1-4. このままだと? 

 道すがら、俺は姉ちゃんとのことを話した。話せ、とコンさんが言ったからだ。

「その姉ちゃんの名前は大場佳代って言うんだな。デパートのアナウンス係」

「うん。綺麗な声で声を使った仕事してるんだ」

「お前わざわざ職場にまで顔を出したのか」

「うん。姉ちゃん心配だったから……」

「その後家にまで押し掛けたんだな」

「うん。そこで姉ちゃんの様子がおかしいことに気づいて……」

「どうおかしかった?」

「一人で何も映ってないテレビをじっと見て、『一人にするな、一人にするな』って……」

「外見上の変化は?」

「や、やつれてた。肌とか髪とかボロボロだし……」

「まぁ、霊に憑りつかれた奴ってのは大抵そうなるな」

 やっぱり霊に憑りつかれていたんだ……俺は怖くなって訊ねる。

「このままだとどうなるのかな」

 するとコンさんは訳もなさそうに笑った。

「死ぬな。そりゃ」

「死ぬ?」大きな声が出る。

「嫌だ! そんなの絶対……」

「そりゃそうだろうよ」

 にやっと、コンさんが悪そうな笑顔を見せる。

「そうだろうな。そりゃそうさ」



「姉ちゃんとやらはこのデパートで働いているんだな?」

 コンさんと、姉ちゃんが働いているデパートの前に立ち尽くしていた。昼過ぎ。具体的には午後三時ちょっと前。おやつ時だからだろうか。デパート一階のカフェには人がたくさん集まっていた。コンさんはためらいもなくデパートの中へ入って行く。俺は後について行った。コンさんの目的は決まっているようだった。真っ先に、百均ショップに向かった。


 特に注意深く見るわけでもなくひょいひょいと商品を籠の中に放り込んでいくコンさん。弁当箱、ランチョンマット、箸入れ、水筒、封筒……ピクニックにでも行くのか? でも封筒って……? 


 レジに並ぶ。しばらく待って、ようやく俺たちの番だという頃になって、コンさんがこっちを見下ろす。


「会計、もうすぐだな」

「うん」

「金が要る」

「うん」

「必要経費だ。お前が出せ」

「は?」

 思わず俺は大きな声を出す。

「必要経費だ。合計五百円。出せ」

「お、大人が払うものだろ!」

「姉ちゃん助けないぞ」

 くっそ……。

「卑怯者!」

「よく言われるよ」

「お次のお客様ー」


 俺たちの番。仕方なく俺は財布の中から今月のお小遣い、五百円玉を取り出して払う。


「よくやったガキンチョ」

「ガキンチョじゃない!」

「ぼけっとしてないで手伝え。それっぽくするぞ」

 と、コンさんは包装をびりびり破いて商品の中身を取り出す。弁当箱をランチョンマットで包み、箸入れをそれっぽく結び目のところに差し込み、最後に封筒を一袋、いかにも重要そうな書類だという雰囲気で弁当に添える。


「よし、職員用通路に行くぞ」

「しょ、しょく……」

「この間姉ちゃんと会ったんだろ?」

「あ、ああ、あそこか……」

 でもあそこ、何か警備の人がいたような? 

 そう思いながらもコンさんを職員用通路とやらに連れて行くと、案の定警備の人がいて不審そうな目でこちらを見てきた。小窓のついた警備室みたいなところからじっと、こっちのことを見ている。しかしコンさんは真っ直ぐに警備さんのところに行くと、人の良さそうな笑顔を見せた。


