Interlude.01 聖女イオリの休日
《聖女》イオリの一日は、まず二度寝から始まる。
「起きてくださいませ、イオリ様」
「むにゃむにゃ……あと五億年……」
「あらあら、それでは睡眠ではなく“永眠”になってしまいますわね」
侍女であるアンの皮肉交じりの声が聞こえてくるが、今日の俺は意志が固い。なにせ、昨晩はこの世界に数少ない娯楽――読書に明け暮れて、ベッドに入ったのはつい三時間ほど前。
この充分な睡眠をとれていない状態の俺を、そう簡単に起きさせることができるわけが……。
「では、永眠されるというお話ですので、早急に棺桶をご用意いたしますね。それも、厳重な鍵が備え付けられているものを」
……ん? 何やらおかしな流れになってきたな。
目を閉じながらも耳を澄ませていると、ガチャガチャと物音が届く。
(ま、まさか、本当にそんな入ったら出られないみたいな棺桶を用意するはず……ないよな……?)
心臓がバクバクと早鐘を打ち始める。
直後、誰かに持ち上げられるような感覚が身体を襲った。
(いやいやいやいや! さ、さすがにアンさんでも、そんなことするはずない……するはずない……)
自分に言い聞かせながらも、念のためゆっくりと目を開いていく。
「あら、お目覚めですか、イオリ様?」
――目の前には、床に置かれた棺桶と含みのある笑みを浮かべたアンの顔があった。
「……では、残念ではございますが、棺桶へご案内するのは諦めましょう」
本当に残念そうにため息をこぼすアンが怖い。
それにしても、あのタイミングで目を覚まさなかったら、本当に棺桶に幽閉されていたのだろうか。
(はぁ……アンさんには逆らわないでおこう……)
肝が冷えたせいで、眠気などどこかへ行ってしまった朝であった。
◇
起きてまずすることは、鏡の前に立つこと。だが、決してナルシズム的なものではない。
(はぁ……やっぱり夢じゃないかぁ……)
そう、もしかしたら男性の姿に戻っているんじゃないか。そんな淡い希望を捨てきれないのだ。
まあ、そのせいで毎朝心に大きすぎるダメージを負っているのだが……。
「……とりあえず、朝食にしようか」
朝食を済ませると、すぐ手早く化粧をして身支度を整える。
ここに来てから毎日、講義やお茶会、さらに王都へお出かけなど、何かしらのイベントづくし。なので、何の予定のない日でもしっかり身支度を整えるのが、もう癖になってしまっていた。
「よしっ、今日もかわいい」
珍しく今日は何も予定が入っていない。だから、少し薄めの仕上がりだ。
「男の姿に戻っても、しばらくは化粧をしてないと落ち着かないだろうなぁ……」
今度、男性にも似合う薄めのメイクを勉強してみよう。アルベールさんあたりに頼んでみるのもありかもしれない。
……あの完成された美形だと、そもそも化粧なんかしなくてもいいだろうけど。
「やはりイケメンは滅ぶべし、慈悲はない……!」
血涙を流すほどの勢いで、全力で顔をしかめる。
と、そんなことをしている場合じゃない。予定がないからといって、何もやることがないわけではない。
「よしっ、今日こそは“コレ”を完成させますか~!」
言って、机の上にあった手帳を持って部屋を出る。
そのままゆっくりと廊下を進みながら、手帳にペンを走らせていく。書いているのは、王宮内の簡易地図だ。
「ほんと、これだけ広いくせに地図がないのはおかしいんだよねぇ……」
以前、迷子になってから、暇を見つけてはこうして地図をつくっているのだ。
いい暇つぶしになるし、何よりゲームのマッピングをしているようで少しワクワクする。
「っと、この道はここで行き止まりか」
ぐるりと見回してみるも、近くに階段は見当たらない。ということは、この道はここまでなのだろう。
戻ろうと振り返った直後、一番近くの扉を見て足を止める。
「ここって、もしかして……」
ノックをして、様子を見てみる。しかし、返事は返ってこない。
