第16話 恥ずかしくないとは言ってない
帰る途中にスーパーで食材を買い込み、帰宅した。
冷房を利かせた空気に出迎えられ、身体の熱が程よく奪われていく。
「疲れたしお腹空いてるだろ? すぐ準備するから」
「……いいの?」
「俺が好きでやってることだからな」
先回りして自分の意思でやっていると伝えると、「ありがと」と声が返ってくる。
ユナは任せっきりにしてしまうと考えたのだろう。
その気遣いは嬉しいし尊いものだと思うけど、学校で精神的に疲れているであろうユナを動かす気にはなれなかった。
「……じゃあ、シャワー浴びてくる。暑くて汗だく」
「おう」
まだ真夏と呼ぶべき暑さは身体が弱めなユナには
その背を見送り、俺も汗を拭い着替えてからキッチンに立つ。
昼食のメニューは冷やし中華。
簡単だし美味しいし、なにより暑い日にはもってこいの一品だ。
麺は流石に出来合いの物を買っているし、具材もシンプルにキュウリ、ハム、薄焼き玉子の三色。
工程も麺を茹でて具材を切って盛り付けるだけなので簡単だ。
お湯を沸かす
フライパンを熱しておきながら玉子を溶いて、砂糖を一つまみ加え、それをさらに混ぜ合わせる。
それから弱火にして、サラダ油を
フライパンを回して卵を広げ、外側が固まってくるまで焼いたら火を止め、余熱をじっくり通して完成。
クレープの生地に似たものが出来上がりだ。
これを三度ほど繰り返して、全部を重ねて細く切っていく。
余った溶き卵にはさらに砂糖とだしの素を混ぜて、玉子焼きにしてしまう。
ユナは甘めの玉子焼きが好きなので、喜んでくれると嬉しい。
沸騰した鍋で麺を茹でながら、キュウリとハムをカットする。
キュウリは千切り、ハムはいちょう切りにして、あとは麺ができたら盛り付けるだけだ。
袋に描かれていた時間だけ茹で、一度ざるにあげて冷水でしめる。
「――エイジ」
脱衣所の方から聞こえた声。
なにかと思って様子を見に行けば、風呂場の扉を少しだけ開けてユナが顔を覗かせていた。
水滴のついた肩、濡れたままの髪が普段よりも重たげに垂れ下がっている。
滑らかな肌色が見えてしまって、熱が顔に昇ってくるのを感じた。
一旦視界からユナの姿を消すために脱衣所から出て、
「……なにかあったのか」
「着替え持ってくるの忘れた」
「俺に取ってこいと?」
「バスタオル一枚で出ていいなら取ってくるけど」
……それは正直やめて欲しい。
隠れるところは隠れるものの、無防備が過ぎる。
ただ……俺が着替えを取ってくるのも、それはそれでよくない。
ユナの口ぶりからして全部ないのだろう。
部屋着は当然として、下着も。
洗濯で何度と見ているとはいえ、漁るような真似は
心情的に後から顔を合わせづらくなるのが目に見えている。
……けど、仕方ない。
「わかった。ちょっと待ってろ」
「ん」
平静を装って部屋に戻り、ユナの服が入っているタンスを開ける。
そこから上下セットの部屋着を取り、続いて下の段を恐る恐る開けた。
綺麗に畳まれた布地。
どことなく花畑を連想するようなそこからは、柔軟剤の甘い匂いがして――いや違うと頭を振った。
これでは本当に変態だ。
俺がするべきは、なるべくこれらを見ないで着替えを持っていくこと。
大丈夫、これはただの布切れだ。
変に意識する必要なんて何もない。
自分自身に暗示をかけて、隣り合うように収納されていた白色のセットを手に取り、それを部屋着の間に滑り込ませた。
一仕事終えた達成感のようなものを感じつつも、まだ脱衣所まで持っていく仕事が残っている。
とはいえここまでくれば勝ったも同然。
脱衣所まで戻ってユナに着替えを届け――
「っ、あ」
ちょうど浴室から出てきて、なにも纏っていないユナと鉢合わせた。
上気した頬の赤、血色のいい肌色、長い髪を伝って水滴が落ちる。
きょとんとしたクルミ色の瞳、バスタオルに伸びていた手が止まった。
俺の視線も、同じように止まっていた。
視界を占有する肌色。
小柄で肉付きの薄い……しかし女の子特有の柔らかさを宿した肢体へ、否応なしに視線が吸い寄せられる。
一瞬、思考が
「っ、悪いっ!」
弾けるように後ろを向いた。
心臓の鼓動が恐ろしく早い。
固く
脳裏に焼き付いてしまったそれを早く忘れようと考えると、逆に色濃く残ってしまい悶絶した。
頭に浮かんでくるのは言い訳じみた言葉ばかりで、しかも上手く纏まらない。
「エイジ」
背後からかけられた声は、普段の調子と変わらないもの。
穏やかな声音に当てられて、少し冷静さを取り戻す。
「……悪い。今のはわざとじゃなくて、その、」
「ユナも悪い。それに、エイジなら見られても、いい」
思考がその一瞬で固まった気がした。
しかし、言葉の意味を問いただす前に、くいと背中を引っ張られる。
「もうバスタオル巻いた。大丈夫」
信じて振り向けば、確かにユナはバスタオルを巻いて身体を隠していた。
けれど、凹凸の少ない身体つきが余計強調されている気がするし、バスタオルの大きさ的に肩や腿まで露出していて目に毒だ。
しかも、ユナの裸体を
可能な限り視線を脱衣所の隅に追いやり、持ってきた着替えを手渡してから即座に背後を振り向いて帰ろうとしたとき。
「そんなにユナの身体、魅力ない……?」
どことなく気落ちしたような言葉が聞こえた。
「……そんなわけないだろ。そうなら……こんなに恥ずかしい思いはしてない」
背を向けたまま、違うとだけ返す。
好きな女の子の裸を見てしまったなら、当然の反応だと思う。
まだドキドキしているし、顔は火が出そうなほどに熱い。
記憶に刻まれた姿は忘れたくても忘れられないほど刺激的で、煽情的で、そういう欲求を呼び起こすにはじゅうぶん過ぎる。
だからこそ、目を逸らした。
あれ以上見ていて、手を出さずに済む自信がなかったから。
俺の意思はそう強くない方だと自覚している。
ふとした瞬間に傾いて、衝動的にやってしまった――なんてことは、絶対に避けるべきで許されない行為だ。
ユナとの関係を、そんなつまらないことで壊したくなかった。
「……もう出来るから、着替えたら来てくれ」
申し訳なくなって、昼食の準備を言い訳にして立ち去ろうとする。
こんな表情を見られたくない。
「……ユナも、恥ずかしくないとは言ってない」
消え入りそうな、囁くように告げられた言葉。
それは俺の意識を殴りつけるにはじゅうぶんな威力を秘めていて、腹の奥から甘く熱いものが込み上げてくる。
呻くのを堪えつつ、その言葉の真意を考えながらキッチンへ戻るのだった。
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