第4話
二日後
今日は、またぺんぎんクリニックに行く日だ。学校で授業中に思いついたことがある。アオイ先生にお願いしなければならないけど、大丈夫かな?
階段を上がり、ガラス扉を押し開ける。
「こんにちは。」
「あら、こんにちは。今日は早かったね。」
アオイ先生はいつも元気に迎えてくれる。
「ちょっと、あと少しで、終いつくから座って待ってて。ココア入れてあげるね。」
気がせって早く来過ぎてしまったようだ。勇気を出して言ってみる。
「アオイ先生。あのね、お願いがあるんだけど・・・。」
目を合わせて言ってみる。
「僕にココアの入れ方教えて下さい。」
「えっ、ああ、もちろんいいわよ。」
アオイ先生は一つ返事で快諾してくれた。やった。ドキドキしたけど、言ってよかった。
アオイ先生は席を立つと、隅にある簡易キッチンの所に行く。僕も後を付いて行った。
「簡単よ。まずコップを用意。」
棚からペンギンのコップを一つ取り、僕の目の前に出してくれる。
「はい。じゃあ牛乳を入れて。」
冷蔵庫から牛乳を出し、手渡される。重い。ゆっくりと持ち上げ、慎重に傾ける。
「はい。そのくらいでいいわ。次はココアを大盛り二杯入れます。」
アオイ先生もちょっと楽しそうだ。ティースプーンを渡される。ココアパウダーの入った袋を開け、慎重に一杯、二杯と入れた。牛乳の上にココアパウダーが覆い被さる。
「そしたら、電子レンジに入れます。」
ここはあおい先生がやってくれた。
「ここの牛乳って書いてあるところ押して。あと、熱くなり過ぎないように弱って書いてあるところも押して。スタート!」
言われたとおりに押していく。ピッ、ピッと電子音が鳴り、電子レンジがうなり声をあげて動き出した。レンジ内の光を受けながらペンギンが回っている。まるでスポットライトを浴びているみたいだ。
出来上がりの電子音が鳴り、おあい先生が取り出してくれた。まだ少し牛乳の上にココアパウダーが残っている。
「はい。じゃあ混ぜてください。」
スプーンを受け取り、慎重に混ぜる。段々とココアパウダーが解けていき、いつものおいしそうなココアになった。
「はい、完成!」
出来た。よかった。うまくいった。初めて自分で作ったココアを見てうれしくなる。
「じゃあ、それ飲みながらちょっと待っててね。」
いつものテーブルに着き、自分で作ったココアを飲んだ。おいしい。いつもよりおいしいんじゃないか。そう思った。
アオイ先生が自分の机に座り、何か書いている。僕は目の焦点を合わせないまま、少しずつココアを飲んだ。ほんとにホッとする。魔法の飲み物みたいだ。ここは静かで優しい場所だ。
「アオイ先生。」
「ん、何?」
「ここって、お客さんあんまり来ませんね。」
アオイ先生は一瞬きょとんとした後、微笑んだ。
「お客さんじゃなくて、患者さん。」
「カンジャ・・さん?」
「そう、患者さん。確かにあんまり来ないわね。でも安心して。経営状況は大丈夫だから。」
そう言って笑った。何言っているかよくわからなかったけど、僕も笑った。
ガラス扉がゆっくりと開く。僕よりも小さな女の子が体全体で扉を開けている。あの子だ。一年の子だ。薄墨(うすずみ)色のTシャツにシクラメン色のスカート。真紅(しんく)色のランドセルには交通安全の檸檬(れもん)色のカバーがしてある。
「ユウ。」
そう言って先生が駆け寄る。ユウと呼ばれた女の子は、僕を見た。目が合うとゆっくりと後ずさりをするように、扉を閉めた。階段を下りていく。アオイ先生が扉を開け追いかけていった。
僕は一人取り残された状態になった。あの子もここのお客さ、じゃなくてカンジャさんかな?そんなことを考えていたら、一分後に女の子は先生に手を繋がれて帰ってきた。
僕の前に立つ。
「ミナト君、紹介するね。娘のユウよ。ユウ、ご挨拶は。」
「こんにちは。」
ギリギリ聞き取れるようなか細い声がした。
えっ?と思う。先生の子供?この子が?だってこの子は・・・。下を向くと両手にココアのコップを抱えたままだと気付く。
「ごめん。隠してたわけじゃないんだけど、なかなか言い出せなくて。ユウイチ君とミナト君のこと、この子もこの子なりに責任感じてて、だから私も何か力にならなくちゃって・・・」
頭の上でアオイ先生の声が聞こえる。言葉としては入ってこなくて、ただ雑音のように声が聞こえる。そっとテーブルにコップを置き、僕は歩き出した。
「ミナト君。」
ガラス扉を開けて、階段を下りる。
「ミナト君、お願い、ちょっと待って。」
アオイ先生が追いかけてくる。自転車にまたがり、ヘルメットもせずに走り出した。段々とスピードを上げていく。風を頭に感じる。髪がなびく。なんだよ。なんだよ。アオイ先生。違う。違う。違うよ。腹を立てちゃだめだ。あの子は何も悪くないじゃないか。悪いのは僕だ。でも、でも、なんで急に。なんでそんなこと。ぐちゃぐちゃになった感情を振り払うようにスピードを上げていく。漕いで、漕いで、力の限り漕いだ。
家に着くと、黙って二階の部屋に駆け込んだ。ベッドに倒れ込み、枕に顔を埋める。兄ちゃん、兄ちゃん。どうしたらいいんだよ。僕はどうしたらいいんだ。涙が出てきた。涙が枕に染み込んでいくのがわかる。何で逃げ出してきたんだ。あの子を、アオイ先生の子を傷つけた。傷つけてしまった。そんなつもりじゃなかったのに。僕が悪いのに。僕がバカなのに。僕がダメなのに。苦しい。苦しいよ。助けてよ。誰か助けてよ。
(ミナト)
ハッとして顔を上げる。ふいに声が聞こえた。どこから?さっと振り向く。開けっ放しのドア。薄暗い廊下がある。誰もいない。違う。頭の中だ。僕の中から聞こえた?窓が開いてカーテンが揺れている。
兄ちゃん?
まさか?でも・・・兄ちゃんの声だった。きっとそうだ。ベッドから起き出して、窓辺へと駆け寄る。風が気持ちいい。兄ちゃんがいた。兄ちゃんが「大丈夫か?」って心配してくれているように僕の名前を呼んでくれた。安心した。それだけで心が安らいだ。たった一言で気持ちが嘘みたいに落ち着いてきた。明日あの子に謝らなくっちゃ。そう思った。
沈んでいく夕日に照らされて、町が橙色に染まっていく。僕の心もなんだか同じように暖かい色になっていった。
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