Episode.04 聖女さま、初仕事のお時間です

 異世界に召喚されてはや一週間。

 ここ数日は、ずっとこの世界についての講義をノエルから受けていた。

 ちなみに、ノエルには初日に「敬語はやめてください。あなたは《聖女》様。この国の救世主なのですから」と言われて、無理やりくだけた喋り方を使わされている。


「まず、この大陸『シュバリエ』を治めるこの国の名は『ルクレール王国』。北部には雪原が、南部には比較的温暖な森林地帯が広がっています」


 教わるのは、いわゆるこの世界の常識や、なぜ自分が召喚されたのかということ。

 ようやく異世界に召喚されたという実感が湧いてきたところなのに、聞きなれない単語ばかり聞かされてすでに頭がパンクしそうだ。


「ここまでは昨日までの講義でお教えしましたが、今日の本題はここから……」


 ノエルは黒板にチョークで大陸の簡易図を描く。


「まず、この大陸に数百年に一度現れる脅威についてお話します」


 図の隣に、ノエルは何やら動物のようなものを描き足す。犬のようにも、蛇のようにも見える。

 というより……――。


「ば、バケモノ……?」

「わっ、私の画力は無視してくださいっ!」


 ……何というか、とても個性的でユニークで前衛的な絵柄だ。


「ご、ごほん……その脅威の名は《魔獣》。どこから現れるのか、何のために現れるのか……。そのどれも詳しく判明していないものの、手当たり次第に人々を襲う謎の怪物です。その脅威が現在、300年ぶりに訪れているのです」

