Episode.16 楽しいキャンプ?
釣り竿を川から引き揚げ、腰を伸ばす。
今日は珍しく外出中。鼓膜を揺らす優しい音に耳を澄ませながら、広がる自然を見渡した。
「川のせせらぎ、吹き抜ける涼し気な風、そして……――」
一瞥。少し離れてレティシアとノエルの姿が見える。
レティシアの手には、オタマと包丁。これは嫌な予感……。
「さあ、本日はわたくしの珠玉のフルコースでその胃袋を握りつぶして差し上げますわ!」
「い、いえ、レティシア様!? か、考え直しませんか!? というか、胃袋を握りつぶすって、いったいどんな料理を……っ!?」
二人から目を離し、青く澄み渡る空へ遠い目を向ける。
「はぁ、魔獣騒動ですら失われなかった俺の命もここまでか……」
「ちょっ……イオリさんも生きるのを諦めないでくださいよぉぉぉ!?」
背中越しに届くノエルの悲痛な叫び声。
もう一度振り返ると、鍋に向かって包丁を振り上げるレティシアをノエルがどうにか羽交い絞めにして抑え込んでいる図。
ノエルと目が合う。
アイコンタクトで『たすけて』。はあ、仕方ないか……。
「……放っておくと、俺の命も危なそうだし」
頭を掻くと、釣り竿を岩に立てかけて二人の方へ。
可哀そうに、もうノエルは涙目になっていた。
「お、お願いします! レティシア様が料理をすると言って、私の言葉を聞いてくださらないのです! どうか、どうかお助けを……!」
「……っていっても、僕も簡単なキャンプ飯ぐらいしか作れないよ?」
「「キャンプ飯?」」
「うん。向こうの世界にいるときは、たまにキャンプに行くのが数少ない趣味だったんだよ」
ここに召喚される直前は疲れ果てていて外に出る気力さえなかったから、かなりご無沙汰なのだが……。
とはいえ、焚き火で簡単な焼き魚くらいはまだつくれるだろう。
手早く乾燥していそうな小枝を拾い集めていく。それらを山型に組み上げると、少しだけ距離を取り、心を落ち着かせる。
……よしっ、いけそうかな。
「ふっ……と!」
マナを感じ取り、一息。
気合いを入れるように短く息を吐くと、枝の山に火が灯った。
……うん、成功。
「向こうだと火をつけるにも一苦労だったけど、こっちの世界は便利な魔法があるから楽だね」
言いながら、手も動かし続ける。
「ふっ、イオリさん。なかなかやりますわね。『本日のシェフ』の座は譲って差し上げますわ」
「いや、別にいらないんだけど……」
微妙に苦い表情浮かべつつ、釣り上げた川魚を捌いていく。それから塩もみ。下処理をすべて終えてから、串を通す。
我ながら、結構手際よくできた。串に通された魚たちを見下ろして、息を吐いた。
そこで、目が合ったノエルに、ふとした疑問をぶつけてみた。
「ところで、今日はどういう集まりなの? 突然、集合場所と時間を伝えられて、半ば無理やり連れてこられたんだけど……」
前の温泉旅行のときといい、振り回されることには慣れた。だが、それはそうと理由ぐらいは聞いておきたかった。
「え、ええっと……『今回の遠征は長丁場になりそうですので、その予行演習をいたしますわよ!』とおっしゃられていましたが……」
「予行演習……って」
前の遠征のときはそんなことしなかったけど……。
怪訝に眉をひそめていると、ノエルが補足を入れてくる。
「おそらく、イオリさんの秘密が長丁場の遠征でバレてしまうことを危惧されているのだと思いますよ?」
「秘密バレを危惧、ねぇ……」
さすがに、女性の姿でいる間はバレる心配はないと思う。それでも、急に姿が男性に戻らないとも限らない。それを心配しているんだろうけど……。
ふと、横目でレティシアの様子を窺う。
「虹色の傘がついたキノコに、鼻が曲がりそうな異臭を放つ花。これ、もしかしてとんでもない珍味なのでは……?」
生えている雑草やキノコを興味深そうに見つめては、カゴに放り込んでいく背中が映り込む。
ノエルに半目を送る。
「……ほんとにそんなこと考えていると思う、アレ?」
「た、たぶん……場を和ませようとしていらっしゃるだけなのですよ。そうだと思いましょう……」
言葉を濁しながら、目を逸らされる。
しばらく追及の視線を送り続けていると、ノエルは逃げるようにレティシアの方へ。
焚き火の前、ひとり残されてため息をこぼす。
「ほんとは、こんなことしてる場合じゃないんだけどなぁ……」
立ち昇る煙の先を見上げながら、不満の声を漏らす。
「……今日だって本当は《聖法》の発動方法を調べるつもりだったのに」
口を尖らせて、はっと気づく。
恐る恐る振り返るも、二人ともこちらに背を向けたまま。
(よかった、聞こえてなくて……)
安堵に肩の力を抜く。