ゆっくりと扉を開けてみると、そこには棚にぎっしりと本が詰め込まれていた。
「おお、やっぱり書庫だったんだ……!」
扉の横に本のようなマークが描かれていたので、もしかして……と思ったが、間違っていなかったようだ。
それにしても、こんな場所があるなら早く知りたかった。
……この世界、娯楽に関してはめちゃくちゃ少ないからなぁ。
「おっ、『はじめての魔法~初級編~』……。それに、こっちには『全網羅・魔獣大全』か……」
初心者向けのような易しい内容のものから専門的なものまで、かなり幅広いようだ。
「せっかくだし、今日はここで調べものでもしようか」
ノエルの講義でこの世界のことがある程度わかってきたとはいえ、まだわからないことばかり。
それに、これだけ多くの書物がある書庫なら、もしかしたら王宮内の構造を記したものがあるかもしれない。
「さあ、頑張って探すか~」
思わず、鼻歌が漏れてくる。
休みの日の楽しみが増えた喜びを感じながら、本棚を目でなぞっていくのだった。
◇
すっかり日が沈み、廊下に等間隔で備えられたランプにも火が灯されている。
そんな中、ノエルは息を切らして廊下を駆け足で歩いていく。
「イオリさん……まだお部屋に戻られていないとは……」
侍女のアンに聞いた話によると、朝食後に出ていったきり姿を見ていないとのこと。
昼食にも夕食にも姿を現さず、ついに夜になってしまったのだという。
「一応、書庫の方へ向かわれたことはわかりましたが……」
道中、聞き込みをしていると、どうやら書庫へ向かう姿を見たという話を耳にした。
「まさか、書庫で具合が悪くなられて倒れていたり――」
想像して、背筋に悪寒が走る。
「い、いやいや……。おそらく調べものに熱中しすぎて時間を忘れておられるだけです。絶対にそうです。それしかありません!」
自分に言い聞かせつつも、もし万が一のことがあったらと思うと、思わず進める足が速くなってしまう。
そして、書庫の前までたどり着いた。
「……お願いですから、何もありませんように」
中からの目立つ物音はない。
後は、伊織の無事をこの目で確認するだけ……。
「すぅ……はぁ……よしっ……」
呼吸を整えると、意を決して一息に扉を開く。
だが、灯りがともされておらず、真っ暗。ただ、一点だけほんのりと光を放っている場所があった。
「あの本棚の裏にイオリさんが……?」
ごくりと唾を飲み込む。
早まる鼓動を落ち着けてから、静かに書庫に足を踏み入れる。
(これは、ページをめくる音……?)
かすかに届く音に、少しだけ安堵を覚える。ひとまず、意識を失って倒れている可能性は限りなく低くなった。
胸を撫で下ろして、さらに奥へ。
そして、恐る恐る本棚の裏を覗き込んだ。
「あ、あのぅ……イオリ、さん……?」
――そこには、微かなロウソクの火に照らされた蒼白な少女の顔があった。
「ない……ない……ここにも、ない……あそこにも、ない……なぁいぃ……」
「ヒッ……!?」
口元を押さえながら、全力で後じさる。
すると、ずっと本を凝視していた少女の目が、ついにノエルを捉えてしまった。
「ん……ノエル……?」
「ひぃぃぃっ!?」
耐え切れなくなり、その場から全力で走り去る。
「あっ……王宮内の地図がどこにあるか聞こうと思ったのに……」
少女――伊織は走り去るノエルの背に手を伸ばすも、とてつもない速度で背中が見えなくなる。
「……にしても、お化けでもいたんだろうか?」
首を捻る伊織には、自分が食事を食べていないから顔色が悪くなっていることや、蒼白な顔面がロウソクに照らされてホラーな絵面になっていることなど、知る由もなかった。
これから少し後、王宮内ではある噂が流れ始めた。
――『新月の夜、書庫には失くした心臓を探してさまよう少女の霊が現れる』と。
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