1-2. シスコンな俺

 姉ちゃんが最近おかしい。

 電話しても出ない。毎週金曜日の夜は俺と電話するって言ってたのに。かけてもうんともすんとも言わない。

 俺と姉ちゃんは十二離れてる。両親が共働きで家にいることが少なかった俺にとって、姉ちゃんは唯一甘えることができる存在だったし、頼れる存在だった。姉ちゃんはちょっとどんくさいところはあったけど、でも優しくて、俺が困っているといつも力を貸してくれた。声が綺麗で発音が良くて、寝る前にいつも絵本を読んでもらっていた。


 小学五年生。俺は大きくなったけど今も姉ちゃんが好きだ。姉ちゃんと結婚したいとさえ思っている。シスコン、というらしい。変態だそうだ。だが変態でいい。俺は変態なんだ。変態でいいから姉ちゃんを好きでいたい。


 そんな姉ちゃんが電話に出なくなって二週間。さすがに二回も電話に出ないのはおかしい。何かある。そう思って、電車に乗って姉ちゃんが働いているデパートに行くことにした。小遣いは毎月五百円だけど、毎月二百円ずつ貯めていたし、お年玉もあったから、その気になれば街中のデパートでだって買い物もできた。


 学校終わり。姉ちゃんが家に残していった名刺を見てデパートの名前を確認する。次にタブレットでGoogle Mapを開いて店舗の確認。確か姉ちゃんは隣の町に住んでいるはずだから、とおおよその見当をつける。ナップザックに、財布と、姉ちゃんと一緒に写ってる写真と、スマホと少しのお菓子を詰めて出かける。一直線に駅へ。何だかんだ、一人で電車に乗るのは初めてだ。


 目的の駅は三駅先。窓から景色を眺める。

 姉ちゃん、引っ越す時こんな景色を見てたのかな。

 そんなことを思う。


 それからちょっと、胸が痛む。

 もし姉ちゃんが、その、彼氏とかできて電話に出ないのだとしたら。

 それは寂しい。すごく寂しい。本当に寂しいけど、でも、姉ちゃんが幸せなら。


 そう思いながら電車を下りた。デパートは駅と繋がっていた。

 スマホの時計を見る。午後五時。店内放送が時報を流している。機械音声のようだけど、もしかしたら。

姉ちゃんはここでアナウンスの仕事をしている。もしかしたら、姉ちゃんの声が聞こえるかも。そう思って、店の中に飛び込んだら。


〈ご夕食にはぜひ、七階、レストラン広場をご利用くださいませ……〉

 姉ちゃんの声だ! 俺は思わずその場で飛び上がりそうになった。よかった。姉ちゃん元気だ。ほっとすると同時に、じゃあ何で電話に出てくれなかったんだ? という疑問が頭をよぎる。やっぱり彼氏かな。それか友達。俺のことなんてどうでもよくなっちゃったのかな。色々なことを考える。

 しかし問題が起きたのはその時だった。


〈一人にするな〉

「え?」


 おかしかった。今のは明らかに店内放送だ。でもアナウンスの声じゃない、普通の、子供の……。


 俺は首を傾げる。機材のトラブルでもあったのかな。まぁ、とにかく、俺は姉ちゃんに会おう。姉ちゃんに会いに来たんだし。俺は店内をふらふら歩いた。

 どうしようかな。職員さんに声をかけても怪しまれるだろうし、もしかしたら子供だからってまともに取り合ってくれないかもしれない。何かいい方法、いい方法は……。

 そう思っていたら、見つけた。いい方法。俺はサービスカウンターに近づくと、いかにも困ってます、という顔を作ってみた。


「あの、迷子になっちゃって……」



「圭太。何でこんなところまで……」

 デパートの、多分店員さん用の廊下。

 制服に身を包んだ綺麗な姉ちゃんがいた。

 困り顔。むっとしている。俺はナップザックから、お菓子を取り出して渡す。

「元気かなって! 最近電話しても出ないじゃん」

「電話……?」

 姉ちゃんの目が一瞬、ぼんやりする。

「電話って……?」

「姉ちゃん、毎週金曜の夜、俺と電話するって約束したろ? 先月まで毎週してたじゃんか」

「うん。そうだけど、あれ……?」

 姉ちゃんが頭を抱える。まるで頭痛に襲われたみたいに。

「ごめん。今週はちゃんと電話する」

 困ったような顔の姉ちゃん。でもいいや。電話してくれるって、言ったから。

 その日、俺は結局、仕事中の姉ちゃんの邪魔をしただけで帰った。でも俺は姉ちゃんの顔を見られただけで満足だった。仕事してる時の姉ちゃんってあんな感じなんだ! と何だか嬉しかった。


 けれどその週の金曜日。

 姉ちゃんはやっぱり電話に出なかった。いよいよおかしいと思い始めたのは、この頃からだ。



 さすがに小学校高学年にもなれば、父さんも母さんも安心して俺を置いていけるらしい。

 ある金曜の夜。俺は家に一人残された。父さんは出張。母さんは夜勤。やるなら今日しかない。俺はナップザックを持って再び電車に乗った。


 姉ちゃんち。暗い夜道を泥棒みたいに駆け抜けて、俺は姉ちゃんの住んでる家に向かう。ちょっぴり古いアパート。多分、家賃が安いんだろうな。姉ちゃん苦労してるなぁ。俺が大人になったらいいマンションに住ませてやろっと。そんなことを思いながら階段を上る。

