見て、コンさんの表情が変わった。
「まずい」
深刻な様子だった。
「何がまずいの」
私が訊くと、彼は答えた。
「あれがまた見つかったらしい」
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