『遊びに来たよ!』

2-1. 約束したのに

 両親が持病でとても育児をできる状況になく、私は幼稚園から小学校の間、ばあちゃんちに預けられていた。

 両親は週に一度、会いに来た。だから両親が親じゃないなんてことを思ったことは一度もないし、親を恨んだりすることもなく私は育った。


 でもやっぱり、私にとって「実家」は間違いなくばあちゃんちで、子供の頃の思い出や、私の昔の部屋があるのもばあちゃんちだった。中学への入学と共に両親の元へ帰った私は、ばあちゃんちのある町からは離れてしまったけれど、でも心の一部はずっとばあちゃんちにあった。


 だからだろう。二十二になって大学を卒業し、就職をするに当たって、私はばあちゃんちのある町で働くことを決意した。自分で部屋を借りるつもりだったのだが、学生時代で稼いだバイト代くらいじゃとても新しく部屋を借りる額なんてなくて、仕方なく半年ほどばあちゃんちで過ごすことになった。


 そういうわけで、春。私はばあちゃんちに引っ越した。最低限の荷物を持って、昔の私の部屋へ。そこはかつてのままだった。


 少し、埃っぽい。後で掃除をしなくちゃ、なんて思いながら小さいベッドと、学習机とを見た。そこかしこにキャラクターのシール。昔のままだ。

 タンスを開けると、昔着ていた服がたくさん出てきた。当時流行っていたメゾピアノのシャツにスカート、それに色褪せるまで着たパーカー。昔はみんなこのブランドの服ばかり着てたなぁ、と思い出す。仲のいい友達とお揃いのコーディネートをして仲良しごっこをしたりしてたっけ。ちょっと微笑んでから、この服はもう着ないから、と畳んで脇に置く。そんな作業をしばらく繰り返す。


 空っぽになったタンスを見て満足し、自分の荷物を一通り部屋の中に入れた頃になって、気づいた。


 学習机。机に棚が合体している造りだ。

 埃をかぶったかつての教科書の手前に、それはあった。

 写真立て。小さな、厚紙を折り紙みたいにして作った、本当に小さな写真立て。


 その中にあった写真を見て、胸が痛む。


 沙織。

 私の友達。

 遊ぶ約束をしてそれっきりになった、私の親友。



「美広、片付けは済んだかい?」

 おばあちゃん。今年で八十八歳。九十歳が目前に差し掛かっても昔と変わらず元気だ。家事はヘルパーさんに助けてもらっているみたいだけど、歩けるし、しゃべれるし、記憶力もばっちり。料理だってできる。今日は私のために特別に卵焼きを作ってくれるみたいだ。


 私はおばあちゃんの卵焼きが好きだった。甘い。でもほんのりとした甘さ。上品なのだ。和菓子みたい、とさえ思う。


「来週の木曜日だねぇ」


 食事の席。ばあちゃんがふわりと告げる。


「沙織ちゃんの命日だろう?」

「うん」

「お墓参りは?」

「行こうと思ってる」

「花を買わないとね」

「うん」


 沙織は十年前の春、まさに今頃、交通事故で亡くなった。トラックの居眠り運転が原因の事故で、当時は新聞に取り上げられたりもしてそれなりに話題になった事故だ。


 小学五年生が終わり、小学六年生になろうとしていた春休み。沙織と私は遊ぶ約束をしていた。

 終業式が終わった学校帰り。ランドセルを置いて、麦茶を一杯飲んでいた時、電話があった。沙織からだった。


「ごめん、遊べなくなっちゃった」

 沙織にしては珍しいくらい、掠れた、小さな声。聞き取るのが大変なくらいだった。しかし間違いなく、沙織の声だ。

「えっ、どうしたの?」

 すぐにそう訊いた。しかし返事はなく、電話は唐突にぶつりと切れた。変なの、と思ったのを覚えている。


 想像はつくと思うが、終業式後の小学生なんて暇の塊だ。当然友達と遊んでいないとやっていられない。その日、私はくさくさした気持ちを誤魔化すためにゲームをする方向に切り替えた。一時間くらい遊んでいた頃だろうか。ばあちゃんが帰ってきた。


