1-3. コンって呼べ
学校の裏山。
古ぼけた神社がある。一応神主がいて、無限に落ちてくる落ち葉を永遠に箒で掃いているのをよく見かけるのだが、あれは新手の拷問だと思う。俺がやらされたら、きっとたまらないな。
でも俺の周りで、その、心霊? のことを相談できる相手って言ったら……。
「一人にするな」。
あの声がお化けとか幽霊とかだとしたら。そんな考えが俺の頭を支配していた。姉ちゃんに、何かよくないものが憑りついているのだろうか。でもそうじゃなきゃ、あの不気味な場面は説明がつかない。真っ暗な部屋で、体育座りをして、何も映っていない、真っ白なテレビを見つめて、ずっとずっと「一人にするな、一人にするな」って……。
ゆっくりとした足取りで、神社に辿り着く。白い石造りの鳥居。それをくぐって中に入る。神社は思っていた通りの広さだった。小っちゃい。バスケットコート半面くらいしかない。俺が知っている神社の規模の中じゃダントツに小さいだろう。鳥居をくぐって右手に、狭い敷地をほとんど埋め尽くしているような大きな銀杏の木が一本。俺がいる場所から真っ直ぐに石畳の道が伸びていて、その先には賽銭箱。ガラガラならす大きな鈴みたいなやつもある。
俺はあの神主を探した。箒で落ち葉を掃き続ける神主。ぼろっちい、小っちゃい、かっこわるい、でも不思議な、この神社の神主。
少しの間うろうろする。大きな銀杏の木の裏手に回ると、ひょろっと細い体をした神主を見つけることができた。俺は話しかける。
「あのっ」
ふらり、と神主が振り返る。
「おや」
神主さんの表情は穏やかだった。見ているだけで、なんだか落ち着く。
「あのっ、あのっ」
「どうかしましたか」
この頃になって思う。
自分がどれだけわけの分からないことを言おうとしているのか。
だって幽霊だよ? この時代に? そんなの学校で話したら一生笑いものにされる。でも今は、俺の大好きな姉ちゃんがピンチだし、俺が多少、恥をかくくらいなら何でも……そんな風に迷っている時だった。
「何か話したいことがあるのですか」
神主さんが箒を持った手を止める。俺は意を決して話した。
「そのっ、姉ちゃんがっ、姉ちゃんがっ」
すると神主さんはにこりと、優しく笑った。それからゆっくりこちらに向き直ると、口を開いた。
「落ち着いて話してごらん。ここに一人で来たということは何か困り事があるんだね? ゆっくり話してごらん。何に困っているのか。何が起きているのか」
何に困っているのか。何が起きているのか。
俺はなるべく丁寧に話した。姉ちゃんがお化けに憑りつかれたかもしれないこと。姉ちゃんに起きた不思議なこと。俺が聞いた謎の放送。
神主さんはひとしきりうんうん、と聞いてくれると、やがて神社の賽銭箱の後ろにある階段を示した。大人しくついて行く。神主さんはそこに腰かけると、優しい笑顔でこう言ってくれた。
「うつつならざる者の存在で困ってるんだね」
「うつつ……?」
「この世のことだよ」
うつつならざる。この世じゃない者。
やっぱり姉ちゃんを苦しめているのは幽霊なんだろうか。
拳を握る。これが悪い奴なら、悪い男とかなら、俺が強くなって、何とかしてやれるのに、幽霊じゃ、この世の存在じゃないんじゃ……。
俺が唇を噛みしめていると、神主さんが優しくつぶやいた。
「大丈夫。そういう時に頼りになる友人を、私は知っている」
一瞬、間を置く。
「ゆ、友人……?」
あれ? ここ神社でしょ? 神主さんが何とかしてくれるんじゃないの……?
すると俺の疑問を感じ取ったのだろう。神主さんは申し訳なさそうに笑った。
「私は感度が強くてね。良くも悪くも霊の影響を受けてしまう。感じ入ってしまってとても除霊どころじゃなくなってしまうんだ。その点、これから紹介する友人はその心配がない。だって霊感が、ないのだから」
霊感が、ない……?
