2-3. こう返してやれ……

「一人で行くの、怖い」

 あんなことがあった後だから。

 例えそれが神聖な神社でも、一人で心霊的な場所に行くのは、躊躇われた。するとばあちゃんがよっこらしょと立ち上がった。


「まぁ、あの狐は欲深だからね」

 箪笥の方に行くばあちゃん。

「どれ、私も一緒に行って、きちんと話をつけよう」

 そういうわけでばあちゃんに連れられ、私は小学校の裏手にある、稲荷神社に行くことになった。



 小学校を見るのなんて久しぶりだった。

 何もかもがびっくりするくらい小さい。昔はあの体育館が大きな生き物みたいに見えたのに、今は「体育館にしては小ぶりだなぁ」なんて当たり前の感想しか抱かなくなっている。プールもグラウンドも何もかもが小さい。あんなところではしゃぎ回ってたんだ、私。

 そんな昔懐かしい小学校を尻目に、私とばあちゃんは山道をひたすら登って行った。息が上がる。若い私がこれだけしんどいのだから、ばあちゃんはもっとしんどかろう、と思ったのだけれど、意外とばあちゃんは平気な顔でえっちらおっちら階段を上っていた。やがて、着いた。


「お稲荷さんで白い鳥居ってのは珍しいんだよ。鳥居がいくつも並んでないで、ひとつしかないっていうのも珍しい」

 ばあちゃんがそんなことを言いながら鳥居をくぐる。作法なのだろうか。真ん中ではなく、端の方をこそっと、お邪魔しますよ、みたいな感じで通る。黙礼を忘れない。私も倣う。


「ほら、いた」

 ばあちゃんが前方を示す。

 巨大な銀杏の木が石畳の道を一部持ち上げていて、野生のたくましさを見せていた。その先に小さな賽銭箱。手前にある小さな階段の上に、二人の男が座り込んでいた。


 一人は神主さんらしい人。白い着物……あれ何て言うんだっけ……に身を包んだ、優しそうな方。談笑しているのだろう。時折楽しそうに笑っていらっしゃる。

 もう一人は何というか……都心で働くビジネスマンみたいな恰好をした人。仕事帰りに神社に来たの? みたいな。すごく綺麗なスーツにネクタイ。しゅっと線の細い、クールな見た目。銀色の細渕眼鏡をかけている。


「おや、宮村さん。……そちらはお孫さんですか?」

 私たちの方に気づき、神主さんと思しき男性が、顔を上げる。ばあちゃんがぺこりと会釈する。

「受川さん。こんにちは」

 それからばあちゃんは、神主さんの隣にいたスーツ姿の男性にじろっと目をやる。

「あなたも元気そうね」

 男性がニヤッと笑った。

「おかげさまでね」

 しかし……と、男性が告げる。

「僕がいる時間帯にここに来たってことは、そっちは穏やかじゃないってことだな」

 ばあちゃんがじとっとした目を彼に向ける。それからハッキリ、まるで宣戦布告みたいに、言い切った。

「あんたに頼みがあって来たよ」



 それから、多分三十分後。

 あのスーツの人が我が家に来ていた。我が家というのはつまりばあちゃんちで、私の両親が住む家というわけではなくて、だから神社からもすぐの場所で、頼みがある、と言ったばあちゃんの言葉も、すぐに聞き受けられて。


 眼鏡の彼が興味深そうに室内を見渡していた。ポケットに手を突っ込み、「自分は手の内を明かさないぞ」みたいな雰囲気で、じろじろと、ばあちゃんちの床を眺め、壁を眺め、天井を眺め……。

「宮村のばあさんにこんなかわいいお孫さんがいたとはね」

 私に。かわいいって、どういう意味だろう。

「真面目に働いてくれるんだろうね」

 ばあちゃんが男性を睨む。彼はひらひらと掌を振った。

「僕はプロだ。任せてくれよ」

 彼が何者か、と言われると、私は少し説明に困る。ただハッキリ分かることがある。彼は私がばあちゃんに連れられて行ったあの神社で、ばあちゃんから有り金を、すっかり巻き上げた男……。


「これだけある。孫を助けてくれないか」

 神社に行く前にばあちゃんが箪笥を開けたのは、どうやら通帳を取り出したからのようだった。ばあちゃんは神主の受川さんと、その隣にいた男性に通帳を示すと、さっきのように述べた。まず受川さんが答えた。