「謎の怪物……《魔獣》か……」


 異世界ファンタジーものではかなりテッパンな存在だ。ただ、絵柄が“アレ”なせいであまり鮮明にイメージはできないけど……。

 ただ、《魔獣》なんて存在がいるなら、俺が召喚された理由は――。


「この魔獣という怪物は、通常の人間でも討伐自体は可能です。しかし、なぜか倒しても倒しても新たな個体が現れ続け、根絶することができないのです」

「ってことは、それを根絶できる力を持つのが、もしかして……」

「はい、唯一この魔獣の災厄を鎮められるのが《聖女》であると語り継がれております」


 思った通り。これで一応、召喚された理由はわかった。

 でも、やっぱりわからないことがある。


「なら、どうして男が《聖女》として召喚されたんだろう……?」

「それはなんとも……。これまでの記録に残っている方々は、例外なくすべて女性だったとのことですので、私の儀式が不完全であったと考えるしか……」


 うつむくノエル。何だか責めているみたいになってしまった。

 とりあえず、話を逸らそう。そうしよう。


「ち、ちなみに聞きたいんだけど、今までの《聖女》ってどうやってその魔獣たちを根絶したの?」


 魔獣の根絶方法。それがわかれば、自分も役に立てるかもしれない。

 だが、そんな簡単にはいかないらしい。


「それが、方法までは詳しい記載が残っていないのです……すみません……」

「それはどうして……?」

「なにせ、最も新しい聖女についての記述は300年も前のことですので、当時の状況があまり詳しく解明されていないのです……」


 確かに、日本でも300年も前の状況が正確に把握できているわけではなかった。それも仕方がないことだろう。


「魔獣への対応は今後考えるとして、ひとまず今日の講義はこれぐらいにしておきましょう。お疲れ様でした、イオリ様」

「ふぅ……やっと終わったぁ……」


 これだけじっとしていると、首と肩が凝り固まって仕方ない。


「それにしても、覚えること多すぎない?」

「何をおっしゃいますか。これでもかなり大雑把に、細かい歴史なんかを飛ばしながら説明しているんですよ?」

「うへぇ……」


 もう先行きが不安になってきた……。


「では、レティシア王女殿下がお待ちですので、身支度を整えてから場所を移しましょう」


 ノエルに促され、そのまま講義室から化粧室へ。

 日を追うごとに鏡の前に座って化粧をすることに抵抗がなくなってきた気がする。というか、どこか自分の技術力が上がってきて楽しいような……。


「あぁぁぁぁぁ! 心まで女子力に侵されるぅぅぅ……っ!!」


 頭をガンガンと机に打ち付け、どうにか心の平穏を保つ。

 最近、一日一回はこの発作に苦しめられている。酷いときは、『完全に女性として生きることを受け入れてアルベールと結婚式を挙げる』なんて夢を見てしまうほど。


「な、なんとしても“男としての自覚と尊厳”だけは……それだけは守り抜かないと……!」

「でも、近頃“女性としての振る舞い”に磨きがかかってきていると思われますが?」

「え、うそ……?」

「最近、『俺』ではなく『私』と使う機会が増えておりますが、無意識ですよね?」


 言われて、ここ数日の記憶を掘り起こす。


 3日前、レティシアとのお茶会の際には『俺』8割、『私』2割ぐらい。

 2日前、ノエルとの講義中では『俺』6割、『私』4割ぐらい。

 昨日、アルベールとの世間話のときは、『俺』4割、『私』6割ぐらい。

 そして、今日の侍女やノエルとの会話では――『俺』2割、『私』8割。


「なっ……そんな、バカな……!?」


 無意識のうちに女子力に心が支配されてしまっていたようだ。

 このままでは、男としての自覚も女子力に塗り潰されてしまう……!?


     ◇


「……なんてことがありまして」

「ふふっ、いっそのこと身も心も女の子になってしまわれては? そのお姿もすっかり板についてきたことですし、楽にもなれますわよ?」

「勘弁してくださいよ……」


 レティシアとノエルが控えめに笑っている中、俺はため息をつくことぐらいしかできない。


「いえ、本当に素敵なお姿だと思います! 動きに違和感などもまったくありませんし! まさに立派な『淑女』そのものですっ!」

「ノエルさん? それはフォローじゃなくて『追い打ち』って言うんだよ……」

「ええ!?」


 悪気がないのが、逆につらい……。


「それにしても、お茶会の作法もしっかりと身についてきておりますわね。もうどこに出しても恥ずかしくないほどですわよ?」

「まあ、ノエル先生の講義が厳しいもので……」

「いえいえ、イオリ様の努力の賜物です」

「あらあら、お二人とも仲がよろしいことで」


 照れくさくて、目を逸らして頬を掻く。

 こういう素直に褒められることに慣れていないのだ。


(日本では、毎日毎日『役立たず』だって罵られ続けていたからなぁ……)


 今になって考えてみると、よくあんな真っ黒な職場にずっといたものだ。普通の人ならとっくに辞めてしまっているだろう。

 それでも辞められなかったのは……。


(……他の職場に行く勇気がなかったから、かな)


