Episode.08 突きつけられる現実

「はぁ、今日も魔法薬の講義かぁ……」


 寝起きの一言は、そんな重苦しい言葉だった。


「別に講義自体は嫌じゃないんだけど、実践の方がなぁ……」


 この一週間、ずっと『声を変える魔法薬』の調合をやってきたが、いまいち結果が伴っていない。

 成功率で言うと、だいたい三割強。

 ほとんどは失敗して、無色透明の液体をつくってしまっているのだ。


「昨日つくった魔法薬も、結局『声を変える』っていう効果は出なかったみたいだし、こんなので《聖女》の役目なんて果たせるのかな……」


 不安に、ついついため息がこぼれてしまう。


「……それに、失敗したときにだけ混じる“謎の成分”も気になるんだよな」


 どうやら、『声を変える魔法薬』には含まれない成分が、失敗したときにだけ混じっているのだという。ただ、その成分が何か詳しくは判明していないらしく、レティシアが調査を行っているのだ。


(同じ製法でも失敗する理由に、失敗時に出る“謎の成分”。それに、俺が女性の姿になってしまったことと、元に戻れないこと……)


 ……正直、謎だらけで頭が痛くなってくる。


「はぁ……異世界も異世界で大変だなぁ……」


 また、ため息。

 幸せが逃げる、なんてよく言うが、この一週間で半生分ぐらいは幸せを逃がしてしまっている気がする。


「……とりあえず、支度を済ませようか」


 重い足取りで鏡の前へ。

 鏡に映る曇った表情の自分に嫌気がさしながら、淡々と化粧を進めていく。

 すると、突然扉から荒々しいノックの音が響いてきた。


「イオリさん! イオリさん、いらっしゃいますの!?」

「え、あっ、はい……!」


 この声はレティシアだろう。

 かなり焦っているように聞こえた。何かあったんだろうか……?


(あっ……、でも支度がまだ……)


 仕方がない。ここはカーディガンだけ羽織って誤魔化そう。

 カーディガンを肩から羽織ると、扉の方へ。開けた途端、血相を変えたレティシアが部屋に駆け込んできた。


「い、イオリさん! た、大変! 大変ですのっ!」


 いつも冷静なレティシアがこんな取り乱しているのは珍しい。

 肩をポンッと叩き、どうにか少しずつ落ち着きを取り戻させる。


「れ、レティ? 落ち着いて……」

「え、ええ……」


 深呼吸で息を整えるレティシア。

 少し落ち着いたことを確認してから、何があったのか尋ねてみる。


「それで、どうしたの? そんなに慌てて」

「ごほん、取り乱したことはお詫びいたします。ですが、イオリさんのことでとても重要なことが判明いたしましたの」


 重要なこと……。はて、何かあっただろうか……?


(あっ、もしかしたらこの女性化のことが何か……――)


 期待に胸を躍らせながら、レティシアの言葉を待つ。

 すると、彼女は無言で懐からひとつの小瓶を取り出して、机に置いた。


「これって、前に僕がつくった魔法薬? それもこの色って……」

「ええ、効果が出なかった失敗作とされていたものですわ」


 そう、どこからどう見ても無色透明。これは三割強の成功に入らなかった失敗作、そのひとつだった。


「イオリさんは、失敗作にはすべて同じ“謎の成分”が含まれていると言ったことは覚えておられますの?」

「ああ、失敗作にだけ入ってる成分っていうやつね」

「はい、そちらを今回より精密な解析にかけてみたのですが……」


 言って、彼女が取り出すのは分厚い紙束。どうやらそれが今回の研究結果を記した資料のようだ。

 紙束を手に取って、ざっと目を通していく。


「えっと、『無色透明な魔法薬には、声を変える性質はもちろん、その他いかなる魔法的効果もないことが判明』ってことは、ただの水ってこと……?」

「いえ、その続きをご覧くださいまし」


 ……どういうことだろう?

 首を傾げながらも、続きを目でなぞっていく。


「『ただの水と成分的には九割変わらないものの、一点だけ未知の成分が含まれている。その成分を詳しく鑑定したところ――』」


 次の一文に、思わず目を見開いた。


「――『魔獣の殲滅に特化した性質があることが判明した』……!?」


 見開いたままの目で、レティシアを見る。

 すると、彼女は無言で頷いて、小瓶を手に取った。


「ようするに、『声を変える魔法薬』の失敗作はすべて、《聖水》へと変化していたのです」

「《聖水》……?」


 また聞き慣れない単語だ。

 ゲームやアニメでは、ゾンビやアンデッドなどのいわゆる死者を浄化する水のことを指すものだった。今の話を聞く限り、これもそういう類のものなんだろうか。


「ええ、《聖水》とは、魔獣の嫌う成分が含まれた魔法薬のことです。これを魔獣にかけることで、ある程度動きが阻害できますの」

「なるほど……」


 やはり、魔獣の天敵となる魔法薬のようだ。

 ただ、失敗作が《聖水》に変わったことがわからない。何か調合過程で違いがあっただろうか……?

