Episode.13 立ち込める暗雲

 講義が再開されてしばらく経ち、最近はノエルの魔法講義とレティシアの魔法薬・魔道具講義を一日ずつ交互に行っている。

 今日はレティシアの講義の日――。


「――では、これまでの箇所で質問はありまして?」


 レティシアはチョークを置き、軽い音を鳴らす。

 黒板を見る。びっしりと魔法薬の基礎やその歴史などが書かれているが、かなり理解しやすいように噛み砕いた表現がされているおかげか、ほとんど理解に躓くことはない。

 ……あ、でもひとつだけあるかも。


「質問って、魔法薬以外のことでも大丈夫?」

「ええ、わたくしに答えられるものであればなんでも。あっ、ですが本日の下着の色などは、いくらイオリさんとはいえお教え出来かねますわ。どうしてもと言うのならやぶさかではないですが……」

「いやいや! そんなこと聞かないから! やぶさかあってよ!?」


 なんだか変なことを口走った気がするが、これもすべてレティシアが悪い。

 ……ホントに人をからかうのが好きなんだよな、この人は。

 ふと、先日の言葉を思い出す。


『――イオリさん、わたくしの婚約者になりませんこと?』


 今思い出しても、顔が赤くなってくる。ああ、頬が熱くなってきた……。


「……? して、質問は?」

「あ、ごめんごめん……!」


 顔をブンブンと振って頬を冷ますと、前から思っていた疑問をぶつけてみた。


「そういえば、魔獣の発生原因って何なんだろうなぁ……って」


 すると、レティシアが気まずそうに顔をしかめる。

 なんだが悪いことを聞いてしまっただろうか……?


「魔獣の発生原因、ですの……?」

「あれ、聞いちゃマズい内容だったりする……?」


 レティシアは首を横に振る。


「いえ、そういうわけではありませんわ。ただ、ノエルの講義で教わりませんでしたの……?」

「うーん……」


 ……何か教わっただろうか?

 あの頃はとにかくここに順応することに必死で、最初の方の講義内容は正直ほとんど覚えていない。

 頭を捻って、おぼろげな記憶を辿っていく。


「……あっ、たしか『あまり詳しくはわかってない』みたいな説明があったような気が」


 レティシアは渋い表情のまま首肯する。


「ええ、原因や生態……そのほとんどが未だ解明されておりませんの。なにせ、数十年から数百年に一度しか姿を現さない存在ですもの。そう簡単に研究を進めさせてはもらえないのですわ」

「なるほど……」


 研究を進めるためには、その前に安全を確保しなければならない。

 まして極稀に姿を現す存在。対処法も確立されていない状況では、危険を排除することで精一杯だった、というわけだ。

 つまり、手詰まり――。


(少しでも魔獣のことが分かれば、役に立つ術も見つけられると思ったんだけどなぁ……)


