Episode.14 慰安旅行は疲れることだらけ

 湿気を孕んだ風が吹き抜ける。

 周りには古めかしい建物が並び、至る所から湯けむりが上がっている。

 そんな風景を背に、レティシアは集まった騎士・魔法士たちへ声を張り上げた。


「皆様、先の魔獣討伐の一件、誠に大儀でありました。これによって、またひとつ魔獣に支配されていた領域を奪還することができましたわ」


 ここに集まっているのは、遠征に出たメンバー。つまり、俺だけでなくノエルやアルベールもいるのだが、なぜこのメンバーが呼び出されたのか実はよくわかっていない。

 何せ……――。


『明日の講義は休講ですの。ですので、宿泊の準備をしっかりと整えておいてくださいまし!』


 ……と、謎理論で半ば無理やり連れだされて今に至る、というわけだ。

 それは周りの騎士や魔法士たちも同じようで、皆一様に首を傾げたり、辺りをキョロキョロ見回したりと困惑している様子。

 そこにレティシアが手を打つ。

 皆の視線を集めると、本題を口にした。


「そのせめてもの労いとして、我がルクレール家からこの温泉街での一日休暇を差し上げますの――!」


 バッと両手を広げ、口角を上げるレティシア。

 その言葉に、周りからは「おぉ……」と感嘆の声が漏れ聞こえてくる。


「では、本日はご存分に戦いの傷や疲れを癒してくださいませ」


 恭しく一礼。

 レティシアの挨拶が終わると、それぞれ思い思いの方向へ歩き去っていく。結局、残されたのは俺ひとり。


(……みんな、順応性高いなぁ)


 それだけレティシアに振り回され慣れているということだろう。自分もかなり慣れてきたと思っていたが、まだまだだったみたいだ。もっと修行を積まないと……。

 とはいえ、休暇をくれるというのはありがたい。

 今日はこの温泉街を思い切り楽しむとしよう……!


「って言っても、そもそも王都の外にほとんど出たことないし、どうしたらいいかもわからないんだけどねぇ……」


 意気込んだはいいものの、右も左もわからなく立ち尽くす。

 不意に背後から声が来る。


「イオリさん、もしお時間がありましたらご一緒しませんこと?」

「あ、うん。でも、いいの?」

「ええ、おかしな道に迷い込まれても困りますし?」


 意地悪な笑みを返される。

 ……失敬な。初めての場所だからといって迷うことなんて、あるわけ……あるわけ……――。


(――……うん、あるな)


 苦い表情を浮かべていると、くすりと控えめな笑い声が届く。


「……じゃあ、お言葉に甘えても?」

「ええ、もちろんですわ」


 頷くと、レティシアはこちらを見つめながら動きを止める。

 ……もしかして、寝ぐせでもついてた?


