Episode.18 魔獣たちのパレード

 冷え切った風が、露出した顔の表面を掠めて吹き抜ける。


「斥候部隊は三方向に分かれて近隣の安全確認を。他の部隊は仮設キャンプの設営に当たれ!」


 騎士や魔法士たちに指示を飛ばすと、アルベールは一息。

 振り向くと、そこには高く聳える山がこちらを見下ろしていた。

 本来は白雪が山肌を優しく包み込んでいるはずだったのだろう。だが、その美しい姿は見る影もない。


(雪の上からさらに重なるようにして充満する《黒霧》……。あれが我々の未来を拓く存在となるか、それとも――)


 チリチリと肌を逆撫でするような感覚に襲われる。

 ふと、背後に気配を感じて振り返る。そこには防寒着を着込んだレティシアが佇んでいた。


「こちらでようやくひと段落、といったところですわね」


 レティシアはわざとらしく肩をすくめ、やれやれと息を吐く。


「ええ、少し雪道というものを甘く見ておりました。まさか、丸一日到着が遅れるとは……」

「よろしいではありませんの。無茶無謀な行軍で皆を必要以上に疲弊させることよりも、わたくしは好ましく思いますわよ?」

「過分なるお言葉、誠にありがとうございます。光栄に存じます」


 “臆病者”と蔑まれても仕方がないほどに、慎重を期した行軍。しかし、そのおかげで誰ひとり脱落することなくここまでたどり着けた。

 結果として、アルベールの判断は間違っていなかったということだろう。

 少しだけ、心が軽くなった気がする。

 感謝を込めて、優雅に頭を下げた。


「それにしても、少し肌寒くは感じませんの……?」

「はあ、防寒着を追加でお持ちいたしましょうか?」

「いえ、そういうわけではありませんわ」


 しばらく唸り声を上げるレティシア。すると、ポンッと手を打った。


「そうですわ! 今晩はわたくしが温かなスープを振舞って差し上げましょう――!」


 そのとき、場が凍った。


「……え?」


 つい今まで背後で忙しなく動いていた騎士や魔法士たちの気配も、今は感じられない。

 そう、ここにいるのは前回の遠征メンバーとほとんど同じ。ということは――。


(皆、あの“惨劇”を目にしているということ……)


 額に冷たい汗が滲んでくる。

 ……あれはマズい。いや、“不味い”。

 今でも頭に染みついた恐怖が拭い去れない。震える手で口元へ運んだ紫色の物体。あれを今度こそ口に入れてしまえば、死んでしまう。

 ――なぜか、そんな確信があった。


「わたくしだけ何もしないというのは、いささか気が引けますもの。元気の出る温かなスープを振舞うことを約束いたしますわ!」

「い、いえ、レティシア様! お気持ちだけで結構ですので……」


 背中越しに、皆の焦りが伝わってくる。

 今回ばかりはアルベールひとりの問題ではない。皆に振る舞うということは、被害者はこの遠征部隊全員に及ぶのだから。

 あまりにも必死に止めすぎたせいだろうか。レティシアに半目を向けられる。


「……もしや、わたくしのスープが飲めない、などとおっしゃいますの? アルベール・ド・シャレット騎士団長?」

「い、いえ、決してそのようなことは……!」


 ずいっと顔を寄せ、問い詰められる。目を逸らすも、逸らした先にはすでにレティシアの顔が。

 ダメだ。逃げ場がない……!?


(ま、マズい。このままでは、私も皆も……これまでの戦場で拾ってきた命が……!)


 まさか、たかが料理にここまで命の危険を感じさせられるとは思ってもみなかった。

 ……どこかに、どこかに逃げ道はないのか!?

