1-5. 一人じゃないよ

「一人にするなぁぁぁぁぁぁっ!」

 絶叫した姉ちゃんがコンさんに飛び掛かる。放送室の壁に叩きつけられるコンさん。しかしコンさんは冷静に続ける。


「このままだと一人になってしまう」

「一人にするなぁっ!」

 コンさんに噛みつかんばかりの勢いで顔を近づける姉ちゃん。俺はすがりつく。


「姉ちゃん! やめてよ姉ちゃん!」

「ガキンチョ。引っ込んでろ」

「嫌だよ! 姉ちゃんが、姉ちゃんが……」

「姉ちゃんを助けたかったら引っ込んでろ」


 状況に似つかわしくないくらい、コンさんの声は冷静だった。そのある種迫力のある声に、俺はすごすごと引き下がった。


 俺が下がったのを合図にしたかのように、コンさんは姉ちゃんに向かって語りかけた。


「人の寿命は、まぁ、多く見積もっても八十年くらいでしょう」

「一人にするなっ……一人にっ……一人に……」

「つまりどんなに長くてもあなたは八十年後にはまた一人になる。霊は成仏しなければ永遠にこの世とあの世の間に縛り付けられる。いいですか、永遠に、です。一方でこの女性は長くて八十年しか生きられない」

「一人に……一人に……」

「ましてやあなたは無理矢理この女性に憑りついている。寿命は当然縮まる」

「ひと……ひと……」

「前に憑りついた人もあっさり死んでしまったんじゃないですか? 同じことを繰り返せばあなたはまた、一人になる」


 姉ちゃんが大人しくなった。コンさんを掴んでいた手を離して、急にその場に座り込んだ。俺はそっと様子を窺った。姉ちゃんは蹲ってぼそぼそとつぶやいていた。


「一人にするな……一人にするな……」


「一人は辛い」

 コンさんが姉ちゃんを見下ろしていた。

「あなたがこの女性に憑りついたのも、寂しかったから、ですよね」

 コンさんは淡々と続けた。

「もしかしたら迷子になった子供の寂しい感情やパニックになった感情が固まってあなたを作ったのかな。あるいは迷子になったお子さんの面倒を見ていた大人の『こんな子を一人にするなよ』という気持ちが固まってあなたを作ったか。どちらにしても、寂しい思いへのシンパシーがあなたを作り出した。あなたは特定の誰かが亡くなってできた霊というよりは、負の念の塊だ。迷子になる子が増えたり、このデパートの中で孤独な思いをしている人間が増えれば必然、あなたも大きくなる。寂しい感情も強くなる」


 そして……と、コンさんは続けた。

「その女性を大切に思っている方がいます。あなたがこのまま憑りついていたら、あなたがこのままこの女性を憑りつき殺してしまえば、一人になる人間がまた増える。寂しい感情が強くなるんです。それは問題ではありませんか?」


 すると、コンさんが俺に目配せをしてきた。どういう意味かはすぐには分からなかったが、しかしどうも何かをしゃべることを求められているようだった。訳が分からなかったが、俺はおそるおそる口を開いた。


「ね、姉ちゃんから離れろ……」

 コンさんが目配せしてくる。もっとハッキリ主張しろ、という意味だろうか。

「姉ちゃんから離れろ! 俺の姉ちゃんをとるな!」


「離れない」

 姉ちゃんが顔を上げ、強い声で主張した。でも姉ちゃんの声じゃない、どす黒くて低い声だった。姉ちゃんがこちらを振り向いた。虚ろな目が俺を捉えた。力のない、でも強い、そんな言葉を姉ちゃんは投げてきた。

「一人にするな。離れない。一人にするな。絶対に離れない」


 するとコンさんがすかさず告げた。


「今離れないとおっしゃいましたね。あなたは離れないとおっしゃった」

 姉ちゃんが今度はコンさんの方を見上げた。コンさんはさも困ったように続けた。


「その女性はもう限界です。長く見積もっても数カ月の命でしょう。あなたは数か月後、また一人になる。残念だ。私はあなたを一人にしない方法についてご提案に参ったのですが、それでもあなたは離れないとおっしゃった。私は余計なお世話だったようですね。残念です。それでは失礼します」


 つかつかとその場を離れるコンさん。俺の肩もつかんでぐいっと放送室から出て行こうとする。俺は一瞬、姉ちゃんの傍から離れるのは……なんて思ったが、コンさんの手が強く俺の背を押すので仕方なく従った。

 変化は直後に訪れた。


「一人に……一人にするなぁっ」

 姉ちゃんがコンさんに縋りついてきたのだ。あまりに唐突な変化に俺はぎょっとして姉ちゃんを見た。姉ちゃんは今にも泣きだしそうな顔をしていた。


 コンさんが振り向くことなく返す。


「離れないとおっしゃったのですからもう何もできません。あなたがその女性から離れないとおっしゃった以上、もう何もできることはありません。大変残念ですが、もうおしまいです。さようなら」

