第12話 【番外編】些末な出来事
「あなた馬鹿なの?」
リリは冷たい目で机に突っ伏している1人の少年を見る。
彼の名はショーン。
分家筋の遠縁から、養子としてカルディナ伯爵家に連れて来られた14歳のいたいけな少年である。
リリの彼に対する評価は「無難」。
物覚えも良く、真面目で見るからに人畜無害な風貌をしている彼は、暗い金髪と青い目を持つなかなかの美少年だった。
そんな彼は現在、カルディナ家の当主となるべく主に商業部門をリリに叩き込まれているのだが。
「いいこと。あなたの使命はカルディナ家を無難に盛り立てていくことなの。すでに資産は十二分にあるのだから、無謀な事はせず、領民に寄り添い、無難にこの家を繁栄させ続けることなの」
それなのに……。
リリは大きく息を吐いた。
無難に繁栄ってなんだよ!
それが一番難しいんだよ!
ショーンは心の中で叫びながら机に突っ伏している。
ショーンは頭が良いので教えた事は直ぐに覚える。
機転も利くのでカルディナ家現当主からは既に太鼓判を押されている。
しかし、先程から何故こうもリリに詰められているのかと言うと……。
「女を見る目が無さ過ぎるっ!」
リリはバンッと机を叩き、吐き捨てるようにショーンに言った。
現在、カルディナ伯爵家の跡取りとなるショーンの所には、日々恐ろしい程の縁談話が持ち込まれている。
その数ある令嬢の中、ショーンが婚約者として選ぼうとしている令嬢。
「まさかアンナ嬢とはね……」
リリは、再度飽きれた様に大きく息を吐いた。
「彼女のどこが悪いのですか」
机から顔を上げ、ムッとした顔でリリに問う。
「全部よ」
リリは被せ気味で答えた。
「アンナ嬢は物静かで笑顔の素敵な女性です。常に慈愛に満ち、相手を傷つけるような不用意な言葉は言いません。きっと将来僕をしっかりと支えてくれるでしょう。リリ姉様と違って」
最後の方はとても小さい声で呟いたのだが、勿論リリにはしっかりと聞こえていた。
「へえ」
リリは片方の眉をくいっと上げる。
「確かに、心根が優しく穏やかで慈愛に満ちたご令嬢はいますが、それは間違いなく彼女ではありませんわ。賭けても良いですよ」
リリは不敵に笑う。
「賭けですか。僕は負けませんよ」
珍しくショーンは強気でリリに返した。
「あらあら」
リリは嬉しそうに笑いながら、
「それなら賭けをしましょう。あなたが勝ったら何でも1つ願い事を叶えてあげるわ」
「臨むところです。リリ姉様が勝ったら、僕も何でも言う事を聞いて差し上げます」
「まあ楽しみね」
リリは満面の笑みを浮かべた。
今、『何でも』と言いましたわね。
リリとの初めての顔合わせの日、ショーンはリリの余りの美しさに絶句した。
シミ一つ無い美しい白い肌に、ボリュームのある美しい黒髪。
意思の強そうな眉とは対照的に少し下がった大きな瞳は、濃いまつげでくっきりと囲まれ、目尻のほくろが優しさを演出していた。
小ぶりな鼻はすっと伸び、上下ともに厚めの唇がとんでもなく妖艶で、何よりもボリュームのある胸と細い腰のメリハリに、きっとどんな男達も目が離せないだろう。
勿論ショーンもその1人だったが、自らの義姉への芽生えそうな感情にはしっかりと蓋をした。
だからだろうか、無意識にショーンの選ぶ令嬢はリリとは正反対のタイプばかりだった。
賭けをした6日後、カルディナ伯爵家自慢の庭で、小さな茶会が開かれた。
参加者はショーンお気に入りのアンナ嬢とその他2名の候補者達。
茶会が始まる前、リリはセッティングされたテーブルの端に直系10センチ程のクリスタルの美しい置物を置いた。
「ショーン。これはかのヴァイオレット様がお作りになった大切な魔道具です。決して壊さないようにお願いしますね」
リリはそう言ってショーンに眼鏡を手渡した。
「?何ですか?」
「今日はお茶会中、これを掛けたままにしておきなさい」
渡された眼鏡を掛けると、度が入っていないただの伊達のようだったが、給仕に当たる使用人、おまけにリリまでが同じ眼鏡をしていた。
「?」
リリはショーンが眼鏡を掛けたのを確認すると、置物の下にあったボタンを押す。
『ブワン』
小さな音がしたかと思うと、クリスタルが薄紫色の淡い光を放ちだした。
「美しいですね。しかしこれは……」
ショーンがリリに尋ねようとした時、執事が来客を告げにやって来た。
「到着したようですね。それでは存分に楽しんで下さいませ」
にっこり笑ってリリは庭から去っていった。
ショーンは不思議に思いながらも、到着した令嬢をエスコートすべく庭を後にしたのだった。
ここから彼の地獄が始まる。
テーブルに置かれたクリスタル製の置物。
これは、マリアことヴァイオレットが例の本に載っている『自白剤』を参考に作った魔道具であった。
淡い光を裸眼で見てしまうと、脳内で軽い魔力暴走が起き、思っている事の大半をうっかり口にしてしまう。
勿論酩酊状態となるので、本人達は何を話したのかは全く覚えていない。
これは元々は、尋問時の使用を考慮して作られた魔道具だったが、リリが商業部門を立ち上げる際、女性と言うだけで舐められて酷い取引を持ち掛けられないよう、マリアが彼女にプレゼントした物であった。
「で、どうなったの?」
