Episode.10 戦場の料理人たち
馬車が王都を出た直後、伊織は寝息を立ててしまっていた。
「ふふっ、すぐに寝てしまって子どものようですわね」
「まあ、一週間もずっと気を張って《聖水》をつくっていたのです。疲れ果てていて当然でしょう」
「本当に、すごい方ですね……」
レティシア、ノエル、アルベールの視線が伊織に集まる。視線を感じたのか、伊織は少し顔をしかめて唸る。
「皆様方、じきに到着いたします。ご準備を」
アルベールが窓の外を見やり、声をかける。
徐々に速度が落ち、しばらくして一段大きな揺れの後、完全に動きを止めた。
「う、うぅ……ん……?」
さすがに、今の揺れで目が覚めてしまったようだ。
起こすのは心苦しいが、ノエルが控えめに伊織の肩を揺らす。
「イオリさん、目的地へ到着いたしましたよ。起きてください」
「あと、五億……いや、あと五兆年……ぐらい……」
しばらく肩を揺らし続けてみるも、なかなか起きてくれない。
見かねたレティシアが、肩をすくめながら伊織の耳元に顔を寄せた。
「(……早く起きないと、男性に戻れない呪いをおかけしますわよ?)」
「は、はい! 起きております! 目もしっかり開いております! あと五年ぐらいは起きていられます! よろしくお願いしま……痛っ!?」
瞬間、飛び上がる伊織。
悲しいかな、馬車の天井はそれほど高くない。勢いよく飛び上がった伊織の頭は、硬い天井と衝突してしまうのは当然だった。
「~~~~~っ!!」
――結果、伊織はしゃがみ込み悶絶した。
「い、イオリ様!? お怪我は!? ど、どうすれば……! はっ、我がシャレット家の専属医を今から呼び寄せて……」
「……はぁ、落ち着きなさい、アルベール騎士団長」
最近わかったことだが、この騎士団長は少し《聖女》のこととなると暴走しがちなのだ。
(こんな姿、他の騎士には見せられませんわね……)
騎士団長というのは、騎士たちの頂点。全騎士の憧れだ。
そんな騎士たちに、アルベールの狼狽しきった姿など見せられたものではない。イメージが崩れすぎて大変なことになるだろう。
「わ、私が《治癒》をかけますので……」
さすがは最年少魔法士。素早く伊織の頭に《治癒》の魔法をかけていく。
「……ああ、よかった」
ほっと胸を撫で下ろすアルベール。
その姿を見て、レティシアはひとつ思った。
(これは、今後が思いやられますわね……)
伊織がこれからより大きな怪我をしてしまったら、アルベールはどうなってしまうのだろうか。
レティシアは今後のことを思い、悩ましげなため息をこぼすのだった。
◇
「これは……っ!?」
馬車を降りて目に入ったのは、有り体に言って“惨状”だった。
「魔獣の群れに遭遇したのが不意のことでしたので、なりふり構わず撤退したのですよ。その結果、仮設キャンプはボロボロになってしまったというわけです」
「これが、魔獣の……」
アルベールの言葉を聞きながら、目の前の景色を見渡す。
テントは鋭利なもので裂かれたような跡が刻まれており、地面には荒々しい足跡たち。他にも血のシミや焦げ跡などが、激戦を物語っている。
つい、息を呑む。
すると、アルベールが顔を覗き込み、柔和な笑みを浮かべる。
「ですが、前回と同じ轍は踏みません。今、斥候を放って周囲を徹底的に調査させておりますし、ひとまずはキャンプ設営に集中しても問題ないでしょう」
ひとまず、胸を撫で下ろす。
(とはいっても、俺が手伝えそうな作業は……っと)
視界に映るのは、倒木の撤去やテント設営などに励む騎士たちの姿。わかっていたことではあるが、やはり力仕事ばかり。
(男の姿ならまだしも、今の姿はなぁ……)
身体に目を配ると、いつもの豪華なドレス姿ではなくいくらか軽装。しかし、しっかり女性もの。視界の端には、長い黒髪が映り込んでいる。
――異世界召喚から数か月、まだ女性化の謎は解けていなかった。
(……仮にも《聖女》って立場だし、力仕事は手伝わせてもらえないんだろうな)
顎に手を当て立ち尽くしていると、不意に背後から肩を叩く手が。
「イ・オ・リ・さ・ん?」
「……レティ?」
振り返ると、何やらニヤリと不敵な笑みを浮かべているレティシア。
……嫌な予感。
「いいところにいましたわ! ささ、こちらへ!」
「え、あっ……ちょっ……!?」
問答無用。手を取られて、キャンプの隅の方へ連れていかれる。
そこにいた先客――ノエルと目が合った。
「あ、イオリさんもレティシア様に連れられて?」
「あ、うん……ところで、なんで野菜?」
ノエルの目の前には、数々の野菜が詰められた木箱。そのうちのいくつかを手に取って物色しているようだった。
……どうして??
