Episode.07 王女の特別講義
珍しく早く目が覚めてしまった朝は、朝食前に化粧を済ませるようにしている。
「よしっ、今日もバッチリ」
顔の角度を変えながら、ムラがないか確認していく。だが、急にそこでピタリと動きを止める。
「うおぉぉぉ……日に日に女性に染まっていく自分が怖いぃぃぃ……!」
思わず頭を抱えてうめき声を上げてしまう。
そういえば、最近気にしていなかったが、いつの間にかさらに『女性化』が進んできているんじゃないか……?
(思い出せ……男らしいエピソードを……思い出せぇ……)
必死にここ数日の記憶を探っていく。
だが、出てくるのはお茶会や庭園の散歩など、女子力に塗れたエピソードばかり。
……あっ、でもひとつだけ――。
「そうだ、昨日『お花摘み』じゃなく『お手洗い』ってつい言っちゃったんだった!」
……って、それのどこが男らしいんだ!?
「小学生的発想しか出てこない俺の頭の弱さが恨めしい……」
男らしいではなく、ただ頭の弱さが露呈しただけなのであった。
しゃがみこんで悶絶していると、唐突にノックの男が聞こえてくる。
「イオリ様、いらっしゃいますか?」
「は、はい。どうぞ」
扉を開けて入ってくるのは、やはり侍女のアンさん。
「おはようございます、イオリ様」
「お、おはようございます。こんな朝早くからどうしました? まだ朝食には早い気がしますけど……」
「ええ、ひとつ本日のご予定に変更がございましたので、その件をお伝えに参りました」
はて、今日は何の予定が入っていただろう……?
首を捻っていると、アンが手帳を取り出して予定を読み上げる。
「本日予定されておりました魔法講義ですが、ノエル様が書庫で研究に没頭されているため、急遽予定が変更となってしまいました」
「ああ、研究に没頭……ですか……」
……また倒れないといいけど。
「ええ。ですが、先日とは違い侍女も数名監視についておりますので、心配無用かと」
「なるほど、ありがとうございます」
よかった。しっかりと対策はしてくれているらしい。
それにしても、『監視』って前科持ちみたいな扱いされてるなぁ……。
「ですので、代わりに“特別講義”が入ることとなりました」
「特別講義……? それっていったい――」
「そちらの件ですが、ひとまず『工房』まで来てほしい、とのことでございます」
「『工房』……?」
綺麗な一礼を見せてから去っていくアン。その背を首を傾げながら見送った。
◇
「ようこそお越しくださいましたわ、イオリさん!」
熱烈歓迎。案内された部屋に入ると、全力で胸と声を張るレティシアが作業服姿で待ち受けていた。
「レティシ……ごほん……。レティはどうしてここに?」
気を抜くと、すぐに『レティシア様』と言ってしまいそうになる。いけないいけない。
愛称で呼ばないと、すぐ機嫌悪くなるんだよなぁ……。
(正直、王族を愛称で呼ぶっていうのが胃に悪いから、やめたいんだけど……)
胃のあたりを擦っていると、レティシアは自信満々に言い放った。
「何を隠しましょう、この『魔道具・魔法薬工房』の最高責任者兼筆頭研究者がこのわたくしレティシア・フォン・ルクレールであるからですわ!」
「は、はぁ……」
凄いことなんだろうけど、いまいちよくわからない。
微妙な表情で首を捻る。
「ひとまず、腰を落ち着けてからお話といたしましょう」
促されるまま、背もたれのない簡素な椅子に座る。
工房内に視線を巡らせると、様々な工具や鉱石のようなものが目に入る。なんだか、学生時代の美術や技術の授業を思い出す。
(そ、それにしても色々と散らかってるなぁ……)
床には紙の資料が散乱し、机の上も工具の類が所狭しと放置されている。
「ごほん、お話をしてもよろしくて?」
「あ、はい。お願いします」
気を取り直して正面に向き直ると、まだ見慣れない作業服姿でレティシアは黒板の前に立った。
「ここ、『魔道具・魔法薬工房』では、その名の通り魔道具や魔法薬の研究・生産をする場所です。一応お聞きしますが、魔道具や魔法薬というものはご存じですの?」
「あー、たしかノエルの講義であったような……なかったような……」