「受け取れませんよ」

 しかしスーツ姿の彼は笑った。

「ひょー。随分意気込んでるね、宮村さん」

「あなたが報酬なしで動かんことはちゃんと知っている」

 粛々と、ばあちゃん。

「これはやる。だから孫を……美広を……」

 しかしスーツの男性はつれなかった。

「どんな仕事をするかによって変わるからなぁ、報酬っていうのは」

 まぁまぁ、と受川さんが男性をなだめる。

「何もお金をとらなくてもいいじゃないか」

「別に僕はいいんだけどなぁ? お金をとらなくても」

 男性が、いやらしい目をばあちゃんに向けた。

「ただ、報酬が発生してないとクライアントもちゃんと仕事をこなしてもらえるか不安かなぁって」

「やる。その金は全部、あなたにやる」

 ばあちゃんは静かに続けた。

「だからどうか、美広を……」

「もらった分しか仕事はしない」

 ばあちゃんの目に一瞬、不安の色がよぎる。でも、すぐに固い輝きを見せた。

「それでいい。孫を頼みます。どうか……」

 男性はちょっと、考えるように沈黙した。それから頷いた。

「引き受けよう。任せろ」

 そしてこの時初めて、彼は名乗った。それはおそらく、私に向かって。

「僕は『Con』だ……コンさんと呼んでくれ」


 そしてそのコンさんが、今、うちにいる。

 聞き取りだ、という理由で。

 けど時間はもう、夕食時だ。辺りはすっかり暗くなっている。ご飯の支度……と思っていたら、ばあちゃんが急に苦しそうにした。


「えっ、ばあちゃん、大丈夫……」

「……大丈夫だよ。ただ山登りはちょっと堪えたね」

「寄る年波には勝てないか」

 コンさん。他人事みたいに。

「宮村のばあさんはもう休んだ方がいいな。お孫さん。布団敷いてやりなよ」

「えっ、あっ、はい……」

「古式ゆかしき女性だ。非常事態でも、寝間に男性が入るのは嫌だろう。全部君に任せるよ」

 コンさんは居間にあったソファにどっかりと腰かける。

「ごゆっくりー」

 そういうわけで、私はばあちゃんを連れ、寝る部屋に向かった。



 ばあちゃんを寝かせてから。

 私が居間に戻ると、コンさんがソファの上で小さく欠伸をしていた。私は訊ねる。

「お腹、空きますよね。何か作ります……」

「あ、いやいや」

 コンさんが立ち上がる。

「依頼主からは報酬以上のものはもらわない。まぁ、夕食くらいご相伴に与ってもいいかもしれないが、しかし本件の直接の対象である君に何かをさせるのはよくない」

 コンさんはするりとジャケットを脱ぎ、カフスボタンを外すと、腕まくりをした。白いけど、しっかりとした男性的な腕が、露になった。

「冷蔵庫、開けてもいいかな?」


 そんなわけで。

 私はテーブルについて、ただコンさんが料理する後姿を見ていた。ダークブルーのシャツに、うちにあった萌黄色のエプロンをして、しゃかしゃかと卵を溶いている。実は冷蔵庫を開けた時に、がっかりされた。

「牛乳ないのか」

 あっ。口元を押さえる。そうだ、私買い物しないといけなかった。重たい荷物を持てないばあちゃんの代わりに食料品を買っておくのは私の仕事だ。牛乳を切らしていたのは私の落ち度ということになる。


「あっ、すみません……」

 と、言いかけたところで、コンさんが目を大きくした。

「君サラダにはコブサラダドレッシングをかけるの?」

 急に聞かれて驚く。でもまぁ、事実そう。

「えっ、あっ、はい……」

「宮村のおばあちゃんは胡麻ドレッシングとか好きそうだなぁ。メキシカンな味わいのコブサラダドレッシングは君の好みなんだね」

「はあ……」

 よくしゃべる人だな、この人は。


「ひとまず何とかなりそうだな。座っていたまえ。素敵なオムレツを食べさせてあげよう。キッチン借りるよ」

 そういうわけで、出てきたのは。


 卵の色、というにはちょっとオレンジっぽい、でも形は綺麗なアーモンド形の、オムレツ。ふわふわ、という感じではなさそうだけど、でも何だか、美味しそう。それが何と三人前。ばあちゃんの分も作ってくれたのだ。


「まぁ、おあがり」

 どっちが客なんだか分からなくなる。でも、目の前には。

「いただきます」

 おずおずと、箸でオムレツに切れ目を入れて、食べてみる。途端に驚く。美味しい。

 スパイス、だろうか。ちょっとピリッとした風味。でも舌触りはしっかりクリーミー。それにいい具合の半熟だ。


「プレーンオムレツを作る時に使う牛乳の代わりに、コブサラダドレッシングを入れた。コブサラダドレッシングにはスパイスがたくさん入っている」

 コンさんが私の様子を見ながらしゃべった。

「だからちょっと色味や風味が変わる。それにドレッシングは乳化してる液体だから、卵をまろやかにする……と勝手に僕は思ってる。根拠はない。でも、美味しいだろ?」

「はい。美味しいです」

 ついつい、パクパク食べてしまう。そして。

「ごちそうさまでした」

 箸を置く。何だかすごく、ホッとした。どうしてだろう。目に涙が滲む。


「怖い思いをしたんだね」

 コンさんが、静かに。

「具体的な話を聞いていないから、ひとまず整理がついているところから話してみてくれないかな」

「はい。えーっと……」

 私は、途切れ途切れに話す。コンさんは黙って話を聞いてくれた。

「『遊びに来たよ!』か」

 シャツにエプロンを巻いたまま、腕を組むコンさん。

「まぁ、遊びたいんだろうな。本人の意思かどうかは別として」

 そんな意味深長なことを言い放つと、コンさんは不意にエプロンを外し、カフスボタンを留めると、ジャケットを羽織った。それから玄関に行く。


「え、ちょちょちょ……」

 私は思わず声を出す。

「どこ行くんですか」

「家。僕んち」

 訳もなさそうに、コンさん。

「ここで僕ができることはない。むしろここに僕がいてはいけない。だって『君が一人の時に』その子は来るんでしょ?」

 あ、そうだ。言われてみれば……。

 最初の時もばあちゃんが留守だった。二回目はおそらくばあちゃんは眠っていた。三回目もばあちゃんは留守。私がこの家に一人でいる時に、沙織はやってくる。


「例えばね、決まった時間にやってくるお客さんだったら、待ち伏せは効果がある」

 説いて伏せるように、コンさん。

「でも条件が限られているお客さんだったら、こっちがその条件を作ってあげないといけない」

「えっ、でもそれって私、また一人で……」

「大丈夫」

 コンさんは革靴を履いてとんとんと爪先を打ち付けた。それから告げる。

「『遊びに来たよ!』だろ?」

 ニヤリ。コンさんは悪そうに笑った。


「こう返してやれ……」

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