「え、ええっと……」


 しばらく立ち尽くしていると、レティシアはしびれを切らして頬を膨らませた。


「もうっ……、こういうのは“男性”がエスコートするものですわよ?」


 ……あっ、そういうことか。


「いやぁ、こういうときだけ“男性”扱いされても困るんだけどね……」


 不平をこぼしつつ、リスのように頬を膨らませたレティシアへ手を伸ばす。


「――お嬢様、俺と一緒に散歩でもしませんか?」


 一瞬目を丸くし、レティシアはこちらへ手を伸ばす。


「――……♪ 及第点、といったところですわね?」

「……光栄です」


 苦笑。そして、その手を取った。


     ◇


「(ねぇ、やっぱり“コレ”やらなくちゃダメ……?)」


 コソコソと周りにバレないように、隣を歩くレティシアに問いかける。

 二人で温泉街を歩いているだけ。それなのに、周りからは好奇の視線が背中に突き刺さっている。

 それもそのはず。女性二人が恋人のように腕を組み、身体を密着させているのだ――。


「(ええ、“紳士”のエスコートとはこういうものですもの)」

「(一応、傍から見れば“紳士”っていうより“淑女”なんだろうけどね……)」


 たしかに、これがアルベールとレティシアみたいな美男美女なら絵になっただろう。

 ……悲しいかな。俺はそもそも美男ではないし、今は“女性”なんだよなぁ。


「(ですが、目立ちすぎるのもよくありませんわね……)」


 レティシアが悩ましげに息を吐くと、そのまま人通りの少ない方へ。

 少しして流れ着いたのは、地面から湯けむりを噴き出すいわゆる『源泉』のある一帯だった。


「なんだか、今にも爆発してしまいそうな感じだね……」

「ええ、昔は『大地の怒り』といって怖がられておりましたの」


 そう考えると、初めて温泉に入った人はなかなか勇気がある人だと思う。

 ……でも、こんなところ入ってもよかったのかな?


(まあ、仮にも王女だし、めちゃくちゃ怒られたりなんてことはないだろう……たぶん……)


 勝手にひとりで納得していると、レティシアが腕を離して立ち塞がるようにして前に出る。


「……レティ?」


 こちらへ向き直る彼女の目には、いつになく真剣な色が見える。


「ねえ、イオリさん? あなたは《聖女》が“女性”である必要があるとお思いですの?」


 問いかけながら、じっとこちらの瞳を見つめ続ける。


「聖女とは、その力で魔獣を鎮められる唯一の存在のこと。では、女性である意味とは……」


 たしかに、『魔獣の危機を退ける力を持つ者』という条件だけなら、女性である意味はないように思える。

 押し黙ったままいると、レティシアは少し顔を伏せる。


「この度イオリさんが召喚されて思いましたの。偶然今までは女性だけが召喚されていただけで、男女の区別など本来は存在しないのではないのか、と」

「で、でも、間違って呼ばれただけなんじゃ……!」


 静かに、首を横に振る。


「あなたは紛れもなく本物の《聖女》です。たとえ、今はその力が十全に振るえずとも、わたくしは確信しておりますわ」

「でも……! でも、俺は聖女として……何も……」


 ――自分は間違えて呼ばれた。

 ずっとそう思っていたからこそ、自分に特別な力がなくても思い悩むことなくここまで来られた。

 でも、自分が本当に世界を救う使命を帯びて呼ばれたというのなら――。


(なら、どうして俺にはその力が使えないんだ……!?)


 徐々に、心を焦りが蝕んでいく。

 そんな心中を知ってか知らずか、レティシアは優しく微笑みかけてくる。


「まあ、今すぐにどうこうしろと言っているわけではありませんわ。ただ、もしあなたが男性の姿を取り戻したとしても、窮屈な思いをして《聖女》を演じる必要はないのではないか。そういうわたくしの一意見ですわ」


 言って、レティシアはウインクしてみせた。


「もしそうなれば、わたくしの“婚約者”という肩書きを新たに進呈して差し上げますわ♪」

「そ、それは遠慮しておこうかな……」

「まあ、それも先の話ですわ。まずは『元の姿に戻る』というのが難題ですし?」

「ぐっ……!」


 痛いところを突かれる。

 ……聖女の力。女性化の解除法。問題が山積みだなぁ。

 手をひらひらと振って戻っていくレティシアを見送りながら、眉間を押さえる。


「聖女が女性でなければならない意味、か……」


 そっと目を閉じて考える。


(今はまだ、女性の姿だから何とかなっている。でも、もし男に戻ったら……)


 『女性の姿で中身が男性であることを隠す』というのと『女装して男性であることを隠す』というのは、精神的負担がかなり違う。

 ……もちろん、バレたときのリスクも。


(出来るなら、ありのままの自分で生活したい。でも――)


 引っかかるのは、ノエルの言葉。


『お願いします! 《聖女》として、この世界を救ってはくださいませんか!?』


 あのときの願い。その真意がわからない。


「……どうしてノエルはあんなことを頼んで来たんだろう」


 いくら考えても、何も答えは出なかった――。


     ◇


 騎士や魔法士たちは大部屋に数人ずつという部屋割り。しかし、《聖女》である俺には、ワンランク高そうな個室が用意されていた。

 正直、ちょっと落ち着かない……。


(はぁ……全然寝られない……)