 だが、もう逃げられない。ならせめて、犠牲になるのは自分ひとりで――。

 そう覚悟を決めた瞬間、二人の間に横から入ってくる影があった。


「……アルベール騎士団長、報告いたします」


 斥候に出していた部隊を指揮していた騎士だ。

 耳打ち。内容は、付近の環境調査の結果。話を聞く限り、またしても雪に行軍を阻まれるという心配はなさそうだ。


「なるほど……。ご苦労、今日はゆっくり休んでくれ」


 敬礼してから去る騎士を見送り、レティシアに向き直る。


「……魔獣の姿は?」

「現在は確認できないとのことです。ただ、やはり《黒霧》は山の中腹付近から頂上にかけて充満しているようでして……」

「明日以降の調査の最中、いつ魔獣が出没してもおかしくない、と?」

「ええ、もし霧と魔獣が無関係でないのであれば、必ず……」


 深く白い息を吐き出し、レティシアは聳える山へ憂いを帯びた目を向ける。


「――『嵐の前の静けさ』というものなのでしょうか?」

「ええ、何も起きなければいいのですが……」

「……その言葉、こういう場面では口にしない方がよろしくてよ?」


 冷たい視線を向けられ、アルベールは咳払い。

 そして、逃げるように振り返って未だ作業中の皆を見渡した。


「み、皆、明日からはしばらく調査漬けの日々が続くことになる。今晩はしっかりと休養を取ってくれたまえっ!」


     ◇


 早朝、ようやく朝陽が差し始めた頃、アルベールは皆を招集させた。


「本日より、数度にわけてこの山中に充満する《黒霧》の調査を行う。騎士・魔法士諸君は、レティシア様が率いる研究班を護衛。魔獣などの危険から守ることに専念しろ!」

「「「はっ!」」」


 アルベールからの指示もそこそこに、山中に足を踏み入れていく一行。

 先頭にアルベール率いる騎士部隊。間にレティシア率いる研究班を挟み、後衛に魔法士部隊という陣形を組んで進む。

 薄く敷かれた雪が、足音をサクサクという軽いものに変えていく。

 一面の銀世界……とまではいかないものの、普段温暖な気候の王都に住んでいるアルベールたちからすれば、十分に厳しい環境。

 結局、慣れない環境のせいで、一日目、二日目と連続でほとんど調査は進まず……。


「三日目にしてようやく中腹付近、か……」


 当初の予定では、三日目、四日目あたりには頂上付近まで調査の手が伸びているはずだった。


(今回の遠征で、改めて私の見通しの甘さというものを思い知らされる……)


 ここに辿り着くまでもそう。天候による足場の変化や部下たちの体調の変化。それらを計算に組み込めていなかった自分の甘さが恨めしい。


(……まったく未熟者だな、私も)


 自嘲気味に笑い、アルベールはまっすぐに前を見据える。

 そして、手で後ろの皆を制す。


「……止まれ」


 数メートル先、睨みつけるように見つめるのは“黒い霧”。それも一か所に溜まっており、一層に黒みがかって見える。

 しばらく立ち止まって観察していると、隣にレティシアが並んできた。


「《黒霧》ですわね。それもかなり溜まっておりますわ」

「ええ。どうやら、今までの調査では『人体に影響はない』とのことですが……」


 実際、この目で見てみると、それも本当かと疑いたくなる。

 ……立ち止まっていても、調査は進まないか。

 ごくりと喉を鳴らす。


「これより、あの“霧溜まり”に接近する。総員、周囲の警戒を怠るな」

「「「了解っ!」」」


 一歩一歩、大事に踏みしめるようにして、じりじりとその距離を詰めていく。

 近づくごとに霧だまりが視界全体に広がり、心なしか息苦しさが増していくようにも思える。


(皆、損耗しているな……)


 背中越しに聞こえる皆の息遣いが、少し苦しいように感じていた。


(調査が長引くほどに、皆は疲弊していく。そんな状態で、もし魔獣に出くわしでもすれば――)


 嫌な胸騒ぎ。

 アルベールがその足を止めている間に、他の騎士が前に出て霧へ手を伸ばす。

 手が伸び、指先が触れ……――。


「なっ……! ど、どうして!?」

「……っ! 魔法士部隊、何があった!?」

「ま、魔獣だ……。魔獣がいきなり背後に……っ!?」


 弾かれたように振り向く。

 大蛇、多頭の狼、巨腕の熊、四翼の烏。様々な魔獣の影が飛び込んできた。


(どうして……ッ!?)


