Episode.05 本当に大事なこと
「あら、イオリ様。本日はノエル様の魔法講義はもう終わられたのですか?」
中庭に通る廊下を歩いていると、ふと声をかけられた。
この世界に来てからずっと俺の身の回りの世話をしてくれている、侍女のアンさんだ。とはいえ、洗濯や掃除などは俺のいないときにやってくれるから、実はあまり顔を合わせることがないんだけど……。
「ま、まあ、講義自体は終わりました。はい……」
「ということは、このままお部屋へ?」
「……いえ、実は居残り練習をしていて、抜け出してきちゃいました」
こんな純粋な瞳で見られたら、別に悪いことをしていなくても罪悪感が湧いてくるのはどうしてなんだろう。
思わず、自分の情けなさを白状してしまった。
「ふふっ、別に責めてはおりませんのに」
ひとしきり控えめに笑ってから、アンは人差し指を唇に当てる。
「でも、ノエル様には秘密にしておきますね?」
一度ウインクしてから、アンは去っていく。
……なんだか手玉に取られて遊ばれたような気がするが、気にしないようにしよう。
「まあ、いい機会だし、気を取り直して王宮の中を散策してみようかな」
◇
結局、その後もすれ違う人全員に声をかけられてしまった。
「はぁ……芸能人とかって、こういう感じなのかなぁ……」
人目のつくところにいる限り、プライベートがないに等しい。顔が知れ渡っているというのも、実はそんなにいいことではないのかもしれない。
「人目のないところ……ないところっと……」
人に会う度、逃げるようにより人気のなさそうな方へ。そんなことを続けていると、どこかわからない場所へ流れ着いてしまっていた。
「ココ……ドコ……?」
王宮というだけあって、敷地もかなり広く、そしてややこしい。
気づけば、四方は見たことのない建物ばかり。これは完全に迷ってしまった、というやつだ。
「思えば、こっちに来てから部屋と講義室、化粧室を行ったり来たりするぐらいで、まともに地図も見たことなかったなぁ」
せめて、王宮内の地図だけでも見てくればよかったと、今さらながらに思う。
「さ、さすがに誰にも見つけられずに一人寂しく野宿なんて、ありえないよな~。ははは……」
額に滲んだ冷や汗が、頬に伝ってくる。
空を見上げれば、もう夕焼けのオレンジに少しずつ黒味が混じり始めている。灯りも持っていない。
暖を取ろうにも、火起こしの道具なんて持っていないし……。
「……ましてや、《着火》の魔法も使えない」
――これは、俗にいう“詰みゲー”という状態じゃないだろうか。
頭を抱えてうずくまっていると、ふと微かに何かが空を切るような音が届いてくる。
ちょうど、目の前の建物の裏手ぐらいだ。
(こんな時間に、誰か訓練でもしてるのかな……?)
もしそうなら、邪魔をしてはいけない。
出来るだけ足音を立てずに、そっと裏手を覗き込んでみる。そこには、背丈ほどもある長杖を振るうノエルの姿があった。
「あれ、ノエルさん?」
「……イオリ様? いかがなさいましたか?」
杖を地面に突き立てると、汗を拭ってノエルがこちらを向く。
「こちらにおられるということは、自主訓練で何らかの成果が?」
「あっ、いやぁ……それは……まだ、発展途上というかぁ……伸びしろしかない、というかぁ……」
「じーっ――」
「すみません。本当は何の成果も出せず、抜け出してきちゃいました……」
「素直でよろしい。ですが、ずっと根を詰めすぎるのもよくありませんから、居残り練習もほどほどに」
釘を刺されてしまった。
たしかに、ここ数日寝る時間と食べる時間を除いて、ほとんどの時間を魔法の練習に費やしている気がする。
そこで、ひとつ引っかかることがあった。
「あれ? でも、ノエルさんもさっきまで魔法士団の方の仕事があったんじゃ……」
「ぎくっ……」
「ノ・エ・ル・さ・ん?」
じりじりと距離を詰め、ノエルの目をじっと見つめ続ける。
しばらく目を泳がせ逃げていたが、すぐにため息をついて白状した。
