カタラレリスト ~詐欺師が騙した幽霊たち~

飯田太朗

『孤独な放送室』

1-1. 一人にするな

 それが聞こえる人はほとんどいないらしい。

「一人にするな」

 ただ、そう、聞こえるらしい。



 デパートのアナウンス係はそれはそれは大変だ。

 開店と閉店のアナウンス。BGMの管理。飛び込みで来る迷子のお知らせやお客様へのお知らせ。問い合わせ対応。様々な仕事がある。


 この仕事の特殊性はメモの取り方に表れる。どんなに長い話だろうと三十秒内の放送にまとめられる術があるのだ。私は新人の頃これが苦手で、先輩からしょっちゅう怒られながら練習した。研修は何だかんだで二カ月くらいある。


 で、晴れて研修も終わり放送室勤務になると、まず最初に叩き込まれるのは機材の扱い方。放送機器の操作に誤りがあっては間違った放送内容が店中に流れてしまう。お客様へ悪い印象を与えたら店の抱える損失は計り知れない。


 けどよく考えてほしい。声としゃべり方だけが売りの女の子がすぐさま機械の扱いになんて慣れるわけがない。私はこれにもかなり苦労した。当然、同期の中ではダメな部類。


 それでも何とか機材の扱いにも慣れ、ようやく放送を任されるようになった頃、先輩の女性からあることを教わった。それは次のようなものだ。


「閉店アナウンスは一人でしてはならない」


 一応断っておくと、アナウンス業務は基本三人体制で臨むものだ。

 何かあった時の控えが一名。これは電話対応や放送に必要な情報の整理、カンペの作成などを行う。私は長いことここにいた。もう一人が機材係。BGMの操作や音響の確認を行う。これもアナウンサーが行うことが多い。だから機材の扱い方を学ばせるのだ。そしてもう一人がアナウンス。花形。声のお仕事だ。


 放送室は基本待機仕事なので、この三人が欠けることはない。シフトの交代がある時一人ずつ欠けることこそあれ、二人だけ、ましてや一人で仕事に臨むことなんてあり得ない。

 ……そう、思っていた。


 その日、私と一緒に放送室に入ったのは同期だけだった。先輩たちから覚えのいい同期が二人。三島加奈さんと行平是枝さん。私は仕事仲間の足を引っ張る方だったので、私の助っ人にその二人を、という判断だった。


「何でオオバカの面倒なんか……」

 勤務前。トイレの個室にいると、三島さんと思しき声が洗面台の方から聞こえた。続けて聞こえてくる、行平さんと思しき声。

「オオバカまじウケるよね。何であんな簡単な仕事も覚えられないんだっつーの」

「どんくさいんだよ。何であんなののケツ拭わないといけないのか意味分かんない」


 きゅっと心臓が狭くなった。息が浅くなる。オオバカ。私の名前、大場佳代をもじったあだ名だ。一部の女子社員がその悪口を使っているのは知っていた。でも、同期の二人まで。


 私たち同期は仲良し一期として有名だった。しょっちゅう飲み会をしたしお互いのことを信頼し合っていた……はずだった。


 勤務時間ぎりぎりまでトイレにいた。ため息が出る。

 何で私って、こうなんだろう。



「ごっめーん、佳代。私たち用あるから、閉店のアナウンスしてくれる?」

 その日の仕事終わり。

 私たちは夜のシフトだった。夕方から閉店時までのBGMを流し、閉店のアナウンスをする仕事。さっきのトイレのこともあり、二人の笑顔が何となく怖かった私は、一瞬硬直してしまった。それからすぐ思い出す。


「閉店のアナウンスは一人でしてはならない」


 先輩女子の言葉だ。閉店アナウンスは一人でしてはならない。それはもしかしたら、何か間違いをした時にリカバリーが効かないから、という、そんな意味だと、私は解釈していた。しかしここに来て私の反骨精神とでも呼ぶべきものが頭を持ち上げた。私は目に力を込めて二人を見つめた。


「うん。いいよ」

「ホント? ありがとう!」

 トイレでのことが嘘みたいな笑顔。

「今度飲み行こうね! あ、合コンとかする?」

「う、うん……」

 この顔を信じちゃ、いけないんだ。


 放送室に一人取り残される。何、やることなんて簡単だ。閉店のBGMを流して、閉店のお知らせをアナウンスするだけ。それだけ。それだけなのだ。

 そうして私はしてしまった。

 閉店のアナウンスを、一人で。



「ちょっと」

 その日の仕事を終え、更衣室から出てきた私を待っていたのは、店内放送及び遺失物管理担当の主任だった。くたびれたジャケットに皺だらけのシャツ。曲がったネクタイ。禿げ頭のおじさんが、肩を怒らせてそこにいた。