 たびたび書庫に出入りして分かったのは、《聖女》という存在が魔獣を消し去れる力を持つという御伽噺にも近い言い伝えのみ。


「はぁ……」


 あまりにもお先真っ暗な現状に、特大のため息が漏れる。

 すると、レティシアは不意に含みのある微笑みを携えて詰め寄ってくる。


「わたくしでは魔獣に関する詳細な情報はお伝え出来ません。ですが、こうは思いませんこと?」

「え、え……?」


 ニヤリ、その口角が吊り上げられた。


「『わからないなら、わかる人間に聞けばいい』と――」


     ◇


 場所は変わり、ノエルの研究室。

 あまりにも静かなその室内に、突然扉が蹴破られたかのような爆音が響き渡った。


「たのもー! ですのっ!」

「れ、レティシア様……!?」


 暴走列車のようなレティシアの後ろから部屋に入ると、ノエルが目を剥いて飛び上がっている。

 ……ノエル、ごめんよ。

 先にアイコンタクトで謝罪だけ入れておく。


「今ってたしかイオリさんの講義のお時間なのでは? というか、その扉って鍵かけていませんでした……?」

「ああ、そんなことですの?」


 レティシアはおもむろに手にしていた“それ”を持ち上げる。


「鍵なら“これ”で開けましたわ!」

「……一応、その魔道具の使用方法と能力を教えていただいても?」

「ふふん! こちらはわたくしの自信作……その名も『鍵なんてなかった君・五号』ですわっ!」


 唖然。俺もノエルもポカンと口を開けて固まる。


「鍵を落として部屋に入れない。家に帰ったら鍵穴を変えられていて入れない。そんな方のために開発された魔道具ですわ!」

「いや、一つ目はともかく二つ目の事例なんて普通はないんじゃ……」


 ツッコミを入れるが、暴走列車状態のレティシアには届かない。


「その使い方は実にシンプル! こちらの魔道具を鍵穴部分に被さるようにセット。そして、ズドンッ! ですわっ!!」


 言葉とともにレティシアが魔道具のレバーを引くと、そこから鉄杭が勢いよく飛び出す。

 ……ナニコレ。


「こちらの杭には貫通力を強化する魔法を籠めながら作成されたものですので、その威力には安心と信頼がありますの! 一家に一台いかがですの?」

「……いや、いらないから」


 全身から冷や汗が噴き出してくる。


「これ、経費で落ちますかね。落ちてくれないと、もしかして私これから一か月タダ働き? ははははは……」


 後ろでは、ノエルの悲しいつぶやきが聞こえてくる。

 まあ、壊したのが国のトップだから、補償はちゃんとしてくれるだろう。うん、たぶん……。

 しばらくすると、どこか吹っ切れたようにノエルがこちらへ目を向ける。


「して、本日はどのようなご用件で?」

「あ、そうだった。ちょっと素朴(?)な疑問を解決してもらいたかったんだけど……」


 つい、大破した(犯人:この国の王女)扉に目が行ってしまう。

 しかし、ノエルは気にしないでいいと、首を振る。


「……まあ、落ち着かないでしょうし、ひとまず講義室の方へ場所を移しましょうか」


 去り際、悲しげに『扉だったもの』を見つめるノエルの背中に、心の中で何度も謝罪したのだった。


     ◇


 場所を変え、使い慣れた講義室。

 そこでノエルは盛大にため息をこぼした。


「もったいつけて申し訳ないのですが、私の研究もそこまで進展しているわけではないんです。すみません……」

「ですよねぇ……」


 そんなトントン拍子で話が進むほど甘くはない、ということだ。

 わかってはいたが、ここまで見事に行き詰まるとなかなか精神的にもつらい。なんだか、一気に疲れが襲い掛かってくる。


「……現実そんなに甘くはないってことかぁ」


 うつむき打ちひしがれる。

 すると、ノエルが不意に人差し指を立ててこちらを見据える。


「ですが、ひとつだけ収穫はございます。あくまで、仮説段階の話ではありますが……」

「……っ! ホントに!?」


 思わず、椅子から飛び上がる。


「ええ。……では、少し特別講義といたしましょうか」


 ノエルは黒板にチョークを走らせ、図のようなものを描いていく。


「これは大陸の全体図……?」

「はい。我々の国が治める大陸の地図を簡略化したものですね」


 言いながら、ノエルはその周りに雲のようなものを描き足す。


「現在、この大陸には“黒い霧”というものが、各所で確認されています。私はこれが魔獣と何らかの関係があるのではないかと睨んでいます。しかし、これらは直接人体に悪影響を及ぼすものではないのですが……」

「なら、何も問題はないんじゃないの?」

「いえ、それがこの“黒い霧”にはひとつの特徴があるのです」


 大陸の簡略図の上から、さらに描き足す。

 それは、犬や鳥、蛇のような姿をしたもの。描き終えると、ノエルはそこをチョークで叩いた。


「この霧――《黒霧》は『魔獣の発生とほぼ同時期に発生する』という特徴を持っています」

「なっ……!?」


 あまりの衝撃に目を見開く。


「過去の文献を見ても、そのことは明らかです。それが一つ目の理由ですね」

「なら、二つ目は?」


 こくりと頷き、ノエルが二本の指を立てる。


「次の理由は、魔獣の姿がまったく見たこともないようなものではなく、既存の生物をどこか異様に変質させたような特徴を有していること。そのため、『異世界から迷い込んだ』などの可能性は限りなく薄くなります」