「……はい、すみません。偉そうなことを言いながらこんな体たらくでは、私も他人のことを言えませんね」
「おあいこ、ですね」
「ふふっ、今日のことはお互い忘れるといたしましょう」
和やかな二人の笑い声が、建物に反響する。
「あ、そういえば、ここってどこかわかる? 実は、ちょっと散歩の途中に迷っちゃって」
「なるほど、王宮は造りが複雑ですものね。私も配属当初は毎日のように迷っておりました……」
ノエルの説明によると、どうやらここは騎士団や魔法士団関連の施設が密集している区画で、王宮の中でも最奥に近い区画らしい。
「ちなみに、目の前のこの大きな塔がイオリ様の召喚儀式を執り行った『儀式塔』でございます」
「ほー……」
あまりピンとこないが、そういうことらしい。
「あれ? っていうことは、俺初日にここらへんを通ってたりする?」
「はい、もちろん」
「あー……言われてみれば見覚えがあるようなないような~……」
ぐるりと一回転して、周りの景色を確認する。
だが、どの建物も同じような造りをしているせいか、自室付近とまったく見分けがつかない。
「――うん、見覚えないな!」
勝手にひとりで納得していると、不意に腹の虫が鳴り始める。
「あっ……」
恥ずかしい。耳まで熱くなってくる。
たぶん、今ノエルからは茹でトマトのように見えていることだろう。
「軽食もございますし、少しゆっくりいたしましょうか」
今回ばかりは、ノエルの気を利かせた言葉に胸が痛くなったのだった。
◇
ノエルが持ってきていたサンドイッチを頬張りながら、切り株の上で一息つく。
「ふぅ……やっぱり疲れ切った身体はカロリーを求めるんだよなぁ……」
女性の姿に似合わず、ガツガツとサンドイッチに食らいつく。こういうところは、まだまだ男の姿だった時の癖が抜けていないように感じる。
……さすがに、ノエルとレティシアの前でぐらいしか、こんな姿は披露できないけど。
「よほど疲れておられたんですね。もしかして、あれからずっと魔法の練習を?」
「あ、うん。とはいっても、何の進歩もなかったんだけど……」
そう、あれから何度試そうと、《マナ》なんてものは一切感じられなかった。
「……いっそ、間に合わなければ影武者を立てるか」
「や、やめてください。私もお手伝いいたしますから、どうかもう少しだけ頑張ってください……!」
「あ、いや、別に本気でそんなこと考えているわけじゃないけど」
でも、そういいたくなるほどには、手がかりすら掴めていない。
(こんな体たらくじゃ、愚痴りたくもなるよなぁ……)
我ながら情けないことだ。
すると、ノエルが隣で唸り声を上げ始める。
「うーん……イオリ様がどうすれば魔法を扱えるのか……」
目を閉じて唸るノエルの肩をそっと叩く。
真剣に悩んでくれているところ申し訳ないが、ひとつ言っておきたいことがあったのだ。
「……あの、ちょっといい?」
「はい」
「ちょっとむず痒いから、せめて様づけだけはやめない?」
「は、はぁ……」
前から思っていた。
俺は敬語を使わないように言われて、公式の場以外は使わないように心掛けている。だが、ノエルは一向に敬語に『イオリ様』のまま。
ちょっと不公平すぎやしないだろうか。
「敬語はそのままでもいいから、せめて『様』ぐらいは外さない?」
「ま、まあ、それぐらいなら……。その代わり、イオリ様――いえ、イオリ“さん”も私のことは『ノエル』と呼び捨てにしてください」
「……わかったよ、ノエル」
まだ硬い気もするが、とりあえず『様』が外れただけでもよしとしよう。
実は、別にそんなに偉いわけじゃないのに『イオリ様』や『聖女様』と呼ばれるのが、とてつもなく恥ずかしかったのだ。もはや一種の羞恥プレイ。
「では、改めて――」
咳払いをして、ノエルが立ち上がる。
そして、見下ろすようにしてこちらの目をじっと見据えたまま言った。
「――イオリさんは、魔法で何がしたいですか?」
……何がしたい?