すると、足元からパチパチと弾けるような音が届く。しゃがんで魚の焼け具合をチェック。
……うん、結構いい具合。
「おーい、二人とも! 魚、そろそろ焼けそうだよ~!」
陰鬱とした心中を誤魔化すように、元気に声を張り上げた。
◇
「ふぅ……、川魚というものは初めて食しましたが、なかなかワイルドな味でわたくしもついつい食べ過ぎてしまいましたわ」
「れ、レティシア様!? そんなはしたないことはおやめくださいっ!」
膨れたお腹をポンポンと叩くレティシアを見て、ノエルが悲鳴じみた声を上げている。
すると、レティシアが不思議そうに目を丸くする。
「ん? ですがわたくし、ノエルの行動を参考にしてみましたのよ?」
「な、なななっ……なにをおっしゃるのですか!? わ、私がそんなことをするはず――」
「あら、そうですの? あれはたしか、ノエルが初めてのお給金をいただいた当日……――」
「あああああっ!」
含みのある笑みを浮かべるレティシア。
その言葉に、ノエルは耳の先まで真っ赤に染めて絶叫。飛びかかるほどの勢いでレティシアの口元を押さえにかかる。
(ほんと、二人は仲いいなぁ……)
前まで『レティシア王女殿下』なんて畏まりすぎた呼び方をしていた人と同一人物とは思えないほど、レティシアを追いかけ回しているノエルは生き生きしている。
……まあ、より仲良くなったせいで振り回される頻度も上がったんだろうけど。
(どんまい、ノエル。どうか強く生きて……)
控えめに合掌して、黙祷。南無南無……。
ひとしきりノエルの心の平穏を願ってから、焚き火と食事の後始末を始める。特に火は念入りに消しておく。ないとは思うが、もし山火事にでもなれば大変だ。
後始末を終えても、まだ二人は追いかけっこに興じていた。
(これは、いつまで経ってもノエルは捕まえられないだろうな……)
まるでいたずらっ子のような爛漫な笑みを携え余裕たっぷりなレティシアと、怒りと恥ずかしさに冷静さを失ってしまったノエル。
どちらが優勢なのかは、火を見るより明らか。
しばらくすると、予想通りノエルが先にへたり込んだ。
「はぁはぁ……うぷっ……食後すぐに動くものじゃありませんね……」
ダウンしてしまったノエルに苦笑を送りながら、自分の荷物を拾い上げる。
「あら、イオリさん。どちらへ行かれますの?」
声の方へ振り向くと、まだ動き足りないとばかりにその場で駆け足の体勢を取るレティシアが。
……本当のことを言えば、止められるだろうな。
出来るだけ悟られないように、何でもない風を装って口元を緩めた。
「ん? ああ、ちょっと森の中を散歩でもしようかと思ってさ」
「森の散策でしたら、私が同行いたしましょうか? 万が一のことはないとは思いますが、森にはどのような危険があるかわかりませんので……」
「いやいや、いいよ。これでも少しは魔法だって上達したし、野生動物ぐらいならどうにかできるしね」
腕を折りたたみ、力こぶをつくってみせる。
それでも、ノエルは不安そうに眉を曲げる。
「でも、もし魔獣が何かの間違いで出たときは……」
「そのときはすぐに助けを呼んで逃げるさ」
これ以上長話をして悟られたくはない。
早々に会話を切り上げると、背を向けて森の中へ。
「あっ、イオリさん……!」
呼び止める声が聞こえた気がする。
だが、足を止めることはない。
(ごめん、ノエル。俺は一刻も早く《聖法》の使い方をマスターしなきゃいけないんだ)
いつまでも足手まといではいられない。
だって、自分はこの世界を救える唯一の《聖女》なのだから――。
覚悟の据わった目で、鬱蒼と茂る木々の間を分け入っていく。チクリと胸を刺す痛みに気づかないフリをして。
◇
伊織が一人で森へと入ってから、すでに三時間以上が経過していた。
「イオリさんが森に入ってからもうかなり経ちますけど、帰ってくる気配はなし……ですか……」
ノエルは険しい表情で、同じ場所を行ったり来たり繰り返す。
「落ち着きなさい、ノエル。あなたがいくら回転したところで、イオリさんが早く帰ってくるわけではありませんのよ?」
「そ、それはそうですが……」
わかっている。わかっているが、ノエルの心は不安と同時に、嫌な予感じみたものを覚えているのだ。
それでも、今自分がこの場をウロウロしたところで何が変わるわけでもない。
無理やり自分を納得させると、ノエルは苦渋にまみれた顔で手近な岩に腰を落ち着かせた。
「……まあ、少し気がかりではありますわね」
「そうですよ! なので、やはりここはイオリさんを探しに――」
「――おやめなさい」
ぴしゃりと言い放つレティシア。
鋭い視線に射すくめられたノエルは、立ち上がることができずに少し腰を浮かせたまま動きを止める。