「困るよ。あんな放送されちゃあ」

「はい?」

「変な音声が入ってたってお客さんからクレームがあったよ。何だか怖かったって」

「変な音声?」

 覚えがない。

「複数のお客さんからクレームだよ。何か『一人にするな』的な音声だったって聞いてるけど」

「『一人にするな』?」

 言った覚えがない。

「子供の声だったって。放送室でゲームでもしてたんじゃないの」

「してません、そんなこと」


 主任が納得いかないような顔をして女子更衣室の方に目をやる。

「他の子は?」

「もう帰りました」

 途端に主任の表情が凍った。

「もしかして君、一人で閉店のアナウンスしたの?」

 やばい。職務怠慢がバレる。これは私が怒られるだけじゃなくて三島さんや行平さんも怒られる。

 そう思って私は必死に首を横に振った。懸命に言い訳もした。

「違います。ちゃんと三人でやりました。他の二人がもう帰ったのは、私ちょっと実家に電話してて、着替えるのが遅くなっちゃって……」

 主任は怪しむような顔をした。

「なら、いいけど……」

 それから、念を押すように。

「放送室の話は知ってるね?」

 私は必死に頷く。

「は、はい。『閉店のアナウンスは一人でするな』……」

「僕もこの店舗に来てまだ日が浅いから詳しいことは知らないんだけどね」

 と、前置きしてから。

「前の放送担当をしていた女の子、一人で閉店アナウンスをしちゃったみたいで、その後……」

「その後?」

「自殺しちゃったって」

 心臓が冷えた、気がした。



 駅からアパートまでの帰り道。

 暗い。街灯が少ないからだ。

 この街の雰囲気は正直嫌だけど、私の収入じゃターミナル駅のある街になんてとても住めなくて、仕方なく一駅ずれたこの街の安いアパートに住んでいる。

 こんな薄暗い道じゃ暴漢に襲われても誰も助けてくれない。常々そう思いながら歩いていた。身を抱き寄せるようにして、速足で進む。気持ちを張り詰めながらアパートに入って、部屋のドアを開けると、ふっと紐がほどける。


「あー」


 そんな怪獣みたいな声を出して服を脱ぐ。部屋着に着替えると、冷蔵庫から発泡酒を取り出した。一口飲む。スマホを弄って、ニュースを見る。面白そうなことはない。つまらない日常。そう、思っていた。


「……な」


 空気が固まる。


「……に……な」


 誰かの声。しかも近い。

 咄嗟に顔を上げる。どこだ。どこから? 隣の部屋? でもそれにしてはいやにハッキリ……。

 直後、背後から。


「一人にするな」



 飛び跳ねるように目覚めた。……あれ? 夢? 私、何を……。

 暗い部屋。真っ暗だ。ぼんやり浮かぶ物の配置から自分の部屋だということは分かった。おかしい。帰って来てから明かりをつけたはずだ。

 あれ? 服を着ている。手触りで仕事に行く時の服だと分かった。部屋着じゃない。

 おかしい。私はさっきまで、ここでリラックスしてお酒を……。


 ふらふらと立ち上がる。スマホの明かりを頼りに壁に辿り着き、電気をつける。それから時計を見て、ぎょっとする。


「い、一時……?」

 夜中の一時だった。ほとんど終電で帰ってきたようなものだ。テーブルの上に置きっぱなしになっているメイク用の鏡を見る。化粧も落としてない。それどころか、出勤した時と完全に同じ格好……。


「何が……」


 しかしそうつぶやくのも虚しかった。

 言ったところで、誰も答えてくれないのだ。

 私は一人暮らし。何か言葉を発しても、誰も答えてくれない。


「一人……一人……」

 頭の中でそう反芻した。

 ふと、耳元に蘇る。


「一人にするな」


 一人にしてほしくないのは私だよ……。

 腕を垂らす。今から着替えるのも面倒だ。服だけ脱いでそのまま寝よう。シャワーは……明日でいいか。

 化粧を落としてベッドに倒れ込む。ふと、つぶやく。


「……一人にするな」


 瞼を閉じると眠気がまとわりついてきた。払うことなく、身を任せる。意識が沈んでいった。

 厚く、温かい、一人の繭の中へ。

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