 姉ちゃんの部屋……あった。チャイムを鳴らす。電話しても出ないから遊びに来たぞ! そんなつもりで待ち構える。

 出ない。おかしい。スマホを出して時間を見る。夜九時。うーん。大人って何時まで働いてるんだろう。父さんは夜七時くらいに帰ってくるけど母さんは時間がバラバラだしなぁ。姉ちゃんの仕事ってどんななんだろう。その辺分からないな。でも普段は、このくらいの時間に電話してるし、ってことは、もう帰っててもおかしくないはずだし……。


 試しに。

 ドアを引っ張ってみる。開いてるわけない。逆に開いていたら注意したいくらいだったが、でもドアは開いた。背中にひたりと、何かが落ちた。


「姉ちゃん……?」

 声をかける。最初は小さく。そしてもう一度、今度はハッキリ。暗い廊下の向こう。薄っすらと、明かり。

 そっと靴を脱ぐ。音をたてないように、それこそ泥棒のように、静かに、進む。

 リビングのドアを開ける。姉ちゃんが、いた。


 明るかったのはテレビだった。中型のやつ。姉ちゃんは確か、この間電話した時に「テレビでYouTubeを見ているんだ」と言っていた。でも今、テレビには何も映っていない。ただの白い画面。白いだけの画面。そして、その正面に。


 体育座りをした姉ちゃんがいた。目はぼーっとテレビを見ている。何も映ってないテレビを。ただ茫然と、見ている。


「姉ちゃん!」

 声をかける。でも反応がない。姉ちゃんはただテレビを見ている。もう一度声をかける。

「姉ちゃん!」

 駄目だ。返事がない。俺は何度も呼びかける。

「姉ちゃん! 姉ちゃん!」

 応えない。

「姉ちゃん! 姉ちゃん!」 

 揺さぶり、揺さぶり、揺さぶってから、姉ちゃんが何事かつぶやいていることに気づく。俺は手を止め、じっと、耳を澄ます。

 姉ちゃんの、綺麗な、でも微かな声。


「な……るな……するな……にするな……」

「え?」

「……一人にするな」


 途端にテレビが、パチッと消えた。



 テレビが消えた瞬間、姉ちゃんは正気に戻ったかのように叫び声を上げた。ゴキブリでも見つけたような、本当に、悲鳴。

「姉ちゃん、俺だよ!」

 思わず叫ぶ。

「け、圭太? 何であんたここに……」

「姉ちゃんこそ!」

 俺は続けて叫んだ。

「何だよ今の!」

「今の……?」

 ふらふらと、スマホの明かりを頼りに電気をつけに行く姉ちゃん。ぱちりと部屋が明るくなる。白い明かりで隅々まで照らされた部屋で、姉ちゃんが腰に手を当てる。

「今のって何? 何の話?」

「何って……」


 姉ちゃんの顔を見る。くすんだ肌。多分化粧が落ちてるだけだろうけど、何だか顔色が悪いように見える。目元には隈。髪の毛も心なしか、傷んで見える。

 さすがに俺にも分かった。姉ちゃん、もしかしたらやばい。

 そしてその頃になって思い出す。さっきの言葉。さっきの姉ちゃん。


 ……一人にするな。

 あの言葉、どこかで聞いたことがある。

 思い出せ、思い出せ、思い出せ……。

 必死に頭の中を引っかき回して、引っかき回して、そして、思い出した。昼間のデパート。姉ちゃんに会いに行った時のことだ。

 店内放送。

〈一人にするな〉

 あれだ。

「姉ちゃん明日仕事は?」

 何とはなしに聞いてみる。気のせいかもしれないけど、今仕事に行ったらまずい気がする。

「仕事? お昼のシフトだけど、それがどうしたの?」

 やばい。姉ちゃんがデパートに行く。体の奥がぞわりとした。何だろう、嫌な予感がする。

「休んで!」

 咄嗟に、そうお願いする。しかし姉ちゃんは困った顔をする。

「そんなすぐには休めないよ……あのね、お休みする時は最低でも一週間前にお知らせしないといけないの」

「祖母ちゃんとかが死んだらどうするんだよ」

「それは、その時だけ特別にお休みできるけど……」

「じゃあ祖母ちゃん死んだことにしよう!」

 すると姉ちゃんは困ったように笑った。

「駄目だよ。嘘ついてお休みしたらいけないんだよ」

 それから何度も必死にお願いしたけど姉ちゃんは首を縦に振らなかった。今日は姉ちゃんの家に泊まっていきなさいと言われて、とりあえず姉ちゃんと一緒にいられるから俺はいいや、って思ったけど、でも事態は深刻だ。それは俺にも分かった。

 暗い部屋。

 何も映ってないテレビ。

 それを見つめる姉ちゃん。

 つぶやき。

 一人にするな。

 多分、まずい。

 何がまずいのかは分からないが、絶対にまずい。

 どうにかしないと。

 姉ちゃんの部屋。姉ちゃんの匂いに包まれながら俺は思った。

 どうにかしないと、じゃない。俺がどうにかするんだ。

 俺が、何とかしなくちゃ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る