第17話 エイジだけだから


「学校、やっていけそうか?」

「わかんない。まだ初日」

「それもそうだな」


 昼食後、いつものように二人でソファに座ってそれぞれなにかをしつつ、学校のことを話していた。

 ユナ自身はとても頑張っているように見えたし、初対面のクラスメイトともちゃんと会話ができていた。


 てっきり一週間くらいはまともに話せないんじゃないかと思っていただけに、初日の成果としては大きなものだったと思う。


 相手の朝比奈が話を振ってくれていたというのも要因の一つではあるだろうけど、ユナの意思がゼロかと聞かれればそうじゃない。

 丸一年、家族と篠原家の人間以外と話していなかったのだ。

 会話自体に苦手意識を抱いていて、話せなくてもおかしくはなかった。


「頑張ったな」

「ん。明日からも頑張る」


 前向きな姿勢はいい兆候だ。

 ユナにとっては念願叶っての平穏な学校生活。

 一年通えなかった分まで楽しんでほしい。


「明日からは弁当も作るぞ。入れて欲しいものとかあるか?」

「玉子焼き。甘めの」

「いいぞ。他には?」

「エイジと一緒に食べたい」

「言われなくてもそのつもりだったし、こっちから頼みたいくらいだな」


 一人で食べるより二人の方が美味しい。


 最近は当たり前になっているものの、ユナと一緒に食事をするのは幸せな時間だ。


「授業も始まる。ついていけるかな」

「ユナがついていけないなら俺はどうなるんだよ。編入試験をほぼ満点取ってたくせに」

「それはそれ」


 家ではゆるゆるなユナではあるが、運動が多少苦手なことに目をつむれば基本的に俺よりもスペックが高い。

 今回の編入試験でもその力を遺憾いかんなく発揮している。


 学校に通っていなくても勉強ができるのは通信学習の成果だ。

 誰でもできることではないので、素直に尊敬している。


 俺の成績は八割程度の点数で、まあ及第点だろう。

 今後もユナといるのだから、勉強も頑張るつもりでいた。

 わからないところは教えて欲しいと頼めば、ユナは断らないと思う。


 代わりに何かを要求されそうなものの、それぐらいは受け入れよう。


「そいえばさ……流石に学校でくっつくのはやめておかないか? 誤解されるし、色々困るし。てか、実際に疑われてたし」


 この際だからと伝えておくことにした。


 学校という公的な場所でああいうことをされると、俺とユナがそういう関係なんじゃないかと考える人は間違いなく出てくる。

 今日の朝比奈だって、根底にあったのはその疑問だろう。


 俺とユナの距離感は、初見では恋人同士だと誤解されるくらいに近い。

 家でならまだしも、人が多い場所では対応に困ると知っていて欲しかった。


 しかし、


「疑いはどこまでいっても疑い。ユナとエイジは幼馴染で――ユナだけのもの。だから、やめない」


 接し方を変える気はないと真正面から告げられる。

 空いていた距離を詰めてきて、肩に頭を寄りかからせた。


 ここが定位置と主張するように、ぴっとりと。


「幼馴染だから。それ以上に、エイジだから。ユナをこうしていいのは、エイジだけだから。他の人になんてしない」


 向けられたクルミ色の瞳。

 信頼と、情愛と、明らかにそれだけでは収まらない淡くも焦がれるような感情を一身に浴びせられて、酔いが回ったらこんな感じなのかと思うほどに頭の奥がくらりとした。


 ユナが俺を特別扱いしてくれていると知って、俺以外にこんなことはしないと言ってくれて。

 俺が抱えながらも隠そうとしている感情と同じものをユナは抱いてくれているのでは、とかすかな期待のようなものが芽生える。


 ……いや、本当はもう知っていた。

 知っていて、目を逸らそうとしている。


 それを伝える資格が俺にはないから。

 それに応える資格が俺にはないから。


 あれだけ近くにいて、毎日のように顔を見合わせていたのに気づけなかった鈍感な自分が許せない。

 俺よりもユナを幸せにできる人間がいるはず――そんな風に考えてしまう。


 でも、こうしてユナが隠さずに行動として好意を向けてくれるのが、どうしようもなく嬉しいと感じてしまう自分がいて。


「……じゃあ、仕方ないか」


 心の弱い俺は、優しさに甘えてしまう。


 ユナがしてくれるのだから、と免罪符を貼り付けて。


「傍にいるって言ったからな。頼ってくれとも。ただ……色々とよくないことを思われるかもってことはわかっててほしい」

「ん。じゃあ、もっとする」

「話聞いてた?」

「聞いてたからこその結論。そんなこと思われても問題ないくらいに仲が良いって見せつければいいだけ」


 ……余計に悪化しそうだ。


 悪化という言い方はあまり良くないのかもしれないけど、その裏にある感情には思い当たる節がある。


 独占欲、執着、そんな名前で呼ばれる感情。

 幼馴染へ向けるべきものなのかは怪しいそれは、同じように俺も持ち合わせていた。


「……だって、エイジ、あの朝比奈って人と楽しそうに話してた」

「そりゃあ角が立たないようにするって」

「朝、ユナがくっついたとき嫌そうにしてた」

「嫌そうってか……どうしたらいいのかわからなかったんだよ。家じゃなかったし」

「他の女の子がエイジを見てた。狙ってた」

「ないない。ユナの方が見られてただろ」


 他の女子が俺を見てたのは転校生で珍しかったからだろう。

 ユナへ向けられる視線とは別種のもの。


 単純な興味のそれは、数日もすれば落ち着くはず。


 でも、ユナへのそれは違う。

 明確に異性として意識している人が、俺の目からも多数いることがわかった。

 その人数は日を追うごとに増えていくだろう。


「……とにかく、ユナと一緒にいて」

「それは不安だからとか、そういうの?」

「そういうことでいい。不安、怖い、緊張してる。エイジと一緒にいたら良くなる。離れたくない、一緒にいたい。そしたら学校がもっと楽しくなる。だから、ダメ?」


 俺が断らないことを知っていて、ユナは聞いてくる。


 なんとなくこの流れで「いいよ」と答えるのが恥ずかしくて、俺は黙ってユナの頭を撫でた。

 無言の肯定はユナに伝わったようで、淡い微笑みを浮かべて喉を鳴らす。


「……ね。頑張るとこ、一番近くで見ててほしい」

「おう」

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