第6話

 次から次へと零れ落ちてくる涙を拭いながら、何処をどう走ったかわからないまま、遠くまで来た。じっとりとした汗が体中に不快にまとわり付く。

 涙も枯れ、トボトボと歩いていた。ここは何処だろうとふと顔を上げると、道の先、右手に石でできた鳥居が見える。近くまでいき、上り階段を見上げた。ここは知っている。ここは前に友達と来た神社だ。休みの日、自転車で出かけようと誰かが言って、みんなで遠出して辿り着いた場所。水筒とお菓子を持ってみんなで来た。こんなとこまで来たんだ。ずいぶん走ってきたな。

 ゆっくりと階段を上がるときれいな緑色の苔がとても新鮮に思えた。鳥居から一歩入った瞬間から空気がシンとしている気がする。神様の居る場所だからかな?誰かが苔は空気のきれいな場所にしか生えないんだよって教えてくれた。神様の居る場所はきっと清潔な場所なんだ。この階段の上にでっかい楠木がある。狛犬が迎えてくれる。右手には小さなお社。左手に大きな楠木。

 前に来た時、みんなでこの楠木の周りを囲み、手をつないだ。誰が居たっけ?たしかシュン君とナッちゃん、それにアキちゃんとトウ君。そして僕。みんなで一生懸命手を伸ばして囲もうとしたけど届かなかった。所々盛り上がっている楠木の巨大な根っこ。こけないように気を付けて近寄り、楠に左手をかざし触れてみる。ザラリとした感触。抱き着いてみる。ほっぺたをくっつっけて、手を思いっきり横に伸ばす。届くわけないのに、一人で一生懸命手を伸ばす。ほっぺたが楠木に押し付けられる。楠木の中から何か聞こえないかなと思い、耳を押しあてる。なんだか安心する。おっきいなぁ、でっかいなぁ。

 なんだか心が落ち着いてきた。根っこに腰掛ける。ここにこうやって座って、みんなでお菓子を食べた。ナッちゃんが、自分が持ってきたアポロを一つずつみんなに配ってくれた。僕はあの時、何のお菓子を持ってきていたんだろう?忘れてしまった。でもあの時もらった、たった一粒のアポロの味は今、鮮明に思い出されて口の中に広がる。トウ君が「アポロって宇宙船の名前なんだよ。」って言ってた。僕が前にテレビで見たときはロケットみたいな形だったけど、トウ君は物知りだから、きっとアポロみたいな宇宙船もあるんだろう。

 急に風が吹いてきた。強い風だ。木々の葉のこすれる音がざわざわと嫌な予感の心の声のように騒ぎだす。辺りも急に暗くなってきた。雨も降りだしてきたと思ったら一気に強まる。地面に落ちる雨粒が大きく跳ねている。グゴゴゴゴォとバケモノのうなり声のように雷が鳴っている。ゲリラ豪雨だ。楠木にぴたりと背を付けて雨風から少しでも逃れようとする。

 ハッとして思い出す。そういえば雷が鳴った時は木の下に居ちゃいけないんだ!木の先に雷が落ちてくるかもしれないから建物の中に入りなさいって習った。どうしよう・・・。目の前には小さなお社。そちらに向かって駆け足で軒下に入る。少しの距離なのにもうビシャビシャだ。ピカッと空全体が白く光った。少し遅れてまた雷が鳴った。怖い。それにここじゃ全然雨風を凌げない。振り返りお社の扉に手をやる。手前に少し力を入れてみた。ゆっくりと開く。やった、開いている。

「お邪魔します。」

と小声で言って靴のまま、さっと入った。良かった。ここなら大丈夫だ。外は大粒の雨が斜めに降り注いでいる。叩きつけるような雨音。また空が一瞬白くなる。グゴゴゴゴォとさっきより大きな雷の音。近づいて来てるのかな?上半分が格子状になった扉に近寄り空を見上げる。そのとたんドン!と大きな音とともに空が真っ白になった。