記憶を掘り返してみるが、あまりに一気に詰め込み過ぎたために少し記憶が曖昧になってしまっている。
ただ、アニメやゲームの知識のおかげで、なんとなく想像はつく。
「では、そのおさらいから……。魔道具は、特定の魔法を封じ込めた鉱石を埋め込んだ道具。魔法薬は、調合時にマナを送り込むことで通常の薬よりも効果が高い、もしくは不思議な効果を持つ薬のことですわ」
言われてみれば、そんな説明を受けた気がする。
「でも、そんな身近なものじゃないんだよな? 見たことないし……」
「あら、そうでもありませんわよ?」
言って、レティシアは机の器具の山から、銀製のポットを取り出す。
「こちらに見覚えは?」
「ああ、たしかアンさんが紅茶を淹れてくれるときに使っているような気が……」
「こちら、魔道具ですのよ」
「へ?」
初耳だ。どこからどう見ても普通のポットにしか見えないのに。
「こちらの底面をご覧ください」
「ん? そんなところに何が……あ、鉱石?」
レティシアが持ち上げたポットを覗き込むと、底に平べったい鉱石のようなものが貼り付けられてある。これが、さっきの説明にあった『魔法を封じ込めた鉱石』というものなのだろう。
「この鉱石には、《発熱》の魔法が封じ込められておりますの。そのおかげで、いつでも温かな紅茶をいただけるという仕組みですわ」
「へぇ……。たしかに、これは便利だな……」
「ちなみに、こちらのポットを開発したのはわたくしですのよ?」
「えっ!?」
実物を見て、ようやくレティシアの凄さが少しずつわかってくる。
それに、よく考えると王女なのに研究者っていうのがおかしいんだよなぁ……。
「そして、もう一つの魔法薬についてですが、こちらはあまり目にすることはありませんわね」
レティシアはポットを戻すと、液体の入った小瓶を取り出す。
「こちらが魔法薬の実物ですの。せっかくですし、飲んでみては?」
「へっ……!?」
差し出されるまま、小瓶を手に取る。
色は濃い紫。粘度はそれほど高くなく、普通の水のよう。次は蓋を開けてみて……。
「うっ……くさっ……!?」
思わず顔をしかめてしまうほどの刺激臭が小瓶から溢れ出す。
これを本当に飲むと……!?
(正直、嫌な予感しかしないんだけど……)
嫌々ながら口元に持っていくと、レティシアが余計な一言を口にする。
「そんなに警戒しなくても死ぬことだけはありませんわ。失敗作だったとしても一週間寝込む程度ですし」
手が止まる。普通、こんなタイミングで言うことではないだろう。怖さが一気に倍増した気がする。
小瓶を持つ手が震えてきた。
(い、いやいや、さすがにそんなヤバいもの飲ませるはずが……)
チラッと、レティシアを一瞥。
「さあ、さあ! どんな結果となるか楽しみで仕方がありませんの! さあ、ぐいっと一口!」
不安しかないその一言を聞いて確信した。
ああ、俺……ここで、死ぬんだぁ……。
「ええい……ままよ……っ!」
不安を唾と一緒に飲み込んで、ぐっと一息に紫の液体を流し込んだ。
「ぐっ……!」
喉が焼けるように熱い。
ただ、不思議と吐き気や生命の危険が感じるような感覚はない。せいぜい不安や恐怖のせいで脈が異常に速くなっている程度だ。
「……何か、変化は感じられますの?」
「いや、別にそんな変化っていうほど……って、あれ!? 声、高くない!?」
喉に手を当て、目を見開く。
いや、一応気のせいだったかもしれない。もう一回、しっかりと聞いてみよう。
「あ……あー……あー……」
ダメだ。完全にトーンが一段階ぐらい上がっている。ヘリウムガスを吸ったときの声に近い感じだろうか。
寝込むかもなんて言われていたから、もっと派手な効果が出るのかと思っていたが、案外普通で安心した。
ほっと胸を撫で下ろす。
「ほほう……この配合にすると、声が変わる効果が得られる、と……」
「え、効果がわかっていて試したんじゃないの?」
「あっ……いやぁ……そんなことぉ……ないですわよぅ……? おほほ、おほほほほほ~!」
……絶対、これは実験体にされたな。
レティシアをジト目で見つめていると、バツが悪そうに目を逸らされた。
