あなたにずっと夢中
ナリミ トウタ
あなたにずっと夢中
良い子。良い生徒。優等生。どれも意味は少し違うけど似たような言葉。
良い子でいたらきっと報われる。良い生徒でいたら褒めてもらえる。優等生でいたら先生に一目置かれる。ただそれだけ。
近づきたいのに、良い子でいればいるほど貴女は遠ざかっていく。近づいているはずなのに何故かずっと届かない。何で貴女は風にはためくカーテンのように躱していって置いていってしまうの。
「今日は机の上に用意しておいたリンゴを皆さんにデッサンしてもらいます。よく観察し、特徴を見つけて描いてください。もちろん触ってもいいです。ですが位置を変えないようリンゴの下に敷いている紙に印をつけてから触るように。何か質問はありますか?無いようでしたら各自始めてください。何かありましたら遠慮なく聞くように」
チョークを持つ滑らかな指先も自然光に照らされた柔らかな髪も静かに響く声も全てが私を魅了して止まないのです。
先生、薫先生。どうしたら私だけを見てくれるのでしょうか。どうしたら薫先生は私を一人前と認めてくださるのでしょうか。どうしたら貴女の一番になれるのでしょうか。
「……希、ゆーずーき! 柚希!」
「もう、どうしたの?」
横から小突かれて現実に帰ってくる。
せっかく薫先生を見ていたのに友人には悪いけど邪魔をされた気分になった。
リンゴなんかより薫先生をデッサンしたいのに……。
「どうしたの、じゃなくてアンタがちっとも始めないから咲宮先生こっち来るよ」
「え! うそ、どこも変じゃないよね?」
「変なのは貴女の授業態度よ。川居さん」
「薫先生!」
後ろから淡い金木犀の香りがした。
そこに少し呆れた他の生徒と同じ顔を見せる薫先生がいた。
どんな理由であれ薫先生が私に関心を向けてくれるのが嬉しい。それが人に恋をするってことなんだと思う。まあ、迷惑を掛けるのはあんまり良くないけど、でも少し目を吊り上げた表情さえ可愛いって反則じゃない? 今日はいい日になるかもしれない。
「手が止まっているようだけど何かわからないことでもあるの?」
「リンゴの最高の角度を追求しようと思いまして!」
「……どこでも同じでしょ」
「佐川さん。同じように見えても、よく見ると違うのよ。だから最高の角度を探すっていうのは間違ってないのよ。川居さんよく気付いたわね。その調子で頑張って。でも時間は限られているから早めに取り掛かること」
薫先生は他の生徒の様子を見に行ってしまった。はやる気持ちのせいで会話が終わってしまった……。何か他に会話を長続きさせる言い方があったかもしれないのに。
「ほら! 落ち込んでないで薫先生にいいとこ見せた方がいいんじゃないの?」
「確かに。何もやらない方が呆れられるし、やる! よし!」
「はい、まず印!」
リンゴを丸で囲んで印をつける。この丸のように最後はくっつける未来であったら良いのに。
薫先生、どうしたら私をずっと見ていてくれますか。どうして貴女は恋人である私にハグすらしてくれないのですか。何故なのでしょう。私では何もかも頼りないのでしょうけど、貴女の傍にずっと居たいのは誰にも負けない自信があるのに。
「なー。この子可愛くない?」
「お前、巨乳だからそう言っているだけだろ」
「ばっかだな。この子のくびれの方がいいだろ」
「お前もそればっかり」
昼休みに相応しくない会話が聞こえる。いや、正確には自分の性癖を公然に晒す人間がいただけだった。あの後、薫先生と何にも話せないまま授業が終わってしまった身にはあんなに明るく馬鹿話を出来る彼らが羨ましい。しかし、内容的には公共の場でグラビア雑誌片手に話すにはアウトだが。
「いくら可愛くても学校で話さない方がいいと思うけど?」
「うわあああ」
「おい、佐川! 後ろから急に来るな!」
「それ、卑しい気持ちでいっぱいってことでしょ? ちなみにこの子が私は可愛いと思う」
「誤魔化すな」
「確かに可愛い」
「そうだな」
なにあれ。コントか。見てもいない女の子には申し訳ないけど薫先生が一番に決まっているでしょ。
「女子だって似たような話するだろ!」
「考えを否定しているんじゃなくて、場をわきまえろって言っているだけでしょ。廊下まで聞こえたよ。大声でくびれがいいって」
「うっ……。それは……悪かった」
「俺のキャラが……」
「諦めろ。すでに手遅れだ」
