Episode.11 世界の誰も傷つかないように

 生い茂る木々。足場は踏み慣らされていなく、かなり不安定。いつ足を踏み外して斜面を滑り落ちても不思議じゃない。


「はぁ……はぁ……」


 森の中をローブで踏み入っていくのはなかなか骨が折れる。

 それでも、目線の高さで待ち構える木の枝を押しのけて進んでいると、不意に先を進んでいたアルベールが振り返る。


「イオリ様、辛くはありませんか? もし辛いのでしたら、小休止を挟みますが……」

「いえ、お構いなく」


 無理を言って、一緒に森へと入らせてもらっているのだ。本当はキャンプで待機していてほしいと言われたにもかかわらず。

 だから、ここで甘えるわけにはいかない。

 自分の身体に鞭を打ち、力強くさらに一歩を踏み出した。


「……かしこまりました」


 無理をしているのはわかっているのだろう。

 それでもしぶしぶ了承してくれる。


(でも、女性化した弊害がこんなところにも表れているなんてね……)


 日本にいた頃は、これぐらいの運動で息が切れることもなかった。

 だが、女性化したせいか、確実に体力や筋力が衰えてしまっているようなのだ。これでは戦闘でも足を引っ張りかねない。


(そう、これから向かうのは“戦場”……)


 ごくりと喉を鳴らして、唾を呑み込む。

 すると、背後からレティシアの声が飛んできた。


「イオリさん、大丈夫ですの?」

「へ?」


 何のことだろう。首を傾げると、レティシアはこちらの手を指さした。


「気づいておりませんの? 手、震えておりますのよ」

「あっ……」


 目を落とす。微かに震えている。


(落ち着け……落ち着け……)


 胸に手を当て、深呼吸。

 そして、拳を強く握りしめて顔を上げた。


「……もう、大丈夫だよ」

「くれぐれも、無理は禁物ですわよ?」


 ウインクして、レティシアは先頭を行くアルベールやノエルたちの方へ。


(そうだ、こんなところで怖がっていたらダメなんだ……!)


 覚悟を決めなおし、どうにか荒れかけていた心を落ち着かせる。

 木々の隙間から覗く空は、真っ黒な雲に包まれていた。


     ◇


 しばらく進み、すでに仮設キャンプの影も見えなくなってきた。

 ちょうどそのとき――。


「――皆、気を引き締めろ! 魔獣の群れだ!」


 微かに耳に届く、木が倒されるような重い音。

 慎重に足音を殺しながら近づくと、たしかにそこには《魔獣》と呼ぶにふさわしい禍々しい獣が群れを成していた。


(あれが、魔獣……っ!)


 それらは狼の見た目をしているが、各所に尋常ではないことを感じさせる違いを持っている。

 まず目につくのは、多頭であるということ。

 目に入るすべての狼が、二頭もしくは三頭を有している。

 他にも、牙や爪が異常に発達し、目も心なしか血走っているように見える。


(こんなバケモノが数十体も……!?)


 一応、ここに来る前に文献ではその存在を確認していた。

 しかし、実際目にしてみると、文献を読んで感じた以上にどうしようもなく“バケモノ”だった。

 思わず、足を引く。


 ――その瞬間、小枝を踏みぬいた乾いた音が静寂を破った。


「まずっ……!?」


 一斉に魔獣たちの視線がこちらに殺到する。

 見据える視線は、敵意一色。


「全員、戦闘態勢ッ! 騎士たちは前に、魔法士たちは後ろから支援を!!」

「「「了解ッ!」」」


 アルベールは号令を発し、騎士たちとともに前へ。ノエルたち魔法士はその後ろで杖を構えた。


「イオリさんもこちらへ!」

「は、はい……っ!」


 ノエルに言われ、やっと立ち尽くしていたことに気づく。

 慌てて魔法士たちよりもさらに後方へ。振り向くと、アルベールが魔獣の一体に斬りかかっている姿が映り込んできた。


「す、すごい……」


 血しぶきを上げて、次々倒れていく魔獣たち。アルベールはそのほとんどを、たった一太刀で斬り伏せていた。

 思わず足を止め、目を見開く。


「聖女様、危な……っ!」


 騎士の声に振り向けたのは、奇跡だった。


「え……」


 視線の先には、肉薄する尖った魔獣の凶爪。

 あと数瞬の間に、白い爪は自分の血で深紅に染まるのだろう。


 ――だが、動けない。


 ひどく長く感じる一瞬の後、魔獣と自分の間に割り込んでくる影があった。


「……レティ!?」


 戦場には似つかわしくないドレスの裾をはためかせながら、レティシアが魔獣の前へ。そして、躍り出ると同時に手に持った小瓶の中身――黒っぽい粉末を魔獣めがけてぶちまけた。


