Episode.12 束の間の休息

 激動の遠征からすでに一か月ほどが経った。


「あぁ……平和、だなぁ……」


 ベッドから見上げるのは、あまりにも豪華なシャンデリアが吊り下げられた、すっかり見慣れてしまった天井。

 遠征から帰ってきた直後は、この天井を見るたびに「ああ、無事に帰ってこれたんだ……」と噛み締めたものだ。

 まあ、今では何も感じないけど……。


「ただ、あの激動の一週間を考えたら、静かすぎて落ち着かないっていうのはあるかもなぁ……」


 窓から差し込む陽気な光が、微睡みに誘おうとする。

 廊下から微かに届く足音も忙しないものなどひとつもなく、ただゆっくりと規則的に響くばかり。

 まるで、魔獣と戦ったのが夢だったかと思えるほどの平穏な時間。

 噛み締めるように、深く息を吐く。

 ただ、ふと本音が口からこぼれる。


「……暇、だなぁ」


 遠征の一件から一か月。

 国王や大臣への報告、遠征中に溜まった仕事の処理、さらには国民に向けた会見まで。様々なことが積み重なった結果、ノエルとレティシアは忙殺され、まだ魔法・魔道具の講義は再開していない。

 加えて、出立前に少々無茶をした俺には、「十分に休息を取りなさい」というレティシアからの半強制的な命令が下り……。

 結果、何もやることがなく、日がな一日ベッドの上でだらけているだけのニートが出来上がってしまった。


 ――つまり、暇なのだ。


「……ちょっと、散歩でもしますか」


 この部屋にいても、やることがない。

 なら、気分転換もかねて外に出よう、ということだ。決して、こっそり魔法の訓練や魔法薬の実験をするわけではない。


「……見つからなかったら、セーフ?」


 いや、バレたときが怖い。

 それこそ一週間自室に軟禁されるかもしれない。

 ……うん、やめておこう。


「とりあえず着替えようかな~……」


 立ち上がって鏡に映った自分の姿は、まだネグリジェのままで髪はボサボサ。

 これではとてもじゃないが、外は歩けない。

 手早く着替えると、鏡の前へ。そして、薄く整える程度の化粧を施していく。いわゆる、『手抜き』というやつだ。


(それにしても、こんな生活もいつまで続くんだか……)


 鏡に映るのは、やはり女性となってしまった自分の顔。

 原因はわからず、戻る方法も同じく。

 近頃、女性ものの服を着ることや、化粧をすることにすっかり抵抗がなくなった自分に、ひと際大きなため息をこぼしたのだった。


     ◇


 軽い身支度を整えてからしばらく。

 あてもなく廊下を進んでいると、目の前の扉が突然開き、見知った人影が出てきた。


「それでは、失礼いたします」

「あっ、アルベールさん」


 ここは騎士団の修練場ではなく王宮内。

 だから、今は鎧などの装備はなく、騎士団の制服に身を包んだ軽装だ。それでも目を引くのは、素材が良いからだろう。

 ……イケメン許すまじ。


「おや、イオリ様。お部屋で休養中では?」


 そんな黒い考えなど露知らず、アルベールは爽やかな笑顔を浮かべている。普通の女性ならこれだけで落ちているかもしれないほどの破壊力。

 だが、中身が男だからそんなものは通用しない……!

