第8話

ここは?


とても静かな場所。


ふわりと体が宙に浮いているみたい。


目を開ける。


何もない。


いや、何か見える。


意識を集中する。


あれは・・・川・・僕の町・・・水しぶき・・。


そうだ。


僕は飲み込まれた。バケモノに。



 そして、バケモノはまだ暴れ続けていた。僕を飲み込んだのに。僕を飲み込んだらそれで終わりじゃないのか。

「おい!やめろよ!僕を飲み込んだじゃないか!終わりだろ!それで終わりだろ!もうやめてくれ!もういいだろ!お前の目的は果たしたんじゃないのか!やめろよ!やめろ!」

 僕は力の限り叫んだ。でもバケモノは全く聞く耳を持ってくれないようだった。ただひたすらに手を、足を、力の限り叩きつけてる。まるで混乱している動物のように。もうどうしていいか解らない。どうやったらあいつを止められるんだ。無理なのか?どうやっても無理なのか?僕はバケモノの中で両手をつき深くうなだれた・・・。


「お~い。」


「お~い。ミナト~。」


背後から声がする。しかもこの声は・・・この声の主は・・・。バッと振り返る。そこには兄ちゃんがいた。まぎれもない。正真正銘、僕の兄ちゃんだ!

「に・・い・ちゃ・・ん。」

驚きすぎて、声がうまく出せない。

「あ~、やっと聞こえたみたいだな。ほんとに、早く気づけよ。」

「えっ?なんで・・・なんで兄ちゃんがここに?どういうこと?」

「どういうことじゃないいよ、まったく。お前だろ、俺をここに閉じ込めてるのは。」

「僕が?閉じ込める?」

「はぁ~、俺も初めは何かと思ったよ。目が覚めたら何も無くてさ。真っ白で。異世界に転生したのかと思ったわ。そしたらお前の声が聞こえてきてさ。しかもグジグジグジグジ陰気な声が。『あ~、僕はどうしたらいいんだ~』って。こっちが呼んでも全然気づかないし。それで理解したよ。ああこれは、ここはお前の心の中だって。意識を集中すればお前の見ている風景も見られるし。」

「じゃあ、ここは僕の心の中ってこと?」

「そうだよ。で、あのバケモノと入れ替わった。」

「あのバケモノ。そうだよ!バケモノを止めなくちゃ!何なのあいつ!兄ちゃん知ってるの?」

「ん~、初めはさ、気付いたら近くにいて、こんくらいの猫くらいの大きさだったんだよ。それがドンドン大きくなって、最終的に外に出ってあの大きさになった。俺には気付いてないみたいだったよ。俺もちょっと怖かったから近寄らなかったんだけどね。ずっと見てたんだけど、あいつが大きくなる時は、ミナトがグジグジ言った後に大きくなってたんだ。だから多分、あいつをあそこまで育てたのはミナト・・おまえ自身だよ。」

「僕が、育てた?あのバケモノを?嘘だよ!なんでそんなこと言うんだ!」

「だから、多分だよ多分。俺にもわからないことがいっぱいだよ。こっちだって色々考えてたんだから。そんな怒んなよ。」

「そうだね・・・。ごめん。僕のせいで兄ちゃんがこんなところに閉じ込められているのに・・・。僕がバカなことをしたから、兄ちゃんを巻き込んでしまったのに。」

「川に落ちたことか?それはミナトが巻き込んだんじゃない。オレが自分から巻き込まれたんだよ。兄弟じゃないか。家族じゃないか。当たり前だろ。こっちだって考えるより先に体が動いたんだ。巻き込ませてくれよ。」

「・・・」

「お前さ、自分のこと居なくなれば良いと思ってるだろ。」

「だって・・・。僕なんか・・・。僕のせいで、みんなが・・・。」

「嫌だかんな。」

「えっ。」

「オレは嫌だ。」

「・・・」

「オレはミナトが居なくなるのは嫌だ。絶対に嫌だ。」

「・・・」

「ここから出たらさ、また二人でサッカーしたり、ドッチしたりしようよ。」

「・・・でも、ぼく下手だよ。下手くそだよ。」

「いいんだよ、そんなこと。オレが望んでるんだから。オレがミナトと遊びたいんだから。好きなんだよ、ミナトと遊ぶの。楽しいんだよ。ここでさ、一人でいるとき、家の近くの空き地でミナトと遊んでいることばっか思い出してたよ。」

「・・・うん。でも・・・僕、兄ちゃんみたいに考えられないよ。楽しいことなんて考えられない。僕のせいでみんなを傷つけて・・・どうしていいかわからないんだよ。そんなに強くなれない。悪い方向にばかり考えが行っちゃうし。どうやったら?どうしたら兄ちゃんみたいに考えられるの?どうやったら兄ちゃんみたいに強くなれるの?」

「・・・俺みたいにならなくていいよ。ミナトはミナトだ。ミナトはみんなを笑顔にできるし、頭も多分俺より良い。優しいし、良い所はいっぱいある。真似しなくていいんだよ。個性があって当然なんだ。」

