第19話 膝で


 授業が進んで放課後。


「ねえねえ、放課後空いてたら学校の案内をしたいんだけど」


 下校の支度をしていた俺のところへ、朝比奈が寄ってきてそんな提案をした。

 学校の案内か……結局後回しにしていたし、丁度いいかもしれない。


「わかった。ユナを呼んで来ていいか?」

「私もそのつもりだったよ。二人ってセットみたいなものだし」


 その評価に思うところがないでもないが、そう思われても仕方ない行いをしている自覚はあった。

 授業の間も昼食の時間もユナといるし、なんなら普通にくっついてくるのを黙って受け入れている。


 初日に色々とやってしまっているし、拒否するとユナが悲しそうな顔をするので諦め半分だ。


 荷物を詰めた鞄を持ってユナのところへ行って事情を話せば、快く頷いてくれた。

 ユナの準備が終わったところで、


「さてと。じゃあ、まずは校舎をぐるっと回ってみようか」


 朝比奈の案内で校舎巡りが始まった。


 各学年の教室、職員室、特別教室に運動場。

 水泳の授業を行う屋内プールまである。


 新しめの外観通り、施設は綺麗で広い。

 しかも運動場は二つあり、放課後はバスケ部やバレー部が使っているのかボールの音が近くに行くと聞こえていた。


 木陰が揺れる中庭にはベンチがあって、昼食を食べるのに使っている人もいるとか。

 今度ここで食べてみてもいいかもしれない。

 屋上が立ち入り禁止なのは事故を防止するためだろう。


「そいえば二人は部活とかするの?」

「いや、そのつもりはないな。家事もやらないとだし」

「ん」

「一人暮らしだもんねー」


 本当のことを知らない朝比奈に多少の罪悪感を感じつつ、部活なあ……と考える。

 二人暮らしの関係上、時間を取られる部活には参加しにくい。


 俺としてはユナには我慢をして欲しくない。

 部活をやってみたいのなら止める気はないし、応援する。

 でも、ユナはやりたいとは言わないだろう。


「一応部活の風景見てく?」

「……軽くだけ見ていこうかな」

「おっけー。中の部活からにしよっか」


 ユナが部活をやりたいと言ったときの参考になればいいなと思って頼むと、朝比奈は人のいい笑みで承諾した。


 常守高校には運動部も文化部も、結構な数があるらしい。

 野球やサッカーなんてメジャーなものは当然として、ラグビーや合気道部なんてちょっと珍しい部活もあった。

 文化部も一通りそろっていて、放課後は吹奏楽部の演奏が聞こえてくるくらいだ。


「朝比奈は部活入ってないのか?」

「私? そうだね。部活は入ってないよ。色々目移りしちゃって一つに集中できないんだ」

「へえ……意外だな。運動部っぽいイメージだったから」

「ユナもそう思ってた」


 朝比奈の元気な様子からして、陸上部とか似合いそうだ。


「一年の頃は入ってたんだけどね。まあ、そんなこんなでやめちゃたんだ」

「何の部活だったんだ?」

「陸上部だよ! って、あれ? もしかして予想通りだったとか?」


 二人で頷けば「バレてたかー」と恥ずかしそうに頬を掻いて呟く。

 俺とユナの認識はあっていたらしい。


 ただ、話し方的に集中できなくて――という理由で辞めたようには思えなかった。


「学校広いでしょ。疲れない? 特にユナちゃん」

「……正直、疲れてきた」

「そうだろうな。今日はこのくらいにしておくか?」

「まだ大丈夫」


 ふるふると首を振るユナ。

 長い髪が頭の動きにつられて揺れる。


「悪い、朝比奈。今日はここまででいいか?」

「全然いいよー。まだ始まったばかりだからね。体調崩したら困るし」

「エイジ、ユナは――」

「別に迷惑とか考えなくていいから。一番大事なのはユナだし、疲れたなら素直にそう言ってくれ」

「……ん。ごめん」


 謝る必要はないのにな、と思いつつ、自分のことをさておいて人を気遣う優しさも好きなんだなと頭の隅にちらついて苦笑した。

 でも、それは俺に向けないで欲しい。


「……二人とも、なんでそれで付き合ってないのって感じだよ。ほんと」

「なんか言ったか?」

「なんでもないよー。じゃ、今日はこのくらいでね!」


 また明日ーと手を振って朝比奈はいなくなってしまった。


「……ユナ?」


 帰ろうかとユナに声をかければ、窓の外を眺めながらぼんやりとしている。


 八月中旬、まだ明るい空模様。

 五時過ぎになって日差しの強さは和らいだものの、まだ暑いのかランニング中の生徒は汗を浮かべていた。


 校舎内は空調によって温度が保たれているが、ユナの顔色はほんのりと赤い。

 熱でもあるのかと心配になって、その顔――正確には額へ手のひらを伸ばした。


 前髪を手の甲で押し上げて、額に手のひらを当てる。

 瞬間、ぱちりとユナの双眸が瞬いて。


「熱はない、か」

「……上がってくる、かも」

「体調悪かったのか。気づかなくてごめん。帰るまで大丈夫そうか?」

「違う。いきなりは恥ずかしい」


 落ち着きなく視線を泳がせつつ、囁くように呟いた。


 ……何も言わずに触ったのは良くなかったな。

 俺が言ってたことを無意識にやっていた。


 手を離して「ごめん」と謝ると、「気にしてない」とほんのり赤く頬を染めたまま返される。

 怒ったよりは驚かせたという表現が正しそうだ。


「……とりあえず帰るか。疲れてるなら夕飯は俺作るけど」

「ユナが作る。それは譲らない」

「無理はしないでくれよ? 体力ないんだから」

「……じゃあ、食べたらいっぱい休む。エイジの膝で」

「俺の膝かよ。いいけどさ」


 いつもやっているような微笑ましい要求に笑ってしまう。

 言われなくても膝くらいは差し出すし、その後の撫でもセットだ。


 顔の赤みが抜けてきたユナの手を取って、いつもよりゆっくりとした足取りで帰路につくのだった。

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