 咳払いで気持ちを落ち着かせ、出来るだけ違和感のない愛想笑いを浮かべておく。


「いや、それがあまり落ち着かなくて、少々散歩を、と……」

「なるほど……。確かに、最近は少し忙しすぎたぐらいには色々ありましたしね」


 ……よし、完璧。

 邪悪な考えを読まれなかったことに、後ろ手で控えめにガッツポーズ。

 ふと、そこでひとつ疑問が浮かんでくる。


「そういえば、こちらの方まで来られるのは珍しいですね。また何か問題が……?」


 アルベールの役職は騎士団長。つまり、王宮内でも騎士団本部のある区域に詰めているのがほとんどで、なかなかこちら側――政治系の要人が集まる区域には顔を出すことがないのだ。


「いえいえ、違いますよ。いわゆる『被害状況報告』……みたいなものでしょうか」

「あー……」


 少し苦い表情を浮かべるアルベールは、困ったように頬を掻く。

 おそらく、お偉いさん方への面倒な報告といったところ。しかも、この疲れた声色の感じだと、なかなか現場に理解がないタイプのお偉いさんなのだろう。

 ……ドンマイ、強く生きて。

 気まずい沈黙の中、不意にアルベールが目つきを鋭くして深々と頭を下げた。


「先の遠征では、大変お世話になりました。あなたがいなければ、我が部隊は全滅していたやもしれません。改めて、お礼を言わせてください」


 驚きすぎて、言葉が出ない。


「い、いえいえ! あれもアルベールさんを含め、あの場にいた全員が諦めずに戦ってくださったおかげです。俺はただ、魔獣の気を引くぐらいしかできなくて……」


 そうだ。実際に戦ったのはアルベールら三人と騎士・魔法士たち。

 自分はただ魔獣が嫌がるという《聖水》で視界を奪って、少し気を引いたぐらい。それで感謝されても、正直困るだけだ。

 だが、アルベールは首を横に振ると、こちらの両手を包み込むように握った。


「それも立派なあなたの力です。あなたが心血を注いでつくった聖水がなければ、あそこで魔獣の気を引くことすらできなかった。あなたが勇気を出して魔獣に立ち向かわなければ、あの結果は訪れなかった。それが、あの戦いのすべてです」

「あ、ありがとう、ございます……」


 優しく笑うアルベール。

 なんだか気恥ずかしくて、すぐに顔を逸らしてしまう。顔が近い近い……。


「……失礼いたしました。少々熱く語りすぎてしまいましたね」

「い、いえ……ありがとうございます……?」


 やっと自分の前のめりさに気づいたのか、慌てて手を離すとアルベールは耳まで真っ赤にして顔を背ける。

 ひとつ咳払い。そして、アルベールはにこやかに笑んだ。


「それでは、失礼……」


 優雅に一礼して、去っていくアルベール。その足取りは心なしか、先ほどよりも軽くなっているように見えた。


(……『久しぶりに話できた!』って喜んでそうだな、アレ)


 ただ、その喜んで話をしている相手は中身男なんだけどね……。

 ルンルンで去っていくアルベールの背中を、憐れむような瞳で見送るのだった。


     ◇


 しばらくあてもなく歩き続けると、気づけば中庭まで出てきてしまっていた。

 数日ぶりの直射日光を全身に受け、なんとなく気持ちが緩んでくる。今日はこのまま外で昼寝もいいかも……。

 しかし、背後からの一喝にそんな和やかな空気も壊される。


「止まりなさい、ここは王族以外立ち入りが許されておりませんのよ――ッ!」

「ふえ……っ!? う、うそ……って、レティ~……?」


 肩を跳ねさせて振り向くと、そこに佇んでいたのは意地悪な笑みを浮かべているレティシア。


「ふふっ、あまりにも和んでいたのでイタズラしてしまいましたわ」

「……心臓に悪いからやめてよ、ホント」


 肩の力を抜き、だらりと項垂れる。


「ところで、疲れはもうとれましたの?」

「まあ、少し手持ち無沙汰になったというか……有り体に言えばヒマというか……?」

「無理もありませんわ。元の世界では、あんな争いとは無縁だったのでしょう? 終わって気が抜けてしまうのも、仕方がありませんわね」


 ついつい頭を掻く。

 たしかに、ちょっと気が抜けていたかもしれない……。


「ははっ。まあ、気が抜けすぎないように、努力はしようかな……」

「ええ、その方がよいでしょう。また数日で講義も再開させる予定ではありますし」


 それはいいことを聞いた。

 さすがにこの何もない暇な日があと一週間も続くようなら、完全に引きこもりニートが完成していたことだろう。

 ああ、やることがあるってなんて素晴らしいんだ……!