「一人にするなぁ……一人に……しないでくれぇ……」

「しかし、もうできることはありませんので」

「一人にしないでぇ……一人にしないでくれぇ……」

 口調に変化が出た。姉ちゃんが悶絶するように床に倒れ込む。頭を抱えて苦しそうだ。そんな姉ちゃんを、コンさんがじろりと見つめた。


「かわいそうに……」

 姉ちゃんは床の上で苦しそうにしていた。

「一人はやだぁ……一人は……一人にしないでぇ」

 コンさんはひとしきり、姉ちゃんが苦しむ様子を見た後、そっと、助け舟を出すかのように告げた。

「一人にならない方法が一つだけあります」

 姉ちゃんが身悶えるのを辞めた。目を潤ませながらコンさんの方を見る。

 コンさんは不意に俺の手からお弁当箱を取り上げると、すっとそれを姉ちゃんの方に差し出した。それからこう続けた。


「あなたは放送室という『箱』をテリトリーにした。同じ要領でこの『箱』に入ってみてください」

「はこ……」

「あなたが一人にならない方法はもうこれしかないのです。こんな孤独な放送室からはもう離れて、みんながいるところに行きましょう」


 姉ちゃんが頭を持ち上げた。声がか弱く震えている。


「一人にならない……? 一人にならない……?」

 まるで幼い子供みたいな声になっていた。コンさんがさっき言ったように、もしかしたら、この霊は……。

 コンさんが待ってましたと言わんばかりに、優しく、慈しむように告げた。


「一人じゃないよ」

 姉ちゃんがうるうると泣き出した。あの低い声じゃない、姉ちゃんの綺麗な声に戻って、こうつぶやく。

「寂しかった……誰も見つけてくれなくて……誰も見てくれなくて……誰も気にしてくれなくて……」

「さぞお辛かったでしょう」

「一人で……ずっと一人で……」

「寂しかったですね」

「怖くて……悲しくて……」

「大丈夫。そんな思いももう終わりです」


 コンさんが弁当箱を示した。


「さぁ、この中に」


 姉ちゃんが震える手を伸ばした。何秒か時間をかけて指先が弁当箱に触れると、そのまま姉ちゃんは力なく倒れた。俺は咄嗟に姉ちゃんを抱き起した。


「姉ちゃん! 姉ちゃん!」

「う……」

 姉ちゃんが、まるで寝坊した朝みたいな顔をして頭を持ち上げた。その目に僅かだが生気が宿っている気がして、俺はすごく安心した。


「姉ちゃん! よかった……! 姉ちゃん!」

「圭太……?」

 どうしてここに? と訊いてくる姉ちゃんに、俺は告げた。

「姉ちゃんを助けにだよ!」

 すると俺の頭上でコンさんが告げた。


「体調不良を理由に早退するんですね。今のあなたはとても業務を遂行できる状態じゃない」

 さて僕は、とコンさんが俺たちに背を向けた。手には弁当箱があった。


「この子の面倒を見てあげないとね。受川くんのところに行こう」

「待って! 俺も……」

 するとコンさんはこちらを振り向き、面倒くさそうに鼻から息を吐いた。それから続けた。


「その姉ちゃんも連れて行った方がいいかもな。一応、霊障の後処理をしないといけないかもしれないし。そういうのは受川くんの領分だ」

「う、うん……!」


 俺は姉ちゃんを抱き起すと何とか放送室から離れた。姉ちゃんはその後、上司の人に早退すると伝えると、ふらふらする足取りでコンさんと一緒にデパートを出た。姉ちゃんの顔色はずっと悪かったが、傍にコンさんがいるし、俺は安心して姉ちゃんを支えていた。コンさんの手にはあの百均の弁当箱があった。



 神社に着くと、神主の受川さんがすぐさま俺たちを出迎えた。おやおや、と姉ちゃんの傍に駆け寄る。


「何か来ると思ったら。狐井、仕事をしたのか」

 コンさんは弁当箱をすっと差し出した。

「この中にいる。どうも孤独を嫌うらしい。最悪成仏させられなくても、『いわくつき』のものたちと一緒に置いておけば、あるいは……」

「ああ、ああ」

 受川さんはひどく悲しそうに弁当箱を受け取った。

「これはかわいそうに。大丈夫。私が何とかしよう。この子たちが寂しい思いをしなくて済むように……」


 さて、と受川さんは姉ちゃんの方を見た。姉ちゃんはぐったりした様子で受川さんとコンさんとを見つめた。


「あの、私、何を……」

「霊に憑りつかれていた」

 コンさんが告げる。

「大丈夫。詐欺の類じゃないよ。僕は詐欺師だがな」

「えっ、詐欺……」

「あのなぁ」

 と、コンさんが呆れたように続けた。

「自分を詐欺師だって言う詐欺師なんているか? とりあえず僕たちを信じてお祓いを受けておけばいいんだよ。料金は取らないからさ。だろ? 受川くん」

 すると神主さんは優しく頷いた。

「無償ですよ。それであなたの体調がよくなれば、それ以上のことはありません」

「は、はぁ……」

「大丈夫だよ、姉ちゃん」

 俺は姉ちゃんを見上げた。

「この人たち、悪い人じゃないから!」

「圭太がそう言うなら……」


 そういうわけで、姉ちゃんは弁当箱を抱えた受川さんと一緒に神社の奥へと歩いて行った。俺はコンさんと並んで、銀杏の木の傍に立った。


「あのお化けが『離れない』って言った時はもうだめかと思ったよ」

 俺はコンさんの方を見上げた。

「ありがとう、姉ちゃんを助けてくれて」

 でもコンさんは鼻で笑った。

「おめでたいガキだな。いいか、僕はあの霊を騙したんだ。同じ手口は人間にも通じる。後学のためにも『ありがとう』じゃなくて『何をやった?』と訊くべきだと思うぞ」

 俺はムッとして返した。

「何をやったんだよ」

 