佐川はパックジュースを片手に反対の手をひらひらさせて私に向き合うように座った。昼休みはいつもこのスタイルだ。
佐川が購買から帰って来たし、私も食べよ。
「まーだ落ち込んでいるの?」
「そんなんじゃないよ。いつも通り」
「ふーん」
みずみずしいレタスがパンから顔をのぞく。咀嚼した時に見えなかったチーズとハムの味がした。
佐川のサッパリした性格や物怖じしないところは本当に尊敬する。
薫先生のことが凄く好きなのに色々と拗らせて面倒な性格をしているのを自覚しているせいもあるし、無理に人の感情に土足で踏み込まないところも良いところだと思う。
「そういえば昨日、咲宮先生と黒川先生が一緒に帰っているの見たんだよな」
「年も近いし、黒川先生ならイケメンだから許せちゃうよな~」
「は?」
あの男子たちは私に爆弾を放り投げた。冷静や理性なんて確実に吹っ飛んだ。
その後、私が教室で何をしたかなんて覚えていたくないし、もの凄く忘れたい。
薫先生と私には交際をするにあたって決まり事がある。
一、交際していることは卒業するまで誰にも絶対言わない
二、ベタベタするようなことはしない
三、学校では二人きりにならない
それを私は破ろうとしている。でも確かめないと私の気が済まない。仮に、もしものことがあった時の事実を受け入れることも出来ない。HRが終わった後、私は美術準備室の前にいた。
「あら、川居さん。こんなところでどうしたの? テスト期間中だから部活はどこも活動していないから今は下校の時間のはずよ?」
「薫先生。お話があります」
「どうしたの? 貴女らしくないわ」
「お願いです。どうしても、どうしても薫先生とお話したいんです」
普通に話しているつもりだったのに、気持ちとは裏腹に弱弱しい声を出していた。
どうして、こんなはずじゃなかったのに。
「わかったわ。入って。だから白くなるまで手を握りしめるのはやめなさい」
金木犀の香りが近づいた。
初めて触れてくれた薫先生の手は少し冷たかったけど、あたたかかった。
薫先生以外足を踏み入れることのない美術準備室は少し埃っぽかったけど本棚や机の周りは綺麗に整頓されていて、飾られた小さい薔薇で溢れるイングリッシュガーデンの絵、イーゼルに描きかけの青い油絵。薫先生の好きなミルクティーの袋とガラスのポットが置いてあった。
「そこに座って。今お茶を淹れるから」
「いえ、大丈夫です」
「どうしたの?」
薫先生は待ってくれている。それは分かっている。
でも口がなかなか開きそうもない。口にしても泡のように消えてしまいそうな気がして決心して来たのにそれを鈍らせている自分がいる。
「薫先生は……私のこと、もう好きじゃないですか……?」
「え? なんで、そんなこと……?」
「だって、薫先生、キスも、ハグも手すら手を繋ぐどころか名前も苗字でしか呼んでくれない。それに、黒川先生とは一緒に帰るのに私とは絶対帰ってくれない……!私のことを見てくれないじゃないですか……」
口にしてしまえば簡単にぼろぼろと口に出来た。
良い子でいると誓ったのに。薫先生を困らせないようにしようって思っていたのに。
欲望に負けて自ら終わりを早めるようなことをしてしまった。
めんどくさい。重い。いつからこんなに浅ましくなっていたのだろうか。わかっていたのに。わかっていたはずなのに。自分が恥ずかしくて両手で顔を隠すしかなかった。
「柚希ちゃん」
思わず顔をあげてしまった。
「本当にいいの?」
「え……」
薫先生が何を言いたいのかわからなかった。
どうして私を下の名前で呼んだのかも何もかも。
「柚希ちゃん。それは、私は、もう我慢しなくてもいいってことなのかな?」
強い金木犀の香りが鼻をかすめる。
薫先生が愛用しているハンドクリームの香りがより近くなった。
下を向いていたはずなのにいつの間にか薫先生と目を合わせている自分がいる。
「大切な貴女を守るためと思って自分を自制していたけど、返って貴女を不安にさせてしまってごめんなさい。でも柚希ちゃんが思っているほど私ね。立派な大人じゃないし理想の大人じゃないと思うの」
「え……」
目じりから出る水を薫先生の指が這う。
くすりと笑う薫先生は私が知る薫先生ではなかった。
その誰も見たことではないだろう夕日を背にした美しい姿に目を奪われている哀れな自分が薫先生の目に映っていた。