 講義、仕事、その他雑用。今ならなんだって「はい、喜んで!」の一言で引き受けてしまう自信がある。


「それはともかく、イオリさん。ひとつ提案がございますの」

「提案……?」


 社畜気味になってきた思考を引き戻し、レティシアに向き直る。

 そして、顔が近い。この世界の人たち、全員距離感バグってない!? なんでそんなに近くに顔を寄せてくるの……!?

 顔の赤さを悟られないように、冷静なフリをしつつ耳を寄せる。

 すると、レティシアはたっぷり溜めた後、とんでもないことを言い始めた。


「――イオリさん、わたくしの婚約者になりませんこと?」

「ふぇ……っ?」


 思考が止まる。ついでに動きも止まる。

 だが、すぐに言葉の意味を理解すると、一気にその場から飛び退いた。


「い、いいい、いきなり何を……!?」

「《聖女》などやめて、わたくしの婚約者になるのはどうかと」

「い、いやいや! おかしくない!?」


 しかし、思考がトリップしてしまったレティシアには届かない。

 どころか、さらにエスカレート。


「先日の遠征のとき、確信いたしましたの! わたくしの隣に立つべきは、強大な敵へ勇敢に立ち向かうイオリさんのような方であると――ッ!!」

「こ、声デカいって……抑えて抑えて……」


 人通りが少ないとはいえ、まったくいないわけじゃない。

 さっきから白い目を向けられているのは気のせい……じゃないはず……。


「こほん……失礼いたしましたわ」


 気を取り直して、またレティシアは顔をこちらの耳元へ。


「でも、何も問題はありませんわよね?」

「いや、身分とか性別とか問題ありすぎじゃない……?」

「いえいえ、《聖女》という肩書きには中途半端な貴族以上の身分がございますし……」


 周りには絶対に聞こえないか細い声で、ささやく。


「(……それに中身は“男性”ですもの、ね?)」


 ニヤリと口の端を吊り上げるレティシアに、もうため息しか返すことができない。

 時々近くを通る侍女たちに「キャー、なにあれ尊い!」だの「デキてる、あれは絶対にデキてる!」だのと言った言葉が聞こえる気がするが、気のせいだろう。

 ……うん、絶対に気のせいだ。


「い、いや……でも……」


 からかうように片眼を瞑るレティシア。

 そして、口元を扇で隠し身体を離した。


「それも、ひとつの選択肢としてある。そういうことですわ」


 手をひらひら振って去っていく。

 ……なんだか、手玉に取られて遊ばれた気がする。悔しい。


     ◇


 日も落ちかけてきた頃。儀式塔の裏手の空地へ逃げ込むと、座り込むノエルとバッチリ目が合った。


「「あ……」」


 慌てて立ち上がろうとするノエル。

 しかし、それを手で制すると、少しだけ離れたところに腰を下ろした。


「なんだか、すみません。お見苦しいところを見せてしまって……」

「いや、仕方ないよ。やっぱりこの間の遠征の後処理が大変?」


 アルベールから聞いた話を思い出す。

 彼もお偉いさん方への説明など色々大変そうだったから、もしかして……。

 そう思っていたが、ノエルは首を横に振る。どうやら違うらしい。


「いえ、そういうわけではないのですが……」


 少し言いにくそうに、目を逸らす。


「実は、先の一件について同僚たちから根掘り葉掘り聞かれまして……」


 ……ああ、それは大変そう。

 魔獣との激闘。あの場に居合わせなかった魔法士からすると、なかなか得難い知識なんだろう。


「それはそれは……。確かに、ノエルは大活躍だったし、仕方がないかもね」

「いえ、私のことではなく」


 しかし、どうやらそれも違うらしい。

 ノエルは意外そうな目を向けてきた。