 唸りながら首を傾げていると、レティシアが控えめにくすりと笑う。


「どうして失敗作がすべて《聖水》に変わったのかはわかりかねますが、イオリさんのおかげで少し希望が見えたのは確かですわ。とても数が十分にあるとは言えない状況でしたので……」

「え、そんなに出回ってないものなの?」

「ええ、普通は希少性の高い素材を使わなければならないもので、あまり量産化が進んでいないというのが現実ですわね」


 ……なるほど。失敗ばかりかと思ったけど、悪いことばかりじゃなかったみたいだ。


(希少な素材を使ってしか作れなかったものが、安価な素材で再現できるってことだもんな。まあ、原因はわからないんだけど……)


 ただ、その原因に関しても後々解析が進めば解決することだろう。


「……なら、もっと頑張らないとね」

「ふふっ、期待しておりますわよ? あまりノエルのように無茶無謀をなさらない範囲で、ですが」

「うっ……肝に銘じておきます……はい……」


 釘を刺されてしまった。

 つい目を逸らしていると、また荒々しいノックがやってくる。


「イオリさん! イオリさんはいらっしゃいますか!? ノエルです!!」


 ……おっと、噂をすれば何とやら、というやつだ。

 レティシアへ目を向けると、そっぽを向いてわざとらしく咳払いされた。まあ、聞こえていないことを祈ろう。

 恐る恐る扉を開ける。


「ノエル? いったいどうしたの?」

「イオリさん! あっ、レティシア様も突然申し訳ございません」


 慌てて頭を下げるノエル。

 どうやらさっきの話がきこえていたわけではないようだ。一瞬、胸を撫で下ろすも、どこか様子がおかしい。

 そして、ノエルの顔色が真っ青なことに気がついた。


「何か異変でもございましたの?」

「は、はい。遠征に出ていた騎士団が帰還したのですが……――」


     ◇


 息を切らして駆け込んだのは、医務室。

 いくつものベッドが並べられた大部屋には、怒号にも似た叫びが飛び交っていた。


「おい、魔法薬をもっとこっちに回してくれ!」

「馬鹿言うな! こっちも足りてないんだ!!」

「この中に《治癒》の魔法をかけられるやつはいないか!?」

「くそっ! 人手も魔法薬も全然足りねぇ……っ!」


 ベッドにはピクリとも動かない全身包帯まみれの人。床には生傷が剥き出しのまま治療を待つ人。

 ここには、あまりにも凄惨な光景が広がっていた。


「……っ!」


 思わず、片手で口を塞ぐ。

 押さえていないと、今にも嗚咽が漏れてしまいそう。


「アルベール! アルベール騎士団長はおりますの!?」

「はっ、こちらに」


 レティシアに呼ばれ、人の波から顔を覗かせるアルベール。彼もまた、頭部に血の滲んだ包帯を巻き、騎士服の至る所に赤黒いシミをつくっていた。


「……遠征先で何が起こりましたの?」

「実は、遠征先の仮設キャンプが魔獣の群れに突如襲われまして……」

「なるほど、やはり魔獣によるものですのね……」


 ――魔獣。その名は聞き覚えがある。

 それこそが、《聖女》の……俺の召喚された理由なのだから……。


(でも、これがすべて魔獣の……――)


 見渡す医務室に、無傷な騎士など存在しない。

 皆、身体の至る所から血を流し、すでに満身創痍。これが自分の立ち向かう存在による被害なのかと思うと、悪寒が走る。


「私もお手伝いしますっ!」


 ノエルが近くの医師に駆け寄り、怪我の具合を確かめる。


「……よかった、これなら《下級治癒》の魔法で大丈夫そうですね」


 腰のベルトから短杖を抜くと、傷にかざす。そして、光が溢れたかと思うと、未だに血を流していた傷は塞がり、かさぶたのみが残っていた。


「おお……あんた、魔法士かい……?」

「ええ、《治癒》の魔法は一通り使えますので、医師の方々は重傷度の確認を。私が緊急性の高い傷から治癒していきます!」

「それは、ありがたい!」


 疲労が滲む医師たちの顔が、一瞬明るくなる。

 だが、すぐに騎士たちに目を戻すと、素早く怪我の程度を確認して順にノエルへ申告していく。

 すると、アルベールと話し終えたレティシアが、木箱を抱えて戻ってくる。


「では、アルベール。わたくしも痛み止めの魔法薬を配ってまいりますわ。あなたは静養なさい」

「……かしこまりました。ありがとうございます」


 医師が診て、ノエルが重傷者から治癒。軽傷者にはレティシアが痛み止め効果のある魔法薬を配っていく。

 各々が自分の役割を持って、騎士たちのために動く。


 だが、自分の足は動かない。動けない。


「イオリさん?」


 顔を上げたノエルと目が合う。


「あっ……え……――」


 言葉に詰まる。身体が動かない。

 ――『俺も手伝う』。そう言いたいのに、動けない。


「お、俺は……」


 自分がここに加わったところで、いったい何になるというんだろうか。

 それぞれ自身の能力を十分に発揮して、騎士たちの治療にあたっている。それに比べて、自分は……。

 このエキスパートたちの中に入って、できることがあるとでもいうのか?


「……っ!」


 気づけば、俺の足はノエルたちとは逆の方向へ走り出していた。


「あっ……イオリさん……!!」


 ノエルの呼び止める声が遠く聞こえる。

 しかし、この足は止まってくれない。もう、引き返してはくれなかった。


     ◇


 医務室に残されたノエルは、伊織が走り去った後もじっと廊下を見つめていた。


「イオリさん……どうして……」


 すると、隣で座り込むアルベールがぐっと歯を食いしばって苦い表情を浮かべる。


「イオリ様にはやはりこんな見苦しい姿を見せるべきではなかったか……」


 無様な姿を見せてしまった後悔。そして、こうしてただ座っていることしかできない不甲斐なさ。

 アルベールは顔をしかめて、床を殴りつけることしかできなかった。

 つられるように、ノエルもうつむいて唇を噛む。

 だが、レティシアだけは違った。


「ほら、ノエル。手を動かしなさいな」

「で、でも……レティシア様……イオリさんが……」

「健康な人間より先に、目の前の重傷者を救いなさい。それがあなたの今すべきことですわよ」


 冷たく言い放つレティシアに、ノエルはただ目を見開くばかり。

 しかし、振り返ったレティシアは確信に満ちた微笑みを携えていた。


「それに、イオリさんならきっと――」

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