「ノエル、やりなさいッ!」

「はい! 皆さん、下がって――ッ!」


 ノエルが杖を振った。弾かれるように、皆距離を取る。

 直後、マナの流れを感じたかと思うと、魔獣の眼前――黒の粉末が宙に舞う空間で炎が爆ぜた。


「――――――――ッ!?」


 金切り声のような絶叫を上げながら、爆風を一身に受けた魔獣は沈む。

 気づけば、尻もちをついていた。


「お、お怪我はないですか、イオリさん……!?」

「……あ、ありがとう」


 大慌てで駆け寄ってくるノエルの手を借りながら、なんとか立ち上がる。

 呼吸を整えると、目の前の光景に息を呑んだ。


(すごい。数十体もいた魔獣たちが、もう半分以下に……!?)


 アルベールが正面の魔獣を斬り、ノエルとレティシアが背後の魔獣を焼く。その姿に目が奪われ、胸が高鳴る。

 それに魔獣の損害に対して、こちらの騎士・魔法士たちの怪我や疲労での被害は軽微。


(このままいけば、こっちの圧勝で――)


 ――刹那、戦場に裂くような悲鳴が響き渡った。


「なっ……!?」


 そこに鎮座していたのは、今まで戦っていた魔獣が赤子のように思えるほど巨大な多頭の狼。その首の数は、八つ。

 そのうちのひとつが、金属鎧ごと騎士を噛み砕かんとしていた。


「おそらく、この群れのボスですね。先ほどの魔獣はすべて、ただの雑兵といったところでしょう」


 アルベールは剣を振り、返り血を払う。

 すると、ノエルも杖をしっかりと握りしめながら、その隣へ。


「これは、一筋縄では行きそうもないですね……」


 噛みつかれている騎士から最も離れた頭へ黒い粉末を投げつけながら、レティシアも二人に並ぶ。

 自分も一緒に……。

 そう思って一歩踏み出した瞬間、レティシアが残酷な言葉を吐いた。


「イオリさんはもう少し安全な後方まで引いてくださいまし。他の負傷した騎士たちとともに」

「え、でも……!」

「返事は『かしこまりました、レティシア様!』。これ以外わたくしの耳には届きませんわよ?」


 言われて気づく。ここから先は、足手まといを連れていられないということに。

 そうだ。今ここにいたとしても、何の手助けもできない。

 顔を歪ませ立ち止まっているうちに、三人はひと際巨大な魔獣へと駆け出していく。


(結局、ここに来ても役に立てないままなのか、俺は……ッ!?)


 こぶしを握り込み、三人の背を見つめる。

 たしかに、今の自分には剣を振るうことも、魔法で敵を翻弄することも、そのサポートをすることすらも、何もできない。


 ――でも、諦めたくない。


(くそっ、どうしたら……どうしたらあの魔獣に一矢報いることが――)


 湧き上がる衝動。

 脳を全力で回して、周囲を見渡す。

 何かないか。なんでもいい。あの三人を助けられるなら、何でも……。


(何か……何か……っ!)


 そして、後方で視線を止める。


(……たしかあっちには、仮設キャンプ。それなら――!)


 弾かれたように全力で駆け出す。

 背後からノエルの声が聞こえた気がするが、気にしていられる余裕はない。脇目もふらずに、全力でキャンプへの道を駆け抜けた。


     ◇


「い、イオリさん!?」


 急に伊織がキャンプの方へ全力で駆け出したのを見て、ノエルは思わず視線を飛ばしてしまう。

 一瞬の隙。そこに八つ首の狼がその顎を大きく開いて駆け込んでくる。


(マズっ――!)