「美広……美広……」

 呼ばれたので階段を降りて玄関へ向かう。玄関口で大慌てのばあちゃんを見てこっちもパニックになりそうだったのを覚えている。「どうしたの?」と訊くと、震える声でばあちゃんがしゃべった。


「くすのき通りで事故だって……」

「事故?」

「と、とら、トラックが……」

「トラック?」

 直後、決定的なことをばあちゃんが言う。

「沙織ちゃんが亡くなったって……」

 えっ、と言ったはずだが声は聞こえなかった。一瞬にして何かが崩れ去った。

「い、いつ?」

 慌ててそう訊く。ばあちゃんは息を整えながら答えた。

「一時間くらい前だって」



 墓参りには一人で行った。

 崖を切り崩して作った墓地。急斜面。本来なら車で来るようなところだ。それでも私は徒歩で沙織のお墓に向かった。小学生の頃のように、パーカーにスカート、という出で立ちで。


「やっほ」

 墓前に花を供え、線香をたく。風が吹いて、煙が揺らいだ。

「帰ってきたよ。この街で働くんだ」

 近況報告。

「あの時遊べなかったね。ごめん。私気づかなかった。沙織が事故に遭ってるなんて」

 そう、本当を言うとそれは、分かりようがないこと。

 でも分かりたかった。沙織からの電話が……多分、この世からかけたのではないと思われる電話があったあの時、何かあったのではないかと、沙織のことを気遣っていれば、呑気に部屋でゲームをやっている時に沙織の訃報を聞くなんていう事態に、ならなかったんじゃないかと……。

 ほんの少しの後悔。誤魔化すようにため息。それから立ち上がる。もう一度手を合わせて、墓地を立ち去る。

 ばあちゃんは今日、病院だ。家には私一人になる。

 沙織に会えてよかった、と思う。この街にやってきた理由の一つが、これだから。



 帰宅すると、何となく喉が渇いた私は冷蔵庫を開けて麦茶を飲んだ。市販のものじゃない、ばあちゃんが薬缶で淹れた麦茶は香りが豊かで本当に美味しい。過ぎ去りし小学生時代を思い出して、何となく笑った。チャイムが鳴ったのはその時だった。


 ばあちゃんちのチャイムはつい最近新しくしたものだ。それまでただピンポンとなるだけで、受話器を使って外とやり取りすることさえできなかった代物だったのが、両親の意向で数年前にカメラ付きの最新型に切り替えた。だから音もうるさすぎないし、どんな人が来たのかも目視できる。私はばあちゃんちに不釣り合いなくらい洗練されたデザインの受話器を手にとった。


「はい……?」

「……たよ!」

 受話器の音割れだろう。頭の部分が聞き取れなかった。私は聞き返す。

「はい?」

 カメラが映す映像を見る。どうも小柄な人が来たようだ。画面の端に頭のようなもの。映り切っていない。

「……来たよ!」

「来た?」

 意味が分からなくて相手の言葉を繰り返していると、やがてしびれを切らしたように、声の主がぴょんと跳ねた。

 そうしてカメラの中に映ったそれを見て、私は絶句した。取り落とした受話器から、微かに声が聞こえてくる。


「遊びに来たよ!」


 カメラに映っていたもの。ぴょんと飛び跳ねたそれ。

 メゾピアノの服を着ている女の子。それは分かった。特徴的なパーカーだったからだ。

 ただそのパーカーの上に乗っているものがおかしかった。歪んでいる。そして砕けていて、擦り切れている。

 頭だ。頭が変形して、砕けて頭蓋骨が見えて、顔が大根おろしのようにずたずたになって……。

 それでも分かった。だってあのメゾピアノのパーカーは、私とお揃いだからだ。


 それを着ていたのは、そう。あの日の沙織……。

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