 次いで、三本目の指を立てる。


「最後に、魔獣の主な生息地点には必ず黒霧を一か所に集めたような『霧溜まり』が確認されていること。これも文献に記されてますね」


 そして、立てた三本の指を見せ、こう締めくくる。


「以上、三点の理由から私は『黒霧と魔獣発生は関係がある』――いや、それどころか『黒霧が既存生物に作用して魔獣化させている』と仮設を立てています」

「生物を魔獣化させる霧……。それが本当なら、一種のウイルスみたいだね」

「ええ。おそらく、それが正しいかと」


 突きつけられたノエルの仮説に、言葉を失ってしまう。

 まだ仮設段階とはいえそれが本当なら、《黒霧》を消し去れない以上魔獣は増え続ける一方だということになる。

 そして、消し去れる力があるとするならば、それは――。


「……《聖女》であるイオリさんの力だけがより重要になってきますわね」


 レティシアの言葉に、顔をしかめる。

 《黒霧》がもし魔獣と関係があるのなら、それを消し去れるのは《聖女》である自分ただ一人――。


「ほんと、自分の中にそんな力があるなんて思えないんだけどなぁ……」


 背もたれに身体を預け、眼前で手を握ったり開いたりを繰り返す。


(そもそも、俺は何かの間違いで召喚されただけだろうし……)


 でなければ、『聖女召喚の儀式』でこんな何の力もない者、しかも『男』が召喚されるはずがない。

 ノエルには悪いが、どこか儀式に不備があったんだろう。

 そんな“偽聖女”に本当に魔獣を消し去れる力があるというんだろうか……?


(でも、俺がやらなきゃこの国は……――)


 脳裏に儀式塔の頂上から見た景色が浮かぶ。

 ただ日々を穏やかに過ごす人々。その笑顔が永遠に失われる未来を想像し、身震いする。


(いったい、どうすればいいんだ……?)


 眉間にしわを寄せ、項垂れる。

 ふと、手を叩く音が来る。


「まあ、どうしようもない話は一旦おいておきましょう。それに、過去の聖女についての資料を今一度洗いなおさせているところですの」

「はい、そうです。私たちも寝る間を惜しんで研究を……――」

「いや、気持ちだけは受け取っておくから、ちゃんと寝てよ……」


 気持ちはうれしいが、ちょっと気合いが入りすぎていて怖い。

 ……また倒れられても困るしね。


「そ、それは言葉の綾というか……いえ、善処はします……はい……」


 しょんぼりと肩を落とすノエル。

 視線を外すと、くすくすと笑うレティシアに尋ねてみる。


「そういえば、レティ。聖女の記録って、俺も見られたりする?」

「はあ、一応見れますわよ。ただ、重要度の高い資料はすべて機密資料閲覧室の方に収められていますので、入るにも許可が必要ですの」

「そっかぁ……」


 ……機密資料か。それはさすがに見れないかなぁ。

 自分でも暇なときに調べようと思ったのだが、この案はボツだろう。いい案だと思っただけに、ちょっとショック。

 肩をがっくり落としていると、レティシアに肩を叩かれる。


「そんな顔しないでくださいまし。わたくしはこの国の王女ですのよ? 機密資料閲覧の許可を出すぐらい朝飯前ですの」

「あっ……!」


 ポンッと手を打つ。

 そういえば、レティシアはこの国の王女だった……!


「……その、『そういえばこの人王女だったわ』みたいな表情は何ですの? 許可出しませんわよ?」

「ごめんなさい。本当にごめんなさい」


 ジト目を向けられて、土下座で誠意の平謝り。

 まさか心を読まれてしまうとは……。


「イオリさんは表情が読みやすいだけですわ……」


 また呆れられてしまった。

 頬を掻いていると、今度はノエルが二回続けて手を叩く。


「はい、では本日の臨時講義は終了といたしましょう。私も過去の資料を洗い直しますので、どうかイオリさんもご無理をなさらず」

「うん、ありがとう」


 立ち上がってノエルに頭を下げ、そのまま揃って講義室を出る。


「では、私は研究室へ戻りますので」

「ええ、わたくしも少々話がありますので、こちらから」

「ありがとう、二人とも」


 逆方向へ歩き去っていく二人。

 その背中を眺めながら、廊下の真ん中で立ち止まる。


(そうだ、俺がなんとかしなきゃ……俺にしかできないんだから……俺が……!)


 こぶしを握って、少しうつむく。

 今でも、さっきのイメージが脳裏から離れない。華々しい王都が破壊され、魔獣に人々が蹂躙される未来が。


 白い布を黒いインクが染め広がっていくように、徐々に焦りという名の暗い感情が心を支配しようとしていた――。

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