「でも、僕が僕のままだったら、何も変わらないよ。」

「それは、ミナトがミナトなりに強くなるしかないな。」

「強くなるって・・・」

「前に進むしかないよな。ミナトはまた、家族みんなで楽しく過ごす時間を取り戻したくないのか?」

「・・・もちろん取り戻したいよ。でもやり方がわかんないんだよ。」

「お前さ、オレが言った言葉忘れてるだろ?」

「言葉?」

「川でおぼれた時、ミナトを大人たちに託した時のこと。」

あの時・・・確かに兄ちゃんは何か言ってた・・・なんて言ってたっけ?・・・思い出せ・・・なんて言ってた・・・。

 記憶が蘇る。はっきりと。あの極限状態の中、兄ちゃんは僕を押しながら、大人たちの方向に押しながらこう言ったんだ。

「・・・生きろよ。・・・ミナト、生きろよ。」

兄ちゃんが笑った。

「『ミナト、生きろよ。』兄ちゃんはこう言った。こう言ったんだ。忘れてたよ。今の今まで。何でだろう?兄ちゃんが命がけで助けてくれたのに。僕・・僕・・・ずっと下ばかり向いてた。兄ちゃんに助けてもらった命のこと考えてなかった。」

じっとこちらを見ている。力強い眼差しで。あの時のように。

「兄ちゃん、僕、戦うよ。あいつと。あのバケモノと。ずっと逃げてばかりだった。僕は現実からずっと逃げてばっかりだったんだ。でも前を向いて進まなきゃ。バケモノと対峙するんだ。・・・でもどうやったら?兄ちゃん、どうしたらいいんだろう?」

「ミナトに足りないものは何だと思う?」

「僕に足りないもの?ん~、何だろう?足りないもの・・・。」

「不退転の覚悟だよ。」

「フタイテンノカクゴ?何それ?どういう意味?」

「えっ、意味・・・え~と、そうだなぁ・・・意味か・・・。ん~と、『あきらめない』ってことかな。」

「あきらめない・・・。」

・・・フタイテンノカクゴ。・・・あきらめない。・・・フタイテンノカクゴ。・・・あきらめない。僕は考えた。兄ちゃんの言いたいこと。兄ちゃんが僕に教えてくれようとしていること。フタイテンノカクゴ・・・。

「そうか!わかったよ、兄ちゃん!『生きることを、あきらめない』ってことだね!わかった!よし!やってみるよ!よ~し、見てて。」


 兄ちゃんに背を向けて立つ。後ろから兄ちゃんの応援の声が聞こえる。がんばれがんばれって。しっかりと心の中に〈生きることをあきらめない〉気持ちを置く。そして思い出す。あの時の兄ちゃんの目を。僕を助けてくれた時の目を。

大きく息を吸い、叫んだ。

「フタイテンノカクゴで!」

バシャン!

バケモノの右手が吹っ飛ぶ!

バケモノは驚いた顔をしている。いったい何が起こったのかわからないないようだ。


 兄ちゃんはあの時、流されている時、きっとこのままじゃ、二人ともダメだ。二人とも死んでしまうと思ったんだ。


「フタイテンノカクゴで!」

バシャン!

続いて左の真ん中あたりの足が吹っ飛ぶ!

「グォオオオオオ!」

バケモノが吠える。


 だから大人たちに僕を託した。兄ちゃんは、自分一人なら何とか助かると思ったんだ。


「フタイテンノカクゴで!」

バシャン!

左後ろ足が吹っ飛ぶ!


兄ちゃんはあの後、僕を押した後、向こう岸まで必死で泳いだ。


「フタイテンノカクゴで!」

バシャン!

右の足がすべて吹っ飛ぶ!


でも最後の最後で力尽きたんだ。生きようと必死で岸までたどり着いた後。


「フタイテンノカクゴで!」

バシャン!

 最後の左手も吹っ飛んだ!残るは顔だけだ!バケモノは明らかに動揺している。さっきまであんなに暴れてたのに、すべての足が吹っ飛んでしまって、とても不安げな顔になっている。


 すごいよ。すごいよ、兄ちゃんは。兄ちゃんは生きることをあきらめなかった。絶対に。だから向こう岸までたどり着いたんだ!必死でたどり着いたんだ!


「グォオオオオオ!」

いくら大きな声で吠えても、僕はもうビビったりしないよ。僕は決めたんだ。兄ちゃんに言われたんだ。あきらめない。絶対に生きることをあきらめない!いくよ、兄ちゃん。これで最後だ!!


「フタイテンノカクゴで!!!」

バッッシャーーーン!!!




「はぁはぁ。」

僕は橋の上にいた。足の上で両手両膝をついていた。汗と水が混ざってびしょびしょになっていた。バケモノは全部吹っ飛んで、居なくなっていた。

「ミナト君!」

アオイ先生が駆け寄ってくる。

「ミナト君、大丈夫!」

「兄ちゃん!兄ちゃん!」

僕は立ち上がり、必死で兄ちゃんを呼んだ。

「ミナト君、落ち着いて!」

落ち着いてなんかいられない。兄ちゃんは?兄ちゃんはどこ?さっきまで一緒にいたのに。僕の後ろで応援してくれてたのに。

「兄ちゃん!」

いくら呼んでも返事がない。バケモノは消えた。兄ちゃんは何処に行った?兄ちゃんは僕の中に閉じ込められていたんだ。そう言ってた。だとしたら、兄ちゃんは?今、兄ちゃんは何処に?

 そうか!わかった。そうだ、きっとそうだ!

僕は、力を振り絞り、家へと向かって走り出した。

「ミナト君、待って!」

アオイ先生が僕を呼んでるけど、僕は構わず走り続けた。



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