そんなこと、考えたことがなかった。
「魔法というのは、大気中のマナを利用して不思議な現象を引き起こす技術。でも、その本質は『何をどうしたいか』という意志の力が最も重要な要素となってくるのです」
「意志の力……」
「イオリさん、あなたは魔法を覚えて何をしたいですか?」
うつむいて、少し思い出に浸る。
そういえば、今まで『何がやりたい』なんて考えたことがなかった。
なんとなく大学に行って、なんとなくフリーターとしてバイト生活に明け暮れ、なんとなく日々を生きていた。
『お前の代わりなんてごまんといる。クビにされたくなけりゃ、会社の歯車としてせっせと働くんだな。この“役立たず”が』
……それこそ、誰かに必要とされることもなく。
(そうか、だから嬉しかったんだ……)
ノエルに『聖女になってほしい』と言われ、皆から期待の眼差しを向けられ、それに応えようと頑張っていたのだ。
(この世界の人たちは、俺を必要としてくれている。なら、俺はこの人たちのために、この人たちの期待に――)
ゆっくり顔を上げる。
やりたいこと、それが何なのか少しわかった気がする。
不意に立ち上がると、ノエルが首を傾げながらこちらを不思議そうに見上げてくる。その目を力強い視線で見つめ返すと、口の端を僅かに上げた。
「ノエル、ちょっとだけここで俺も訓練させてもらっていい? ほんの少し、何かが見えた気がするんだ」
「ええ、ご存分に」
笑みを交わし、ノエルも突き立てた長杖を地面から引き抜く。
二人並んで、ただひたすらに魔法の修練を続ける。一言も言葉を交わすことなく、ただ黙々と。
結局、魔法の修練に夢中になりすぎて終わった頃には日が落ちており、帰って侍女の皆さんから怒られたのはここだけの話だ。
◇
一方、その頃……。
「い、イオリ様……! いったいどちらへ……どちらへ行かれたのですか……!?」
伊織たちが魔法の修練をしているなどつゆ知らず、アルベールは王宮内を全力で駆け回っていた。
「はぁ……はぁ……こちらにもいらっしゃらないのか……!?」
人気の多いところでは聞き込みを、人気のないところでは目を皿にして徹底的に探した。
それでも見つからないということは……。
「まさか、人攫いに……!?」
この厳重な警備を敷いている王宮内で、そんなことが起こりえるはずもない。
だが、冷静さを失った今のアルベールの頭では、そんな当たり前のことすら考えられない。
(ま、まさか……。いや、そんな馬鹿なことがあるはずが……!?)
ちょうどそのとき、ひとりの騎士が血相を変えて駆け込んでくる。
「ほ、報告いたします! アルベール騎士団長!」
「――っ!? いったい何があった!?」
「王都内にて人攫いの事案が発生! 我ら王宮騎士団も警備隊に手を貸すようにとの指令であります!」
「なっ……!」
姿を消した聖女。そして、その直後に起こった人攫い。
まったく関係のない二つの事件が、奇跡的に(アルベールの頭の中で勝手に)繋がった瞬間であった。
「ひとつ聞きたい。その攫われたというのは、女性か?」
「はい、この辺りでは珍しい“黒髪”の女性とのことです」
これで(アルベールの頭の中で勝手に)結論が出た。
「了解した、私は先に出る。あとは任せられるか?」
「は、はい! かしこまりました!」
こうしちゃいられない。アルベールは騎士団の皆を待つことなく、単独で飛び出していく。
(どうかご無事で……イオリ様……っ!)
その後、アルベールは警備隊の手を借りることなく、単独で人攫いの主犯を捕らえ、事件を解決させた。
そこにもちろん伊織の姿はない。
なぜなら、そもそも攫われてなどいないのだから。
しかし、混乱しきったアルベールには、そんな冷静な考えに至るはずもなく……。
「い、イオリさまぁぁぁ! どこへ行かれたのですかぁぁぁぁぁっ!!?」
結局、アルベールは日が昇るまで王都内を駆け回ることとなったのだった。
それから、王宮へ帰還したアルベールが、レティシア・ノエルの二人と楽しげにお茶会を開いている伊織を見て、膝から崩れ落ちたことは言うまでもないだろう。
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