Interlude.02 召喚士ノエルの苦悩
王宮魔法士団。それは選ばれた魔法のエキスパートだけが集う場所。そこに最年少の16歳で入団を果たした少女がいた。
少女の名は、ノエル・ル・ブラン。
聖女召喚を成功させたことで“召喚士”という称号を与えられた、魔法士団期待のエースである。
そんな話題性の塊のような者がひとたび廊下を歩いていれば……。
「あれが聖女を召喚なされた……」
「さすがは最年少魔法士ですわね」
「ですが、平民の出身なのでしょう?」
まあ、こうなって当然なのだが、少し居心地が悪く思ってしまう。
足早に廊下を曲がり、周りに人がいないことを確認する。そして、大きく肩を落とした。
「貴族出身ではないことでよく思われていないことは知っていましたが、『聖女召喚』という功績のせいでさらに微妙な立場となってしまいましたね……」
そう、私は平民だ。
一般的に、王宮勤めの魔法士というのは貴族がなる職業と言われているし、実際に平民出身の魔法士は数える程度しかいない。
だが、別に差別のようなものが存在しているわけじゃない。
(ただ、私は色々と目立ってしまっていますし。もちろん、良い意味でも悪い意味でも……)
気が重い。ついつい、ため息が漏れてしまう。
表立って平民であることについて何か言われたりはしないが、それでもあまり良い印象を持たれていないことはわかる。特に、魔法士団の外の人間からは……。
そのとき、立ち眩みのような浮遊感に襲われる。
(……少し疲れが溜まってしまったのかもしれないですね)
壁に慌てて手をつき、どうにか身体を支える。
「でも、今は休んでなんていられないから……」
頭を軽く振って、壁から手を離す。
そして、一番近い扉を開けて部屋の中へ。すると、壁一面に差された分厚い本たちが目に入ってくる。
ここは資料室。ルクレール王国の建国時から今までに至る全記録を保管している書庫である。
「昨日はこの本を読んだから次は……」
本の背表紙を指でなぞりながら、何冊か適当に抜き出していく。
しばらくすると、資料を読むために設置された机の上には、本の塔が出来上がっていた。
「今日は、過去の魔獣との戦闘記録を中心に洗いましょうか」
積み上げられた本の塔はすべて、過去に聖女や魔獣が出現した時代の文献。
資料室に眠る莫大な量の記録の中から、こうして暇を見つけては聖女に関する記述を探しているのだ。
(聖女召喚の儀式の失敗。そして、イオリさんの突然の変身現象……。この二つの原因を一刻も早く究明しなければ……!)
ほとんど流し読みに近い速度で資料に目を通していく。
だが、そんなハイペースはずっと続くはずもなく――。
「ふぅ……少し、目も痛くなってきましたね……」
目頭を押さえて、背もたれに身体を預ける。
(……まだ、抜き出した資料の半分も読み進められていないのは、予想外ですね)
手を付けていない本の塔は、まだ高くそびえ立っている。
さすがに日々の疲れがたまっているのか、徐々に内容が頭に入らなくなってきている気もする。
「ちょっと、休憩を……って、え……」
立ち上がった瞬間、また浮遊感が襲う。
だが、今度はすぐに治まらない。それどころか、視界がぼやけて白く塗り潰されて……――。
◇
初めに目に入ったのは、見覚えのない天井だった。
(ここは、いったい……?)
