2-4. 思い出
沙織と出会ったのは小学校の入学式。
体調が悪くて子育てに専念できなかったとはいえ、さすがの入学式には私の両親も顔を出した。顔色の悪いお母さんと、同じくやせ細ったお父さんと並んで校門の前で写真を撮ったのを覚えている。もちろんばあちゃんも一緒に来ていた。病弱な父と母、そしてまだ幼稚園から上がったばかりの私と、三人の面倒を見なければいけなかったのは本当に大変だったと思う。それでも家族が大集合するのは何だかとても嬉しくて、私は式の間中、何だかそわそわしていたのを覚えている。三人で写真を撮った時も本当に嬉しかった。
でも、三人で写真を撮った直後、母の体調が悪くなった。実の娘の変化に敏感なばあちゃんがすぐに手を差し伸べて、父もすぐに休めるところを探しに動いてしまったので、私は一人で取り残された。私は子供ながらに……いや、子供だからか。ずっと母のことを心配して、でも何もできることがなくて、ばあちゃんと母の背後でおどおどしていた。そんなところに沙織のご家族が来た。「大丈夫ですか?」と。
結果として母は、ばあちゃん、父、それから沙織のご両親と私たち子供の計六名に連れられて保健室に連れていかれ、ひとまず容態を見てそのまま病院に行くことになった。私と沙織は子供同士、「仲良くなりなさい」と保健室の長椅子にちょこんと並べられた。
「わたし、長浜沙織」自己紹介は沙織の方からしてくれた。
「わたし、宮村美広」
「みひろちゃん!」
「さおりちゃん!」
それからのことはあんまり覚えていない。母のことが心配だったけれど、沙織が一緒に手遊びをしてくれたりおしゃべりしてくれたりしてくれたので何となく不安が紛れたのを覚えている。母の体調への不安と、新しい環境への不安がない交ぜになっていたけれど、沙織の明るさと優しさが、私の心を解きほぐしてくれた。お母さんが心配だけどみんながいるから大丈夫。学校で友達ができるか心配だったけど、沙織ちゃんがいるから大丈夫。そう思えた。沙織の存在は本当に心強かった。
それから私と沙織とはクラスが違ったけれど、廊下で会えば必ず挨拶をしたし、休み時間に一緒に遊んだりお話しすることもあった。三年生の時だったかな。同じクラスになれた時は本当に嬉しくて、一緒にぴょんぴょん飛び跳ねた。それから四年生で一旦また違うクラスになって、五年生で再び同じクラスに。五年生から六年生は持ち上がりなので、また沙織と同じクラスのはずだった。けれど沙織との三年目の同じクラスを過ごすことなくあの日の事件が起きてしまった。葬式のことはよく覚えていない。覚えていないといけないことなのに、何でだろう、まるで腕が片っぽ取れてしまったような気持ちになっていて、心が勝手に封をしてしまったのだと思う。もしかしたら沙織は、そのことで怒っているのかな。
小学校の卒業式では、私が沙織の写真を持った。沙織の卒業証書を受け取って、沙織の両親にそれを渡した。それから、私の個人的な感謝の気持ちも伝えた。沙織のおかげで学校生活が虹色でした、と。喜んでるのか悲しんでるのか分からなかったけど、ご両親は目に涙を浮かべながら私に「ありがとう」と言ってくれた。私としては、沙織という素敵な友達を生んでくれた二人の方に感謝を伝えたいくらいだったけど、それを伝えると何だか「ありがとう」の応酬になりそうで自重した。でも心の中ではずっと二人に頭を下げていた。
成長に伴う心の変化で不安定になりがちな十代の初頭を、特に大きな喧嘩もなく過ごせたのは本当に不思議というか、素敵な出会いだったな、と思う。毎日顔を合わせれば下らない話をして、訳もなく笑い合うことができて、だんだんと気になり始めた男子の話を、いかにも分かった風に話し合うことができた彼女の存在は、本当に本当に大きかった。私がこの街で働くことを決意したのも、私を毎日笑顔にしてくれた沙織が住んでいたこの場所に、笑顔の還元がしたかったから、というのが理由の一つにある。