「世間的にも私の倫理観でも未成年である柚希ちゃんは私には守るべき存在なの。それは貴女が未成年で大人に守られる立場であるから貴女に手を出すとしても高校を卒業して成人になってからにしようって勝手に考えていたの」
「そんな……じゃあ……私、」
「それでも貴女を不安にさせた私が悪いわ。言葉や態度に出さなければ伝わらないこともあるわよね」
柔らかい。まるで大切なものを包み込むように抱きしめられた。
普段は淡い香りの金木犀の香りに頭がくらくらしそうになる。
「柚希ちゃん」
甘い。甘い。昔食べた真っ赤な苺ジャムのように耳元で優しく、ゆっくり言葉が発せられる。
「私ね本当は物分かりが良くないの。教師になる中での勉強で専門分野だけじゃなく倫理観や発達段階も学んだわ。でもね、もしよ。貴女がひとことでも望むのなら、柚希ちゃんが私のことをどこまでも欲してくれるのなら……」
「……どうなるんですか」
その先が知りたくて、この人を私だけのものにしたくて薫先生の背中に手を伸ばした。
「何もかも、全部。全ての倫理観や価値観を何もかも捨て去って、ひたすらに何も考えられないくらいに貴女をとかしてあげる。他の誰かなんて考えられないくらいに。だから教えて? 柚希ちゃんは何をしてほしいのか」
薫先生の後ろにあった夕日を見た。
薫先生が欲しい。でも私が子供だから何かを誤魔化そうとしているんじゃないかとも冷えた心が訴えている。
「黒川先生とどうして一緒に帰っていたんですか」
出てきたことは結局こんなことだった。
「その理由はまだ言っていなかったわね」
背中から手が離れた。
再び見た薫先生はさっきまでの甘さはなりを潜めいつもの優し気な顔でいた。
「で! どうなんですか?」
「どう? って?」
「黒川先生とのことです!!!」
さっきまでのしおらしい気持ちはどこ行ってしまったのか。
出来事なんてなかったかのように今薫先生に私は詰め寄っていた。
「ああ、あれね。黒川先生の恋人がもうすぐ誕生日なんですって。幼馴染の美大生で何をプレゼントした方が喜ぶのかを美術に携わっているものとしてアドバイスしてほしいって泣きついてきたの」
「え、え、情報量が多い! 黒川先生に美大生の恋人! ホントに!?」
「帰り道の殆どは写真を見せて、でれでれ惚気を私に聞かせてきたわ」
「やば! ……それ本当?」
「疑うなら明日黒川先生が律儀にお礼のお菓子をくれるらしいから明日も美術準備室に来るといいわよ」
黒川先生の惚気がよっぽど面倒だったのかなってくらいどうでも良さそうに話す薫先生が新鮮だった。普段はしないのに髪の毛先をくるくる指で絡めているの可愛い。
「そりゃあ他人の惚気なんて面倒でしょう?」
「え、薫先生人の心呼んだの?」
「いえ、柚希ちゃん全部口に出していたわ。可愛いのは私じゃなくて貴女よ」
人差し指でおでこを突かれた。痛くない。
「だって、私は自分の恋人をどうとうと周りに紹介できないのよ。自分の恋人の話が出来ないのに他人の恋人の話を聞いているだけだなんて全く面白くない」
苺のチョコレートアイシングに包まれたドーナツがいつもより大きく開けられた口に頬りこまれる。食べながら話をする姿はいつもの柔らかに上品に話す姿とは違い少し子供っぽくて、なんだか可愛い。
でも今までと人が変わり過ぎて私がびっくり。ナニコレ怖い。
「特に黒川先生はくどすぎてめんどくさい」
「えー……そんな風に見えないですけど……」
「生徒の前では簡単にプライベートの姿は晒さないでしょう?」
「む。そうですね。薫先生も」
上品にほほ笑む薫先生に大人と子供の余裕を見せられたような気がして今食べているチョコレートドーナツが少し苦いような気がする。さっきまでの子供っぽいところは一瞬にして消えてしまうところがずるい。嫌味すら躱すような大人ってホントずるい。
まだまだ子供思考の自分に嫌気が差す。でもそんな文句は薫先生に見合う人間になるためにもミルクティーで流し込んでしまえ。
「ねえ」
「何でしょう」
「それ、やめない?」
「恋人関係の解消でしょうか」
「違うわ」
「何が違うんですか薫せん……」
「その先生っていうの」
「え」
今日はみんな誰かに爆弾を投げ込まないといけない日なのだろうか。
幸いにもミルクティーは飲み干していたので漫画のように吐き出すという醜態を晒すことは免れた。
薫先生情緒おかしくない?