 魔獣が姿を現したのは、つい今まで自分たちが通ってきた道。あれほどの数の魔獣がいれば、ここに辿り着くまでにわかったはず。だというのに、この部隊の誰ひとりその姿を確認できた者はいなかった。


(何か……何かがおかしい……っ!?)


 本当ならば、ここでしっかりと原因を精査したい。

 しかし、相手は狂暴な魔獣。待ってくれるはずもない。


「くっ……!」


 直後、襲いかかってくる巨腕の熊。

 焦りつつ抜き放った剣で丸太のような腕を斬りつけ、さらに前へ。相手の懐に入り込んでから、アルベールは下段から真上にその剣を振り抜いた。


『――~~~~ッ!?』


 断末魔の悲鳴。そして、絶命。

 しかし、これで終わりではなかった。


「団長! 後ろですッ!!」

「なっ……!?」


 振り向く。目の前には、すでに四翼の烏が飛び込んできていた。


「くそっ、間に合わな――っ!?」


 一瞬の中、必死に脳を働かせる。


 クチバシを避けるか。……いや、続く爪の攻撃に引き裂かれる。

 なら、剣で迎撃。叩き落すか。……いや、十分に振り切る時間がない。

 それなら……それなら……ッ!


 答えが出ない。鋭利なクチバシが眼前に迫る。このままでは……――。


「――アルベール、伏せなさいッ!」


 声と同時、背後からひとつの小瓶が飛んでくる。

 烏と衝突し、瓶が破砕。中から零れ出した透明な液体が振りかかり、魔獣は苦悶の叫びを上げた。


「これは、《聖水》……?」


 振り返ると、瓶を投げた張本人――レティシアと目が合った。


「レティシア様、申し訳ありません……」

「そんなことは後回し! 今は他の魔獣がいないかを……――」


 直後、裂くような悲鳴が耳をつんざく。

 悲鳴の主は、女性の研究員。その視線の先を辿り、二人は目を見開いた。


「なっ……!?」


 霧の中、苦しむ狼の姿が目に映る。魔獣などではない、ただの野生生物。

 その狼は呻き、のたうち回る。

 だが、二人が目を疑ったのはそんなことではない。


「狼が、魔獣に姿を変えて……っ!?」


 もがきながら、狼は新たな首を生やしているのだ。

 ――まるで、霧に無理やり変質させられているように。


「アルベール、驚くのは後になさい! 今は撤退の指示を……!」

「は、はい! 総員、襲い来る魔獣を最低限捌きつつ、キャンプまで撤退!」


 撤退指示を出しつつ、襲いかかる魔獣たちを斬り払う。

 血しぶきに身を晒しながら、少しずつ、ほんの少しずつ皆を退路に押し込んでいく。

 そして、最後にアルベールだけが残された。


(あとは、少し数を減らして……!)


 斬る。斬る。斬る……!

 全身が鉄臭い。血だまりに踏み込んだ足がもっていかれそうになる。視界に返り血のフィルターがかかり、見るものすべてが赤みがかって見え始める。

 そんな歪み切った視界の中、アルベールは横目で《黒霧》を睨みつけた。


(やはり《黒霧》には、獣を魔獣に変質させる効果があるというのか……ッ!?)


 霧の中、苦悶の呻きを上げる獣たち。それらは瞬く間に、異形の姿――魔獣へと変質させられていく。

 加速度的に増え続ける魔獣の影。あまりにも速すぎる増殖速度に、汗が伝ってくる。


「チィ……ッ!」


 直後、霧の中から飛びかかってくる魔獣。

 その一体を斬り伏せつつ、アルベールは唾で渇く喉を潤した。

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