「すみません、妹が弁当を忘れてしまったみたいで……届けに来たんですが」

 と、さっき百均で買って包んだ空の弁当箱を示す。一緒に空の封筒も。警備の人がつまらなそうに返してくる。

「妹さんのお名前は?」

「大場佳代」

「大場さんですね……」

 と、警備さんが名簿のようなものを見る。それからこちらに目線を投げてくる。

「確かに今日出勤しておられますね」

「ええ。店内放送の仕事をしてまして」

 仕事内容まで言えたことが信用を買えたのだろう。警備さんは納得したように頷いた。

「お弁当渡しておきますよ。お名前を……」

 するとコンさんが申し訳なさそうな顔を作る。

「あ、すみません、ちょっとプライベートな封書も渡さないといけないので、出来れば対面したいんです。十分だけでいいので通してもらうことってできないですか」

 これ見よがしに封筒。しかし警備さんは渋る。

「関係者以外の立ち入りは困るんですがねぇ……」

「じゃあ五分」

「うーん」

「分かりました。会って要件を伝えるだけなので三分で済ませます」

「……まぁ、それくらいだったら……一応、お名前をいただけますか。あと電話番号も」


 大場文昭。


 コンさんはそうメモに綴ると電話番号らしき数字も書いて、警備の人に渡した。「どうも」と告げて警備室の前を通る。


「ねえ、さっきの」

 俺は廊下を歩きながら訊ねる。

「さっきの、コンさんの下の名前?」

 しかしコンさんは笑った。

「あんなの適当に決まってるだろ。電話番号も適当」

「そ、そっか……」

 少しの間歩く。それからまた、訊ねる。

「ねぇさ、本当に三分で姉ちゃん助けられるの?」

「お前つくづく馬鹿なガキンチョだな」

「は?」馬鹿、と言われてムッとする。しかしコンさんは何でもないように告げる。

「いいか、覚えておけ。人に何かお願いする時はまず大きく言ってから小さくしていくんだ。本当の目的が『三』だとしたらまず『十』って言って次に『五』、そしてようやく『三』。そうすればいきなり『三!』って言うより通りやすい」

「そ、そっか……」

「それにな。あくまで僕は『善処して三分』と言っただけで不測の事態その他諸々については言及してない」

「じゃあ三分なんて適当ってこと?」

「僕って何師だったっけ?」

 や、やっぱり悪い大人だ……。


 そうは思いながらも頼れる人はもうこの人しかいない。俺はコンさんを姉ちゃんのいた部屋(多分、放送室)に案内した。

 と、次の角を曲がれば放送室だというところで、部屋の前で二人の女性がひそひそと話しているのを見かけた。コンさんがそっと手を差し出して俺を制する。曲がり角に身を潜めて、女性たちの様子を窺うコンさん。


「やばくない? 何ずっとひそひそ話してるんだろう」

「独り言なのかな……? それにしても妙って言うか」

「放送に差し支えそうだよね? 主任に言った方がいいかな……」

「ねぇさ」

「何」

「この間、一人で閉店アナウンスさせたじゃん……」

「うん」

 気まずそうな沈黙。

「やばかったかな」


 ははぁ、なるほどな、とコンさんはつぶやいた。それから一言。


「おいガキンチョ」

 俺は返す。

「ガキンチョじゃない」

「これ持ってろ」

 と、弁当箱を俺に押し付けてくる。それからコンさんは続けた。

「ここから動くなよ」


 コンさんはポケットからスマホを取り出した。曲がり角から姿を現す。それから、いかにも「電話してます」という風に歩いていくと、ひそひそ話をしている女性のところへと向かっていった。俺はこっそり角から向こうの様子を窺う。


 電話をしている(フリの)コンさんはつかつかと女性たちのところに歩み寄ると、さも仕事の電話だ、と言わんばかりに「はい……はい……。では、これから放送室の視察をします」なんてつぶやいてから、こう告げた。

「本社の者ですが」

 途端に女性たちが畏まる。コンさんは続ける。

「総務部です。営業部署の抜き打ち視察に来ました。放送室の業務の参観です」

「お、お疲れ様です……」

「諸々チェックしますので、今から五分程度、休憩に入ってください。後程面接を行います。主な質問項目は業務についての所感なので休憩がてら考えをまとめておいてください」