真っ白の天井に、身体を包むふかふかとした感触。
まだ靄のかかった頭を回転させ、直前の記憶を辿ってみる。
「おや、目を覚まされましたか」
「あなたは……」
覗き込んでくる初老の男性の顔には見覚えがある。たしか、王宮医師の……。
(あっ、私は資料室で倒れて――)
ようやく状況が掴めてきた。
身体を起こすと、医師に問いかける。
「……ここは、医務室ですか?」
「ええ、資料室で倒れているところを、偶然資料室に入られたアルベール様が発見されたようでして」
……やってしまった。まさか、調べものの最中に倒れて、挙句に騎士団長にまで迷惑をかけてしまうとは。
「過労ですね、一週間は安静にしてください。王宮魔法士としてのお仕事も少しお暇をもらってください」
「一週間……」
「絶対、わたしとの約束ですよ?」
笑いながら釘を刺していく医師。そのまま彼は一礼して医務室から出ていく。
「一週間は安静……ですか……」
しばらく天井を見つめて考える。
安静に、とは言われたが、本を読むぐらいなら大丈夫なはずだ。別に身体を動かすわけじゃないし……。
そう言い聞かせて、そっとベッドから抜け出して扉の方へ。
扉越しには、ひとまず人の気配は感じられない。なら、今のうちに――。
「ごきげんよう、ノエル。病人が一体どちらへ?」
「あっ……」
扉を開けると、そこには怖いぐらいに爽やかな笑みを携えた伊織が立ち塞がっていた。
「さあ、病人は安静に」
「ちょっ……ちょっと待って……」
部屋の中に押し込まれ、無理やりベッドの中へ。
私には、ベッドの中から恨めし気に顔を覗かせることしかできなかった。
「と、ところでイオリさんはどうして医務室に……?」
「レティから頼まれてね。『おそらくノエルはじっと安静になどしていられずに、すぐ仕事をし始めると思われますので監視をお願いいたしますわ』とね」
ぐっ……、まさか見破られていたとは……!
すると、伊織がにこやかな笑みのまま、顔をずいっと寄せてくる。
「で、今どこに行こうとしていたのかな、病人さん?」
「ぎ、ぎくっ……!」
目を泳がせ、下手な口笛を吹く。
しかし、伊織は追及の視線を緩めてくれない。視線が痛い……!
一度、伊織は息を吐く。そして、私から視線を外して、用意されていた椅子に腰かけた。
「どうして身体を壊してまで研究に打ち込むのか聞いてもいい?」
「それは……」
真剣な問いに、泳がせていた目を戻す。
無茶を通してでも研究を続ける理由。そんなもの……――。
「……私の研究が不完全だったせいで、イオリさんを巻き込んでしまいました」
ぼそりとつぶやき、拳を握る。
「……私の研究が不十分だったせいで、イオリさんの変身の謎の解明できないままです」
思わず、目尻から涙が溢れてくる。
その涙が頬を伝うのと同時に、抑えていた感情が言葉になって溢れ出した。
「だから、せめてイオリさんを一刻も早く元の世界に返してあげられるように……。一刻も早く元の姿に戻してあげられるように……。一刻も早く、早く、はやく……!」
もう、涙が止まらない。溢れて止まらない。
静かな医務室に、私の嗚咽だけが響く。
……人前で泣くのなんて、何年ぶりだろう。いや、そもそも人前でこんな激情をさらけ出したことはあっただろうか。
何年分も溜め込まれた様々な感情の波が、涙と一緒に押し寄せてくる。
医務室が静けさを取り戻したのは、それから十分ほど経った頃。
それまで、私はひたすらに泣き続けた。
「ノエル、ひとついいかな?」
泣き止んで少しすると、伊織がそう切り出す。
「――別に俺はこの世界に来たことを後悔していないよ」
その言葉に、思わずうつむけていた顔を上げる。
涙で滲んだ視界には、伊織の優しい微笑みが映っていた。
「どうせ、元の世界にいても誰にも必要とされず、何の生きがいもなく社会の歯車として過ごしていたと思う。でも、この世界のみんなは俺のことを必要としてくれる」
伊織は窓の外、遠くの空に目をやる。
「現金な奴って笑われるかもしれないけど、俺はそんな必要としてくれるみんなの役に立ちたい」
少し自虐的に笑うと、伊織はこちらへ向き直った。
「だから、感謝こそすれ恨むなんてあるわけないよ」
その瞬間、どこか心が軽くなったような気がした。
ああ、そうか。不安だったんだ……。
伊織が自分を恨んでいるかもしれない。その不安から逃れるために、研究に明け暮れていた。
でも、もう……――
「だから、自分を追い詰めないで、ゆっくり休んでいいんだ」
枯れたはずの涙が、一筋頬に伝う。
同時に、身体から力が抜けていく。視界が薄れ、ベッドに倒れ込む。
資料室で倒れたときと同じように、意識が遠のいていく。
でも、不思議と心には温かさが溢れていた――。
「ありがとう……ございます……」
それが、朦朧とした意識の中、最後に発した言葉だった。
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