第7話 どっちかといえばハラハラした


 脱衣所の方から扉が開く音がした。

 それから数分して、ユナがリビングに姿を現す。


 ……バスタオル一枚だけを巻いたまま。


「気持ちよかった」


 サッパリとした表情で呟くユナの顔色は目に見えて血色がよく、バスタオルから覗く肩も頬も健康的な桜色だ。

 滑やかな素足、背格好に比例するように小さな指が可愛らしい。


 僅かに水気を帯びたままの長い髪。

 入る前に言っていた通り、俺に任せるつもりのようだ。


 それ自体は以前もやったことあるし、やぶさかでもないのだが……恰好かっこうだけはどうにかして欲しい。


「ちゃんと服着てくれって言ったよな」

「着てるよ?」


 不思議そうに小首を傾げて、ユナはバスタオルを取った。


 目を逸らす時間もなく直視したユナの姿は――ちゃんとパジャマを着ていた。

 ツルツルとした質感の白いサテン生地でできたオフショルダータイプのパジャマで、下もショートパンツを履いている。


 着ていないように見えたのはユナの策謀だったようだ。


 ユナはいたずらを成功させた子どものように口の端をわずかに上げながら、俺の隣に腰を下ろして、


「ほんとに着てないと思った?」

「……悪いかよ」

「ドキドキした?」

「どっちかといえばハラハラした」


 揶揄からかったことを怒る気にもなれず、ため息をこぼすだけだ。

 心臓に悪いから本当にやめて欲しいけど、それを言ったらまたやりそうなので何も言わない。


 それから脱衣所に置いてあるドライヤーとくし、タオルを取って戻った。

 ソファに座るユナの後ろに陣取って、


「トリートメントは?」

「した」

「よし。タオルで水分取ってからくし通すぞ」

「ん」


 しっとりと濡れたユナの髪にタオルを被せ、髪を傷つけないようにいていく。

 女の子の髪は繊細せんさいだ。

 壊れ物を扱うような手つきで進める必要がある。


 粗方の水分を取り終えてからくしを通していく。

 普段から手入れのされた長い髪。

 途中で絡まることもなく、すんなりと毛先までかせる。


 風呂上りだからか、ユナの髪からほんのりとシャンプーのものと思われる甘い匂いが漂っていた。


 なるべく意識しないように努めつつ、髪をかし終えたところでドライヤーを起動。

 程よい風の温度に調節して、前髪に左右から風を当てていく。

 次に頭頂部と左右の髪を解しながら順に乾かす。


「どうだ?」

「……気持ちいい、よ」


 へにゃりと目を細めた笑みでの返事。

 完全に委ねられている現状になにか思わないでもないが、意識的に考えないことにして手を動かす。


 乾きつつある髪に手櫛てぐしをかけながら再度ドライヤーの風を当て、毛先までちゃんと乾いたところで目の細かいくしを通して整える。


「こんなもんか」

「ん。ありがと」

「どういたしまして。てか、なんで自分でやらないんだ?」

「エイジにやってもらう方が気持ちいいから」


 ……素でそういうのはやめて欲しい。


「それに、落ち着くし眠くなる」

「寝るならベッドで寝てくれよ」

「ん。お昼寝したからまだ大丈夫。微睡まどろんでるのがいい」


 ユナはまだ目をつむったまま、ソファの背もたれに身体を預けていた。


 満足げに緩んだ頬を触ってしまいたい衝動にられるものの、なんとなく邪魔するのは躊躇ためらわれて押しとどめる。


「んじゃ俺も入ってくる」

「ふわぁい」


 気の抜けた返事を背にして、使った道具を持って脱衣所へ。

 所定の場所に片付けてから服を脱ごうとしたのだが……その途中で、洗濯籠の中に入っていた水色の布地が目に入る。


 小さな青いリボンが一つついただけのシンプルなそれは、恐らく俺が考えている通りの物だろう。


 これが同居するということか……。

 今後はこういうことが当たり前のように起こると考えると、とてつもなく心配だ。


 妙な罪悪感を感じつつも、脱いだ服と一緒に洗濯機へとりあえず放り込む。


 回すのは上がってからでいいだろうと、逃げるように温かい空気が残る浴室へ踏み出した。

 ぴとり、と濡れたままの床を踏みしめて、シャワーのハンドルを捻る。


 さああと流れる水音。

 ぬるめの温度に調節したシャワーを浴びながら、「……はあ」と今日一日で感じていた全てをまとめたようなため息をついた。


「なんつーか……大変だな」


 自らの口から出てきたのは、しみじみとした声音での呟き。


 幼馴染と……ユナと一緒に暮らすことの大変さは、引っ越す前に想像はしていた。

 けれど、現実はそれ以上だった。


 男女の違いもあるし、幼馴染としての距離感が徐々にわからなくなってくる。

 まだ初日だからこの程度で済んでいるが、すれ違う部分も出てくるだろう。

 意識をり合わせて、互いが過ごしやすい空間を作っていかなければならない。


 だが――幸福を感じている自分がいることも確かだった。

 何事もなければ卒業まで、俺はユナと二人で暮らすことになる。


 甘えたがりでさびしがり屋なユナを見ていると、ついつい世話を焼きたくなる。

 それは嫌じゃなく、むしろ楽しいとすら感じてしまうものだ。


 髪を直していたときも、あの心地よさげに目を細めて緩んだ顔を見るとやってよかったなと思える。

 手間がかかるのはその通りだが、それだけ信頼してくれているという背景を考えると今後も任せてくれたら嬉しい。


 だけど、ユナも甘えるばかりではない。

 特に料理は支えてくれるし、やる気が薄いだけで基本的なスペックは俺よりも上だ。

 学校が始まれば勉強面でも助けられることがあると思う。


 頼り切りにならないように努力はするけど、俺が困っているとわかれば自然に手を貸してくれる。

 そういう優しい子だから、ユナは一度折れてしまった。


 今度こそ――俺はユナを見ていなければならない。

 目を離さず、いつでも手を差し伸べられるように。


「……頑張ろう、色々」

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