「さ、さあ、では実践と参りましょう! いつまでも座学ばかりではつまらないでしょう?」
「なんだか、誤魔化された気がするけど……。まあ、いいか」
それにしても、この変に甲高い声はいつまで続くんだろうか。早めに治ればいいけどなぁ……。
◇
どうやら、魔法薬の工房はひとつ奥の部屋を使うようだ。言われてみれば、手前の部屋は工具ばかりだった。
奥の部屋に入ると、今度は様々な薬品類が入った瓶が棚に並んでいるのが目に入る。
「では、先ほどの『声を変える魔法薬』を調合してみましょう」
レティシアは慣れた手つきで棚から小瓶を取り出していく。
しばらくすると、机の上には色とりどりの液体が入った小瓶たちや謎の粉末、空の金属釜が並べられていた。
「それでは初めてですので、ひとつずつ手順を確認しながら調合していきますわね」
レティシアに言われるまま、ひとつひとつ丁寧に金属釜へ材料を投入していく。しっかりとその材料を入れる意味も解説してくれるから、非常にわかりやすい。
ただ……――。
「あれ、これはひとつまみ……? いや、こっちは大量投入の方だった気が……」
説明に『たぶん』や『だいたい』、『だった気がする』という言葉を使わないでほしいと、切に願うのだった。
(これ、爆発とかしないよね……?)
不安しかないが、レティシアを信じて作業を進めていく。
材料を投入した後は、釜を火にかけゆっくりと混ぜていく工程。ゲーム内の錬金術などでよく見かける作業をしていると思うと、少しワクワクしてしまう自分がいる。
薬品を混ぜ合わせる関係上、どうしても刺激臭が漂ってしまうのが難点だが……。
「では、最後に大気中のマナを集めて、釜へ送り込みましょう」
「は、はい……!」
一層、緊張する。
目を閉じて神経を研ぎ澄ませる。マナを感じ取るのは、魔法の訓練で随分とスムーズに行えるようにはなった。
(それでも、ノエルの倍以上は時間がかかっちゃうけど……)
魔法を学んでいくにつれて、ノエルがどれほど優秀な魔法士であるのか痛感した。
いつかはノエルと同じぐらいに魔法が使えるようになりたい。最近は、より強くそう思うようになってきた。
(でも今は、こっちに集中……集中……!)
感じ取ったマナを一か所に集める。
そして、ゆっくりと釜の薄い紫の液体へと流し込んでいく。
「よしっ……これで……」
目を開けると、釜の中の液体が無色透明にその色を変えていた。
「……失礼いたしますわね」
レティシアが釜に手をかざし、何やら魔法を使う。詳しくはわからないが、おそらく液体の成分を調べているのだろう。
しばらく唸ったあと、レティシアは苦い表情でこちらへ視線を向けた。
「はじめから成功……とは参りませんでしたわね」
「だ、だよねぇ……」
そんなところだろうと思った。
何せ、自分が飲んだ液体は深い紫色。これはそもそも色すらついていない。明らかな失敗だ。
しかし、なぜかレティシアはまだ手をかざしたまま少し首を捻る。
「ですが、この性質は……いったい……?」
何かおかしな成分でも混じり込んでいたんだろうか。
ただ、失敗は失敗。
透明の液体を空の小瓶に移し替えると、また先ほどと同じ材料を手に取っていく。
「もう少し、このまま続けさせてもらってもいいかな?」
今の感覚を忘れないうちに、もう一度挑戦してみたい。
だが、レティシアは微妙な表情で窓の外を指す。
「もうじき日が暮れますわよ?」
「あっ……」
熱中して、まったく気づいていなかった。
窓の外を見ると、もう薄暗くなり始めている。
……でも、こんな情けなく失敗したままじゃ終われない。
すると、レティシアは短く笑って、ひとつ提案を口にした。
「では、あとひとつだけ、ということでいかがですの?」
「えっ……!」
顔を上げると、映る優しい微笑み。
レティシアに深々と頭を下げ、精一杯の感謝を告げる。
「……ありがとう、レティ」
そして、今度は失敗しないように、ひとつひとつ工程を確認しながら材料を釜へ投入していくのだった。
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