 するとコンさんは指を一本立てた。

「まず一。不安を煽った。『このままだとまた一人になりますよ』と」

 俺は思い出す。コンさんが、『長くて数カ月で姉ちゃんが死んで、また一人になる』と言った場面を。

「次。こちらの要求を出した。お前の出番だったな。『姉ちゃんから離れろ』そう主張してみた」

 うん。俺は確かに、あのお化けにそう主張した。

「次。霊はそれに対して『離れない』と言った。ノーを突きつけてきたんだ。これで霊は『姉ちゃんの体に居座る』と宣言したことになる」

 コンさんは大きなため息をひとつついた。まるでタバコを吸っているみたいだった。

「そこで揺さぶりをかける。『離れないなら姉ちゃんは死ぬ。また一人になる。かわいそうに。さようなら』。霊の主張は一貫して『一人にするな』だ。『また一人になる』と言われたら動揺する。解決策を求めたくなる」

 そうだ。あの時姉ちゃんに憑りついた霊は縋るような調子になった。

「でも霊はさっき『離れない』と宣言しているんだ。その言質を元にさらに揺さぶりをかけた。『残念。あなたを助ける方法はもう何もない。かわいそうに。さようなら……』」

 にやりと、コンさんが悪そうに笑う。

「霊は絶望する。『いやだ、一人になりたくない』。そこですかさず手を差し伸べる。『ひとつだけ方法があります』。『ここを離れませんか?』」

 後は……と、受川さんが去っていった方を示す。弁当箱、か。

「依り代をあの孤独な放送室、ひいては姉ちゃんから、百均の弁当箱という『箱』に移す。これでとりあえずお前の姉ちゃんは自由になる。除霊、にはならないが、ひとまず霊障からは解放される」

 後は運搬だ。この神社までな。コンさんはつまらなそうだった。それから俺に向かって告げた。


「ポイントは三つだ。ひとつ、『不安を煽る』。ターゲットを不安定な状態に持っていくんだ。ふたつ、『決断を迫る』。不安定になると安定を求めるんだ。そこに『イエス』か『ノー』のどちらにつくか、を迫る。でもな、今回の事例で考えてみろ。『イエス』ならこちらの目的は達成されるし、『ノー』でも次のみっつめのポイントがあるんだ。みっつ、『不安の追い打ち』。ターゲットが決断を下したことによって発生する新しい懸念要素を提示するんだ。『解決策が解決になっていない』ことを示す。そりゃそうだよな。そもそもこっちが示した『イエスかノーか?』が解決策になってないんだから。で、だ。最初に不安を煽られたのに、またしても不安を煽られたらターゲットはとにかく安心できる状態を求め始める。この『求める』が大事だ。求めたところに差し出すんだ……こっちの要求を、さも『これしか解決策がない』かのように。ターゲットは藁にも縋る思いで詐欺師の示した解決策に飛びつく」


 こういう手に引っかからないようにするには、とコンさんは続けた。


「ターニングポイントはふたつめ、『決断を迫る』だ。この時相手の提示してくる選択肢が『どちらを取っても解決にならない』ことに気づけばそれ以上話が進まなくなる。最悪、『こいつこちらの話に簡単に乗らないな』と思わせればそこら辺の詐欺師程度なら撃退できる。覚えとけ。『常に疑問を持て』。『目の前にあるものを疑え』」

「わ、分かったよ……」

 俺が頷くと、コンさんは興味を失くしたように銀杏の木を見上げた。風がごうっと吹き抜けて、枝を葉っぱを揺さぶっていった。


「あ、あのさ」

 俺は思い切ってコンさんに訊いてみた。

「どうしてこういうことをしているの? 霊感とか、ないんでしょ」

「ないね」

「じゃあ何で、除霊なんか……」


 するとコンさんは、寂しそうに(少なくとも俺の目からは寂しそうに見えた)告げた。


「お前と一緒さ」


 と、俺と話す気を失くしたのか、コンさんはとぼとぼと歩き出した。俺はその背中に向かって告げた。


「あの、お金だけど、俺ちゃんと払うから!」

 しかしコンさんはこちらを向かずに片手を上げた。

「さっき受川が言ってただろ」


 無償だよ。

 コンさんの言葉が風に流れた。俺はぐっと拳を握った。

 何でだろう。安心したから、かな。

 気づけば涙が、溢れていた。


――『孤独な放送室』 了

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