「もしかして、イオリさんは知らないんですか……? 今、王宮内では『聖女様のお力で凶悪な魔獣の群れを撃退した』と、その話題で持ち切りなのですよ?」

「え……っ!?」


 ちょっと事実が歪んで伝わっている気もするが、自分のせいで負担をかけてしまっているのは心苦しい。


「ご、ごめん。俺のことでノエルにも迷惑かけちゃって……」

「い、いえいえ! 決して責めるつもりではなかったのですが……」


 気まずさに黙り込んでしまう。

 しばらくすると、不意にノエルが手を打ちながら立ち上がった。


「そうです、こういうときには“あそこ”に行きましょうっ!」


 首を捻っていると手をすくい上げられ、そのまま手を引いてノエルは駆け出す。

 儀式塔の中を通り、そのまま上へ。さらに上へ。

 そうしてたどり着いたのは、儀式塔の頂上だった。


「おお、高っ……」


 頂上には鐘が設置されており、それを鳴らすための空間になっているようだ。

 そのため、二人が立つと少し手狭なのが気になるが、そんな思考は眼下の景色に消し去られた。


「こんなに高かったんだな、儀式塔って……」


 王都の街並みを一望してみるも、この塔に並ぶ高さの建物は存在しない。

 この塔の頂上まで来なければ、知らなかったことだろう。


「ええ、ここは王都中のどこよりも一番高くつくられているんです。上空の方が儀式によっては都合の良いものがございますし」

「……なるほど」


 息を吐き、もう一度ぐるりと王都の街並みを見渡す。

 仄暗い街。家々の灯す明かりが目立ち始めてくる頃合いだ。そこには夜空に浮かぶ星々にも劣らない輝きがあった。


「良い場所だね、ここは」

「ありがとうございます。ここは私のお気に入りの場所なんです」


 目を輝かせながら、口元を緩めるノエル。すると、不意に街のある一点を指さした。


「あちらは式典の日私たちが昼食をとった広場。そちらは式典会場。こちらは魔法士団の買い出しによく行く魔道具店があったり、他にもイオリさんの知らないもっと多くの店や人が集まって、この王都ができています」


 ひとつひとつ丁寧に指でなぞり、大事そうに見つめる。

 そして、指さしていた手を引くと、ノエルはゆっくりこちらへ向き直った。


「とっても疲れても、とっても辛くても、ここで平和に暮らしている人や街並みを見ると、『ああ、自分のしたことって無駄じゃなかったんだなぁ……』って、そう思えてきませんか?」

「無駄じゃなかった、か……」


 ノエルから視線を外し、街並みへ。

 たしかに、この町を彩る明かりはすべて、平和な営みが続いている証拠。自分たちが危険に立ち向かわなければ、失われていたかもしれないものだ。


「今日、アルベールさんにも言われたよ。『魔獣の気を引くだけの些細なこと。それもあなたの力です』って」

「……はい」


 ……実感がなかった。自信がなかった。

 自分の些細な行動が、本当にみんなを救ったのか。本当にこの世界の平和をひとつ守ることができたのか。

 でも、今やっとわかった――。


「……俺は、みんなの役に立てたのかな?」

「ええ、それは確かに」

「そう……そうか……。俺は……役に立てたんだ……っ!」


 ……ああ、ダメだ。視界が滲む。

 今までの苦労や恐怖がすべて、堰を切って涙とともに溢れ出す。目頭を押さえて天を仰いでも、溢れてきて止まらない。

 すると、隣にあった足音が遠のいていく。気を遣ってくれたんだろう。


「ありがとう……ありがとう……」


 その言葉だけこぼすと、天を仰ぎながら泣き続けた。


 ――絶対にこの世界を救える《聖女》になる。


 その日、涙で荒れた心の中でそう誓いを立てた。

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