「うわぁ!」

びっくりしてしりもちをついて倒れ込んだ。木の床のざらざらした砂のようなものが右腕に不快に伝わる。びっくりしたぁ、今の絶対に近くに落ちた。雷が落ちた。腕に付いたざらざらしたものを振り払う。そのまま振り返ると一番奥に小さな鏡のようなものが祭られていた。その手前に台があってとっくりと杯と小皿が置かれている。両側には枯れた榊。まるでそこだけ時間が進んでいないかのようだ。暗くてあまり良くは見えないけど、なんだかちょっと薄汚れているみたい。改めて、そっか、ここは神様のお家だ、と思う。

「ちょっとここに居させてください。」

両手を合わせ、お辞儀をしながら神様にお願いした。左の壁際に腰を下ろして、格子の間から外を見る。また空が白く光った。

心の中で数える。(一、二、三、四、五、)グゴゴォゴォ。

一時置いてまた光る。(一、二、三、四、五、六、七、八、九、)グゴゴゴォゴゴ。    良かった、雷は段々遠ざかっているみたいだ。それでもまだ、雨は降り、風も吹き荒んでいる。

 みんなは大丈夫だったかな・・・たぶんきっと大丈夫だ。先生が、みんなが助けてくれた。でもこれからどうしよう?帰れないや。帰ったら、またあいつがきっと出てくる。あいつは僕を睨んでいた。真っ黒い目で。黒く光る眼で。あいつの狙いは僕だ。僕が溺れたから、一度僕を取り逃がしたから追ってきてるんだ。水だ。水の中にあいつはいる。水の中に引きずり込もうとしてるんだ。きっとそうだ。

 雨に濡れたTシャツの背中に寒気を感じる。膝を抱えて丸くなった。肩を見ると、橙色のTシャツが雨に濡れて所々より濃い橙色になっている。四年生まで兄ちゃんが着ていたTシャツ。ぎゅっと袖を握った。戻りたい。兄ちゃん、お母さん、お父さん、前みたいにみんなで笑っていたい。キャンプにもまた行きたい。遊園地にも行きたい。今度は別の遊園地に行こうって話してたのに。また涙が出そうになった。でもぐっと堪えた。泣いてたって何にもならない。溺れた時、僕を助けた兄ちゃんの目を思い出した。力強い目。あの時、兄ちゃんは僕に何か言ってた。何を言ってたんだろう?ミナトって呼ばれたのは覚えているけど、その後が、必死だったし、水の音が大きかったからあまり聞こえなかった。

 疲れた。とても疲れた。体の真ん中に大きな鉄のおもりが入っているかの様だ。壁にもたれ掛かり座りなおした。格子の外を見る。雨は少し弱まってきたけど、今度はしんしんと、まるで永遠に止みそうにない感じで降っている。薄暗い灰色の世界。今何時くらいだろう?お母さん心配してるかな?お父さん怒ってないかな?飛び出してきてしまったけど、これからどうしよう?

額を、膝を抱えた腕の上にのせて考え込んだ。




あれから何時間くらいたっただろう?ザラリとした感触を頬に感じ僕は目覚めた。外は真っ暗になっていた。雨は止んでいるようだ。立ち上がり、扉に近づく。さわさわと葉のこすれる音が闇の中にざわめいた。はぁ~とため息をつく。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。どの位の時間寝てたんだろう?そういえば夢を見なかったな。あいつはもう何処かに行ったのかな?それともプールの所にまだ居るんだろうか?とりあえず明るくなるまで座って待とうか。いろいろと思考を繰り返す。思い振り返ると、暗闇の中に、さらに真っ黒な色をした丁度僕と同じ背丈くらいの暗闇があることに気付く。足元から鳥肌が、しびれるような鳥肌が全身へと伝っていった。

「うわぁ!」

転げ落ちるようにお社から飛び出す!あいつだ!バケモノだ!階段を急いで駆け下りた。

「に、逃げないと。」

焦ってしまい、暗いのもあってか一番下の、最後の段で思いっきりこけた。右の手のひらと右の膝を擦りむく。こけたままの姿勢で振り向くとあのバケモノが階段の上で笑っていた。暗闇の中であまり見えないはずなのに、僕にはそれがわかった。起き上がり、恐怖で足がすくみそうになりながらも走った。無意識にも僕は自分の家の方に走って走って走っていた。段々と暗闇に目が慣れていく。点々とある街頭の明かりを頼りに走った。

 怖くて、怖くて、後ろを振り返ることは出来なかった。




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