「ふふん……! それはですね……――」
もったいぶるように、レティシアは鼻を鳴らす。
そして、高らかに告げた。
「――料理対決、ですのっ!」
「へ?」
目を丸くする。
助け舟を出すように、ノエルが野菜を戻しながら説明する。
「我々女性陣は、力仕事でキャンプ再建に貢献できませんので、その代わり皆さんに昼食を振舞おうという話になりまして……」
「それで、どうして『料理対決』になるの……?」
「当然ですわ! ただ三人で料理を振舞うだけでは、いささか味気ないではありませんかっ!」
……ああ、何を言ってもダメだわ。
いわゆる『日本語が通じない』状態である。まあ、ここではそもそも日本語は通じないと思うけど……。
「ちなみに、代表審査員はアルベールを任命いたしました。せめて、彼の尊い命を散らさないよう努めてくださいませ」
「え、料理……だよね……?」
「ええ、『料理』ですわ」
今、俺の中の『料理』という概念に疑問を抱いてしまった。
もしかしたら、俺の常識が間違っているのか……!?
アイコンタクトでノエルに助けを求めると、静かに首を横に振って否定。やはり、自分の中の『料理』という概念がおかしいわけではないらしい。
「では、刻限はこれより一時間。時間内でできる“最高”を目指してくださいませ」
うやうやしく一礼。レティシアは鼻歌交じりに去っていく。
「いきなり料理をって言われてもなぁ……」
難しい表情を浮かべながら、食材の入った木箱の方へ。
箱の中を覗いてみると、色とりどりの野菜が一面に敷き詰められていた。
「お、おお……。気合入ってるな……」
あまりの気合の入りように少し引いてしまう。
だが、気を取り直して隣の木箱へ。
(まあ、キャンプとかもしたことあるし、それなりの料理は作れるかな。あとは、どんな調味料があるかだけど……)
大小さまざまないくつかの木箱を見ていくと、ちょうど調味料が入った小瓶が詰められた箱に行き当たった。
ひょいと摘まみ上げると、目の高さまで持ってきて揺らしてみる。
「あれ、これって……」
ポンッ。音を立てて蓋を開けると、鼻に刺激のある香りが届く。
くしゃみが出そうになるのを抑えながら、すぐに蓋を閉じた。
「やっぱり、コショウかな。よく見ると、他にも見覚えのあるスパイスがいっぱい……」
次々と見慣れたスパイスたちを箱から取り出し、調理台に並べていく。少しすると、調理台の上には十種類ほどのスパイスたち。
それらを見下ろしながら、自信満々にその料理名を口にした。
「ふぅ、やっぱりキャンプといえば『カレー』だよね……!」
別に汗をかいたわけではないが、額を拭うような仕草をしてみる。
「じゃあ、始めますか!」
つくる料理が決まってからの動きは迅速だった。
小気味よく包丁の音を立てながら手際よく肉や野菜を一口大に切り、スパイスをフライパンで火にかけていく。
その後は、順番にすべて鍋へ。あとはもう煮込むだけ。
(さて、他の二人はどうしてるかな?)
……急な料理対決で困ってないといいけど。
一抹の不安を抱えながら、そっと気づかれない程度にノエルの様子を窺ってみる。
あれだけ微妙な表情をしていたのに、意外と楽しそうに調理している姿が目に入る。しかも、俺よりも手際がいいように思える。なんか悔しい。
(まあ、ノエルは順調そう。で、あと問題は……――)
おそるおそる振り向くと、まず視界に映り込んでくるのは左右に揺れるレティシアの背中。
どうやら大鍋に木べらを突っ込んでいるあたり、煮込み料理をつくっているんだろう。
でも――。
(ど、どうして湯気が『紫色』なんだ……!?)
……おかしい。絶対におかしい。
思わず顔が引き攣ってくる。
そのとき、ふと鍋から飛び跳ねた紫の汁が地面に落ちた。
――ジュゥッ!
……ん? 今の食べ物が落ちた音? ほんとに? 劇物の間違いじゃない?
現実逃避したいが、悲しいかな。しっかりと鍋から飛び跳ねた汁が地面を溶かして抉る様を見届けてしまったのだから。
(……たしかに、これは命の危機があるね)
そっと目を閉じ、今もキャンプ設営に汗を流しているであろうアルベールに合掌。
……ああ、良い人だったよ。アルベールさん。
せめて、一命だけは取り留めてほしい。そう祈るばかりだった。
◇
「では、アルベール。審査をお願いしますわ!」
「……どういう流れなのかわかりかねますが、全力で審査させていただきます」
約束の一時間後。アルベールは何も説明を受けていなかったようで、その顔には困惑の色が滲んでいた。
だが、逃げ場はないと判断したのだろう。潔く料理が出されるのを待っている。
「……料理……イオリ様の……しかも……手作り……」
うつむきながら、ボソボソとつぶやいている。
それに、口角が上がっているような気もする。実はそんなに楽しみなのだろうか……?