「あの、中にもう一人社員が……」

「私の方から声をかけておきますよ」

 女性たちは顔を見合わせる。すると追い打ちをかけるように、コンさんが。

「休憩室や更衣室の視察も行います。更衣室はもちろん女子社員が。もし規定に触れる私物があれば、処分の対象となりますので……」

 途端に女性たちの表情が変わる。そこに優しく、コンさんが。

「……今のうちに、お片付けでも」

「ありがとうございます」

 女性たちがボソッとつぶやいて、悪そうに笑う。そそくさと立ち去った女性たちを見て(多分姉ちゃんの同僚の人かな)、コンさんがこちらに合図を送ってくる。


「来い」

 弁当箱を抱えて、真っ直ぐにコンさんのところに向かう。

 コンさんと一緒に、ドアの前に立つ。

〈放送室〉と書かれた札。古ぼけて、ところどころ錆びている。綺麗なデパートの表舞台からは想像もつかないくらい、汚い印象だ。

「入るぞ」

 小さい声でそう告げるコンさん。俺はコンさんについて行く覚悟を決めた。

 ゆっくりと、ドアを開ける……。



「……な。……るな」

 ぶつぶつ。ぶつぶつ。


 ドアを開けてまず目に入ってきたのは、大きなガラス窓だった。分厚そう。そのガラス窓の手前、俺たちの側には何やら色々なスイッチのある機械が置かれてあった。パイプ椅子が二脚ある。座る部分のスポンジが飛び出ていて、使い心地は悪そう。

 ガラス窓の向こうにはちょっと大きなデスクとマイクがあり、どうやらあそこでしゃべった内容がデパート中に放送される仕組みになっているらしい。学校の放送室とそんなに変わりない。

 姉ちゃんはそんなガラス窓の向こう側、スケッチブックのようなものを持って、大きなデスクの端の席に座っていた。


〈お昼の放送 午後三時をおしらせします。午後のひと時には、当デパートのカフェエリアをご利用ください〉

 スケッチブックにはそう書かれている。どうやらカンペか何かのようだ。


 ガラス窓の向こうに繋がるドアは、スイッチがたくさんある機械のすぐ横にあった。コンさんがゆっくりとドアを開ける。しーっ。唇に指を添えている。俺は音をたてないように中に入る。


「とり……にする……するな。……にするな。……りに……」

 姉ちゃん。ずっとぶつぶつ何かをつぶやいている。


「……よし。マイクは繋がってない」

 コンさんがこの部屋に入って初めてハッキリとした声で話した。それから、そっと姉ちゃんに近寄ると、耳を澄ませた。姉ちゃんは部屋に怪しい男が入ってきたのに見向きもしないで、ただひたすらスケッチブックに向かって話しかけていた。


 俺は弁当箱を抱えたまま、姉ちゃんのことを見つめた。昨日会った時よりも肌がカサカサで、髪の毛も傷んでいる気がする。何より目。生気がない。


「姉ちゃん……」

 と、つぶやいた俺に、コンさんが再び手を差し出し制してきた。コンさんはかけていた眼鏡をぐいっと上げると、こうつぶやいた。


「これはひどい……」

 最初、俺はコンさんが姉ちゃんの状態を見て「ひどい」と言っているのだと思った。けれどどうやら違うようだった。コンさんは続けてこう告げたのだ。

「このままだとまた一人になってしまう」


 途端に。

 姉ちゃんの目に怒気が宿った。一瞬で総毛立つのが分かった。表情がカッと変化した。鬼のようだった。山姥のようだった。

「一人にするなぁっ」

 小さい、だが力強い声だった。でも明らかにおかしいのは……それは、その声は、姉ちゃんのあの、綺麗な声じゃなかった。喉が枯れた婆さんのような、汚い声、濁声だった。

 姉ちゃんはいきなり椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がると、両手でコンさんの肩を鷲掴みにした。ものすごい力でつかんでいるのだろう。指がコンさんのスーツにめり込んでいた。力むあまりに腕が手が、指が震えている。姉ちゃんはそのまま噛みつきそうな勢いでコンさんに叫び続けた。


「一人にするなぁっ! 一人にするな一人にするな一人にするな一人にするなぁっ! 一人にするな! 一人にするな一人にするな一人にするな一人にするな! 一人にするな一人にするな一人にするなぁっ!」

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