沙織の笑顔はいつでも思い浮かべることができる。笑顔以外思い浮かばないくらいだ。そんな沙織が、沙織が……。
遊びに来たよ、って……。
あの頃はその言葉にいつも救われていた。ばあちゃんがいたとはいえ、両親から離れた環境にいるのはやっぱり、心の風通しが良すぎて冷たくなってしまう。そんな私の心を包んでくれたのが沙織の明るさだった。「遊びに来たよ!」。私が沙織の家に行くこともあった。でも沙織が私のところに来てくれることの方が圧倒的に多かった気がする。何でだろう。気を遣ってくれていたのかな。私、沙織に無理をさせていたのかな。だから今、こうして、あの頃と同じ言葉で、私を苛んで……。
……いや。
何か熱いものが胸に溢れた。
……いや、違う。沙織はそんなことしない。沙織はいつでも明るくて、私を支えてくれた。沙織が私を苦しめようとなんてするわけがない。私が沙織のことを信じなきゃ。だって大切な親友なんだから。現状がどうであれ、怖がって逃げちゃいけない。そう、逃げちゃいけないんだ。
親友の幽霊に苛まれる。そんな状況だったが、しかし私はかつての親友を、やっぱり絶対的に、信じることができた。だからだろう。コンさんがある助言を残して帰って、家に一人、眠ってしまったばあちゃんと残されても、希望の光を胸から消さずにいることができた。沙織ならきっと分かってくれる。沙織ならきっと私の言葉に耳を傾けてくれる。そんな自信があった。
けど。
あの時インターホンのカメラに映った顔が私の自信に揺さぶりをかける。
すりおろされた顔の皮膚。
砕けた白い頭蓋骨。
顔全体がひしゃげていて、どんな表情をしているのかも分からない。
ぼろぼろの歯。血まみれの口。
けど口調だけはあの時のまま。
ぴょんぴょん跳ねる。
「遊びに来たよ!」
何で遊びに来たんだろう。何か理由が……と考えて思い出す。事故があったあの日、私と沙織は遊ぶ約束をしていた。だから? でも……。ふと近くにある電話を見る。
あの日、おそらく沙織が事故に遭ったであろう時間、ここに電話があった。
「ごめん。遊べなくなっちゃった」
そうだ。あの日、沙織は私に「遊べなくなった」ことを教えてくれて……。
ピンポン。
チャイムが鳴った。
高らかな、何だか心躍ってしまうような、まるであの日のような、そんなチャイムだった。怖がるべきなのだろう。幽霊につき纏われている人間としては、ここで悲鳴のひとつでも上げるべきなのだろう。しかし私は、そういうことは一切せずに、目を伏せ、あえて画面は見ないようにしたまま、静かに受話器をとった。小さく呼吸をする。それから「はい」と応えて顔を上げた。途端に、画面いっぱいに映る。
ずたずたの顔。
砕けて尖った骨。
何も入ってない眼窩。
破けた頬。そこから見える歯。
服装はあの時と同じ。メゾピアノのパーカー。
ぴょんぴょん跳ねる。
そんな女の子が言う。
「遊びに来たよ!」
沙織の声で。昔と変わらない、元気な声で。
「遊びに来たよ!」
思わず私は涙ぐむ。でもこっちが泣いていることは気取られぬよう、息を止めながら答える。
それはコンさんからもらったアドバイス。
こう返してやれ、と言われたアドバイス。
「うん。遊ぼう」
私はなるべく楽しそうに続ける。
「学校の裏の神社に集合ね!」
するとインターホンの向こうの沙織が答えた。
「分かった! 先に行って待ってるね!」
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