「今、イオリさんを追っても逆効果でしょう」
「どうして……?」
もしかしたら、何かアクシデントが起こってしまったのかもしれない。
もしかしたら、怪我を負ってしまって動けないのかもしれない。
もしかしたら、何者かの襲撃に……――。
嫌な想像に顔を青ざめさせるノエルに、レティシアは優しくたしなめるように声をかけた。
「『早く一人前の聖女にならなければ』。イオリさんの頭の中は、その焦りで満員御礼ですもの」
「それは……」
「わずかでも息抜きとなれば……と思いましたが、それも逆効果となってしまいましたわね」
レティシアは森の方をじっと見つめながら、重く息を吐き出す。膝の上に乗せられた手は、固く握られたまま。
(レティシア様も本当はすぐにでも追いかけたいはずなのに……)
――自分のせいでさらに追い込んでしまった。
レティシアはそう思っていることだろう。
しかし、あの心優しい伊織がレティシアのせいだなんて思うはずがない。それはレティシア本人もわかっていることなのだが……。
「……自分がここまで無力だとは思いませんでした」
「ええ、本当に。まったくやるせませんわね……」
同時にため息。
すると、森の奥の方から木が倒れるような音が突然轟いた。
「「――……っ!?」」
弾かれたように音の方へ視線を飛ばす。
あまりよく見えないが、砂煙のようなものだけ確認できた。
嫌な予感がする……。
「今のはまさか……!?」
「ええ、イオリさんが向かった方角ですわ……!」
目を見合わせる。
そして、それぞれ剣と杖。わずかな手荷物を携え、音の方向へと迷いなく駆け出した。
(お願いします。イオリさんに関係のないことであってください……!)
祈りながら木々の隙間を駆け抜けること数分。
少し開けた場所に出た瞬間、目につく“赤”の点があった。
「これは、いったい……?」
鼻を近づけると、わずかに鉄の臭い。“赤”の正体は、何者かの『血液』で間違いないだろう。
だが、こんなところに血だまりが点々と散らばっている意味が分からない。
怪訝に顔を歪めていると、レティシアが試験管を取り出してきた。
「もしかしたら……」
意味深なつぶやきとともに、その血液を試験管の液体の中へ。
少し振ってかき混ぜると、無色透明だった液体は見る見るうちにその色を血のような『赤』に変えた。
「……っ!? これは、もしや――」
「ど、どうしたんですか、レティシア様!?」
言うや否や、レティシアは今までの冷静さを投げ捨て、一心不乱にさらに奥の方へと駆け出した。
嫌な予感がする……。
「ど、どういうことなのか説明してください、レティシア様!」
彼女の背に追い縋りながら、叫ぶように声を張り上げる。
すると、レティシアも背中越しに荒々しい声で叫ぶ。
「あの液体は、わたくしが試作していた『血液と反応して色を変える魔法薬』。そして、『赤』の反応は――《魔獣》の血液である証明ですの……っ!」
「――……っ!?」
嫌な予感がする――。
鼓動が早い。視界が狭まってくる。風が枝葉を揺らす音すら耳に入ってこない。
今感じるのは、ただ早鐘を打つ心臓の音。ただそれだけ。
――そのとき、さらに木の倒れるような轟音が響いた。
「「イオリさん……!!」」
二人はさらに加速度を上げ、音の主のもとへ。
木々が倒されてできた荒れた広場には、背丈を優に超える大蛇の魔獣が鎮座していた。
(ま、まさか……っ!?)
嫌な想像が脳裏をよぎる。そして、激情が脳を支配する。
冷静さを欠いていることはわかっている。
だが、今は冷静に慎重に“害獣”の相手をしていられる場合じゃない……っ!
「ノエルっ!」
「はっ!」
同じく激情を含んだレティシアの叫びと同時、大蛇に黒々とした油の入った瓶が投げつけられる。
そこにノータイムで魔法を使い、着火。
燃え上がりながらのたうち回る大蛇などには目もくれず、二人はさらに奥へ奥へと駆け抜けていく。
少し進んだ先、そこには――。
「「……イオリさん!?」」
倒れ込む伊織の姿を認めるなり、レティシアが手首で脈を確認。
そして、ノエルに向かって鋭く視線を投げつけた。
「ノエル、今すぐ救護の者を呼んできなさい! 大きな外傷はございませんが、先ほどの魔獣は神経毒を操るもの……。万が一の可能性がありますわ!」
「は、はいっ! かしこまりました!」
すぐにでも駆け寄りたい衝動を抑え、伊織に背を向けて走り出すノエル。
物言わぬ伊織を見下ろしながら、レティシアは弱々しくつぶやいた。
「……どうか、救護が来るまで持ちこたえてくださいませ、イオリさん」
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