 瞬間、横合いから投げ込まれる小瓶。

 ぶちまけられた黒の粉末――火薬へ咄嗟に火を灯し、魔獣は爆風を受けて後退する。


「ノエル! 戦闘中によそ見とは、何事ですのッ!?」

「す、すみません、レティシア様!」


 必死の形相でレティシアに睨まれる。その肩は激しく上下している。

 それはノエルとて同じこと。膝は震え、息を吸い込んだ肺が痛む。まだ集中力を繋げられているのが奇跡のよう。


(今はまだどうにか抑えられていますけど、アルベール様やレティシア様もすでに疲労困憊。もちろん、それは私も……)


 頬に汗が伝う。最悪の展開が脳裏に浮かんでしまう。

 こうしている間にも、アルベールが注意を引きつけてくれているが、彼もすでに疲労困憊。

 この巨大な魔獣だけでなく、直前まで戦っていた数十体の狼たち。その分の疲労が今になってその身を蝕んでいるのだ。


(このままでは……――)


 隙を見ては炎弾を撃ち込んで牽制しているが、決定打にはなりそうもない。

 しかし、このまま牽制射撃すら止めてしまえば、アルベールの負担が……。


 ――だが、その無理無謀の代償はすぐ支払わされることになる。


「~~……っ!?」


 頭を思い切り揺さぶられるような眩暈。思わず地面に膝をついてしまう。

 あまりにも致命的すぎる隙。それを狡猾な魔獣が見逃すはずがない。


「ノエル――ッ!?」

「え……」


 肉薄する八つの顎。

 ……次の一瞬には、もうこの尖った牙が自分の身体を蹂躙しているのだろう。

 そんな達観にも似た感想を抱きながら、目を閉じて身を委ねる。


 しかし、次の瞬間来たのは痛みではなく、ガラスが割れるような音だった――。


「ごめん、遅くなった――!」

「い、イオリ……さん……?」


 そう、ノエルの目の前に立つのはついさっき逃げたかに見えた伊織。ローブの裾をなびかせ、背には大きなバッグ。手には液体の入った小瓶を携えていた。


「はぁはぁ……間に合ってよかったよ……!」


 疲れを滲ませながらも、伊織は必死につくり笑いを浮かべて見せる。


「……あっ、魔獣は!?」


 気を持ち直し、伊織のさらにその先に視線を飛ばす。

 すると、そこには頭から煙を上げながら絶叫する魔獣の姿があった。


「いったい、どんな魔法で……」

「これ、いっぱい持ってきていて助かったよ」


 持ち上げてみせるのは、液体の入った瓶。それは出立前に見せられたものと同じ……。


「《聖水》……。もしかして、それを取りに……っ!?」

「そういうこと……っと!」


 返事代わりにウインクを返し、伊織は次々と悶絶する魔獣の八つの頭、そのすべてに聖水の瓶を投げつけていく。

 瓶が割れて浴びせられた聖水は魔獣の顔面を焼き、その視界を奪う。


「よしっ、これで――」


 八つ首、都合16個の視界が塞がれた。

 その瞬間、伊織はアルベールへと目線を送る。

 頷く。そして、剣の柄を握りなおすと、跳躍。大上段に剣を振り上げ、魔獣に向かって吼えた。


「動きが止まれば、こっちのもの――ッ!」


 大上段からの一閃。それは魔獣の巨躯を、たった一撃で両断した。

 だが、それでは足りない。

 両断されながらも、首のひとつが噛み殺さんとアルベールを睨みつける。


「はあぁぁぁぁぁ――ッ!!」


 裂帛の気合い。

 その首が伸びてくる中、アルベールは返す刀で魔獣の身体に横一文字を刻みつける。


 ――その一撃で魔獣は沈黙した。


「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――ッ!!」」」


 森を揺らすような雄たけび。

 天に高々とこぶしを突き上げる騎士たちを視界に収めながら、どこか他人事のように伊織はその場にへたり込んで空を見上げていた。


「……やっと、晴れたんだ」


 その視線の先、いつの間にか曇天は突き抜けるような蒼空が広がっていた。


「イオリさん」


 呆然と座り込む伊織の隣に、レティシアが歩み寄ってくる。


「あなたが『どうにか力になりたい』と頑張ったおかげですわね」

「そう……だといいな……」


 優しく口元を緩めると、ノエルもその隣に並んだ。


「ありがとうございます。イオリさんのおかげで救われました。私も、そして皆も……」

「うん……うん……っ!」


 空を見上げる伊織は、何かを堪えるように肩を震わせる。

 その頬には、一筋の涙が太陽の光を反射させて輝いていた――。

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