Episode.17 期待に圧し潰された背中
扉からノックの音が響いた。
ノエルがそちらを向くと、部屋に入ってきたレティシアと目が合った。
「あら、本日もこちらへ来ておりましたの?」
レティシアの視線の先を辿る。
その先には、ノエルとその隣――ベッドに生気なく横たわる伊織。無機質な彼の表情を見て、レティシアが少し悲しそうな顔をしたような気がした。
「はい。同僚が気を遣って私の仕事を肩代わりしてくださいまして、そのおかげでこちらへ……」
「ふふっ、良き同僚に恵まれましたのね」
困ったように、ノエルは頬を掻く。そして、目を伏せる。
「はい。それに、これは私の責でもありますので……」
ぐっと堪えるような声を絞り出す。
……情けない。
噛んだ唇から血が滲み、ノエルの口内を鉄の味で満たす。
ふと、レティシアがベッドを挟んで正面に回り込んだ。
「ノエルに責があるというのでしたら、あの場に行くことを提案したわたくしにはそれ以上の“大罪人”ですわね」
息を呑む。
……そんなつもりじゃない。
ノエルは今にも泣きだしそうで悲痛な表情を浮かべて、首を振る。
「わかっておりますわ」
ちゃんとわかっている。そう告げるように、レティシアは優しく、それでいて悲しそうに微笑んだ。
「それにしても、倒れた原因が『魔法の過剰使用による疲労』だったのは僥倖と言わざるを得ませんわ」
そう、伊織が倒れていた原因は言うなれば『オーバーワーク』。
近くにいた大蛇の魔獣には運よく気づかれなかったようで、魔獣の操る神経毒の類は一切伊織の身体からは感知できなかったという。
「おそらく、意識を失っていたことで魔獣に見つからなかったのだと思われます」
「……まさに『不幸中の幸い』ですわね」
「はい。『幸い』とは言い難いですが……」
目を落とすと、そこには浅い寝息を立てる伊織の横顔が映る。
「……あれから一週間。疲労で倒れただけなら、もう目覚めていてもおかしくないのですが」
「医師によれば、『身体的には健康そのもの。しかし、心が目覚めを拒んでいる』ということでしたわね」
彼の寝顔は女性の外見も相まって、生気のない精巧な人形のように感じてしまう。
(……触れたら壊れてしまいそう)
酷く脆く、壊れたら二度と元に戻らない。
そんなガラス細工のような危うさを秘めた横顔に、思わずノエルの胸がきつく締めつけられる。
「やはり、聖女でいることが……この世界で生きることが嫌になってしまわれたのでしょうか……?」
――『心が目覚めを拒んでいる』。
その言葉が、どうしても心に引っかかって取り除けない。
自分が無茶なお願いをしたからだろうか。
自分が危険な戦場に連れ出してしまったからだろうか。
それとも……――。
「ノエル……」
レティシアの声が、沈黙に満ちた部屋に染み渡る。
痛いほどの静寂……。
沈痛な面持ちのレティシアを一瞥する。そして、ふと思い浮かんだ疑問を、この冷え切った空気から逃げ出すように口にした。
「ところで、本日はいかがなさいましたか?」
「あら、失念しておりましたわ。あなたを探しておりましたの」
「……私を?」
きょとんと首を傾げる。
レティシアは背筋を正し、空気を一変させた。
「――王宮魔法士ノエル・ル・ブランに通達いたします。イオリさんが倒れてしまい延期されていた大陸北部への大規模調査団の出立日が、本日正式決定いたしましたわ」
ノエルは喉から出かかった声を、ぐっと抑え込む。
そして、一息。絞り出された言葉は、たった一言だけだった。
「ついに、ですか……」
続く言葉が出てこない。
「ええ、出立は三日後。して、あなたはいかがなさいますの?」
「私は……――」
……私は、どうしたいのだろう?