 じっと天井の木目を視線でなぞってみるも、いつまで経っても眠気が襲ってこない。

 ――理由はわかっている。

 レティシアに言われた言葉が引っかかっているんだろう。心の奥にはモヤモヤした感情が居座ったまま、未だ晴れる気配はない。


(どうせこのままじゃいつまで経っても寝られない、か……)


 今はもう深夜。皆が寝静まった時間帯だ。

 夕方は皆が入るからと遠慮していたが、この時間なら温泉に入っても誰もいないだろう。


(せっかく温泉街まで来て、個室のお風呂だけで我慢するってのももったいないしね)


 いくら外見が女性だといえ、他の女性たち(主にレティシアとノエル)と一緒に女湯に入る度胸はなかったのだ。

 ただ、深夜なら鉢合わせる心配もないはず。


「よいしょっ……と。じゃあ、行きますかぁ……」


 重苦しく息を吐き出しながら起き上がり、そのまま軽く荷物をまとめて温泉の方へ。

「……うん、予想通り」


 注意深く脱衣所を観察するも、人の影は見当たらない。

 足音を殺しながら中に。そのまま手早く服を脱ぎ捨てると、不気味なほど静かな脱衣所を抜け、扉を開いた。


「おお……、何かお城の中庭をそのまま温泉にした、みたいな作りだな……」


 タオルひとつを携え、湯けむりの中に足を踏み入れていく。

 ピチャピチャと湿った足音を響かせながら、さらに奥へ進む。すると、奥でひとつの影が飛び上がった。


「だ、誰ですか……!?」

「えっ、ノエル!?」

「あ、えっ……イオリさん……?」


 しばらく見つめ合う二人。

 だが、すぐノエルは顔を赤らめて背を向ける。


「あっ……! ご、ごめん!」


 慌てて自分も背を向け、謝罪の声を上げる。

 そして、沈黙の時間が流れ、ただ水音のみが鼓膜をひかえめに叩く。

 どれほどの時間、立ち尽くしていただろうか。

 ついに痺れを切らして、ノエルに上擦った声で問いかけてみた。


「……ど、どうしてこんな時間に?」

「え、えっと、この時間なら誰も来ないかなぁ……と思いまして……。もしかして、イオリさんも?」

「ああ、うん……。なんか、ごめん……」


 ……完全にやってしまった。

 まさか、ノエルも同じ考えをしていたとは思わなかった。

 しばらく黙り込んでいると、ノエルが温泉に浸かりなおす音が背中越しに届く。


「……とりあえず、入りませんか?」


 少し羞恥に震えた声の提案。それを断るなんて出来るはずもなかった……。


     ◇


「「……………………」」


 沈黙があまりにも気まずい。

 傍から見れば、ただ女性二人が背中合わせで温泉に入っているだけ。そう、絵面だけなら問題はない。ないのだが……。


(それでも、中身はしっかり男なんだよなぁ……)