マリアは可笑しそうに扇で口元を隠しながらリリに問う。
現在夜会の真っ最中。
思い思いに着飾った紳士淑女が、楽しそうに会話に花を咲かせている。
一通り挨拶を終えたマリアとリリは、会場の隅にあるソファーに腰を落ち着け、近況を報告しあっていた。
今日のマリアは美しいシルバーのドレスを着ていた。
流れるような美しいラインは、『グランデ帝国』では最先端の物だ。
以前はゴールドのジュエリーを好んで着けていたマリアだったが、ここ最近はシルバー色、いわゆるプラチナジュエリーを好んで着けている様子から、婚約者との仲の良さが伺える。
「勿論賭けは私の勝ちよ」
リリは笑う。
ゾルン用に化けていないリリの本日のドレスは、目の覚めるような青色だ。
胸がしっかり隠れたボートネックタイプのドレスだが、美しい黒髪と相まって妖艶さを醸し出し、隣に座る同い年のマリアよりも遥かに年上に見えた。
「そんな事は最初から分かっているの。その後ショーンがどうなったのか知りたいのよ」
マリアは珍しくリリを急かす。
「ショーン?お茶会が終わってご令嬢が帰るや否や号泣し、部屋に籠ってしまったの。どうやら女性不信になったみたい。茶会の様子を侍女達に聞いたのだけれど、それはそれは面白かったみたいね」
「ふふふふ、酷い姉ね。いたいけな少年の心に傷を負わせるなんて」
マリアは心底可笑しそうに笑った。
「あら?私に勝負を持ちかけるあの子がいけないのよ。それに、もしあの子に変な虫が付いたらカルディナ家が傾くわ」
「確かに」
「人を見る目を養うのも商人の仕事よ。あの子にはそこの所もしっかりと叩き込むつもり」
「商人って、あなた商業部門を全部嫁ぎ先に持って行くのでしょう?必要無いのでは?」
「こっちのお得意様の相手はショーンに頼むつもりですわ」
「ああ、なるほどね」
リリは輿入れの際、カルディナ家の商業部門をまるっとグランデ帝国に持っていく。
そもそも商業部門はリリが趣味で立ち上げたのだ。
誰も否と唱えることなど出来ないし、後を継げる人材もいない。
「他意はありませんわ。私をイラつかせたこの国に出来る限り税を払いたくない、だなんてそんな子供じみた仕返しではありませんのよ」
リリはそう言って笑った。
「あら奇遇ね。私も最近この国での発明は止めたの。これ以上1つとして私の大切な魔道具を残していかないわ。さすがに既存の回収は出来ないけれど、壊れてしまっても、もう知らないわ」
「あら?何かあったの?」
リリは、珍しく怒っているマリアに驚いた。
「少し前に、陛下が私の魔道具に対してどうしても納得の出来ない態度をとられた事があったの。それ以降気分が乗らないのよ」
マリアはしっかり根に持っていた。
コンラード王国よりもグランデ帝国は遥かに大国だ。
今後、マリアが作った魔道具をグランデ帝国の皇帝陛下に献上したとしても、それが格下のコンラード王国まで回ってくる事は無いだろう。
そもそも『献上』と言う形で無償で使えていたのは、ひとえにマリアがこの国の民だったからである。
「どうしても必要になったら購入すれば良いのですわ」
絶対に売りませんけど。
「この国の事は殿方にお任せしましょう、きっと女の私達よりも遥かに優れているのでしょうから」
マリアはにっこりとほほ笑む。
「ええそうね。お任せしましょうか」
リリも笑いながら頷いた。
「ところでリリ、あなた東の国との貿易を始めたそうね」
「あら?いけなかったかしら?」
リリはおどけて笑う。
「いいえ。とても助かったわ。ありがとう」
この口ぶりではどうやらマリアは気付いているらしい。
リリは、マリアとジンの婚約が無くなるであろう情報を手土産に、東の国に貿易を打診していた。
東の国の姫君はジンに恋い焦がれていた為、その情報を聞いた後にすぐさまコンラード王国に使者を送った。
我が国は婿入りを強く望んでいる、と。
断る理由を持ち合わせていなかった国王は、首を縦に振るしか出来なかったのだ。
コロン嬢の件で国王陛下がジンに行った処罰は、王位継承権の取り消しと1ヶ月程度の謹慎。
東の国の打診がなければ、ジンの謹慎が解けた後に、王命でこの国の誰かが彼と婚約しなければならなかっただろう。
「情報は商人が扱う商品の1つなの。お蔭でとんでもなく好条件で取引する事が出来るのよ。例の秘薬もその1つ」
リリは嬉しそうに笑った。
「ヒメゴトね」
東の国の秘薬である『ヒメゴト』。
なかなか出回らないそれは、大層値が張るにも関わらず飛ぶように売れるのだ。
「ロキシー様とマリアにも、輿入れの際に融通致しますわね」
「あ、ありがたく頂くわ……」
珍しくマリアの頬が赤く染まる。
頬の熱を下げる為か、マリアは扇でゆっくりと顔を扇ぎ、少し遠くに視線を向けた。
「あら」
恥じらった顔から一転、マリアは扇で口元を隠しリリに告げた。
「面白い方が見えますわ」
マリアの視線の先に目を向けたリリは、心底残念そうに肩をすくめた。
「彼は、顔だけが取り柄だったと記憶してましたが……」
こちらに向かって来る二人。
カルディナ家、商業部門の超お得意様であるベルナ侯爵夫人と、エスコート役のゾルンだった。
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