困惑を秘めた瞳で、物言わぬ伊織を見下ろす。痛ましいほどに綺麗なその横顔が、今までの記憶を思い起こさせる。
一度、目を伏せる。
再び見上げたノエルの瞳には、覚悟の炎が宿っていた。
「――王女殿下、この場に残る身勝手をお許しいただけないでしょうか?」
それは再起のための決断――。
伊織をもう二度とこんな痛ましい姿にしてしまわないように。伊織に再び飛び立つ翼をあげられるように。
だから、遠征には行かない。いや、行けない。
その覚悟を見届けたレティシアは、ただ一度、鷹揚に頷いた。
「ええ、許可しますわ。どうか、イオリさんのことをお願いいたしますの」
「はい、承りました」
それだけ言い残すと、レティシアは背を向けて去っていく。ただ、ノエルの決断を否定することなく、その背をそっと優しく押すように。
◇
医務室から出たレティシアは、いつになく忙しない足取りで廊下を行く。
(……『聖女召喚の儀式』。それを計画したのは、他でもないわたくしですわ)
召喚主であるノエルは「自分に罪がある」と言っていた。
それならば、それを指示した自分は――。
(――そう、紛れもなく“大罪人”)
だからこそ、この責任は必ず果たさなければならない。
伊織がここまで疲弊し、圧し潰されてしまった責任は、必ず……。
レティシアは手にした扇子をぐっと握りしめる。ミシリと握力負けた扇子から嫌な音が聞こえてきた。
(情けない。王女として、魔道具・魔法薬製作者として……)
足を止め、唇を噛む。
(そして何よりイオリさんの友人である、ただの“レティシア”として――)
歯がゆい思いに、握られた扇子が悲鳴を上げて折れ曲がる。
折れ曲がった扇子を握りしめたまま、レティシアは廊下を曲がり、その先――工房に足を踏み入れる。
そこには、大量の工具と薬品の数々。
「この世界を救おうと、心をすり減らしてまでひとり戦ってくださった御恩。レティシア・フォン・ルクレールの名に誓って、わたくしが必ず果たして見せますわ……っ!」
伊織を守る役目は、ノエルに任せてきた。
ならば、自分は『自分にしかできないこと』を果たすだけ――。
(わたくしはこの『魔道具・魔法薬工房』の最高責任者兼筆頭研究者……)
その肩書きの意味は、『この国に魔道具・魔法薬の分野において、並ぶ者がいない』ということ。
(――だから、わたくしは行きますの。アルベールたちとともに、戦場へ)
……この役目は、この世界でわたくしにしかできないことですから。
覚悟を決め、乱雑に絹のような髪を一括りにする。
工具のひとつを手繰り寄せ、もう片手に様々な部品をひと掴みにする。
そして一心不乱に。血走らんほどの眼で。ただ黙々と、額に汗を滲ませながら魔道具を組み上げていく。
まるで、ここが自分の“戦場”である。そう告げるように――。
いくつもの魔道具を創り上げた後、ふとレティシアは黒みがかった空を窓越しに見上げた。
「……どうか、イオリさん」
祈るように、縋るように。
殊更丁寧に、その言葉を吐き出した。
「必ず、戻ってきてくださいませ……――」
窓越しに映る空には、うっすらと暗雲が広がり始めようとしていた。
◇
時は戻り、医務室……。
自分の意思を示したノエルの瞳には、悠然と去っていくレティシアの背が映っていた。
(感謝いたします、レティシア様……)
去り行く背に目礼。
レティシアの姿が見えなくなる。しばらくしてから、ノエルは扉の向こうで控えている侍女を呼んだ。
「アンさん、あとはお願いします」
「ええ、承りました」
伊織の看病を任せ、廊下に出る。
(イオリさんが焦ってしまわれていたのは、私も気づいていました)
足早に廊下を急ぐ。
人気のない廊下に、コツコツと硬い足音が反響する。足音が止まると、ノエルの目の前には一枚の扉が。
その上部には、『機密資料閲覧室』の文字が刻まれている。
(……だというのに、私には何もできなかった)
焦り。葛藤。不安……。
胸中を薄汚れた感情が荒れ狂う。
……イオリさんもこんな一歩先すら見えない感情の嵐の中、必死にもがいていたのだろうか?
(怖い、怖い怖い、怖い怖い怖い……)
誰かの力になれないことが、怖い……。
誰にも必要とされないことが、怖い……。
誰にも見向きもされないことが、怖い……。
胸の前で、ぐっと堪えるようにこぶしを握る。
……もう二度と、イオリさんにこんな思いをさせたくない。だから――。
(――だから、今度こそお役に立つのです)
意を決し、固く閉ざされた二重扉を開く。手に扉の無機質な冷たさを感じる。
耳鳴り。少し顔をしかめながらも、ノエルは静けさに包まれた部屋へと一歩足を踏み出した。
「この中の《聖女》をすべて洗いなおす……って、意気込んだはいいですが……」
目の前には、膨大な数の資料たち。一朝一夕で読み切れるような量ではない。
……だが、やると決めた以上、やるしかない。
ごくりと喉を鳴らすと、目についた聖女関連の資料を片っ端から机の上に山のように積み上げていく。
そして、ノエルは腰を据えて、資料の山からひとつ手繰り寄せる。
「待っていてください。あなたが目覚めるまでに、私が必ず聖女の力の謎を解明してみせます……っ!」
次から次へ、ページをめくりまた次へ。
ノエルは日が暮れるまでずっと、山積みの資料に目を通し続けた。
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