「柚希ちゃん」
にっこりと微笑む先生がいる。
「先生なんて他人行儀な言い方、私とっても寂しいわ」
「かおるせん……」
「薫よ」
「かおるさん……」
「薫」
「……か、かおるちゃん」
「薫」
「……か……か……かおる……ちゃん」
「んー。まあ及第点かしら」
「そ、そうですか」
「ふふふ。びっくりした?」
「もう! からかったんですか!」
「いいえ。本気よ」
「もっと質が悪い!」
「そうね。貴女の困った顔があまりにも可愛くてつい」
身体が沸騰しそう。わめいて誤魔化していたけどこんなに幸せなことがあっていいのだろうか。あの薫先生が私を見て私だけに笑いかけて、可愛いなんて言う。
それに名前で呼んでほしいなんて今まで言ったこともない。明日には死ぬのだろうか。
百面相していたらコロコロとローラーの軽い音が聞こえた後、また金木犀の香りが強くなった。
「まあ、今度は何を考えているの? 教えて?」
またふふふっなんて上品に笑っているのにいつもと全然違う先生。
今までこんなに近くまで近づいて来なかった。私に手を伸ばすこともしなかった。いつも風にさらわれるカーテンのようにかわされて、二人で決めた約束事を私ではなく先生が破ろうとしている。先に破ったのは私だけど、でも薫先生にこんなに甘えたな対応なんてされたことないからどうしたらいいか全然わからない!!!
「柚希ちゃん? …………そんなに黙っているつもりなら私にも考えがあるわ」
あれ? 薫先生の顔が近い。
「すきよ」
また時間が止まった。今まで一番欲しかった答えが私を鈍らせ高揚させる。
私の頬を滑らかなあの指が滑る。
「貴女が私を選んでくれた時からずっと」
「大事にしようって思っていたから臆病になっていたの」
「でももう我慢しなくていいのよね?」
目を細め飾ってある薔薇の絵よりも頬を赤くした薫先生の顔が迫っていた。
このまま何もしなければ、このまま欲張ればキスをしてもらえるのだろうか。
薫先生を受け入れるように私は目を閉じた。
望んでいた感触は唇ではなく頬に落とされた。
「え、」
「今はまだここまでね」
「そ、そんな~~~~~~!! 薫先生!!!」
期待していたのに、あのシチュエーションじゃ誰でも期待するでしょ!!!
期待値が上がっていた分ガッカリも大きい。……頬っぺたでも嬉しいけどさ。でもそれでも納得いかない!!!
「まあ、まだ先生なんて言うの?」
「先生って呼ばなくなるまでキスしてくれます?」
「凄い殺し文句。そんなこと言っちゃ駄目よ。悪い大人に騙されちゃう」
「それって薫先生のことですか?」
「そうね。私のことだわ。さっきみたいに薫ちゃんって呼んでくれない柚希ちゃんも悪い子だわ」
「そうです。悪い子なのでそれぐらい我儘言ってもいいですよね?」
薫先生の目がまん丸くなっていた。
でもいつもの目尻を下げた笑みを作った。
「ええ。我慢しないでたくさん我儘を言って欲しいわ」
「じゃあ……」
「でも」
唇に人差し指が押し付けられる。
「ここは卒業するまでのお楽しみね」
「そこは今! するところじゃないんですか!? 意地悪!」
「そうよ。貴女が思っているほど私、物分かりが良くないの。ふふふ」
そうして少女みたいに笑う薫ちゃんが世界で一番綺麗で可愛い。
あなたにずっと夢中 ナリミ トウタ @narimi1022
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