(まあ、約一名ヤバイのが混ざってるんだけどね……)
控えめに合掌して、南無南無。
すると、まずノエルがアルベールの前に木皿を差し出す。
覗き込んでみると、オレンジがかった色の具だくさんのスープが目に入ってきた。
「私の故郷に伝わる郷土料理でございます」
「ほう、赤豆のスープですね。遠征の際、一度だけ食した記憶がありますね」
見た感じ、ミネストローネに近い色合いのスープだ。それをスプーンですくい取ると、アルベールは慎重に口へ運ぶ。
次の瞬間、大きく目を見開いた。
「……おぉ、豆の甘味と塩の辛さのバランスがなんとも素晴らしい。どこか懐かしさを感じさせる味わいですね」
「あ、ありがとうございます!」
……おお、これはなかなかの高評価じゃないだろうか。やるな。
見ていたら食べたくなってきた。ノエルに言ったら、またつくってくれるかな?
そんなことを考えていると、もうスープの入っていた木皿は空に。となれば、次は自分の番だ。
「では、こちらをどうぞ。口に合うかはわかりませんが……」
一応、予防線を張りつつ、先ほどよりも一回り大きな木皿を差し出す。
「こ、これは……?」
「こちらは俺の故郷で大変多くの国民に親しまれていた大衆料理です。ぜひ、ご賞味を」
木皿に盛られているのは、もちろん『カレーライス』。今回はスパイス盛りだくさんの自信作だ。
この世界に来てから見たことがないから、おそらくカレーは食べられていないのだろう。
それもあって、少し口に合うか不安だけど……。
「で、では……」
刺激の強い香りで警戒してしまっているのか、アルベールはスプーンをなかなか口へ運ぼうとしない。
だが、意を決して一息で口へ。そして、動きを止めた。
「あ、アルベールさん……?」
心配になって覗き込む。
直後、急に動き出したかと思ったら、いきなりカレーを一心不乱にかきこみ始めた。
「あ、アルベール騎士団長!?」
驚きのあまり、隣でノエルが甲高い声を上げる。
「あ……お見苦しい姿をお見せいたしました。申し訳ございません」
「い、いえ……」
はっと我に返って、ノエルへ軽く一礼。その後、こちらへ視線を移した。
「とても刺激的な辛さではありますが、その中にある甘味や旨味が確かに感じられる、今まで味わったことがない料理です。イオリ様、こちらは何という料理なのですか?」
「こちらは『カレーライス』という料理です。辛味は十種のスパイス、甘味は隠し味のリンゴですね」
「『カレーライス』……。まさか、このような料理が存在していたとは」
「お褒めいただき光栄です」
遠征で大陸各地へ出向いているアルベールが知らないと言うのなら、やはりこの世界でカレーは食べられていないのだろう。
ほっと胸を撫で下ろしつつ、悠然と頭を下げる。
すると、まるで本日の主役と言わんばかりにレティシアが気合いの入った声を響かせた。
「それでは、わたくしの番ですわね……!」
ドンッという圧倒的重量を感じさせる音とともに机に置かれたのは、木皿のようなかわいいものではない。
――“鍋”だった。
「こ、これは……!?」
わからない。料理名はおろか、何の素材を使って料理したのかもわからない。
わかるのはただ一つ。
明らかに危険そうな紫の煙が立ち昇っていることぐらいだ。
「ふふっ……こちらがわたくし渾身の料理――『山菜炒め』ですわ!!」
「「「なっ……!?」」」
料理名を聞いた三人とも、驚きの声を上げる。
「こ、これが炒め物だと、そうおっしゃるの……ですか……!?」
「ええ、何かおかしな点でもありまして?」
「い、いえ、そのようなことは全く……」
ダメだ。自信満々のレティシアの様子を見て確信した。
――これは“無自覚系メシマズ女子”だと。
(そもそも、どうして炒め物なのにあれだけ煮込んでいたんだ……!? いや、問題はそこじゃない。どうやったら、こんな『明らかに身体に悪いですよ』って色の汁が出来上がるんだ!?)
もう疑問が溢れて止まらない。頭がパンクしそうだ。
さすがにアルベールも同じ心境なのか、スプーンを持つ手が震えている。しかし、レティシアの視線に耐えかねて、アルベールはスプーンを鍋の中へ。
(……うわぁ、あれを食べるって正気?)
手で口元を覆って顔を背ける。
……ああ、死んだな。南無三。
「で、では、騎士団長の任を預かるこのアルベールが、責任をもってこちらの料理を食させていただきます……!」
震える声で覚悟を決めるアルベール。
ゆっくりとスプーンを口に運び、それが舌に乗るそのとき……――。
「騎士団長! アルベール騎士団長はおられますかっ!?」
森の方から、ひとりの狼狽した騎士が駆け込んできた。
「い、いいところに……ではなく、何かあったのか?」
「き、騎士団長! お伝えいたします!」
アルベールの前に片膝をつき、その騎士は息を整える。
そして、鋭い視線で告げた。
「――森の奥で、魔獣の群れを発見いたしました!」
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