そ、それって大丈夫なんだろうか。だってそれ、俺と同じってことだろ? 俺でもどうにもならなかったことを、例え大人とは言え、霊感のない人間が……。
やっぱり、俺の不安を感じ取ったのだろう。神主さんはまた優しく笑った。
「大丈夫。腕は確かだから。……噂をしていれば。ほら、来たよ。彼は毎日このくらいの時間に……夕暮れ時だね……この神社にやってくるんだ」
神主さんが鳥居の方を見る。つられるようにして俺は、神主さんの視線を追った。鳥居の向こう。夕焼けを顔の半面に浴びながら、一人の男が、いやにゆっくりと、こっちの方に向かってくるところだった。
「やあ、狐井」
俺たちとの距離がある程度近くなったところで、神主さんが男にそう微笑みかけた。狐井、と呼ばれたその男は、すごくゴージャスな、キラキラしたスーツをピシッと着ていた。お父さんがつけているのより細くてかっこいいネクタイをしていて、おしゃれなピンで留めている。銀色の細渕眼鏡をかけていて、髪の毛は綺麗に七三に分けられている。襟足の辺りをちょっと散らしているのが遊び心、なのだろうか。
「受川くん。実にいい夕暮れ時だね」
狐井と呼ばれた男が笑う。神主さん(受川さんっていうのかな)も笑って返す。
「本当にね」
時に狐井。受川さんが真面目な顔になる。
「こちらの子がね、困っているそうだ」
「困っているとは?」
「霊障らしい」
すると狐井さんが困ったような顔になった。
「あのなぁ、こんなガキンチョ相手にビジネスなんてするわけないだろ」
「ガキンチョじゃない!」
俺は立ち上がった。
「俺は姉ちゃんを守る男なんだ! 俺の姉ちゃんはすっごく優しくて、声が綺麗で、家事もできて料理もおいしくて……」
すると狐井さんはひらひらと手を振った。
「お見合い相手なら間に合ってるよ」
「まぁまぁ、狐井。話くらい聞いておあげよ」
受川さんが優しい笑顔で狐井とかいう男をなだめる。しかし男は不愛想につぶやく。
「相談料とるぞ」
くそ。こいつ、本当に意地悪だ。
しかしそうは思いながらも、もう引き下がれない。俺はここまで来た。神主さんにも話した。手ぶらじゃ帰れない。俺は姉ちゃんを守るんだ。だから、言ってやった。
「いくらだよ」
ん、と男がこちらに目線を下ろす。俺はその顔に吐きつけるように言ってやった。
「いくらだよ、相談料!」
「十万」
「じゅっ……」
あまりの額に硬直する。十万って、お年玉五年分くらいあるぞ……。ビビり倒していると受川さんが口を挟んだ。
「まぁまぁ、子供相手なんだし……」
「僕はプロだ」
しかし男はきっぱりと言い切った。
「相談料は十万。解決すればもう十万。一円もまけない。合計二十万払えば君が抱えている幽霊関係のトラブルを解決してあげよう」
「に、にじゅ……」
毎月五百円の小遣いしかもらえない俺が払える額じゃなかった。お年玉でも十年分くらいだ。全部払おうと思ったら、友達と遊ぶためのデュエルマスターズカードも、毎月買ってるコロコロコミックも、ゲームやお菓子も、全部諦めなきゃいけなくなる。そもそも子供がそんな大金の絡んだ契約を結んでいいのかさえ分からない。せめて父さんか母さんに……。
「どうした? ビビってるのか? 幽霊よりも貧乏が怖いか?」
俺は奥歯を噛み締めた。くそ。くそ。くそ。こいつ言いたい放題言いやがって。こんな意地悪な奴に金を払うなんて絶対に嫌だ。そう思った。でも、でも……。
でも頼まないと姉ちゃんが、俺の大好きな、俺の大切な姉ちゃんがひどい目に遭うかもしれない。虚ろな目でテレビを見つめていた姉ちゃん。ぶつぶつと「一人にするな」とつぶやいていた姉ちゃん。あのままじゃどんなことが起こるか分からない。俺の大好きな、大事な、大切な姉ちゃんが、帰ってこなくなるかもしれない。
「わ、分かった……」
くそう、泣きそうだ。俺はぐっと涙をこらえながら口を開いた。
「払う。払うよ。だけどちょっと待ってくれ。必ず二十万払う。何年かかっても、何十年かかっても必ず払う。だから、お願いします。俺の姉ちゃんを、助けてください……!」
するとあの冷たい眼鏡の男が、ゆっくりと俺の方に歩いてきた。ぽん、と頭に手が置かれる。男が中腰になって、俺と同じ目線になる。
「話してみろ」
男の目が眼鏡の奥できらりと光った、気がした。
俺は事情を話した。神主さんに話した時みたいに、丁寧に、分かりやすく。
「なるほどな。一人ぼっちの幽霊」
狐井、という男は顔を上げると満足そうな顔をした。それから神主さんの、受川さんに訊く。
「どれくらい儲かりそうかなぁ」
「もうその子から二十万も巻き上げる気なんだろうに」
受川さんが困った顔をする。しかし狐井さんの表情は硬い。
すると見上げていた俺の顔に気づいたのだろう。狐井さんがにやりと意地悪そうに笑った。
「僕にも借りがあってね。返さないといけないんだ」
「あのお方ならもう満足なさってるよ」
受川さん。何の話か俺には分からない。
「そうもいかない。まぁ、これはボウヤに話しても仕方ないな。どれ、そのデパートとやらに行くぞ」
「えっ、今からですか……」
「今行かないとお姉ちゃん死んじゃうかもよ?」
死んじゃう……そんなの絶対に嫌だ!
「案内します! 狐井さん!」
しかし駆けだそうとする俺のことを、狐井さんは片手で制した。人差し指を口に当てている。しーっ、というジェスチャーだ。
「迂闊に名前は口にするな。名前は命だ。いいな? 僕を呼ぶ時はこう呼べ。『コン』と……」
「コン?」
狐、だからだろうか。すると狐井さん……いや、コンさんは、小さく笑った。
「まだ小学生か? 『Con man』って英語は知ってるか?」
「コンマン……? 『マン』は分かるけど、『コン』は知りません」
じゃあ覚えろ。コンさんはすっと背を伸ばすと俺を見下ろした。
「Con man……『詐欺師』って意味だ」
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