 思い出してみると、我ながら情けない。

 そんな情けない思い出に浸っていると、レティシアの声が飛んでくる。


「イオリ様? 少しよろしいですの?」

「え……ああ、はい」


 気を取り直して、レティシアに向き直る。


「本日お呼び立てしたのは、お茶会の作法についての確認というのもありましたが、もうひとつ重要なお話をしなければならないためですわ」


 真剣な空気に、思わず喉を鳴らす。

 すると、レティシアが目配せして、立ち上がったノエルが続きを口にする。


「はい。この度晴れて聖女となられたイオリ様には、聖女の任命式に出席していただきます」

「任命式? それってどんな……」

「簡単に言えば、聖女のお披露目式というところかしら? 国民に向けて、『この方が世界を救うために立ち上がった聖女です』とお披露目する場というところですわ」

「なるほど……」


 国民へのお披露目会。それがあるから、こんな数日間にマナーや一般常識なんかを詰め込んで教えられたのか。なるほど……。


「その式典で、イオリ様には《聖火》を灯していただきます」

「《聖火》? 松明とかで、火を灯すの?」


 頭の中には、オリンピックで聖火ランナーが全国各地を走っている光景が浮かぶ。世界が違えど、似たような文化があるとは驚きだ。

 しかし、すぐレティシアが首を横に振る。


「いえ、聖女様には代々、《魔法》にて聖火を灯していただくしきたりがありますの」

「え、魔法? そんなの使えないけど……」


 さすがに日本生まれ日本育ちの生粋の日本人には、魔法なんて使えるはずがない。

 ……いや、どの国の人でも無理だろうけど。


「イオリ様の世界には魔法がないと聞いておりますわ。ですが、こちらにいる“最年少”王宮魔法士ノエルが、しっかりとレクチャーいたしますのでご心配なく」

「え、ノエルさんって、そんなにすごい人……?」

「いえ、私はレティシア様ほどでは……」


 思えば、ノエルは自分よりも年下に見える。まだ高校生ぐらいだと言われれば、疑いなく信じてしまう。

 実際の年齢を聞いていないから、本当に15~16歳ぐらいかもしれないけど……。


「では、明日より魔法講義を頼みますわね、ノエル?」

「かしこまりました」


 結局、俺ひとりだけ置いてけぼりで流れについていけずに、その日のお茶会は幕を閉じた。


     ◇


 翌日から始まった魔法講義は、やはりそれほど容易にはいかず……。


「うぅ……ダメだぁ……」


 お茶会から五日ほど経っても、何の成果も得られていなかった。


「すみません、私の教え方が悪いばかりに……」

「いやいや、俺ができれば問題ないんだ。もうちょっとだけ居残り練習していくよ」

「では、私は魔法士団の仕事がありますので、お先に失礼します」

「ああ、ギリギリまでありがとう」


 式典で使用するのは、どうやら初歩中の初歩である《着火》の魔法というものらしい。


(初歩の魔法ならできるかも……なんて思っていた時期が俺にもありました……)


 この世界の魔法は、大気中の《マナ》という力を変換することで超常現象を起こすというもの。

 いわゆる“厨二”的な呪文を必要としないのはありがたいが、逆にこれが難しい。


「大気中のマナを感じ取って、さらにそれを火に変換するイメージ……イメージ……イメージ……」


 目を閉じて、大気中に漂うマナを感じ取ろうと感覚を研ぎ澄ませる。

 しかし、しばらくしても何も感じ取れず、もちろん何も変化は起きていない。


 ――ようするに、失敗だ。


「いったい、どうすればいいんだぁ……」


 すでにノエルもいなくなった講義室で、ひとり気の抜けた声を漏らす。


「もういっそのこと――」


     ◇


 その頃、アルベールは騎士団の訓練を終え、差し入れのお菓子を手に講義室へ向かっていた。


「イオリ様はまだ残って魔法の修練に励んでいるのか。こちらへ来て日も浅いというのに、大した御方だ」


 先ほどすれ違ったノエルに聞いた話を思い出す。

 どうやら、聖女任命式のためにずっと《着火》の魔法を練習しているという。それも、毎日居残りで日が暮れるまでしているとか。


「お身体に障らなければいいが……」


 窓の外を見て、深く息を吐く。

 もう空が夕焼けのオレンジに染まっている。この時間になると、そろそろ肌寒くなってくる。


「そのために羽織るものを用意したが、喜んでいただけるだろうか……?」


 手にしたカーディガンに目を落としながら、少し首を捻る。

 そんなことをしていると、もう講義室にたどり着いてしまった。


「まあ、ひとまず様子だけでも窺っていこうか」


 軽く咳払いをして声を整えると、扉をノックして呼びかける。


「イオリ様、いらっしゃいますか? 騎士団長のアルベールです」


 しかし、なぜか返ってくる声がない。


(もしや、休憩中に寝てしまわれたのか? それとも、すでに自室に戻られたか……?)


 しばらく待つが、やはり中からは物音ひとつ聞こえない。

 ……こうなれば仕方がない。


「イオリ様、失礼いたします。魔法の訓練の方はいかがで……――」


 扉を開けて、動きを止める。


「なっ……――」


 目の前にあるのは、おそらく講義で使われたであろう紙束と開かれたままの教本。


 ――そこには、人の姿はひとつとしてなかった。


「イオリ様……っ!?」


 手からお菓子の箱とカーディガンが滑り落ちるが、今はそんなことを気にしている余裕はない。

 この国を救ってくださる《聖女》様が姿を消したのだ。いち早く彼女のご無事を確認しなければ……っ!


 アルベールは息を切らしながら、来た道を全力で駆けていくのだった。

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