 ノエルも召喚した張本人だからこそ、それは知っている。

 ……だから、こんな気まずい空気になっているわけだ。沈黙が痛い。

 ただ、いつまでも黙っているわけにもいかない。まずは適当にジャブのように軽い話題を……。


「そっ、そういえば今日、レティからおかしなことを言われたんだよ」

「は、はいっ!? おかしなこと?」


 色々考えすぎて、変な話題を振ってしまった。


「……うん、『本当に聖女が女性でなければならないと思うか』って。もし男の姿に戻れたとして、俺が窮屈な思いをしてまで聖女を演じる必要はないんじゃないかってさ」

「……っ!?」


 背後から、息を呑む音が聞こえてくる。

 前から思っていた。どうしてあれほど必死に《聖女》を演じてほしいと頼み込んできたのか、と。

 ……やっぱり、これはハッキリさせなきゃいけないよね。

 唾を飲み込むと、背中越しにノエルへ問いかける。


「ねえ、ひとつ聞いてもいい?」


 返事はない。ノエルの顔も窺えない。

 それでも、意を決してそこから一歩踏み込んだ。


「――ノエルはどうしてあのとき、俺に聖女のフリをしてほしいって頼んできたの?」


 しばらく黙り込んで、そしてノエルは短く息を吐いた。


「……そう、ですね。それを説明するには、私の身の上話から入らないといけませんね」


 一転、落ち着いた声音で彼女は話を切り出した。


「実は、私は平民で、王都からかなり外れた片田舎の出身なんです。それも父を幼い頃に事故で失い、実質片親。唯一残った母は難病に侵されて寝たきりに、と……」

「難病……。それって、もしかして治らないとか――」

「い、いえいえ! 治りはします。ただ、莫大な治療費と途方もない時間がかかってしまうんです」


 治るというノエルの言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。

 ただ、時間はともかく、莫大な治療費というのは楽に解決できる問題ではない。もし、それを払えないとなると、ノエルの母親は……――。

 そこまで考えると、急にノエルは茶化すような声を出す。


「知っていますか? 魔法士って“高給取り”の代表格みたいな職業なんですよ?」


 自虐するかのように、短く笑う。

 よく世間では、そう揶揄されているのだろう。

 ただ、危険に見合っただけの報酬をもらっているだけ。

 自分は実際に魔獣と出くわし、死闘を脳にしっかりと焼き付けたからわかる。それでも、命を懸けて戦う魔法士を見たことがない人たちにはわからないのだ。


(……本当に損な役回りだな)


 ノエルの苦労を思い、胸が苦しくなる。


「幸い、私には人並み以上の魔法の才がありました。それも、聖女召喚の儀式を任されるほどの……」


 重苦しい声が鼓膜を揺らす。

 ……なんて言葉をかけていいのかわからない。

 そのとき、沈黙を貫く俺の肩にそっと手が触れた。

 振り返ると、ノエルの頬に伝う悲痛な涙が目を奪う。


「あのとき、聖女召喚が失敗したと知られれば、私は魔法士団にいられない。母の病気も治せない、と思っていました。だから、あんなお願いをしてしまったんです。本当に申し訳ありませんでした……!」


 深々と頭を下げる。

 ……やめて。頭を上げて。


「イオリさんが聖女のフリをやめたいとおっしゃるのであれば、私は構いません。それでもなお許せないということであれば、どのような罰でも――」

「い、いやいや、やめて! 頭を上げてよ?」


 我慢できず、ノエルの両肩に手を添えて頭を強引に上げさせる。

 整った顔は、すでに涙でぐちゃぐちゃ。


「俺は怒ってなんていないよ。もし、ノエルが自分の保身のためだけに言ったんだったら失望していたのかもしれない。でも、お母様の事情を聞いて改めて思ったんだ」


 ……泣いていてほしくない。

 だから、素直な気持ちを彼女の目を見据えながら口にした。


「――俺はキミの“嘘”を支持したい」


 目尻から溢れ出る涙を、そっと指で拭う。


「だって、“優しい嘘”は誰にでもつけるわけじゃないからね」


 一瞬、目を丸くするノエル。

 そして、今度は両手で顔を押さえて泣き崩れた。


「ありがとうございます……。本当にありがとうございます……っ!」


 どれほど、泣き続ける彼女に寄り添っていただろう……。

 二人ともようやく落ち着きを取り戻すと、やっと向き合ってしまっていることに気づいてまた背を向ける。


「あっ……ご、ごめん……!」

「い、いえ! こちらこそ、すみません……」


 何とも言えない気まずさを誤魔化すように、視線を星空へ。

 そして、レティシアの言葉を思い出す。


『あなたは紛れもなく本物の《聖女》です。たとえ、今はその力が十全に振るえずとも、わたくしは確信しておりますわ』


 ――本物の《聖女》。

 それがどうあるべきなのかはわからない。それでも、ノエルの“優しい嘘”を支えてあげることぐらいはできるようになりたい。

 だから……。


(……これからは、“聖女の力”にも向き合わないといけないってことか)


 燦然と輝く星々と対照的な、重く暗い息を吐き出した。

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